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Belt Loop


Belt Loop


似てるけどベティ・ブープじゃないよ、ベルトループです(笑)


誰もが出掛ける時には必ず持ち歩く、生活必需品である"鍵"。


家の鍵をはじめ車やオートバイ、自転車、ロッカーなど複数の鍵を使い分け管理をしなければならない。


ジャラジャラと何個もある鍵をまとめる為に必要なのが、キーホルダーやキーケース。


ドワイルドなみんなは、どんなキーホルダーを使ってるのかな?


俺が愛用しているのは、ベルトに通すタイプのベルトループなんだよね。


バッグを持たずに手ぶらで出掛ける時にもポケットがかさばらないし、何より大切な鍵を落としてしまう心配が無い。


左の黒いヤツは、お馴染みクロムハーツの「D-RING BELT LOOP」


Belt Loop


スターリング・シルバーのクロスがワンポイントの、シンプルながら上質なスタイルが気に入っている。


ちなみに、D型の太いリングもスターリング製♪


通常、この手のヤツには開閉する為にスナップが付いているのだが、これにはそれすら無い(笑)


Belt Loop


クロムハーツならではの良質な牛革とスターリング・シルバーというピュアな素材、そして強度的にも申し分ない最高のベルトループなんだ。


そして、右のヤツは「DOLCE VITA」というブランドの蛇革・パイソン。


Belt Loop


前にブログでも書いた、俺が愛用しているバイカーズ・ウォレットのブランドで、同じ素材のモノをチョイス。


表面にニス系の処理を施していない、ナチュラル・パイソンが使い込んでいくごとにイイ味が出てくるんだ。


ドルチェ・ヴィータは、イタリアで一流技術を習得した職人が革質にこだわりクオリティーの高いアイテムを製作している、ドメスティック・ブランドである。


何年も愛用しているウォレット同様、無骨ながらも丁寧に手作りされた温もりを感じるんだ♪


見れば分かると思うが、強度的にも申し分ない頑丈なキーループである。


自分の大切なモノをプロテクトしている何本ものキー。


決して失ってはいけない"鍵"を持ち歩くには、こんなドワイルドなキーループが相応しいんじゃないかな?


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Deerskin Gloves -Chippewa-


Deerskin Gloves -Chippewa-


夏も過ぎ去り(涙)、夜になるとめっきり冷え込んできた今日この頃。


皆さん、どうか体調を崩さないようしっかりと体調管理をして、これから迎える寒い冬に備えていこうぜ!
(エッ、早すぎ!?)


そんな冬にありがたいアイテム、グローブ。


グローブ・手袋については、みんなそれぞれのこだわりがあるんじゃないかな?


特にライダーには四季を問わず必携のアイテムである。


真夏でも転倒時の危険から手をプロテクトするだけでなく、何より手への負担を軽減してくれ疲れが少ないんだ。


これは春先から秋までヘビーローテーションで愛用している、チペワのディアスキン・グローブ。
(冬はさすがに指先が痺れるので、ウインター・グローブを使用。)


