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Unbelievable 70's


Unbelievable 70's

夏だから…(^o^;


ファッション、エンターテイメント、ムービーと、数々のカルチャーが花開いた70年代。

そんな時代の日本に徒花のように咲いた一大ブームがあったのをドワイルドな諸君は覚えているかな?

日本各地でUFO目撃事件が相次ぎ、未確認生物が姿を現した!?

「未知との遭遇」、「エクソシスト」、「オーメン」、「キャリー」というオカルト映画はヒットを飛ばすし、誰もがスプーン曲げにチャレンジし、口裂け女に恐怖した(笑)

華やかな70年代に起こった摩訶不思議な社会現象…そう、「オカルトブーム」だ。

「釣りキチ三平」ってマンガ、知ってるかな?

あの作者が描いた不気味なヘビのマンガがきっかけで、全国に謎の生き物“ツチノコブーム”が巻き起こるわ、イスラエルからユリ・ゲラーがやってきてはTVでスプーン曲げを披露した。

日本中のお茶の間がTVにガブリつきだったんじゃないかな…もれるコトなく俺もそんな1人だったけど(笑)

TVを通して念を伝える超能力をやった日には、視聴者から壊れた時計が動き始めたという電話が殺到したというし…

「僕もスプーン曲げが出来る」という少年“清田君”、“秋山君”なんて少年たちも現れ「天才超能力少年」と呼ばれ一躍、時の人となった。

そしてやっぱり「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」この言葉に怯えて過ごした諸君も多いのでは?

そんな俺も、えっ!?1999年?自分は何歳になってて、どんなふうに世界が終わってしまうんだ?なんていろんな想像を巡らせたりもしたもんだ(笑)

1973年に人々の記憶に刻まれたノストラダムスとは一体何だったんだろう?

ギリギリ70年代の終わりから80年代にかけては「口裂け女」

コートに身を包み、顔には大きなマスク…「私、キレイ?」と聞かれ、「はい」と答えるとマスクをはずして「これでも?」って寒いヤツ。

耳まで裂けた大きな口で、バイクで逃げようが、足が速くてすぐ追いつかれる…
しかも、カマ持って(怖っ)

「ポマード」って、3回唱えれば逃げられるっていう呪文、俺はちゃんと知ってたけどね(笑)

しかし、都市伝説といえども社会問題化するほどの噂だったよなぁ。

70年代…なぜそこまで恐ろしいモノ求めたんだろ?

オイルショックや、浅間山荘事件などの社会情勢に対する不安が積もり積もったのか?

されど70年代…誰もが新しいカルチャーにワクワクしたように、未知のモノに心惹かれたドワイルドに大らかな時代だったようにも思う。

Unbelievable 70's

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Born To Be Wild -Steppenwolf-

Get your motor running
Head out on the highway
Looking for adventure
and whatever comes our way


Ya darling you could make it happen
Take the world in a loving embrace
Fire all of your guns and once in
Explode into space


I like smoke and lightning
Heavy metal thunder
Racing with the wind
and the feeling that I'm under


Ya darling you could make it happen
Take the world in a loving embrace
Fire all of your guns and once in
Explode into space


'cause you're a true nature child
We were born, born to be wild
We can climb so high
I never want to die

Born to be wild
Born to be wild


Get your motor running
and head out on the highway
Looking for adventure
and whatever comes our way


Ya darling you could make it happen
Take the world in a loving embrace
Fire all of your guns and once in
Explode into space


cuz you're a true
We were born , born to be wild
We can climb so high
I never want to die

Born to be wild
Born to be wild・・・


先日shigeがブログで紹介した映画「EASY RIDER」の挿入曲として有名な、Steppenwolfの「Born To Be dowild-ドワイルドで行こう-」



・・・・・・・・・。



じゃ、ないや(笑)


「Born To Be Wild-ワイルドで行こう-」の歌詞でした。


ドイツの文豪"ヘルマン・ヘッセ"の作品「荒野の狼」からインスパイヤされバンド名をステッペン・ウルフと名付けたというカナダ人のロック・グループ。


ジョン・ケイを中心に結成されたステッペンウルフは、デビュー・アルバム「Steppenwolf」からのセカンド・シングル「Born To Be Wild」がイージー・ライダーのオープニングに使用されたこともあって全米で大ヒットを記録した。


