HISTORY OF ARMY H-D | dowild<ドワイルド>blog

HISTORY OF ARMY H-D

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アメリカにおいて、初めて“大統領によって動かされる軍隊”として編成された「ARMY」は、1846年から始められていった“メキシカン戦争”で命名された。

それ以前は、ソルジャー=陸軍の軍人(戦士)と呼ばれており、アーミーとなり“軍隊”という個人から複数で行動する強力な隊となったワケだ。

ハーレーダビッドソンに限らず、アーミーに“バイク”をはじめ自動車や航空機の登用があったのは1916年のコト。

その近代的機動力は馬車の輸送力と騎兵隊といった旧式なモノをたちまち一夜にして変えてしまった。

すでに始まっていた第一次世界大戦のコトもあり、民間用の自動車、2輪車が用いられて改めて効率の良さに気が付いたんだ。

もっとも当時、アメリカン・アーミーは世界大戦に不参加だったが…

しかし、1915年5月7日、アイルランド沖にて豪華客船“ルイジアナ”が沈められ大勢のアメリカ人が亡くなった。

戦火が飛び火し、これを静観してた時のウィルソン大統領は、1918年3月18日、アメリカン・アーミー2000人、さらにカノン砲、機関銃、貨・客車を送り込んだ。

これに驚いたドイツは、勝ち進んでいたものの、たまらず降伏した。

この大戦で起用されたバイクは実に、インディアンが4万1千台、ハーレー1万5千台、エキセルシャ2600台、クリーブランド200台にもなる。

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有名なる写真で“初めてWW1の勝利”で確認したハーレー・サイドカーを駆ったコーポラル・ロイ・ホルツの写真が撮影されて、ハーレーダビッドソンの活躍ぶりが世界そしてアメリカに知れ渡るコトとなる。

WW1の間に、マサチューセッツ州スプリングフィールドのインディアンのメーカー“ヘンディ・マニファクチャリング・カンパニー”は、アーミー用モデルの生産のみに専念した。

つまり1917~18年にかけて1台のインディアンもディーラーへ出荷も輸出もされず、このことから営業的に他のメーカー=つまりハーレーへと取り扱い車種を変更する例も多くみられたんだ。

ハーレーは、軍用を40%以下にして残りを民間用に供給したため2万4千台が2年間供給されていた。

こうして世界一のメーカーだったインディアンの栄光は、1922年春のハーレー初の“ディーラーミーティング”の翌年には、インディアン社における自社の歴史上で輝ける25万台目を送り出しはしたが、遂にハーレーに追い越されてしまう。

この頃のハーレーは、第2号車のブラックから、有名な“グレー”を経ていた塗色が、なんとアーミー色ともいえる“オリーウ゛色”で、オホッツバルブ型のJ=1000cc、JD=1200ccはじめ全車に塗られた。

1929年にはSV=フラットヘッドの750ccベビーツイン、D型が登場、30年にV型が出現してハーレーの主力となり、同時にアーミーへの納入も開始されてゆく。

750cc系はアメリカでの“スポーツ・カテゴリー”に順ずるモデルであり、エンデューロからダートトラックまでに使用され、運動性能も機敏に設計が施されたマシンだ。

先日、masayaが書いた“スポーツスター”のルーツとも言えよう。

2つの世界大戦で、WLA(アメリカン・アーミー)と呼ばれる“軍規格”のハーレーやインディアンのアーミーも生まれたが、フォードやウイリスの開発した4WDトラックのジープの機動力に取り残され、やがて第二次世界大戦の終戦前1944年には“払い下げ”が行われ、大戦後の庶民の足となっていった。

その昔の馬から内燃機関へと取って変わった戦術その歩みもまた、ドワイルドなアメリカ軍隊の歴史そのものだ。

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