ワーク・ブーツで有名なチペワだが、こんなドワイルドなグローブも作っているんだ。


Deerskin Gloves -Chippewa-


アメリカのワーク・メーカーだけに作りは実に荒っぽく(笑)、もちろん裏地の無い一枚革仕立て。


だからこそ、肌で感じるしなやかな鹿革は手に馴染み、心地よい装着感だ♪


まるで自分の手の皮のようにピッタリとフィットする。


1901年からブーツを製造しているチペワ、インディアンが居住していたウィスコンシン州チペワ・フォールズで誕生したんだ。


Deerskin Gloves -Chippewa-


周辺地域では製紙業が盛んで、チペワは木材を切り出して運ぶ伐採人たちの足を完璧に保護する高品質のブーツを開発することからスタートした。


やがて、頑固なまでの品質主義を貫く「CHIPPEWA BOOTS」の名はアメリカ全土に広がることとなる。


それ以来、ブーツ界のパイオニア的存在として、常に最新の技術や素材を積極的に取り入れてきたが、創業時も今も変わらないもの・・・。


それは、質実剛健とも言える、徹底した品質の追求、そしてハンドメイドへのこだわり。


このグローブを手に着用すると、そんなチペワのクラフトマン・シップが伝わってくるんだ♪


これからも長く愛用していきたい、自分の手のように馴染んだ愛着のあるグローブである。


ちなみに、最近ちょっと気になるグローブがある・・・。


まだ手に入れていないのだが、チペワ同様ドワイルドなグローブに違いない。


さてさて・・・(^^ゞ


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SHOVEL-HEAD 1966-1984


SHOVEL-HEAD 1966-1984

女性の方にはまたちょっと退屈なお話しになってしまうが、ハーレーダビッドソンな話しを再び♪

歴代エンジンの中でも、やはり一番好きなショベルヘッドエンジン。

「ドコッドコッドコッ」と三拍子で刻むハーレーの鼓動感が出るようになったのは、やはりこのショベルからだろう。

1965年、パンヘッドの生産が打ち切りになり、その翌年から登場したのが、このエンジンだ。

当初よりセルモーター付きのエレクトラグライドに搭載され販売されていた。

AMF(アメリカン・マシン&ファウンドリー)と合併するまでの3年間に生産されていたモノを「アーリーショベル」と呼んでいるが、簡単に言っちゃうと最終型パンヘッドにシリンダーとヘッドをショベルに換装したモノ。

狙うはやはりココなんだけどね(笑)

68~71年の間には次第に改良が加えられていった。

直流方式のジェネレーターシステムから交流方式のオイルネーターへと変更され、発電容量の増加は70年型からさらに強化され、大型バッテリーの搭載が可能となり、内燃機関にも数々のモデファイが加えられていったんだ。

乗りやすさの向上もそう、キックからセルスターターの時代へと変化した。

世の中のバイク市場にも新しい風が吹いていた。

しつこいくらいに言ってるが、69年に公開された「イージーライダー」に端を発するカスタムバイクブームだ。

各地でカスタムショーなどが行われ、バックヤードビルダーは競うように“チョッパー”と呼ばれるニュージェネレーションなカスタムを施していった。

ハーレー社は、早くからソレに着目し、新たなマーケットの開拓をすべく、FX1200(71年)を筆頭に、FXE(74年)、FXS(77年)、FXWG(80年)と、ニューバージョンを次々と世に送り出した。

未だに人気が高い秘密は、なんといってもそのエンジンシステムがハーレー最後の工業製品であったコトだろう。

そして最大の魅力は、傾斜45度に設計されたVツインエンジンが刻むあの独特な「ドコッドコッドコッ」の三拍子、そしてバイク全体を揺るがす振動からくるバイブレーションにある。

まだ鉄シリンダーが用いられていた時代であり、最も“アイアンホース”と呼ぶに相応しいモデルなワケだ。

ハーレーらしさを全て兼ね備えてるのは実は、フラットヘッドでも、ナックルヘッドでも、パンヘッドでもなく、ショベルヘッドなんだ。

ハーレーダビッドソン社にとってショベルは不遇の時代とよく言われるが、鷲のマークがアウトローの象徴となり、鉄馬のエンジンフィールが魅了した、ハーレーが本来の輝きをみせたドワイルドな時代だったんだよ。

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Santa Maria Novella

Santa Maria Novella

前回の「香り」の話でコメント寄せてくれた俺の大切な仲間“883tさん”が、プレゼントしたオーデコロンを今でも“自分の匂い”として使ってくれてるのが本当に嬉しいよ♪