シャープなドラムスとアグレッシヴなギター、そこに重なり合わせるベース・ラインの重奏によるリフで幕を開け、ワイルドなボーカルとオルガンが曲を盛り上げる。


ストレートでハードなロックン・ロールの魅力が溢れているサウンド。


一度聴いたら耳から離れないゴキゲンな曲だ♪


この時代に、こんなおもいっきりのいいハードなギターのカッティングって無かったよね。


また歌詩にある「Heavy metal thunder」から音楽ジャンルの"ヘヴィ・メタル"という言葉を生み出したとされている。


その事やこの曲のサウンドから、ステッペンウルフはハード・ロック、へヴィー・メタルの原点と言われているそうな・・・。


またボーカリストでありリーダーのジョン・ケイは、夜中もサングラスをかけていた初めてのロック・スターだった、とも言われている。


ま~、そんな事は置いておいて、ステッペンウルフの栄光はその実力のわりに短かったと思う。


実際、当時の生演奏やライブ映像を観るとカッコイイんだよね、このバンド♪


「Born To Be Wild」の他にも「Magic Carpet Ride」なんて最高の曲なんだけどね。


とにかく映画「イージー・ライダー」には欠かせないテーマ・ミュージック。


ツーリングで聴きたい曲NO.1!


イントロを聴くだけで気持ちが盛り上がってしまうのは、「Born To Be dowild」な俺らだからかな?


EASY RIDER

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DUTCH OVEN


10インチディープ


最近もっぱら"鉄馬"ハーレー熱がヒートアップしてしまった(汗)ドワイルドです。


今日はちょっと趣を変えて、鉄馬ならぬ"鉄鍋"の話でもしようかな。


もう何年も前から愛用しているLODGE社の鉄鍋「ダッチ・オーヴン」。


数年前から本格アウトドア・ブームに伴い、ここ日本でもすっかり浸透してきたように思う。


ダッチオーヴンと言うとアウトドアで使う道具とか、カウボーイが焚き火で作るチリ・コン・カーンって認識が強いけど、本来はアウトドアで使う調理器具ではないんだ。


キッチンであろうが野外であろうが火にかけておくだけで、食材の本来の味を引き出し美味しい料理にしてくれるのがダッチ・オーヴンの役目だ。


蒸す、焼く、炒める、煮る、揚げる、炊く、燻す、そしてパンまで焼けるなど、これ一つでオールマイティーにこなす万能調理器具。


アウトドアで作るローストチキンは最高だし、キッチンで普段の料理で使用しても素晴らしい働きをしてくれる。


例えば、鶏の中抜き1羽(鶏のモモ肉でもOK)をそのままダッチオーブンに入れ、蓋をして弱火にかけること数十分で最高の蒸し鶏が出来上がる。


さらに、その底にたまっている鶏のエキスで作るスープも絶品だ♪


また、ジャガイモ、ニンジン、トウモロコシ、カボチャなどの野菜も、塩を振って火にかけておくだけで素材の味をこの上なく引き出した美味しい料理が出来上がる。


ヨーロッパが起源らしいが、アメリカの歴史にこそダッチ・オーヴンは切り離せないのだ。


1492年、コロンブスは新大陸に鉄鍋を持ち込んだ。


また1620年にメイフラワー号がイギリスからアメリカを目指した時には、この鉄鍋で美味いドーナッツを揚げたという。


その頃にアメリカに渡った貧しい移民達は、少しでもゆとりができると真っ先にダッチ・オーヴンを欲しがったそうだ。


その当時、この鉄鍋はとても高価な貴重品で大切な家財道具であった。


初代大統領ジョージ・ワシントンの母親が遺言書の中で、この鋳鉄製の鍋やフライパンの処分に関して指示をした、と言う逸話もある。


大切に使えば三世代に渡って使える、まさに一生モノの鍋なんだ。


また18世紀後半、独立戦争が終わると、新天地を求め人々は西へ西へと大陸を移動しはじめた。


開拓者、金鉱探し、そしてカウボーイ達がダッチ・オーブンを持って西に向かったのだ。


そんな古き良きアメリカの生活に欠かせなかった、実用的な調理器具だったんじゃないかな?


