改めて、室戸台風のことを母に聞いていたら、殿山第一小学校で亡くなった女性の教師の方が、のちに母が嫁いだ先の向かいの家の親族だったという話もしていました。
さらに、殿山第一小学校は、1939年3月、禁野火薬庫の爆発でも焼失したとのことです。
母の実家は中宮でしたが、爆発の時は、家族は散り散りに逃げたそうです。知らない家に泊めていただいて、翌日家族全員の無事を確認したそうです。
家の屋根には砲弾が乗っていたそうです。
母にとっては、8歳で室戸台風、12歳で禁野火薬庫の爆発と、小学生で2度の災害にあったことが強く記憶に残っているようです。
小さいころに母の実家に遊びに行ったとき、廃線跡の線路で遊んだことを思い出します。
それは、片町線の津田から禁野火薬庫までの引き込み線でした。
今は、中宮平和ロードという名称になっています。