アメリカンなドワイルドからちょいと逸れてレオンな感じになってしまうが(笑)このコロンはぜひ諸君にもお教えしたい。

いまどきは高校生だって気軽に手に取れるようになった有名ブランドのコロンやトワレ。

デキる大人が大切な人に贈るソレには、それなりの格とスペシャルなうんちくの一つもあったモノの方がいい。

「サンタ・マリア・ノウ゛ェッラ」

もともとはイタリア、フィレンツェにある修道院の名前。

13世紀、ソコのドミニコ会修道院薬局にて修道士たちが、気付け薬やペストに効く薬などを調合していたのが始まりだ。

1612年には一般の薬局となる。

全40種類にもなるオーデコロンの中でも“オーデコロンの始まり”といわれる「王妃の水」は、ココんちを代表する名品だ。

単なるこけおどしではなく、正真正銘、王妃のために作られたというトコが、この店の“実力”を物語る。

16世紀、あのノストラダムスを招いたり、フランスにイタリア文化を知らしめたコトで有名なフィレンツェの名門“メディチ家”のカテリーナがアンリ2世の王妃としてフランスに嫁いだ際、特別に調合されたのが「王妃の水」だ。

シトラスやフローラルの香りを基調とした軽やかな、いわゆるオーデコロンは、それまで強い香りを放つ香水しか知らなかったフランス人の間で、大ブームを巻き起こしたんだ。

大切な女性にはいつもコレを送ってる…どんだけー(笑)

数ある中から、883tさんにチョイスしたのは「シチリア」

サンタ・マリア・ノウ゛ェッラ


大好きな映画「ゴッド・ファーザー」に通じるそのネーミングも決め手だったが、イタリア産オレンジの爽やかな柑橘の香り、ほのかなミモザの香りが彼のイメージにピッタリだったからだ。

どちらかというと夏に似合いそうな香りなんだが、本場イタリアでは冬の定番だそうだ。

トップは男性化粧品的な香りが強いが、ミドルからラストへかけてのパウダリーな感じがとても心地よい♪

映画・小説の「ハンニバル」のレクター博士が、フィレンツェのサンタ・マリア・ノウ゛ェッラ本店にて、クラリスのために石鹸を買い求めるシーンはつとに有名だ。

貴族の出で、洗練された趣味を持つレクター博士のチョイスにふさわしいブランドだろう。

現在でも代々の修道士が研究を重ね、受け継いできたレシピを昔ながらの手作りで生み出している。

大切な人にこそ、歴史と伝統に裏打ちされた現存する世界最古の薬局が守る、ドワイルドな本物の香りを纏ってもらいたい。

Santa Maria Novella

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Ian Stewart -The Rolling Stones-


Ian Stewart -The Rolling Stones-


今のローリング・ストーンズは、オリジナルメンバーだったビル・ワイマンが1991年に脱退後、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、チャーリー・ワッツ、そして1975年に加入したロン・ウッドの4人になった。


バンドを作り上げ初期のリーダーだったブライアン・ジョーンズと、ブライアンの後任として加入したミック・テイラー、そして現在のギタリストであるロン・ウッドへとギタリストは入れ替わりがあったが、それ以外にはデビュー当時の面子なんだ。


1964年のデビュー以来、40年以上にも渡って第一線で活動を続けている「世界最高のロック・バンド」。


そんなドワイルドなローリング・ストーンズをデビュー前から影で支え、「6人目のストーンズ」と呼ばれた男の話をしよう。


1962年ブライアン・ジョーンズがバンド・メンバーを集める為に行なったオーディションに最初に現れたのはピアニストのイアン・スチュアート(愛称スチュ)であった。


彼が「Bye Bye Blackbird」をピアノで弾き始めた瞬間、ブライアンはスチュの合格を決めたという。


そのオーディションでミック、キースと役者は揃い、1964年にデビューし順調なスタートを切ったストーンズであった。


しかし、当時ストーンズを成功に導いたマネージャー"アンドリュー・ルーグ・オールダム"は、ルックスがストーンズに相応しくない、との理由でスチュを正式メンバーから外してしまう。