その働きといえば、食材の持つわずかな水分だけで調理する無水調理や、油はまったく使わないで調理ができる無油調理など、ヘルシーな調理方法を簡単にこなす。


またズッシリと重くぴったり合わさる蓋は、鍋との隙間を水分で埋め水封(ウォーター・シール)する。


これにより内部には外気が侵入せずに圧力が上昇・・・、つまり圧力鍋と同じ働きをもするのだ。


俺が愛用しているのはLODGE社のダッチ・オーヴン、もちろんの"MADE IN U.S.A."。


ロッヂ製品も実に様々なレパートリーがある。


キャンプ、キッチン、スキレット、サーヴィング・ポット、コンボクッカー・・・、それぞれに多彩なサイズ。


スキレット

キッチンで使うのであればキッチン・ダッチ・オーヴンとスキレットが使いやすいと思うよ♪


使えば使うほど油がなじみ、本場のカウボーイ達も自慢し大切にする、黒光りした鉄鍋"ブラック・ポット"が完成する。


驚くほど素材を美味しく調理してくれる"魔法の鉄鍋"。


ガンガン使い込んで、自分だけのドワイルドなブラック・ポットを仕上げてみませんか?


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FLAT-HEAD 1929-1973


FLAT-HEAD 1929-1973

Vツインという同じレイアウトを採用しながらも、時代に合わせて進化してきたハーレーの心臓部。

ハーレーにとってのエンジンは、他のバイク以上に「顔」的な存在だ。

今日は、歴代エンジン中、最も採用期間の長かった「フラット・ヘッド」エンジンのお話しをしよう。

OHVやOHCは、バルブが燃焼室の上に取り付けられ、下に押し下げられるコトでポートを開閉する。

ところがこのフラット・ヘッドはバルブがシリンダーの横に上を向いて付いており、上に持ち上げられるコトで開閉するんだ。

正式名称を“サイド・バルブ・エンジン”と言う。

ナックル・ヘッド以降は「ヘッド」といっても正確にはシリンダー・ヘッドじゃなく、その上を覆う“ロッカー・カバーの形”に由来するネーミングなんだ。

ことフラット・ヘッドの場合、外から見えるのがまんまシリンダー・ヘッド。

ココにはフィンが切られている他は、プラグのための穴が開いているだけで、当然OHVのようにロッカー周りやバルブなどはない。

「フラット・ヘッド」とは“ヘッドに何もない”という意味で後から付けられたネーミングなんだ。

このエンジン最大の特徴は、OHVのようなロッカー・アームもロッカー・シャフトもプッシュ・ロッドもないというパーツ点数が少なくメンテナンスに優れていたコトだろう。

とても低い回転数で回るエンジンで、圧縮比も小さく、少々オイルが漏れてもそのまま走り続けるコトができた。

構造がとてもシンプルで、少々の工具と知識があれば、自分でもオーバーホールできる利便性の良さから軍用バイクとして指定された。

そう、昨日紹介した軍規格のアーミーモデル“WLA”だ。
フラット・ヘッドを載せたハーレーは、最終的に70年代まで生産された。

今のエンジンに比べたらお世辞にも効率がいいエンジンとはいえないし、ドワイルドな諸君の知るところのあの“ドコドコ感”はまるでない。

あくまで当時としては優れたモノだったってコト(笑)

因みに、これ以前にも通称“Fヘッド”と呼ばれるOHIV(オーバー・ヘッド・インヘレーション・バルブ)方式、別名“オホッツ・バルブというバルブ駆動方式(吸気がOHVで、排気がサイド・バルブ)のエンジンがあった。

フラット・ヘッドはDというモデルから搭載されたんだが、フレームの前部が1本のシングル・クレードル・フレームが採用されていた。

その後のULからダブル・クレードル・フレームが採用され、ナックル・ヘッドを積んだハーレーと同時期なので、通称“ナックル・フレーム”と呼ばれている。

また深いフェンダーや左右割式の大きなガソリン・タンクなど、今のソフテイルに至るビッグ・ツインのスタイリングはフラット・ヘッドの時代に確立されたモノだ。

もっとも一つのバルブに対してカムが一つずつ配置されてたワケだが、この点ではスポーツスターのルーツともいえる。

排気量はいろいろで、大まかに分けると、750ccのベビー・ツインと1000cc以上のビッグ・ツインに分けるコトができる。

ビッグ・ツインには1200cc、1340ccという排気量がラインナップされたコトもあり、こちらはそのままナックル・ヘッド以降のビッグ・ツインへと引き継がれていった。

