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Ron English

Ron English


芸術の秋なノリが止まらないdowild.sです(笑)

今日はけっこうマニアックなアーティストを紹介しよう。

2年前、あの“ヒステリックグラマー”のキッズウェア・ブランド「ヒステリックミニ」のブランド誕生20周年を記念して行われたアートエキシビジョンで来日したのが、おそらく日本で初めて彼が大きく紹介されたコトのように思う。

以前、紹介した空山基氏やロッキン・ジェリービーン氏ほか国内外のアーティストが多数参加してた♪

ファッションに敏感な諸君やフィギュア好きな諸君なんかは、ご存知な方も多いのでは?

Supersized Meのフィギュアで、日本でも一躍有名になったアーティストだ。

知る人ぞ知るローブロー・アートの巨匠なんだよ。

ピエロやKiss、スーパーマンやバットマンなどのアメリカンヒーロー、ミッキーマウスやシンプソンなどのコミックキャラクターなどが、彼の手に掛かったとたんに“ロン・イングリッシュ風”に変貌する(笑)

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どこか異様な独特な表現力はポップアートの雑種ともいえよう。

政治と芸術のシャレのようなモノが見え隠れする世界観。

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そこにはモダニズムを改革した彼自身のオリジナルな技巧があり、まるで新たな生命、新しい活力が呼吸しているようだ。

マックのドナルドとならんで彼の作品にしばしば登場する“キャシーカウガール”なんて、とってもキモドワイルドだ(笑)

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強烈な色使いと描写力でポップカルチャーを牽引するロン・イングリッシュはまさにアメリカン・ポップアートの鬼才=奇才だ。

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Roy Lichtenstein

Roy Lichtenstein

アンディ・ウォーホルと並んで70年代のポップアートを代表するアーティスト「ロイ・リキテンスタイン」を紹介しよう。

アメリカン・コミックなどでもよく目にし、作品は見たコトあるけど名前は知らないというトコではウォーホル以上だろう(笑)

Roy Lichtenstein

ニューヨークに生まれ、オハイオ州立大学(コロンバス)で学び1946年、美術学士、1949年、美術修士を取得する。

1970年には、アメリカ芸術文学アカデミー会員にも選ばれている。

マンガや広告などから直接引用したイメージを拡大、再構成した一連の絵画作品によって、ポップアートの旗手として現代美術の桧舞台に登場した。

以来、現在までアメリカ現代美術を代表する画家でありつづけているが、同時に一貫して、版画制作にも情熱を燃やしているんだ。

とりわけリキテンスタインは、ポップアート以降もつねに身近な印刷物から主題を引用し、陰影のないフラットな原色や印刷の網点を使って描く彼独特の感情を排した無機質な様式を、印刷技術の原点ともいえる版画制作を通して、より強固に画面に定着するコトに成功した人物だ。

その中でも、1969年にはじまり、現在まで続くケネス・タイラーとの共同制作は、版画表現上のさまざまな技法を駆使しながらリキテンスタインの各時代の絵画作品のテーマと連動しつつ、それを補強するような形で新しい作品を生み出し、現代版画を語るうえで忘れてはならない数々の名作を残している。

まさに彼にとって絵画と版画は表裏一体のモノだったんだ。

何かと彼の年代的にも作風的にもウォーホルと比べられ、引けをとってるような扱われ方をされがちだが“アメリカン・ポップ”という意味ではリキテンスタインの方が若干ではあるが先駆者になる。

なによりあの単調的な色彩や“ドット”での表現方法自体、アメリカ文化そのものが現れてるように思う。

性格もウォーホルとは対照的というか、かなりマジメな人物だったらしい。

ウォーホルが、セックスとかドラッグという言葉が似合うようなクラブで遊んでいる時も、彼は黙々とドットを描いていたようだ(笑)
Roy Lichtenstein

作風にも「印刷ズレ」があるウォーホルと、機械的な描写のリキテンスタインとでは、その違いは一目瞭然だ。

しかし、マリポール(カメラマン)のプライベート写真を見た感じでは、マドンナやボウイらと比較するとウォーホールも相当マジメな人間だったんだろう…

実際、リキテンスタインの存在を知ってからのウォーホルは、ワザと対極的な行動を取ったりしてるし、彼とは違うコトをするしか一番にはなれないとも語っているんだ。

そういった意味ではウォーホルの方が、努力家であり、マジメだったのかな?とも(笑)