そのままバンドを去ってしまってもいいようなものだが、スチュは楽器を運んだりする裏方のローディーとしてバンドに残ったんだ。


それだけストーンズを愛していたのであろう。


そして時折ステージに上がったり、レコーディングに参加をし、抜群のブギウギ・ピアノをメンバーの裏で演奏した。


ライブ・ビデオ「Let's Spend the Night Together」を観ると、そんなスチュのピアノが思いっきり堪能できる♪


バンドのバックで微小ながらもずっと弾き鳴らしているノリのよいピアノの演奏。


楽しそうにピアノを弾いている表情も印象的だった。


ストーンズのサウンドに華やかさと厚みを与えた、地味ながらも欠かせないサウンドであったと思う。


メンバーから愛され、絶大な信頼をおかれていたスチュは、バンドの潤滑油のような存在であったと言われている。


バンド内で言い争いがあった時なんかは、スチュが一喝することで丸く収まったそうだ(強いな!)。


しかし、残念ながらスチュは1985年に心臓発作で突然の死去。


その時の会見でミック・ジャガーが「スチュのおかげで、ストーンズはブルースの道を踏み外さずにすんだ」と語っていたのは心に染みた一言だった。


キースも「俺達はこれからどうしたらいいんだろう?」とインタビューで語っていたり・・・。


偶然かもしれないが、その年にミックはソロ活動を始めた。


その前からキースとミックの軋轢は表面化されていたが、ストーンズの活動停止はスチュの存在が大きかったのかもしれない、と思ってしまう。


ローリング・ストーンズを影ながら支え、メンバーをまとめていたイアン・スチュアート。


彼の存在が無かったら、ローリング・ストーンズは今も存続できたのだろうか?


Ian Stewart -The Rolling Stones-


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Travel Guitar -Yairi-


Travel Guitar -Yairi-


数年前、旅行用に手に入れた1本のアコースティック・ギターがある。


通常のギターの3/4のコンパクトサイズがカワイイ、まさに荷物が多い旅行にも持っていきやすいサイズ。


その上、小さいながらも温かみのある豊かな音質も気に入ったんだ。


素材はスプルースの単板トップと、遊びギターにしては本格仕様なのである。


昔、フェルナンデスのスピーカー内蔵のミニギターZO-3(ゾーさん)が流行ったんだけど、フレットが狭くて弾きにくかった覚えがある。
(エレキのZO-3は面白かったんだけどね。)


その点、このヤイリはフレットも広く設計してあり、違和感無く弾ける。


海に山にと、アウトドアのお供に持ち歩いている結構お気に入りのギターなんだ♪


ギター・メーカーの"ヤイリ"と言っても、「K.Yairi」と「S.Yairi」の2メーカーが存在する。


K.Yairiのギターは沖縄のバンドBIGINの使用により、最近また脚光を浴びているよね。


このコンパクト・ギターはS.YAIRIの方。


Travel Guitar -Yairi-


両"ヤイリ"の創業者は矢入家の同族会社である。


K.Yairiと共に、1930年代から完全手工によるギター生産を行なっていたS.Yairi。


70年代にデビュー間もない井上陽水氏が愛用したことで知名度が上がり、その品質の評価も高まっていった。


その類い稀なる技術は、当時のアコースティック・ギター界に多大な影響を与えたという。


ところが、80年代に入りアコースティック・ギター離れが顕著になり、そんな時代背景からS.Yairiも82年に倒産してしまう。
(K.Yairiはそのギター不況を生き抜いた。)


その後、90年代の末期になるとアコースティック楽器の人気が再び高まり、S.Yairiも復活を遂げたんだ。


一部の高級機種については寺田楽器に製造を委託し、10万円以下の廉価版は中国の工場で作られている。


中国製といえど、品質的には決して悪いものではなく、良心的でコストパフォーマンスに優れていると評判はいい。


そのサウンドは、70年の歴史を持つ老舗ギター・メーカー"Yairi"の名に恥じない。


その小さなサイズから遊び用にと気軽に買ったギターだけど、アウトドアにぴったりマッチのドワイルドなサウンドを奏でることができるんだ。


Travel Guitar -Yairi-

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Fragrance

Fragrance


艶女と呼ばせてもらっては、いささか失礼だろうか(笑)

