Weihnachtsmarkt
毎年、この時期になるとせっせとクリスマスツリーを飾っているdowild.mです^^
今年のテーマはドワイルド・クールにと、ブルーとシルバーのカラーボールと青色LEDのライトでデコレーション♪
自分で言うのもなんだけど、なかなかの出来になりました(笑)
街の所々にクリスマスの装飾やイルミネーションが目立つようになってきたよね。
12月25日までは、夜に輝くその美しい光を楽しみましょう☆
さて、主にドイツやオーストリアで行なわれるクリスマスマーケットってご存知かな?
俺も実際に行ったことは無いんだけど、旅行情報誌やテレビで見て気になっているんだよね。
クリスマス前の4週間アドヴェント(待降節)に街の中心の広場で開催され、夜が長く寒い冬の街を盛り上げるイベントなんだ。
広場にはもちろん美しいイルミネーションが光り輝き、ドイツの賛美歌と共に幻想的でロマンティックな世界が広がる。
その中で、クリスマス飾りやグッツ、グリューワイン(ホットワイン)、ホットチョコレート、ソーセージなどを販売するヒュッテ(木製の屋台)が立ち並ぶというから楽しいよね♪
巨大なクリスマスツリーをシンボルに、メリーゴーランドや観覧車なんかも設置される場所もあるんだ。
有名な所だと、クリスマスマーケット発祥の地であるドレスデンはなんと1434年から続く歴史あるマーケット。
世界一大きいクリスマスピラミッドはギネスブックにも登録されているとか。
また、世界最大級のマーケットとして知られるシュトゥットガルトには270以上もの美しく飾り付けられた屋台が立ち並び、その装飾は各店で競い合うかのように演出されている。
そして、一番有名だといわれているニュルンベルクのマーケットには、毎年200万人以上もの人が国内外から訪れるんだとか。
願いが叶うという言い伝えのある「美しの泉」がシンボル。
イルミネーションに包まれてキラキラと輝く夢のような世界、本場ドイツのクリスマスマーケットにはいつか行ってみたいんだよね。
dowild.m
Billie Jean Figure
今年8月29日、マイケル・ジャクソンは50歳の誕生日を迎えた。
以前のブログでmasayaも書いてた通り、ついこの前のニュースでは、アルバム制作の契約を守らなかったとして、中東・バーレーンのハリファ王子に700万ドル(約6億6000万円)を返済するよう訴えられたりと近年はとかくスキャンダルばかりが先行してるマイケルですが…^^;
されど記念すべき生誕50周年である今年、日本を含む世界各国(20ヶ国以上)では、収録曲をファン投票で選ぶベスト盤を発売。
タイトルは世界共通で「キング・オブ・ポップ」と名付けられた♪
多くの方はこのタイトルに偽りはないと思いますよね^^
なんたって圧倒的な歌唱力で世界中のシンガーに影響を与え、超絶技のダンスで世界中のダンサーに影響を与え、完成度の高いミュージックビデオで世界中のクリエーターに影響を与え、卓越したライブで世界中のパフォーマーに影響を与えるという、マルチな才能はもちろん、しかも、ソレらは人種や世代を超えていますからね(^.^)b
こんな事実からも、マイケルほど“ポップの帝王”の名にふさわしい人物はいないと思います♪
さて、そんな彼の生誕50周年に生まれたのはCDだけじゃないんですよ。
なんと1/6スケールアクションフィギュアがリリースされるんです。
製作したのは“エイリアン”や“プレデター”といった映画ライセンス・フィギュアで近年高い評価を受けているアメリカのホットトイズ社だ。
このメーカーの魅力は、なんといっても表情や衣装のディテールの細かさにある。
抜群のセンスで微妙なニュアンスを作り出す造形力と、身に付けるモノ(ウエア等)へのこだわりがスゴイんです。
ことマイケルの動きは実現不可能と言われていたアイテムだけに、ホットトイズの技術力と熱意のほどが伝わってきます。