何はともあれ70年代という時代背景の中、共に活躍した才人たち…

彼らが残したドワイルドな現代ポップアートは、間違いなく後世へと受け継がれるコトだろう。
Roy Lichtenstein

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Hiroshi Okamoto


Hiroshi Okamoto


一昨日のスティーウ゛・マックィーン&トライアンフのイラスト、そして先日紹介したイラストレーター、永井 博と“博”つながりで(笑)今日はリアルイラストレーションの神童「岡本 博」を紹介しよう。

ずいぶん前にブログにも書いたコトある本気のウェア・デュプリケイターブランド「ザ・リアルマッコイズ」の創始者の一人であった岡本氏。

現「トイズマッコイ・プロダクト」の代表だ。


Hiroshi Okamoto


名古屋から上京した1977年、バイク雑誌に描いていた表紙のイラストが、当時大ブレイクしてたファッション誌「POPEYE」編集部の目に止まりメジャーデビューした。

それがきっかけで、広告ビジュアル等の仕事も急増し、80年代にかけてリアルイラストレーションの旗手として引っ張りだこのイラストレーターだったんだ。

フリーハンドで描き上げ「POPEYE」の表紙を飾った“ワーゲン”のイラストが氏のメジャーデビュー作だ。

この1枚を描き上げるのに、モデルとなる車の写真を何枚も撮ったという。

イラストレーションを描くにあたり、まずは何枚もの写真を撮るのが氏のスタイルだ。

その中からベストの陰影を見つけ出す。

さらにないモノは自らの手で足していき、要らないモノはそぎ落とすのだそう。

そうするコトで形がよりくっきり見え、作品に存在感が出てくるワケだ。

そんな写真にない“中間色”が出せるのも氏の作品の最大の魅了だ♪

生まれつき絵はかなり上手かったらしく、専門の学校に行くも入学時にはすでに周りが驚くほどの才能を発揮し、ほとんど学校には行かず、モーターサイクルなどの絵を中心に描いていたという。

POPEYEのイラストも、リアルタイムで見て今でも記憶にあるところだが、以降も三菱自動車、ラングラー、マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、プーマ…と、いたるトコで氏の作品は目にしたもんだ。

Hiroshi Okamoto


好きなモノにしか興味がないという徹底した精神は、リアルマッコイズの頃からよく知るところだ。

大のマックィーンラウ゛ァーである氏の描いた“スティーウ゛・マックィーン”のイラストはマジ陶酔してしまう♪

アメリカの旧きよき時代のファッションであるとか、男臭いアイテムの数々を蘇らせた永遠の少年の心が褪せるコトのないドワイルドな男。

リアルイラストレーションの作家としての実力は現在でも折り紙つきだ。


Hiroshi Okamoto


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THE WHO


THE WHO


先日のブログで書いたモッズから絶大な支持を得ていたグループである「The Who(ザ・フー)」


初めてTHE WHOを聴いたのは、中学生の頃にラジオから流れてきた「My Generation」だった。


はい、昔も今もラジオっ子です(汗)


正直言ってその時の印象は「何だこれ?」・・・、全く理解できなかったんだ(笑)