ドワイルドに素敵なレディ…お会いしたコトはないが(^o^;outsideさんの記事を読んで触発されてしまった今日は「香り」のお話しをしよう。

振り返ればまだ小学6年の時、我が家に親戚の高校生のあんちゃんが居候してた時期があった。

ある日、俺の部屋の隣に住むあんちゃんの部屋に留守中こっそり入ったコトがあったんだ。

壁にはキャロルのポスター、テーブルの上には吸い殻の山積みになった灰皿。

カラーボックスの上にふと目をやると、キャッツアイ(サングラス)と丸い形をしたダークグリーンの丸いボトル…

香水か…?

キャッツアイをかけ、ソイツをチョイとつけてみた。

甘く香る初めての匂いに不思議な高揚感を覚え、束の間の大人な気分にしばし浸かった。

そう、コレが“エロイカ”と出会った瞬間だったんだ。

それから中学はソレを自分で購入し愛用、高校生になってからは白いボトルの“タクティクス”も使ってみた。

そして60年代のアメリカで全盛を迎えてた“アラミス”が70年代に入り日本で流行し、もれるコトなく手に入れ、その香りにも酔いしれた♪

学ランにタバコとコロンの香りが染み付く、それが大人と勘違いしてたもんだよ(笑)

やがて世はサーファーな時代になり、JOVANの“ムスク”あのエロい匂いで女はイチコロだと(失礼)またまた勘違いしたりね。

そして24歳の時、当時付き合ってた彼女がプレゼントしてくれたCHANELの“ANTAEUS”が今も変わらぬ“俺の匂い”となっている。

レザーノートが特徴の、革ジャンの匂いに甘い葉巻の匂いが混じったような感じとでもいうのかな、甘いんだけどシブイみたいな、ある意味おっさんクサイ匂い!?(笑)

以来、香りの浮気はしてなかったんだが、30歳の時、ブルガリがブルガリらしからぬ斬新なダイバーズウォッチを発売してね、一目ボレな勢いで購入。

続けざまにその時計のデザインに似たラバーを取り巻いたデザインの“BVLGARI BLACK”という名のオードトワレをリリースしたんだよ。

Fragrance


最初はそのボトルデザインに惹かれて香りを嗅いでみた。

ブラックティーと花の香りをベースにスパイスの効いたウッディな香り。

ズバリ気に入り、T.P.Oに応じて時折つける俺の“第二の匂い”となった。

クリエイティウ゛でユニセックスな香りは、女性にも受け入れやすいと思う。

で、一番最近の話、ひょんなコトからコイツと出会ってしまったんだ。

「SANTOS de Cartier」

Fragrance


独特な個性を放つスパイシー・ウッディな香り♪

まるでカルティエの時計のように、かなり緻密なその香りは、単に大人向けというよりは、玄人向けの一品だ。

甘さが強いのでナイト・シーンに活躍してる(笑)俺の“第三の匂い”となっている。

女性を魅了するドワイルドな男は、ファッションや肉体が優れているだけではダメなんだよ。

目に見えないフェロモンを放つコトも大切なんだ。

かの有名なルソーも「嗅覚は記憶と欲望の感覚である」と言った。

コレは紛れもない事実だろう。

例えば、ローズやイランイランといった花の香料は官能的な気分を高める成分があるらしい。

フレグランスはアロマと違い、様々な種類の香料がブレンドされ、どれがベストとは一概に言えないが、多かれ少なかれ女性にセックスアピールを感じさせるのは確かだ。

無論、ソレだけが目的じゃない。

「男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」という名セリフがあるが、香りも征して、ドワイルドな男になるってのもいかがなもんだろう。

自分に着せる“匂い”を諸君はちゃんとお持ちですか?

