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dragonfly's PV書庫

2021年春〜真性多血症(PV)について書いてみよう

冬の楽しみは日向で読書だ。

気がつけば、いつの間にかうとうと寝ているのだが、今週、

『ソーンダーズ先生の小説教室』の中にゴーゴリの短編「鼻」があり、

床屋のシーンに「瀉血できます」という言葉が書かれていた。

ん? 床屋で瀉血? 

何だ、それは?

 

調べてみると (以下、wiki解説から)、

古典的な意味での瀉血は、体内に溜まった有害物を血液と共に外部に排出させることで健康を回復できるという考えによるもので、中世以降、西洋医学でさかんに行われた療法であり、

欧米では、多くの医者が患者のどんな症状に対してもしばしば「瀉血が効く」としてそれを実行した、

のだそうだ。へえ〜、、

「熱が出れば瀉血」

「下痢をしても瀉血」

「せきが出ても瀉血」 

あはは、、

しかし、笑い事ではない。

衛生の管理が十分でなかった時代であるから、切開部が感染症を引き起こしたり、体力の弱った患者に瀉血療法を行った結果、いたずらに体力を消耗させ、死に至るケースも珍しくなかった。これが原因で亡くなった有名人には、モーツァルト、ジョージ・ワシントンなどがいる、という。

ゴーゴリの小説、19世紀前半のロシアでは、床屋が瀉血を行ったのかしら? カミソリがあるから? 

ぞぞぞ、怖い、こわい、、

 

さらにサイトを探ってみると、

モーツァルトは18世紀末に35歳で(映画『アマデウス』のサリエリによる毒殺説?ではなく)、

ジョージ・ワシントンは19世紀末に67歳で、

それぞれ瀉血が病気を著しく悪化させたことにより亡くなった、と説明されていた。

何ともおどろおどろしい瀉血の歴史、ですよね。

 

そう言えば、

アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの屋敷、ヴァージニア州にあるマウント・ヴァーノンに行ったことがある。旅記録を探したら、2007年の秋だった。

白い邸宅の周りに、使用人たちの家、馬小屋などが点在し、丘を下ったポトマック川沿いに、ワシントンが眠る石造りのお墓/霊廟があったことを思い出した。

ひゃー、かの偉人が瀉血による出血多量で亡くなっていたなんて。とてもお気の毒。

 

 

もちろん、現代の瀉血療法は医学的に根拠のある治療手段であり、

真性多血症では基本的な治療法となっているわけです。

にしても、4年前から受けている治療にそんな長い歴史があったとは。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも利用しているオンライン・ドラッグストアからセールのお知らせが届き、サプリメント他あれこれを注文した。

このショップの買い物はアメリカン航空のマイレージにもなるので、年に数回サプリ類を補充している。

6,000円以上が送料無料だ。さて、今日は何を?

 

シニア向けマルチビタミンとエキナセア(ネイティヴ・アメリカンの薬草から抽出、免疫力を高める)は、まだ1瓶ずつ残っている。

残りわずかになった目のビタミンを探す。が、ボシュロムも21Centuryも品切れだ。

代わりにルテイン&ビルベリーを選ぶとしよう。

 

それから、ホームベーカリー用の無塩サンフラワー・シードとパンプキン・シード

デカフェのコーヒー豆

短いシルバー・ヘアを整えるシアバターのヘアジェル

乾燥に備えてワセリンのリップセラピー

マルセイユ石鹸をいくつか

 

カートの合計額が6,000円になるまで、石鹸を足したり引いたり、時間をかけ、ようやく注文を終えた。が、あれれ? メラトニンを忘れてるじゃないの。

 

毎晩飲むわけではないけれど、メラトニンを服用すると、朝の気分が軽くなるような気がするのだ。

アメリカ大統領選の結果に先行き暗澹たる現在、これまで以上に必要なサプリでもある。

 

ドラッグストアへの追加注文はできないので、今回はAmazonで「グリシン テアニン トリプトファン GABA配合」の睡眠サプリを買うことにした。

トリプトファンは幸せホルモン セロトニンを増やす? GABAは高血圧にも効果あり?

実はあまりよく解っていないのに、毎日、処方薬と一緒にいろいろ飲んでます薬薬薬

 

 

 

 

 

昨日、後発白内障のレーザー治療を受けた。

 

白内障手術そのものは左眼が20年11月、右眼が23年の2月だった。

加齢で濁った水晶体を眼内レンズに置き換える標準的な治療で、わあ、明るくなった!