ところがそれから1,2年、色々な音楽を知り再び聴いてみたらこの曲ってスゲー良いんだよね♪


当時SEX PISTOLSなんかのパンクにも夢中だったし。


ライブ・ビデオは特に強烈で、魅せるライブ・パフォーマンスは圧巻だ。


ヴォーカリストのロジャー・ダルトリーはマイクを振り回し、ギタリストのピート・タウンゼントは縦横無尽に飛び跳ね、腕を回してギターを鳴らし、ドラマーのキース・ムーンは全編フィルインばりにハイテンションなドラムを叩き、リード・ベースと言われているジョン・エントウィッスルだけは一人仁王立ちして高度なテクニックを弾きこなす。


挙句の果てに、最後にはギターやドラム、機材をステージ上で破壊しだす始末(笑)


そのくせ、斬新でクオリティの高い楽曲を乱れる事なく演奏しているのだから参るよね・・・。


40年以上に渡り、今でも現役バリバリで活躍しているイギリスのロックバンド「The Who」


1965年、デビュー・シングル「I Can't Explain」をリリースした。


3rdシングルの「My Generation」では「年をとる前に死んでしまいたい」という若者の気持ちを代弁した衝撃的な歌詞、そして爆発するようなサウンドがたちまち評判となり大ヒットした。


若者の苦悩する心情を表したこの歌は若者の心を掴み、彼らの代表曲ともなったんだ。


当時の彼らはモッズ・ファッションに身を包み、ギターやアンプなどを次々を破壊していくパフォーマンスで若者たちの熱狂的な支持を受けていった。


ギグの度に楽器を壊していた為、抱えた借金は相当なものだったそうだ(笑)


そんなステージ・パフォーマンスは、のちのパンク・ロックに多大の影響を与えた。


1969年に発表されたアルバム「Tommy(ロック・オペラ"トミー")」でロック・オペラというジャンルを発展させ、1971年発表の「Who's Next(フーズ・ネクスト)」では当時貴重なシンセサイザーを大胆に導入するなど、斬新で画期的なサウンドを作り出していった。


「Won't Get Fooled Again(無法の世界)」の壮大な楽曲はホントに凄いよね。


破壊的なパフォーマンスと文学的知性豊かな歌詞世界とのギャップが、彼らの魅力でもあると思う。


1978年のキース・ムーンの早すぎる死によりバンドの勢いが衰え、83年には一度解散した。


その後もメンバーは入れ替わりながらも再結成を繰り返し、2004年には念願の初来日公演を果たしたんだ。


もう何百回とも聴き続けているThe Whoの楽曲だが、いまだに聴くほどにアジが出てくるんだ☆


最後に1975年のライブより「Won't Get Fooled Again」をお送りしよう。


これを観ればTHE WHOのドワイルドぶりが分かるかな?


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TRIUMPH with McQUEEN

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よくアメリカはビールの文化で、イギリスはティーの文化だど言われる。

それはバイクに対しても当てはまるコトで、広大なアメリカは、仰け反る姿勢で大排気量を唸らしながらデカいタンクで長く太い道を走る。

その姿や態度がビールを飲んでいる様だと(笑)

一方イギリスは、ロンドン内を風や寒さと戦いながら、スピード重視で狭く短い距離を疾走する。

必然的に前屈みのセパレートハンドルとなった。

その姿や態度が実にティーをすする様だと^^

masayaがロッカーズだモッズだと書き立てたので、俺もちょいとブリティッシュバイクを大好きなスティーウ゛・マックィーンとトライアンフで♪

映画の中のマックィーンは、役柄を超えたリアリティーを漲らせ、プライベートは逆に、映画の役柄のキャラクターがシンクロしていたように思う。

それは、仕事とプライベートという垣根をこえ、ベクトルの違う二つの世界で同時に俺たちを魅了したからだろう。

そんなマックィーンの傍らにいつもあった“トライアンフ”は、彼の人生を象徴するかのようなバイクだ。

スティーウ゛・マックィーンが愛した数多くのモーターサイクルの中でもトライアンフ“TR-6”は特別な存在で、彼の大出世作となった映画「大脱走」と深い繋がりがあり、スーパースターとして飛躍するうえで重要なファクターとなったからだ。