さしずめ今日のプログは、outsideさんはじめ、世のドワイルドな淑女に捧げよう☆キザか(笑)

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North Beach Leather

North Beach Leather

しみじみと…やっぱり季節はもう秋なんだよね…

となると早くも待ち遠しいのは革ジャンに袖を通すコト♪

何十着も持ってるワードローブなんだが、不思議とまだ手に入れてない素敵なブランドを紹介しよう。

田中 凛太郎の写真集「My Freedamn」や、雑誌「Free&Easy」などでご存知の諸君も多いと思う、レザーデザインの草分け的存在「ノースビーチレザー」

North Beach Leather


70年代に一躍脚光を浴び、現在ウ゛ィンテージ市場でも高値で取り引きされてるブランドだ。

そのLAのレザーブランドに1970年から10年間メインデザイナーとして在籍してたのが“ロバート・ワーナー”という男。

North Beach Leather


レニー・クラウ゛ィッツやジミ・ヘンドリックス、ローリング・ストーンズなど、とにかく名前を挙げたらキリがないほど数多くのミュージシャンたちのステージ衣装やプライベートウェアを手掛けてきたアメリカ・ファッション業界の大御所だ。

彼は、ヒッピーカルチャー全盛期の60年代後期に、ミシン等を一切使わずにディアスキンで出来た紐で、革と革を繋ぎ合わせる“レースステッチング”と出会う。

さらに色違いの紐を使い、デザイン性を高める彼独自のアプローチで個性を確立していった。

そんな彼だが、仕事漬けの毎日に嫌気がさして、一度はクリエイションから遠ざかったんだ。

しかし近年、彼自身の名前「Robert Warner」を冠して再びスタートしたショップがロサンジェルスにある。

日本でもあの有名セレクトショップ「BEAMS」が、2年ほど前から窓口になりオーダーを展開したりしてた。

常にアメリカのレザーデザインの一歩先を走ってきた彼の作るアイテムは、今でもハリウッドスターやミュージシャンたちに愛され続けている。

とかくこの頃、70年代色強い話をあれこれ書いてきたが、持ってなかったこんなアイテムをこのシーズン思いきってチャレンジしてみようかなと思いながら今日の記事を書いてみた♪

コテコテのヒッピー的スタイルが、俺のカラーに似合うかどうかが問題だが(笑)

しかしながら世界中が待っていた彼オリジナルのレザーステッチングは、ドワイルドさとキュートさを併せ持った究極のアビリティだ。

そして、一時代を築いた彼のクリエイティウ゛は、その時代を生きた「リアル」な古き良き時代を今に伝えてくれる「生きるレジェンド」とも言えよう。

因みに同時代、手の込んだカスタムメイド品を世に送り出した「イースト・ウエスト」というブランドも存在してた。

ノーマン・スタッブスという男が開いた楽器店に、60年代後半には音楽好きの人間の溜まり場としてユニークな者が各地から集まっていたらしい。

その常連の中にレザークラフトを得意とする人間がいたのだろう、60年代末にステージ衣装的なレザージャケットの販売を開始、いつしか伝説的な存在となっていった。

一点一点にサイケデリックなパッチワークが施された“完全カスタムメイド品”
North Beach Leather

当時、これほどまでに手の込んだ品は他に類がなく、しかもハワイアンシャツにも通じる高い芸術性をも兼ね備えていた。

今ではコレクターの間で数千ドルの高値をつけているのも頷ける。

70年代末に会社を売却し、ノーマン・スタッブスはマウイ島へ移住。

サイケデリック・ブームの終焉によって、幻のブランドとなった。

ドワイルドな俺としては、こっちの方がアリかなと…(笑)

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Colonel Sanders


Colonel Sanders


9月9日は「カーネルズ・デー」だそうだ。


店頭の人形や看板、パッケージなどで、いつも優しい微笑みを投げかけてくれるカーネルおじさん。


そう今日はケンタッキー・フライドチキンで有名な、かのカーネル・サンダースの誕生日なんだ。


去年、カーネルさんのデザインが変わったのはご存知だろうか?