このフィギュアは'97年のヒストリーツアーで「ビリー・ジーン」を歌う姿を完全再現しているんですね♪
38箇所の可動ポイントにより、マイケルのクールなポージングをよりリアルに表現できるんだよ。
振り返れば'87年、熱狂的なマイケルファンの女友達に誘われて後楽園にコンサートを観に行った思い出があります。
俺が永ちゃんのコンサートで白いスーツを着るように(笑)そのコもマイケル同様、ハットを被りラメ入りの手袋にカーディガンで成り切ってました(*^_^*)
会場にもたくさんそのコスチュームでキメたコがいたよなぁ。
俺はめっぽうそんなカッコはしませんが^^;ステージ上のマイケルはホント、カッコ良かった♪
あの手袋もつい欲しい!と思ってしまいましたもん(笑)
なんとも懐かしい思い出を机の上にこのフィギュアで蘇らせてみるのもアリかなと…^^
日本で最も人気のあるビリー・ジーンの楽曲にのせて、世界で最もホットでドワイルドなフィギュアメーカー、ホットトイズが贈るマイケルの目の前で行われるライブに酔いしれるのもこれまた一興だ☆
dowild.s
Jacques Mayol
今からちょうど32年前の1976年11月23日、イタリアのエルバ島沖で人類史上初めて素潜りで100mを超える深さに到達した男がいた。
「人間でイルカに最も近い男」と呼ばれた彼の名はジャック・マイヨール。
1988年にリュック・ベッソンによって製作された彼のドキュメンタリー映画「グラン・ブルー」でその様子を観た方も多いんじゃないかな?
彼は自らを「水棲人間(ホモ・デルフィナス)」と名乗っていた。
1927年フランス人フリーダイバー、ジャック・マイヨールは上海で生まれ、建築技師の父親の仕事により13歳まで中国で育った。
10歳の時、夏休みに父親に連れられ九州の佐賀県唐津市で休暇を過す事に。
七つ釜で初めてスキンダイビングを体験した際、3匹のイルカと遭遇し道を教えられたという。
それが彼の"運命"との出会いだった。
その後、世界大戦の影がさし始め一家でフランス・マルセイユに戻り高校を卒業。
ドイツ占領下のフランスに嫌気がさしたジャックは北極圏に移りイヌイットと暮らし、その後フロリダに移り住んでフランス語系新聞の手伝いやラジオ番組のリポーターを勤めながら、マイアミ水族館で働く事になった。
そのマイアミ水族館でイルカのクラウンと運命的な出会いをするんだ。
ジャックとクラウンはすぐにお互いの意思を伝え合えるまでの関係になり、彼はクラウンから水中での呼吸法や泳ぎ方を学んだ。
その時、人間がイルカのように水中に適応できる可能性がある事に気付いたそうだ。
しかし、次第にイルカたちを閉じ込めて芸をさせるという水族館での仕事に疑問を抱くようになり、水族館を辞めてケイコス諸島に移住、そこで素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教えるようになった。
その頃、周りの勧めでフリーダイビングに挑戦するようになり、1966年にハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げるように。
潜水中に体内の血液がどのように変化するのかを診る実験も行い、数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが判明。
これはイルカなど水棲ほ乳類独特の生理反応「ブラッド・シフト」が人間でも同様に起こりうることが初めて確認された、これは生理学の世界における常識を覆す大発見だったそうだ。
そして1976年、遂にジャック・マイヨールは素潜りで100mを超える当時としてドワイルドな記録をつくった。
この時、彼は49歳。
さらに、1983年には水深105mに到達したというから驚きだ。
☆
生前、彼は毎年3回は唐津のホテルに2~3週間位滞在していた。
彼の滞在中、唐津の海にはイルカやクジラがよく現れたという。