彼は、役柄が決まると、その役柄の男が志向する服装や携帯品のほとんどを自らの手でコーディネイトしていた。

ハリウッド・コスチューム・カンパニーが差し出すモノをそのまま身につけるんではなく、アレンジし、カスタマイズしてたんだ。

「大脱走」では、チノパンを細身で短めのカレッジスチューデントなディテールに変え、スウェットシャツには色をつけ、袖をぶった切り、第二次大戦中にはあり得ないスタイルを創造した♪

バイクも同じで、ドイツ製のBMWやZUNDAPPではなく、プライベートで乗っていたイギリス車のトライアンフ・TR-6を起用したんだ。

監督のジョン・スタージスは、当初、映画のヒーローはマックィーンとジェームス・ガーナーの2本立てでいこうとしていた。

そのため劇中のマックィーンのライディングシーンは、そう長く撮る予定ではなかった。

それに異議を唱えたマックィーンは、一時撮影をボイコットしてまで自身の考えを譲らなかった(笑)

結局、スタージスの方が折れ、あの名場面、バイクによるグレートエスケープシーンが撮影されたというワケだ。

そんな意味でも、TR-6は、これまでの作られたスターではなく、自らが役を創造するスターとしてのマックィーンにとって、大きなサポート役、記念碑的愛車になった。

60年代は、TR-6に跨り、ビックベアレースなどの数多くのオフロードレースにも参戦していたマックィーン。

トライアンフというメーカーを選んだのは、親友であり、トライアンフ・ライダーとして名を馳せていた“バド・イーキンス”の影響が絶大だったからだ。

『私にとって演技は趣味であって、レースこそ私自身の愛そのものなんだ。
それは、私の感情の捌け口になっている。
どんなレースでも楽しい。
それは、私のとなりの男が私の名前なんか気にとめないからだ。
ただヤツは私を負かしたいだけなのサ。
レースがはじまるや、私は私自身を証明しなければならない。』
‐1971年、スティーウ゛・マックィーン‐

バド・イーキンスとの友情を深めながら、マックィーンがトライアンフに跨った60年代、それは彼が世界的な名声を勝ち取ろうとハリウッドを上り詰めていった時期とちょうど重なる。

オフロードを駆けるオートバイとしてチョイスしたトライアンフ・TR-6は、映画という仕事のフィールドでもダイブし、多くの人の視線を釘付けにした。

トライアンフは、世界的なハリウッド俳優としても、一介のオフロードライダーとしても、“スティーウ゛・マックィーン”という男を引き立たせたドワイルドな最高のギアになったんだ。

こぼれ話しで、映画「大脱走」で使われたミリタリー仕様のTR-6。

バド・イーキンスの手によってスタムされたんだが、撮影後、どこにいってしまったのか?

マックィーンフリークの間で語り継がれがれている永遠の謎なんだよ☆

TRIUMPH with McQUEEN

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Smith&Wesson


Smith&Wesson


たまには(笑)、マイ・コレクションを紹介しようか。


眼鏡、サングラス、スポーツ用ゴーグルなど、数多くのアイウェアを愛用しているんだけど、ツーリング用に特に気に入っているのがコレ。


米国銃器メーカーとして有名なSmith&Wesson(スミス&ウェッソン)社の、PHANTOMだ。


S&Wといえばダーティーハリーの44マグナムでおなじみだよね★


これは、そのSmith&Wesson社が射撃やハンティングなど事故をともなう場での使用にたえるよう設計した、本気のアイウェアなんだ。


Smith&Wesson


素材には強靱かつ柔軟な、防弾ガラスとしても使われるポリカーボネート製レンズを使用。


破損や傷がつきにくいポリカーボネードは使用者の目を保護し、近距離からショットガンで撃っても傷つけど割れないそうだ(汗)。
(米国の製品安全基準ANSI Z87.1に適合)