ベビー・ツインの流れからは、やがてスポーツスターの直接の元祖であるKモデルが登場するんだ。

ビッグ・ツインとスポーツ・スターとの分岐点に存在していたドワイルドなエンジンだったというワケだ。

女性には退屈なお話しだったね★

ドワイルドなハーレーファンに捧ぐ☆

FLAT-HEAD 1929-1973

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HISTORY OF ARMY H-D

HISTORY OF ARMY H-D


アメリカにおいて、初めて“大統領によって動かされる軍隊”として編成された「ARMY」は、1846年から始められていった“メキシカン戦争”で命名された。

それ以前は、ソルジャー=陸軍の軍人(戦士)と呼ばれており、アーミーとなり“軍隊”という個人から複数で行動する強力な隊となったワケだ。

ハーレーダビッドソンに限らず、アーミーに“バイク”をはじめ自動車や航空機の登用があったのは1916年のコト。

その近代的機動力は馬車の輸送力と騎兵隊といった旧式なモノをたちまち一夜にして変えてしまった。

すでに始まっていた第一次世界大戦のコトもあり、民間用の自動車、2輪車が用いられて改めて効率の良さに気が付いたんだ。

もっとも当時、アメリカン・アーミーは世界大戦に不参加だったが…

しかし、1915年5月7日、アイルランド沖にて豪華客船“ルイジアナ”が沈められ大勢のアメリカ人が亡くなった。

戦火が飛び火し、これを静観してた時のウィルソン大統領は、1918年3月18日、アメリカン・アーミー2000人、さらにカノン砲、機関銃、貨・客車を送り込んだ。

これに驚いたドイツは、勝ち進んでいたものの、たまらず降伏した。

この大戦で起用されたバイクは実に、インディアンが4万1千台、ハーレー1万5千台、エキセルシャ2600台、クリーブランド200台にもなる。

HISTORY OF ARMY H-D

有名なる写真で“初めてWW1の勝利”で確認したハーレー・サイドカーを駆ったコーポラル・ロイ・ホルツの写真が撮影されて、ハーレーダビッドソンの活躍ぶりが世界そしてアメリカに知れ渡るコトとなる。

WW1の間に、マサチューセッツ州スプリングフィールドのインディアンのメーカー“ヘンディ・マニファクチャリング・カンパニー”は、アーミー用モデルの生産のみに専念した。

つまり1917~18年にかけて1台のインディアンもディーラーへ出荷も輸出もされず、このことから営業的に他のメーカー=つまりハーレーへと取り扱い車種を変更する例も多くみられたんだ。

ハーレーは、軍用を40%以下にして残りを民間用に供給したため2万4千台が2年間供給されていた。

こうして世界一のメーカーだったインディアンの栄光は、1922年春のハーレー初の“ディーラーミーティング”の翌年には、インディアン社における自社の歴史上で輝ける25万台目を送り出しはしたが、遂にハーレーに追い越されてしまう。

この頃のハーレーは、第2号車のブラックから、有名な“グレー”を経ていた塗色が、なんとアーミー色ともいえる“オリーウ゛色”で、オホッツバルブ型のJ=1000cc、JD=1200ccはじめ全車に塗られた。

1929年にはSV=フラットヘッドの750ccベビーツイン、D型が登場、30年にV型が出現してハーレーの主力となり、同時にアーミーへの納入も開始されてゆく。

750cc系はアメリカでの“スポーツ・カテゴリー”に順ずるモデルであり、エンデューロからダートトラックまでに使用され、運動性能も機敏に設計が施されたマシンだ。

先日、masayaが書いた“スポーツスター”のルーツとも言えよう。

2つの世界大戦で、WLA(アメリカン・アーミー)と呼ばれる“軍規格”のハーレーやインディアンのアーミーも生まれたが、フォードやウイリスの開発した4WDトラックのジープの機動力に取り残され、やがて第二次世界大戦の終戦前1944年には“払い下げ”が行われ、大戦後の庶民の足となっていった。