Colonel Sanders


変更点は年齢で、今までの65歳から新しく49歳に若返ったのだ。


49歳で独自のレシピを完成させ、65歳で法人としてのケンタッキー・フライドチキンを設立したカーネル・サンダース。


それはこんな物語があるんだ。


1890年の9月9日に「Harland David Sanders」は生まれた。


早くに父を亡くしたカーネルが、工場で働く母の代わりに料理をつくりはじめたのは6歳のときだった。


家族の為に焼いたライ麦パンが皆に大喜びされたのが7歳の時、このときの嬉しさをカーネルは生涯語り続け、

その感動が「おいしいもので人を幸せにしたい」というKFCの理念へと受け継がれていったのだ。


家を助けるために10歳の頃から働き、さまざまな職業を転々としたカーネルは、40歳になった1930年にケンタッキー州のコービンという田舎町でガソリンスタンドを始める。


ほどなく彼はガソリンスタンドを利用する人たちのために、物置を改造して6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をオープンした。


レストランの裏手にある農場で採れた新鮮な野菜と、そこで育てた鶏を使ってカーネルが丹念につくるフライドチキン。


手作りの料理と細やかなサービスはたちまち評判となり、サンダース・カフェは毎日長い列ができるほど繁盛したのである。


そんな人々への貢献により、1935年ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与されたのだ。


そんな中で1939年にカーネルは試行錯誤を重ねて生まれた11種の秘伝のスパイスと、100%植物油を使って圧力釜で揚げる「オリジナルチキン」を生み出した。


一時期サンダース・カフェは147席の大規模レストランへと発展するなど順風満帆であったが、その後に近くに新しいハイウェイができ、旧道とともに人の流れから取り残された店は寂れてしまうことになる。


店を売って負債を払った彼には「オリジナルチキン」のレシピと圧力釜以外、何も残らなかった。


この時カーネルは65歳。


不屈のカーネルは、古いフォードにその圧力釜とスパイスを積みこんで旅に出発した。


行く先々のレストランでフライドチキンを揚げて見せ、店主が気に入ったら調理方法を教え、代わりに売れたチキン1羽につき5セントの特許権使用料を払ってもらう。


現在で言う、フランチャイズ・ビジネスを生み出したのだ。


そのカーネルのチキンは各地で喝采を受け、チェーン店は1963年には600店を超える。


中にはマニュアルを守らず味やサービスが悪い店もあったが、カーネルはその度に警告し聞き入れられなければ契約を取り消すという手段を取った。


"手づくりの味と心のこもったサービス"というカーネルの信念は、強いこだわりのもとで守られていったのである。


1963年カーネルが73歳の時に権利を譲渡し、その後は自分の調理法が正しく行われ美味しいフライドチキンがきちんと提供されているか、味の親善大使として世界中を巡った。


その中でも「日本のフライドチキンがいちばん気に入っている」と、言っていたとか・・・。


しかし、カーネルさんがチキンを食べにきた時には緊張しただろうね(汗)


カーネル・オリジナルチキンのポイント。


①ハーブ・チキン
 育てている鶏の餌に4種類のハーブ(オレガノ、ジンジャー、ニンニク、シナモン)を与える。
 ハーブを食べさせることで、脂身の少ないお肉になる。


②イレブン・スパイス
 チキンに振りかけて味を決めるのがスパイス。
 これにはガーリック、ジンジャー、ペッパーなど11種類の秘密のスパイスが入っているんだとか・・・。
 未だに企業秘密で、超厳重に管理されている。