さすがにシューティング・グラスとしての高度な安全性は間違いない。


またUVカット99.9%の紫外線保護能力、完璧に広い視界、曇り止め効果など、機能性はバツグンだ。


人間工学に基づいて設計されており、軽量でしっかり顔にフィットするデザインは頭を振っても落ちることがない。


鼻と接触する特殊ラバーは非常に柔らかく、長時間の着用でも違和感が無く着用できる。


その機能性から、警察官、軍、公的機関、救急隊員、工事関係者、ドライバー、クラフトマン、マラソン選手、ヨット、サイクリング、サバイバルゲーム等、幅広く使用されているんだ。


Smith&Wessonでも何種類かラインナップされているが、俺がセレクトしたのはこのPHANTOM。


このスタイリッシュなデザインにヤラれ、思わずクリア・オレンジ・黒・ミラーと4色揃えてしまった(笑)


ツーリングでは、ジェット・ヘルメットにシールド装備もいいが、この季節はシールド無しでこのゴーグルがより開放的でGOOD!


風の巻き込みも驚くほど少なく、シールドのように快適だよ♪
(小石が飛んできても大丈夫)


1852年に創業した、アメリカ最大の銃器メーカーSmith&Wesson。


武器を製造する会社が、プロテクトする為に作ったこのドワイルドなアイウェアは、ツーリングにもってこいのアイテムなんだ。


Smith&Wesson


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Hiroshi Nagai

Hiroshi Nagai

さぁて今日から9月だ☆

暦上は早くも秋…天気は下り気味だけど、まだまだ残暑はキツイはず。

芸術の秋&忘れられない夏、そんな思いを込めて今日はアートなお話しを☆

青く晴れた空と海…

椰子の木がクッキリと影を落として、白いプールサイドにはまるで西海岸の風が吹いているようだ…

イラストレーター「永井 博」の描く世界はそんな夏の海辺やプールサイドをモチーフにした作品が実に多い。

1973年頃、湯村輝彦氏と出会い、その影響を受け“ソウル・ミュージック”のレコード・コレクターとなった永井氏。

湯村氏のフラミンゴ・スタジオで、グラフィック・デザイナーをやりながらアルバイトでイラストを描いていた…

そんなある日、アメリカの風景写真をトレースして描いていたところ師匠の湯村氏が「コレ、いいね」と、気に入ってくれたそう。

「ウチに面白いイラストレーターがいる」…それがきっかけで永井ワールドはスタートした。

大瀧詠一の「A LONG VACATION」と永井氏のイラストはもはやワンセットだ♪

Hiroshi Nagai


あの曲、あの絵によって、そこがどこだろうが海の匂いを感じたもんだ^^

俺にとっても、当時の甘酸っぱい思い出がたくさん詰まってたりする(笑)

あのイラストは、日本のレコードジャケットデザイン史上に残る名作と言われるほどだ。

正確な経緯で言うと、78年に独立、フリーのイラストレーターとなった永井氏が、79年、CBSソニー出版が夏の絵本として企画した「A LONG VACATION」に携わったコトによる。

そのイラストレーションからイメージを触発された大瀧詠一がレコードの企画を立てたというワケ。

アルバムは大ヒットし、永井氏はCBSソニーより「アルバムジャケット特別賞」として、ゴールドディスクを受賞している。

以降、多方面で活躍の氏はブラックミュージックの収集を生かして、クラブDJをつとめたり、FM東京「トキメック ソウル コースト~永井 博のラップ&ブルース」でパーソナリティとしても人気をはくした。

「ハウス・ジャワカレー」のCMでは、西城秀樹と共演し、タレント活動なども行ってた。

来生えつこ女史とのコンビで出した絵本「HALATION」を出版した頃には、その作風は独自の地位を築き“永井博流スーパーリアリズム”が出来上がる。

現在は、デザイン、DJ、音楽評論家と、その活動は多岐にわたっている。

やはり夏が大好きなんだろう。

アロハシャツにも精通しており“アロハシャツ・コンテスト”の審査員なんかもこなしているんだ。

永遠のブルーが映えるトロピカルでクリアーな風景イラストレーションはまるで“夏の舞台装置空間”のようだ。

彼は今日もきっとドワイルドなロングバケーションを過ごしているコトだろう。
Hiroshi Nagai


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Mods


Mods


昨日のブログで話したロッカーズと、どうしても切り離せないモッズという存在。


シャンプーのモッズ・ヘアじゃないぞ(笑)