と、以後、快適に過ごしていたのだが、

緑内障(これもある、持病)定期検診の折り、

「右がかすんでいませんか」

と近隣の眼科の先生から指摘された。

そう言えば、両目で見ているから気づかなかったけれど、右がまた暗くなっていたのだ。

やれやれ。

 

白内障手術後に水晶体後部が濁って透過性が落ちてしまう後発白内障は、

術後3年で20%にもなるんだとか。

その治療法は外来で数分のレーザー照射、これですっきりと視力回復のはずだけど。

今日の経過観察時、視力はやや改善されたものの、まだかすみが残っていた。

わたしのような強度近視+緑内障の場合には、画期的な視力回復は望めないのか、、?

「少しずつ良くなるかもしれません。また1週間後に診察です」

という市立病院眼科の先生のお話を聞き、

(散瞳点眼薬=検査で瞳孔を開く目薬を使用するため、車の運転できず)

雨の中をとぼとぼ歩いて帰宅した。

 

帰りの遊歩道脇から持ち帰ったローズマリー↓

(書いてから、それはだいじょうぶなのか気になり、Yahoo知恵袋を読んでます小心者)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

乳がんの手術を受けてから10年になる。

当時は2つの学校で非常勤講師をしており、仕事への影響を考えて情報開示(?)しなかった。

家族と親しい友人にだけ体調について話し、3か月休職して元通りの生活に戻った。

 

ステージ1で部分切除、リンパ節転移なし。

ホルモン剤の効くタイプだったので、抗がん剤の必要はなく、

念のための放射線照射5週間全25回を受けた後は、

今年の春まで3か月ごとの定期検診を受けながらホルモン剤を服用。

無事に10年が過ぎcancer freeになった。

今週ピンクリボン2024のニュースを見て、経験を書いてみようと思ったわけだが、

カミングアウト、遅いよね。

 

学生時代の友達、近所の友人、教師仲間、その他の知り合い、

乳がん経験者はわたしの周囲に数人いるけれど、

内容はステージやタイプによってそれぞれ異なっている。

治療法も、部分切除手術、全切除、リンパ節郭清、、放射線治療の有無、抗がん剤治療の有無、などなど。

そして、あっけらかんと経験を話してくれる人もいれば、

わたしのようにあまり話題にせず過ごす人もいるだろう。

 

小林麻央さんのブログには胸を打たれた。

西加奈子さんの「くもをさがす」からは、病気を通して見えてくるものは尊いのだという確信が伝わった。

10年を経て、手術を受けたK総合病院本院(房総半島の鴨川にある)の窓から見えた海を時々思い出す。

学生時代の親友は11年前に膵臓がんで亡くなり、

仲良しだったサークルの後輩も6年前に胆管がんで亡くなった。

病気の経験は辛いけど、無駄じゃないよね。

Life is too short to worry.
さあ、またどこか、美しい場所を見に行かなくちゃ。

写真は7年前のニュージーランド、クイーンズタウン、

ロープウェーで 登った展望台からの眺めです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早起きして血液内科へ。

前回は6月だった。

M先生が「4か月あけてもよさそうですね」とおっしゃったので、

9月初旬、ちょうどよい日程でアラスカ・ドライブに出かけることができた。

 

間隔のあいてしまった採血結果が、内心気がかりだったけれど、

特に大きな変化なくほっとしている。

次回も4か月後ということで、念のため200CCの瀉血をしていただいた。

若い医師は不安そうにあちこち血管を探したあげく、1回ルート確保に失敗。

検査用採血時にいい血管を取っておいてもらって、その位置も教えたんですけどね。

話を聞いていないのか?

 

採血の結果と、アラスカ州デナリ国立公園の写真を貼っておきます。

行きはアンカレジ〜デナリ〜フェアバンクスをレンタカーで走り、

帰りは青と黄色のアラスカ鉄道で戻った。

オーロラは見られず、デナリ山も雲の中。

でも、この上なく美しい秋景色だった。アラスカの秋は短く、ほんの2、3週間らしい。

 

これでアメリカ50州全部を走ったことになる。

一人旅だったり、友達が一緒だったり、娘とその友達を連れていったこともあったっけ。

運動神経は絶望的だけど、まっすぐ運転するならだいじょうぶ、ってことね。