しかし、彼が2001年に亡くなったのを境に、その姿はほとんど見られなくなってしまったそうだ。
ジャック・マイヨールはイルカと共に海に帰っていったのだろう。
dowild.m
OAKLEY -BRACKET-
本屋で雑誌を立ち読みしてたら、やたらと“アイウェア”の特集が目につきまして…
そういえばしばらく新しい眼鏡を購入してないなぁなんて思いながら眺めてたら、とってもクールなヤツ発見してしまいました♪
もちろん眼鏡って“掛け心地”にも重点は置きますが、そのデザインを直感でチョイスするコトが多いんです^^
視力が悪いので、いわゆるフレームが気に入れば好みのカラーレンズに度を入れて、いつもサングラスにしてしまうんですけどね(^.^)b
普段はコンタクトもしないし、かといってクリアーレンズは1つも持ってないので、常時掛けてるワケではありませんが、着用の際は昼夜問わず“色つき”なんです^^;
さて、今回一目惚れしてしまったのがオークリーの新作「BRACKET」というモデル。
日本語で“包み込む”という意味のネーミングを持つこの眼鏡は、その名の通り、立体的にラウンドしたフォルムが印象的です。
その顔つきは、一度見たら忘れないくらいのインパクトがあったんですよ(笑)
ヨロイ部分に穴を設けたり、ブリッジを迫り出したような形状にしたりと、細部のデザイン処理も巧妙で、そうした工夫が、フレーム全体のスピード感や立体感、美しさを一層引き立てていると思います♪
コレをデザイン担当したのは、あのイチローが愛用するサングラス“ジュリエット”を手掛けたデザイナーだというから、完成度の高さも納得なワケだ^^
フェイスラインに吸い付くような深いカーブがとてもセクシーだし、素材には軽量で弾性、耐久性にも優れたX-Metalチタニウムを使用しています。
そして、ブリッジと左右のテンプルで最適なフィットを実現するオリジナル技術、スリーポイントフィットテクノロジーが生み出す装着感は間違いないだろう。
また、日本人の顔に合わせやすい高さ&大きさに設定された、ジャパンフィットのノーズパッドで装着時のストレスを軽減できるという気の利きよう。
テンプルエンドには独自開発のラバー素材、アンオブタニウムを配してズレを抑えたりと、至るところにウレシイ配慮が見られる点にも、かなり好感が持てます。
総括して言えるのは、オークリーの眼鏡には“所有する喜び”を喚起する力がある。
眼鏡本来の機能に徹底してこだわりながらも、そうした本気の姿勢を独創的かつ美しいデザインで包み込むような(^.^)b
そんなオークリーのスタンスが、使ってこそわかるクオリティの高さへとつながり、使い込むほどに愛着は増してくるハズだ。
機能性を追求し続ける真摯な姿勢と、抜群のデザインを持つ完成度の高さには驚かせられるのと同時にホント喜ばせてもらえます。
…って、オークリーは他のモデルも持ってるんですが、SF映画などにも多用されたり、本音で言うとあの未来的な独特のフォルムが正直、苦手だったんですよ(;^_^A
されどしかし、オークリーらしさを残しつつ繊細な造形の美しさを持つコイツにはドワイルド心をガッチリ掴まれました(*^_^*)
まさしく俺のお眼鏡に適ったワケですよ(笑)
早速、今度の休みにでも行き付けの眼鏡屋に走っちゃいますから☆
dowild.s
Taro Okamoto
毎日のように通っている場所に、突然それは姿を現した。
壁一面に描かれた、高さ5.5m横幅30mという巨大な壁画。
岡本太郎氏が制作した「明日の神話」だ。
恥ずかしながらこの作品の事は知らなかったんだけど、パッと観たときにこのスケールの大きな作品のパワーに圧倒されてさ。
中央に描かれた燃え上がる骸骨、そして画面から逃げ出そうとする生き物達、凶々しい黒い雲と炎…
まるで地獄絵図だ。
何でもこの作品、1954年にアメリカの水爆実験によって日本のマグロ漁船・第五福竜丸が間接的に被爆した際の原爆の炸裂の瞬間をテーマにしているとか。
悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされるそうだ。
炸裂の瞬間は残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間誇らかに「明日の神話」が生まれると信じた、岡本太郎の痛切なメッセージが込められている。
1967年にメキシコの実業家から「新築ホテルのロビーを飾るための壁画を描いてほしい」との依頼を受けた岡本太郎氏が、1968年から1969年にかけて現地に何度も足を運んで制作したという。
そう、もう40年も前の作品なんだよね。
しかし依頼主の経営状況の悪化でホテルは未完成のまま放置、この「明日の神話」もロビーから取り外され行方不明になってしまったんだ。
それ以来、永らく行方が分からず幻の作品となっていたのだが、2003年9月メキシコシティ郊外の資材置き場で発見された。
岡本太郎記念現代芸術振興財団などが再生プロジェクトを立ち上げ、修復のため100個以上に分かれた壁画の断片を日本に船で移送。
2005年7月から愛媛県東温市で絵画修復の専門家である吉村絵美留さんらが作業を行い、2006年6月に完了したって経緯なんだよね。
写真を撮ったんだけど巨大な作品だし横長なので2分割になってしまい見苦しいんだけど、ちょっとは雰囲気が伝わるかな?
是非とも機会があったら実際に観て、この作品の持つパワーを感じてほしい。
幻と化していた"リアルな悲劇と明日への希望"が現代に蘇った。
岡本太郎氏の最高傑作とされる「明日の神話」、こんなドワイルドな超大作を目の当たりにできるなんて幸せな事だよね☆
dowild.m
KIEHL'S
男は40歳を過ぎたら、自分の顔に責任をもたなくてはならない―アメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉だ♪
まさにそのど真ん中にいて、時折、鏡を覗いては深みの増したイイ顔になってんのかぁオマエ?!なんて自問自答しているdowild.sです(笑)
さて、そんなリンカーンは閣僚の人選も顔で決めたという逸話を持っているだけに、いかに“ツラ構え”が重要であったかが思い知らされます^^;
彼自身もまた「髭を生やすと貧弱な印象を拭え、大統領に当選できる」という1人の少女からの手紙をキッカケに、顎髭を蓄えたといいますからね(^.^)b
顔が人の内面を雄弁に語るコトを示す言葉ではあるが、当時からやはりソレに伴う努力は必要不可欠だったようだ。
こと現代の男たちは、不規則な生活や環境条件など、より過酷な日々を生きているワケで、最低限行える毎日のスキンケアは、美しさではなく凛々しさを得るために欠かせない手段のひとつだろう^^
いろんな場面で俺も経験がありますが“黙して語る”、確かに精悍な顔つきは、ときに言葉よりも力強い説得力を持ちますしね。
とまぁ、そんな顔つきを少しでもキープできるよう(笑)またまた気になるコスメを発見、購入して参りました。
日本でも、いよいよ展開を始めた「キールズ」です♪
このブランドは、1851年にニューヨークのイースト・ビレッジに調剤薬局として誕生したんですね。
創業以来、自社で開発を続けてきたスキンケア製品は、西洋薬学はもちろん、中国や南米など世界中の薬学の知識に裏打ちされているんだよ。
その造詣の深さはなんとスミソニアン博物館の薬学調査をサポートするほどで、その品質たるや、エベレスト登頂隊のスキンケア・アイテムとして選ばれたほどだ。
そんな背景を抜きにしても、使い心地の良さは特筆に値します♪
メンズラインは、化粧品特有の甘い香りや肌にベタつく質感を払拭し、メンソールを配合した商品が多く、適度な刺激と清涼感がクセになります(*^_^*)
パッケージに描かれた飛行機の絵は、冒険好きのオーナーの趣味を反映したモノで、ハードな毎日を送る男の心の機微をよく知るからこそ生まれた、まさにドワイルド男のためのスキンケア・ラインなんです☆
