学校の授業がつまらない。
というのは常々、感じていた子ども時代。
小学校は基本、勉強しなくてもついていける。
が、問題は中学。
数学、英語、理科あたりが難しくなる。
私の両親は、
「女に学問(学歴)は不要。
結婚して主婦になれ」と、時代錯誤も甚だしい考えの持ち主。
兄、二人には
塾にはいかずに自力でトップ校を目指せ!と
無理難題を課した。
父の年収はそれなりにあるが、
根性論が優勢の生粋の叩き上げ、苦労人が考える思考回路。
苦労は買ってでもしろ!がモットーで
しなくていい苦労を平気で子どもたちに要求する頑固オヤジ。
今ではあり得ない思想だが、そんな環境で過ごした。
40代前半の私だが、
当時は今ほど小学校から塾が当たり前では実際なかったが
やはり、先を見ている家庭の子は
塾、家庭教師、通信教材なんかにプラスして
親が必ず、伴走していた。
夫もほぼ同い年なのだが、
こちらはとても教育熱心な家庭で
中学受験は当たり前。という方針。
一方、私は親が塾代なんて以ての外!
確実に安定した企業に就職できる高校にいけ!と。
看護師か薬剤師になるなら進学させてやってもいいがそれ以外はダメ。という意味不明な要求が出て、
子どもながらに親が指定した職には絶対就きたくない。と、その仕事内容も精査せずに一蹴。
おそらく母てきには、女が手に職つけるなら、子どもが育ってからも仕事が出来るのは看護師か薬剤師。という安直さから来る発言。
勉強の必要性を説かれたことはなく、
やたら束縛と監視、金銭の管理(自分ルールの最低限しか出さない)は強かったように思う。
なんのために勉強するのかわからん。と思いつつも、
器用貧乏でそれなりに割となんでもこなせる性格が功を奏したのか。
他の学習教材を使わずとも
教科書と副教材だけで平均よりは上をキープするも、
言い訳でしかないが。
「受験のテクニック」を塾で知るようなタイミングがなく、
重点を絞れずに
非効率なやり方で、全部を網羅してなんとか追いつく。という、
結構しんどい方法しか
10代の私には選択肢がなかった。
暗記科目が特に苦痛でテスト前だけ短期記憶にねじこみ、終わると忘れ去るを繰り返し、一年の総復習テストではお手上げになる。
長期記憶に持ち込めないことに悩んだ。
私が勉強に目覚めたきっかけは今でも鮮明に覚えているのだが
高1の4月。
ベネッセの広告が家に投函されていて
何気なく見てみたら
「私たちは真っ白なキャンバスのスタートラインに立っている。それを描くのは自分自身」
というような文言に、
真っ白なキャンバスとペン1本。背景は青空の写真のようなイラストが描かれていた。
これをみて
常々、同じ年に生まれた人間同士なのに
偏差値はなんでこんなに差が出るんだ。
地頭の問題なのか。
と思っていた節があり。
教科書だけでは網羅できない応用問題に苦戦し、疲弊していた私は
「地頭の問題」で学力差が出るならもうこれは無駄でしかない。
と投げやりになっていた。
解説を何度読んでも理解出来ない理由は
地頭のせい。
解説の読解が出来ずに答えを見ても解答の導き方がわからないことが苦痛でしかなかった。
地頭のせいだ。この惰性が、
ただのチラシをみて
「スタートラインは同じなのに差が出るのは
勉強の仕方が効率的ではないのと、
記憶に定着させる反復の仕方が違うからだ。
やみくもに問題を解いても成果にはならず、学習時間が結果に比例するわけではないのかもしれない
全国1位の人と、自分の雲泥の差はそこだ」
と衝撃を受けた。
まぁ、単純なところは、とことん単純なのでスタートラインが同じでその後の行動の違いに、ここで初めて気づいた。
チラシ1枚で
突然、スイッチが入り、
脳の記憶構造を調べ
反復学習の効率的なタイミングやらをさらって、
暗記で乗り切るものの苦戦地獄から抜け出してから
急速に学習スピードと定着率があがっていった。
過去問をひたすら解くと規則性が見つかるようになり
なにが重点的に出るのかが把握できるようになっていった。
莫大な量の範囲の中から
なにが重要かの見極めが出来ると
やみくもに網羅しなくても問題が解けることに、心理的な負担が減ったのも事実。
応用問題の解説が読解できないのは
当然ながら基礎が固まっていないので
途中経過が理解出来ておらず、わからないことに気づき、総復習してみると
解説の意味がわかる。
親を説き伏せて(というかテコでも動かないのは承知していた)まで大学進学する気持ちにはならず、
「就職する代わりに金をくれ」と交渉。
一人暮らしをすると言ったら騒ぎ出すので言わずにいた。
さっさと就職先を決め、職場の社宅の申し込みをし、苦痛でしかない実家から早々に出た。保証人は当時、すでに就職していたカモネギと、次兄にお願いして
「あの家にいたらノイローゼになる」と兄たちから1つ返事で承諾をもらう。
親から就職準備金でもらった金で入学金を払い、
大学も並行して、それ以降の学費は自費で賄って博士を取った。
今、娘がやる気スイッチが入ったな。という様子を見ていて
ふと自分の過去を振り返ってしまったが
あの1枚のチラシが
人生、変えたな。というのは実際思う。
ベネッセの広告がきっかけだが
私は子どもに最適と思う通信教材は
チャレンジではなく、Z会派。