その昔の馬から内燃機関へと取って変わった戦術その歩みもまた、ドワイルドなアメリカ軍隊の歴史そのものだ。

HISTORY OF ARMY H-D


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BLUE HAWAII -ELVIS PLESLEY-


BLUE HAWAII -ELVIS PLESLEY-


先日8月16日、"King Of Rock'n Roll"エルヴィス・プレスリー没後30年を迎えた。


享年42歳という短い生涯に幕を閉じたテネシー州メンフィスにある大邸宅「グレースランド」には、世界各国から7万人もの人達が殺到したそうだ。


いつになってもファンの心の中で生き続け、永遠に輝き続けるエルヴィス・プレスリー。


ご存知のようにエルヴィスは映画にも数多く出演していた。


あまり知られていないと思うが、ドキュメンタリーを含めるとなんと34本の映画に出演しているんだ。


「G.I.BLUES」、「BLUE HAWAII」、「VIVA LAS VEGAS」なんて最高だ♪


エルヴィスがスクリーンで歌い踊っている姿を観るだけでもOKなのに、楽しいストーリーをクールに演じている・・・。


これ以上に何が必要だろうか?


特に「BLUE HAWAII」、俺らの大好きな楽園ハワイが舞台にトロピカルな青春ロマンスを繰り広げる、楽しい映画だ。


BLUE HAWAII -ELVIS PLESLEY-

「若さだ!青春だ!愛の島ハワイに、プレスリーがふんだんに唄いまくる・・・」
(これは日本公開時のコピー・・・汗)


タイトル曲の「ブルー・ハワイ」をはじめ「アロハ・オエ」「ハワイアン・ウェディングソング」など南国ムード漂うハワイアンや、「好きにならずにいられない」や「ロカ・フラ・ベイビー」「ノー・モア」・・・。


ハワイにマッチした永遠の楽園賛歌がさらにこの映画をさらに盛り上げている。


オアフ島やカウアイ島といった美しい自然とエルヴィス・プレスリー、イメージがピッタリ☆


そうハワイはエルヴィスゆかりの地。


コンサートや映画の撮影だけでなく、プライベートでも何度もハワイを訪れていたという。


1973年1月14日午前0時、当時報道番組だけに使われていた人工衛星を使い、世界中継された史上初にして最後の慈善コンサート「ALOHA FROM HAWAII」を開催した。


ホノルル・インターナショナル・センターで行なわれたこのコンサートは、全世界10億人以上の人が見たと伝えられている、まさに彼が伝説と呼ばれる所以ともなった出来事だっだ。


チャリティーショーであった為メンバーはノーギャラ、チケットには値段が付いておらず客が献金したいだけ払えば購入することが出来た。


そしてその収入は全てクイ・リー癌基金へ寄付された。


75,000ドルに及ぶ売り上げとなったが、このショーの準備費は150万ドル掛かったという・・・。


そんな記念すべき場所であるホノルルのNeal Blaisdell Center前に、先日没後30周年を記念してエルヴィスの銅像が建てられたそうだ。
(ぷるめりあさん♪旬なハワイ情報をありがとうございます(^O^)/)