dowild.s
Johnny Winter
「100万ドルのギタリスト」との異名を持つドワイルドなミュージシャン、ジョニー・ウィンター。
60年代から黒人音楽のブルースをプレイし続け、ブルースの巨人マディ・ウォーターズに「義理の息子」と呼ばれるほど気に入られていた。
当時、かのBBキングやアルバート・キングでさえ一目置いていたといわれているんだ。
幼い頃から綿花業を営んでいた家に出入りしていた黒人の従業員の演奏するブルースやゴスペルなどの黒人音楽を聴いて育ち、父から与えられたウクレレを経てギターを弾き始めた。
弟エドガー・ウィンターとコンビで数々のコンテストに出場しては腕を上げていき、1959年ジョニーが15歳の時にバンドを組んで地元レーベルからレコードをリリース、これが彼の音楽キャリアのスタートだった。
60年代もバンド活動を続け、1969年にCBSと契約しアルバム「Johnny Winter」でメジャーデビュー。
このCBSとの契約があまりにも巨額であったことから「100万ドルのブルースギタリスト」と呼ばれるようになったのだが、実際にはその10分の1くらいしかもらってないらしい(笑)
この年に開催されたウッドストック・フェスティバルにも出演、70年代に入ると次々とアルバムをリリースしストレートなブルースからロック色を強めたヘヴィなナンバーまで幅を広げていった。
トレードマークのギブソン・ファイヤーバードを、スライドバーと親指にはめたサムピックとフィンガーピッキングで弾きこなすのが彼のスタイル。
表現力が非常に豊かで、とても一本のギターで演奏しているとは思えない変幻自在のテクニックは凄い。
元々アコースティックでブルースを演奏していた人が、本気でエレキギターを弾くとこうなるんだろうな^^
ドブロ1本での弾き語りも多く発表されているんだけど、まさしく"あの時代"そのまま。
トラディショナルなブルースをアンプで増幅させ幅を広げたジョニー・ウィンター。
そこには本物のブルース・マンの姿があるんだ。
dowild.m
DUDE RANCH
自動車産業の隆盛で栄える1920年代、アメリカの誰もがこの好景気が続くと思っていた。
しかし1929年の、株の大暴落から生活が一転、大恐慌時代に突入したんだよね。
時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが発令したニューディール政策のおかげで、最悪の事態は免れたものの、不景気であるコトには変わりなく、アメリカの経済状況は世界中に飛び火し、地球規模の不況が訪れたワケだよ。
そんな状況だから、西海岸の牧場主たちにとっても景気のイイ話なんて全くなかった(>_<)
牛肉の価格は低落し、赤字経営が続いていく…
ソコで牧場主たちは起死回生を図るべく、裕福な階層をターゲットにした新しい観光事業に手を出したんだ。
ちょうどハリウッドが西部劇に力を注ぎ、アメリカにウエスタンブームが起きていたコトもあって、この観光事業は大成功を収めていった♪
休日になれば多くのリッチ層が、ハリウッドカウボーイの世界を堪能しに観光牧場へと訪れたんだよ。
そんな観光用の牧場のコトを「デュード・ランチ」と呼んだんだよね(^.^)b
単に作業着だったジーンズをカウボーイ・ルックあるいはカウガール・ルックの衣装としてキメ、皆劇中のスターと同じ気分を味わったんだ♪
このコトからもデュード・ランチの流行は、ジーンズのファッション化の先駆け的現象とも言えるだろう。
また、この流行はジーンズの新たな需要も作り出していた。
先述した“衣装”としての価値、その衣装はデュード・ランチを訪れる女性にもトーゼン必要だったワケ。
女性がジーンズを穿くようになった起因はまさに“デュード・ランチ”にあったんだよ^^
デュード・ランチの流行以前は、前開きのジーンズは女性に受け入れられるモノではなく、女性用のパンツといえばサイドで開閉するモノだったからね。