ロッカーズと並行して、1950年代の後半からロンドンのカーナビー・ストリートを中心に盛り上がったスタイルなんだ。


1979年の映画「さらば青春の光」では、当時のモッズ達の姿がリアルに描かれている。
(スティングの映画デビュー作♪)


タイトでスタイリッシュなオーダーメイド・スーツに身を包み、M-51ミリタリーパーカー(モッズ・コート)に髪を下ろしたMod Cut、多数のミラーやライトでデコレーションしたべスパやランブレッタといったスクーターがトレードマークであった。


オートバイと違い、スクーターなら自慢のスーツが汚れないからだ(笑)


昼間は普通の仕事を、夜になると深夜営業のクラブに集まりダンスに興じた彼ら。


ファッションだけでなく音楽にも熱中し、アメリカのR&Bやソウル・ミュージック、スカ、ブルービートといった、レアな黒人音楽を好んだという。


また当時のイギリスに現れたザ・フーやスモール・フェイセズ、キンクスといったロック・バンドはモッズ達の象徴的な存在だった。


ちょうどビートルズを思い起してみると分かりやすいんじゃないかな?


デビュー前は革ジャンにリーゼントのロッカーズ・ファッションだったが、デビューにあたりマッシュルーム・カットにスーツというモッズ・ファッションにイメチェンし成功したのは有名な話。


モッズ達は"自分らしくあるために"、"自分らしさを表現するために"、人と同じであることを拒み、常に最新の物を取り入れていった。


彼らは常に「クール」でなければならなかったのだ。


常にクールであることを意識した彼等が着こなしたスーツは、Vゾーンが狭く極端に細みでスタイリッシュでなくてなならなかった。


このタイトなスーツの着こなしは、今もオシャレな着こなしとして通用しているよね.


Moderns(モダンズ・近代的な者達)またはModernists(モダニスト)と呼ばれた彼らは、やがて省略され「Mods」と呼ばれるようになった。


そのモッズと二分するもう一つの勢力、革ジャン・リーゼントの男くさいロッカーズ。


「さらば青春の光」でも対立し、ブライトン・ビーチでの暴動も有名な話しだ。


でも実際はどうだったのだろう?


モッズもロッカーズも原点は同じ、"我が道を行く"スタイルであるはず。


ちょっとした事が大げさに取り上げられ、対立したイメージになっているんじゃないのかな?


人それぞれ、自分らしくあるために自分のスタイルを貫き通せばいい。


彼らが強く意識した、ドワイルドな「クール」さえ忘れなければ・・・。


Mods

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Rockers


Rockers


黒のライダース・ジャケットにグリースで固めたリーゼント"スリックヘア"、白いスカーフをなびかせて颯爽とオートバイに跨る若者たち。


50年代後半のイギリスで熱かった彼らロッカーズである。


アメリカの音楽やファッションに影響を受け、ロックンロールやロカビリー、エルヴィス・プレスリーやマーロン・ブランドを崇拝していた彼ら。
(マーロン・ブランドの1954年の映画「乱暴者」あたりが彼らの原点じゃないかな?)