③圧力釜
 秘伝のスパイスを振りかけたチキンをカーネル独自開発の圧力釜で15分間、185℃で揚げる。


アノ味を自分で作ろうと思っても、なかなか近づけない所以がここにあるんだ。


今や70カ国、14,000店近いフードサービス・チェーンに発展したケンタッキー・フライドチキン。


「妥協のない本物のおいしさを届けることで人々の笑顔をつくり続けたい」というカーネルの夢と信念は、今も世界中で愛されているのである。


「他人を家人のように温かく迎え、もてなす。」
伝統的なアメリカ南部の人々の親切なもてなしを"サザン・ホスピタリティ"という。


「最初に楽をしてしまうと先にいくに従って大変になるが、最初に苦労をしておけばその先はうまく行くものだ。最初の努力を惜しんではならない。」

65歳になってビジネスを自分の手と足で発展させたカーネル・サンダースの言葉には、ドワイルドな重みがある。


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Teddy Bear


Teddy Bear


優しく愛らしい瞳で心を癒してくれるテディ・ベア。


ちょっとドワイルドではないが(笑)、今日は100年の歴史を持ち世界中で愛されているテディ・ベアの話をしよう。


モヘア素材を使用した手作りで、目にはガラスの目、5点ジョイントで首、手足が自由に動くものがテディ・ベアの定義ともされているが、実際には明確な定義など無く「持ち主にとって、大切でかけがえのないベア」はみんなテディ・ベアだそうだ。


今どき珍しくメーカーによる独占的ライセンスは無く、自由なマーケットであるのもテディ・ベアの魅力じゃないかな?


その中で有名なメーカーはドイツのシュタイフ、イギリスのメリーソート、アメリカのノース・アメリカン・ベアなんだ。


その他にもテディ・ベア・アーティストによる作品も存在する。


このあたりの本格的なテディ・ベアの値段は数万円と決して安くはないし、ましてやコレクター・アイテムやアンティークは数百万~数千万円もするモノもザラにある(汗)


高級素材を使い、一流の職人による技術が詰まっている・・・、ちょうど日本の五月人形や雛人形と同じような感じだよね。


欧米では「生まれてきた子供の健やかな成長を願う品」として、誕生祝にテディ・ベアをプレゼントし、生涯の友達としてその子供と共に人生を共にするのだそうだ。


ところで「Teddy Bear」という名前は、第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトの愛称"テディ"が由来と言われている。


1902年にミシシッピー州に狩りに出かけた際、獲物の小熊を助けた話が美談としてワシントン・スター紙に掲載され、それにヒントを得たブロンクスの雑貨屋が「テディ・ベア」として発売。


それとちょうど同時期に、ドイツのマルガレーテ・シュタイフという女性が作ったフェルト製のゾウの針刺しが評判となり、その後に本物そっくりの首や手首が動くクマのぬいぐるみを商品化したんだ。
(シュタイフ社)


どちらが先か?別の場所で同様に作られていたのか?今となっては謎であるが、生まれはドイツ、名前はアメリカという説が有力らしい。


また、ディズニーの「くまのプーさん」のモデルがテディ・ベアだったという事は知っているかな?


イギリス人作家A・A・ミルンの妻が息子クリストファー・ロビンの誕生日にテディ・ベアをプレゼントした。


そのぬいぐるみ"Pooh"と仲良く遊ぶ息子の姿を微笑ましく思ったミルンは、彼らをモデルにした子供向けの詩集を書いたのだ。


Teddy Bear

その作品が海を越え、アメリカのウィルト・ディズニーの目に止まり、アニメ映画の中に登場させた。


クリストファー・ロビンとテディ・ベア、それが「くまのプーさん」の原点なんだ。


また、ロックバンド「Grateful Dead」のマスコットとしてダンシング・ベア、そしてデッド・ベアは、また違ったファン層から支持を得ている。


Teddy Bear

これまでも、そしてこれからも多くの人々を温かく見守ってくれるテディ・ベア。


世代を超えて愛され、ドワイルドな夢を与えてくれる、まさに"ドリーム・ベア"なんじゃないかな?


Teddy Bear

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