そんなデュード・ランチによって、ジーンズが男性だけのアイテムだった時代は終わったかのように思えたが…実はこのブーム、それほど浸透してはいなかったようです(*^_^*)
やはりジーンズは作業着、少なくとも当時は^^;
ドワイルドで男勝りなイメージを与えかねないアイテムであったジーンズは、あの頃の淑女たちにとって単に「デュード・ランチ」用の衣装でしかなかったようですね☆
P.S 突然ですが、ドワイルドブログは明日お休みしますね(^.^)b以降、これからは1日おきにmasayaと交代で書いていきます^^
どうぞご理解と、変わらぬお付き合いのほど宜しくお願い致します☆
dowild.s
POUSSE CAFE
小さなグラスの中に表現された美しい虹。
アートと呼ぶに相応しいカクテル、それがプース・カフェだ。
数種類のリキュールやスピリットなどを、液体の比重の違いを利用して層を作っていく。
グラスの内壁につけたバースプーンの背をつたわせ、混ざらないようそ~っとお酒を注ぎ重ねていくという難易度の高いレシピなんだよね。
プース・カフェは5層が一般的だが、レインボーというその名の通り7層を重ねるカクテルもあるんだ。
素材は自由で、層を作れる組み合わせでセンスの良い色合いば出来ればOK。
飲み方としてはそのまま飲みこんでもいいし、混ぜてもいい、ストローで各層を一つずつ飲んでいくのもアリ。
そのお味はというと…
冷えてなく、甘いリキュールやシロップを使用しているだけに…(汗)
そう、これは芸術作品でありカウンター上のオブジェ、そのインパクトと見た目の美しさを楽しむカクテルなんだと思う。
一番上をアルコール度の高いお酒にして火を付けると、より雰囲気も増すってもんだ^^
時間と集中力を必要とするバーテンダー泣かしのカクテルだから、バーでオーダーする時は好いている時に(笑)
俺の好きな小説の中で、バーテンダーがバーのオーナーにゾンビというカクテルをプース・カフェのスタイルで作るんだけど、その時の台詞が
「もちあげるなよ、色がにじむから。ひと息に飲むなよ、幻が消えるから…」
最高だよね☆
その小さなリキュール・グラスの中に描かれた美しいアートには、ドワイルドな夢と幻が詰めこまれているんだよ。
dowild.m
The Last of 60's
古典的なブルース、そしエルヴィス・プレスリーから引き継いだビートルズやローリング・ストーンズが音楽の可能性を広げた60年代。
そんな華やかな時代に終わりを告げるように突如出現した、個性的なミュージシャンはみんな熱かった。
ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ドアーズ…
そう、彼らはヒッピー達のカリスマだったんだ。
万能の夢の薬"ドラッグ"
当時、それは人を自由にする魔法のクスリだった。
道徳観念や羞恥心を一瞬で吹き飛ばし、心の趣くまま、体の欲するがままの自然な状態に人を導いていく。
つまり、理想の世界を構築しようと自らの身体をもって実践したって事。
髪は伸ばし放題に伸ばし、やりたい時にやりたい相手とセックスをし、ステップも気にせず踊りたいように踊り、食べ物や寝場所、自然を共有していたヒッピー達。
それまで縛られていたモラルや既成の価値観といったものを一気に解き放ち、自由と自然を愛し、暴力を憎み、あらゆる仲間と交流をもち、人間であることを祝いあったんだよね。
天才ギタリスト・ジミヘンのギターは驚異的でイヤらしく、ジャニスの歌声はリアルで熱く、ドアーズの曲はどこまでも詩的でイカレていた。
純粋に音楽の殻をぶち破った彼らの楽曲は、今聴いても決して色褪せることなく輝いている☆
クスリが導いた特別なこの時代、良い悪いは別として(笑)、歴史的に残る新たな第一歩を踏み出したドワイルドな瞬間だったんじゃないかな?
dowild.m






