カフェにトライアンフ、ノートン、BSAなどのオートバイで乗りつけ、ロックンロールを聴きながら自慢の愛車のカスタムを自慢しあっていた。


特にロンドンにあった当時唯一の24時間営業のカフェ「ACE CAFE」は、彼らの聖地として伝説にもなっている。


1938年にオープンしたエース・カフェは1969年に惜しまれつつも一旦閉鎖を余儀なくされた。
(その後、2001年にたった一人のロッカーの情熱により、リニューアルオープンした。)


エース・カフェは単なるカフェという飲食スペースだけでなく、ロッカーズをはじめ多岐にわたるサブカルチャーや音楽、ファッションを生み出した場所であったのだ。


自分のオートバイをいかに速くカッコ良くするのか・・・、彼らにとってはこれが一番のテーマ。


カフェのジュークボックスにコインを入れ、それと同時にスタート、曲が終わるまでにカフェに戻ってくるという公道レース"ジュークボックス・レース"で競い合っていた。


そういった事から、彼らの乗るオートバイの事は"カフェ・レーサー"と呼ばれるようになったんだ。


ロッカーズ全盛期の典型的なカフェ・レーサーとしては、ノートンのフレームにトライアンフのエンジンを載せるという"トライトン"が流行したそうだ。


今でもオートバイのカスタム・スタイルとしてカフェ・レーサー風っていうのは人気だよね?


セパレートハンドルにシングルシート、バックステップのクラッシック・レーサー風に仕上げるカスタムだ。


先日ブログで書いたハーレー・ダビッドソンのXLCRは、ハーレーらしからぬカフェ・レーサーとして話題になった1台である。


愛車のチューン・速さとクールなデザイン、そしてそれに跨る硬派なスタイルを追求したロッカーズ。


現代にも継承されているドワイルドな伝統なんだ。


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Popeye The Sailorman




Popeye The Sailorman



セーラー服姿でいつも口にパイプをくわえているセーラーマン。

温厚でお人好しで力持ち♪

恋人のオリーブ・オイル…そのまんまじゃん(笑)を巡り、敵役のブルートといつも騒ぎを起こす。

というより、いつも一方的にブルートがカラんでくるんだけど★

最初こそ自力で対応しようとするが、ストーリーが終盤に近づき危機的状況になると、ほうれん草の缶詰めを握りつぶして一気に飲み込み、超人的パワーを発揮するんだ。

ラストはっても痛快で、オリーブとの仲もハッピーエンド♪

アメリカではかなりの長寿キャラクターで、1929年にはすでにコミックとして売り出されていた(当時、ポパイは主役じゃなかった)

ストーリーによって水兵や船乗りに変身するこのパワータレントは、以降、海に従事する者たちのシンボルになった。

ところで、ポパイの両腕にはアンカー(錨)のタトゥーが入ってるのはご存知だよね?

タトゥーは、古くはキャプテン・クックの時代からあったといわれる。

クックの乗ったエンデバー号の無事な帰還を祈り、部下や周囲の友人が身体に彫ったのが始まりと言われている。

その後、船乗りたちの間で、無事帰港できるコトへの祈りを込めてタトゥーを彫る風習が広まり、第一次世界大戦(1918年11月終結)以降に、欧米諸国の水兵たちの間に定着した。

とりわけ、ホノルルのチャイナタウンにあったセーラー・ジェリー(ノーマン・コリンズ)の店は人気で、海兵隊員や海軍の男たちがハワイに立ち寄った際には、記念にタトゥーを彫っていたという。

セーラー・ジェリーのタトゥーは、海の男を堅牢にするための完成された、現在の「オールドスクール」と呼ばれるまさにアートだ。

アメリカの海兵隊員は、伝統的に他のどの軍隊の男たちよりもタトゥーを入れたがる(笑)

海の最前線で戦わなければならない彼らにとって、タトゥーとは、死を覚悟して戦争に向かうためのシンボルであり、生きた証なワケだ。

愛する女の名前、ピンナップガール、海兵隊の象徴イーグル、星条旗、アンカーなどを体に彫り、自らを勇気づけ、陸を離れる。

単なる飾りやファッションとは違うんだ。

精神と肉体の弱さを包み隠し、無事の帰航を祈りながらも男たちは、ドワイルドな不死身のポパイへと変身するんだ。


NORMAN ROCKWELL TATTOO ARTIST


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