BLUE HAWAII -ELVIS PLESLEY-

銅像になってハワイに戻ってきたエルヴィス・プレスリー。


死後30年という時間が過ぎた今でもその存在は色褪せず、いつまでもドワイルドに輝き続けるだろう。


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Sportster


Sportster


1957年、Haeley-Davidson社がレースで勝つ為に開発したオートバイが発表された。


当時レースといえばトライアンフ、ノートンなどの英国勢が好成績を収めていた時代。


そんなレースシーンに登場し、デビューして1年も経たないうちに"スーパー・バイク"として名を知らしめた通称"アイアンスポーツ"。


それが「Sportster」だ。


このベースとなった750ccサイドバルブエンジンを搭載した「Kモデル」が1952年に登場。


4カムOHVエンジンにハーレーの持つ最先端技術をつぎ込まれた、ダートレースに向けた小型でスポーティーなオートバイだった。


その「Kモデル」を引き継いだ"4カム"を更に進化させ、1957年に初代スポーツスター「XL」が誕生。


Sportster

920ccの4カムOHVエンジンに搭載し、エンジンとミッションを一体成型した強度と軽量化に成功した構造だった。


これにより、激しい走行が繰り広げられるダート・トラックでの耐久性を確保することができたってワケ。


また「Kモデル」から引き継いだ4カムにより、高回転までスムーズに回るように味付けがされている。


ここが1カムや2カムのビッグツインとの大きな違いだ。


1970年にはAMAクラシックCレーシングのルール改定によって、ハーレーのダートトラック・レーサーは「XR-750」に発展。


Sportster

72年にはより強力で信頼できるアルミヘッドに変更、それによりダートトラック・レースにおいて最強のマシンとなったのだ。


また1977年に発表されたブラックアウトされたカフェレーサー「XLCL」もクールなマシンだ。


Sportster

ウイリー・G・ダビッドソン(創始者の孫)が妥協なくしてデザインした、渾身のカスタムモデルである。


何故か発表されてからわずか2年で生産中止になった、ハーレーの中でも異色の1台なんだ。


ハーレー社がレースに勝利する為に開発し、進化してきたアイアンスポーツ「Spotster」。


いつの時代もその高いポテンシャルとデザインで、多くのハーレーファンを魅了している。


我がドワイルドの仲間、dowild.883t氏とdowild.110氏もスポーツスターXL883に乗っているんだよね♪


中低速から高速域まで気持ちよく回るエンジン、取り回しやすいサイズは峠もストレスなく走れるんだ。


50年かけて変わらない部分は頑なに守り、進化すべきところは改善し成長してきた、ハーレーの伝統を守り続けているモデルである。


ちなみに今年2007年はスポーツスターが登場して50周年。


50周年記念限定モデル(世界2000台生産)もリリースされたが、既に完売となっているそうだ。


スポーツスターは高い旋回能力と運動性能を誇る、ハーレーダビッドソン渾身のドワイルドなスポーツモデルなんだ。


Sportster

dowild.m

HARLEY DAVIDSON&MARLBOROMAN

NEC_0044.jpg
昨日のブログには驚いた諸君も多かったかな(笑)

ドワイルドな仲間たちで、ちょいとBBQに行ってきた。

カワイイ妹分のdowild.YOUことYURIもダンナ置いて(笑)愛娘連れて参加してたんだ。

俺もmasayaもいい感じにビールという名のガソリン補給してたワケ。

刻一刻とドワイルドな時間、17:00が近づいてきた…

面倒くさくなったワケじゃないんだよ、たまにはこんなのもアリかなと、「よし、YURI今日のブログたのむな!」

ゆる~い感じのドワイルドブログ、楽しんでもらえたかな♪

さて、ハーレー熱がちょいとヒートアップしてしまったので(笑)本日もう一発この話題で☆

バブル景気も崩壊しつつあった1990年代初頭、俄かにハーレーブームが巻き起こっていた。

そう、ドワイルドな諸君なら間違いなくご存知だろう、映画「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」を。

銀色に輝くまばゆい光を放つローダウンしたバイクに跨がった、ハデな革ツナギの男…

ミッキー・ローク演ずる“ハーレー”の伊達男ぶりにはけっこう影響を受けた。

もちろん「イージー☆ライダー」、同じくピーター・フォンダの「ワイルド・エンジェル」なんかで、すでにハーレーにはヤラれてはいたが、それらはみな過去の映画だった。

実際にリアルタイムで強烈にハーレーの刺激を受けた1本は、「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」だろう。

ストーリーとしては、古き良き西部劇の現代版で、1996年という近未来の設定で描いたコミカルなモノ。

とっくに11年過ぎてしまってるけどね(笑)

冒頭のシーンでは、ボン・ジョウ゛ィをBGMに、テキサスからロサンゼルスまでハーレーに跨がり駆け抜ける。

そりゃあ文句ナシにカッコいい♪

登場人物の名前もシャレがきいててユニークなんだ。

ジャック(ダニエルズ)、ウ゛ァージニア(スリム)、ジミ(ヘンドリックス))と、まさにアメリカの象徴といえる名前ばかりで、この映画の力の抜け具合が伺えた(笑)

しかし、イージーライダー以降、ハーレーのひとつのスタイルを生み出したのは紛れもない事実だろう。

当時、敬遠されがちだったFXRSを見事にバランスよくロー&ロングフォークに仕上げてた。

映画公開後、あの革ジャンのレプリカ着てるヤツ、けっこう見掛けたなぁ^^

ハーレーじゃなくとも「マルボロマン仕様」なバイク、巷じゃたくさん走ってたし(笑)

そういえば、ドン・ジョンソン演じた相棒の“マルボロマン”の方が、BMW相手にウイリーかまして派手なチェイスを繰り広げたりしてたのを考えると、「マルボロマン仕様」ってのもなかなか納得のいく話になるワケだ。

日本中に旋風を巻き起こしたドワイルドなハーレームービー、これを観てハーレーに興味を覚えたドワイルドな諸君も多いのでは?

dowild.s

城南島

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dowild.ha☆

こんな感じ?(笑)






あっ

この画像は
dowild.sさんです(笑)


millerのcapかぶって
ほろ酔いの上機嫌。




本日は
dowild.sさんと
dowild.mさんと
その他大勢で

千葉の
城南島キャンプ場に
来ています。


はじめまして。
dowild.YOUです。

dowildブログで
私が更新するのは
初めてですね(^ω^)

最初で最後かも
しれません(笑)





夏真っ盛りな

青い空―
青い海―。

城南島


デカい飛行機が
10分置きくらいに
ぶっ飛んでます。







いやー

かんかん照りの中の
黒ラベルは
極上です(笑)



まさに命の水―。

芯から
体に染みますな。
(^ω^)







あたしはけっこう

軽い感じで
文を書くので
いつもの
dowildブログより
薄い感じになるので
何かだめなのでは?

念を押してみたら


『お盆だから大丈夫』
と流されました(笑)











さすが
dowild(笑)

ってなかんじで
乾杯です(^ω^)

城南島











なんとなく
生きてりゃ

楽しい事
たくさんありますよ。

dowild.YOU☆

David Bowie -Ziggy Stardust-


David Bowie -Ziggy Stardust-


今日はoutside44さんのリクエストを受けて、彼女のフェイバリットであるデヴィッド・ボウイについて書いてみます。


正直言って、そんな一途なファンを前にして書くのはなかなか緊張するのだけど・・・。


ま~、そこはドワイルド流という事で(笑)


デヴィッド・ボウイはミュージシャンと言うより、アーティストと呼ぶ方がふさわしいように思う。


常に時代の流れに敏感で、貪欲に新しいスタイルを追求しているんだ。


マルチな才能を持ち、音楽活動以外に俳優として映画にも何作も出演している。


そんなデヴィッド・ボウイは1964年からの下積み時代を経て、69年に映画「2001年宇宙の旅」をモチーフにしたアルバム「Space Oddity(スペース・オデッセイ)」が突然イギリスでスマッシュ・ヒットとなった。


これがロック・スターへの足がかりを掴んだきっかけだった。


そして、73年にアルバム「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars(ジギー・スターダスト)」という不朽の名作をリリースした。


俺はこの頃が一番好きだな♪


これは架空のロック・スター「ジギー・スターダスト」を演じたコンセプト・アルバムなんだ。


宇宙からやってきた「ジギー・スターダスト」のロック・スターとしての栄光からその挫折までを描いた、前代未聞のアルバム作品であった。


シングル「Starman」と共に大ヒットを放ち、デヴィッド・ボウイはジギー同様(笑)一躍スターダムに。


このアルバムを発売後、バックバンド"Spiders From Mars"を従え1年半に及ぶツアーを組み、世界中で熱狂の内に迎えられた。


David Bowie -Ziggy Stardust-


奇抜なメイクと衣装で「ジギー・スターダスト」を演じたステージ、デヴィッド・ボウイは見事に異星人ジギーと一体化したのだ。


このツアー中に録音された「Aladdin Sane(アラジン・セイン)」も発売と同時に全英第一位という快挙を成し遂げ、世界中にジギー旋風が巻き起こった。


しかし、このツアーのイギリスでの最終公演でライブ活動からの引退を宣言、デヴィッド・ボウイは「ジギー・スターダスト」を永久に葬ったんだ。


この70年代初期、盟友であるT.REXのマーク・ボランと共にグラム・ロックの旗手としてシーンを引っ張り、数々のミュージシャン達に強い影響を与えた。


その後もデヴィッド・ボウイは、アメリカのソウル・ミュージックやニュー・ウェイヴ、ダンス・ポップ等、様々なジャンルに行き来し大胆な音楽性の変化を繰り返し、それぞれのジャンルでエポックメントな作品を生み出している。


どんな音楽で表現しようが、「デヴィッド・ボウイ」という個性は今も昔と変わらず、強烈なカリスマ性は少しも衰えることはない。


"メジャーなカルトヒーロー"デヴィッド・ボウイ、驕れる事なく常に最良の表現方法を模索しているドワイルドな男だ。


David Bowie -Ziggy Stardust-

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