大器は早成し、小器は晩成する -5ページ目

大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

国立競技場を作ることが決定しました。


JSC(独立行政法人日本スポーツ振興センター)は、「世界に誇れ、世界があこがれる次世代型スタジアム」を作るそうです。


何で、世界に誇るスタジアムを作る必要があるのか、1936年のベルリンオリンピック並の国威発揚ですか。


オリンピックやワールドカップが、開催の岐路にあるとき、昔ながらの手法で大金を投入して設備を作って誘致しているのは、先進国では日本だけでしょうね。


「世界があこがれる」?、アホなことを言うなよ。スタジアムの設備がすごいといって憧れている人が世界にいるんですか。できた当初は、スカイツリーみたいに見学者が集まるでしょうけど。


2020年の東京オリンピックには間に合わせたいという人は多いでしょうから、それまでに作るとしても、2019年のラグビーワールドカップは別の場所でやればいいのでは。


そうしたら、再検討の時間は確保できるわけです。


森喜朗会長は「(新国立は)五輪やラグビーW杯だけで創る価値観だと、高い低いの議論になる」といったそうです。

スタジアムが国家プロジェクトで国家の威信の象徴というなら、2020年東京オリンピック後に、観客収益が伸びず、国家財政がひっ迫して助成金も得られず、TOTO収益金も低迷して、スタジアムが立ち枯れにならないようにしないとね。


それから、日本ラグビー協会は、何にも言わないんですね。ラグビー関係者も何にも言わないんだ。

森さんがいうように、国家プロジェクトという崇高な価値観で作るのなら、検討しなおすのに時間がかかるので、目先のことはいいですよ、ラグビーは使わなくていいですよというべきなのでは。

新幹線焼身自殺事件をうけて、その日のTBSラジオの夕方の番組では、キャスター(A川氏)とデイキャッチャー(某大学客員教授)が、保安検査をしろと言っているの聞いてほかのチャンネルに変えました。


新幹線で保安検査を導入したら、場所・設備・人員についてどれだけ金がかかるか、また、現行ダイヤが維持できるのか、顧客サービスの低下(すぐには乗れない、時間がかかる)など、難問が山積です。


さらに、山手線や地下鉄の方が被害が大きいのではと思ったりもします。


今日、同じ番組を聞いていたら、デイキャッチャー山田五郎氏が、A川氏の執拗な問いかけに、上記のような答えをして導入は無理といってました。

キャスターと火曜と水曜(この人は新聞記者出身だけど浮世離れしているので、おそらくA川氏に同調した意見を言っていたと想像します)は、ちょっと変だけど、月曜・木曜・金曜(宮台氏は大丈夫でしょう)はしっかりとした常識のある人です。


社会の安全が、何によって維持されるのかが、わかっていないのですね。

ガソリンを持って電車で火をつけるような人が、うまれないような社会が望ましいし、今の日本はまだ安心な社会なわけです。


だから、今鉄道で必要なのは、ガソリンをまく人を防ぐシステムではなく、ホームでよろめいたり、些細なトラブルで線路に人が落ちないようにするホームドアなのです。


首都高を走っていて思うんですが、事故で止まっている車は見かけても、故意に車線を塞ぐ車は見たことがないんです。

悪意を持ってインフラを壊そうと思う人や組織(ISなど)があったら、だれも防ぐことなどできません。


いま大事なことは、設備でセキュリティーを高めることではなく、この社会からスポイルされる人を出来るだけ少なくすることです。


今回の焼身自殺した人が、特異な人なのか、それとも社会で普通に生きていたのだがスポイルされて生きる望みをなくしたのか、それはわかりません。


経済的に厳しくなる人が増える社会にあっては、対外強硬路線と愛国心高揚とオリンピックをセットにした大きなはけ口が必要ということなのかもしれません。


あらゆる情報が自由に手に入るのに、ステレオタイプの意見(受け売り)を吐く知り合いがあまりに多いのにびっくりします。見たいものしか見ない、聞きたいことしか聞かない、やりたいことしかやらない、勉強しない、疑問をもたない、人の意見を聞かない、そんな人ばかりですね。


自民党の代議士はもちろん、キャスターや新聞記者、学者みんなそうなんです。最初に、結論があって、意見は絶対変えない。同じ意見の人の話しか聞かない。


小林よしのりなんか大嫌いでしたが、最近は議論をする人ということで自民党から毛嫌いされているとか。僕なんか、議論をする人ということで好きになっちゃいそうです。


最近では箱根の大涌谷の噴火で、よく聞くのが、「風評被害」という言葉です。


大涌谷周辺が立ち入りを規制されただけなのに、箱根全体が危険と思われて観光客が来ないのは、風評被害のせいだと言います。


でも、火山の近くは、そうじゃない場所に較べれば、少し危険でしょう。また、そういう危険と隣り合わせだから観光業が成り立っているともいえます。

観光業からすれば、適度に煙があがり、熱湯が出ている状態がベストでしょうけど、自然はいつも良い顔ばかりしてはくれません。


今日の新聞に、箱根の宿にお湯が出るかの問い合わせが多いことを取り上げ、観光客に正確な情報が伝わっていない、風評被害だという記事がありました。


箱根に行こうと思った人が、宿を探して、電話でお湯の質問をしたら、「うちは大涌谷周辺じゃないのに、お湯の心配をしている人がいる」といって、正確な情報が伝わっていないというんですね。


僕は、相当のネット好きですけど、箱根に旅行するとして、温泉が大涌谷から引き込まれている宿はどこだろうかと調べて、確認して、そこを外して宿を探すだろうか。そんなことしないで、ネットで見つけて、電話で状況を確認して予約するのが普通じゃないでしょうか。


その行動が、風評に踊らされているとされるわけです。ずいぶんと、観光客を馬鹿にした話ですね。

こんな状況でも箱根に行こうと思って電話してくれた観光客を、風評に左右される低レベルの人間だと言っているのだから。


大体、そこで生活している人は、万が一何かあってもという覚悟はあるでしょうが、観光客は万が一でも危険なところにはいきたくないのが当然です。ほかにも行くところはいっぱいあるのですから。


火山が噴火するかしないかは、気象庁や火山学者が決めることではなく自然の営みです。本当に不思議なのは、噴火が起こると気象庁の課長が出てきて、現在の状況とこれからの予測らしきことを言い、それをマスコミがそのまま記事にしていることです。


「今のところ大噴火につながる兆候は見えない」とかいうのですが、大噴火につながる兆候って何ですかとは誰も聞きません。大噴火の前に、その兆候を観測する体制があって、住民を避難させることができるのですか、とも聞きません。

おそらく、専門家じゃなくても、一般の市民でも、ここにいては命に係わるとわかるような状況になって初めて大噴火だというのでしょう。


こないだ、口永良部島で噴火があって、全島民が避難した時、日ごろの訓練の賜物ということが報道されていました。

訓練することは無駄ではないし、今回のようにそれが生かされる場面があったことは喜ばしいことです。

でも、訓練では間に合わない事態もあることは、これまでの歴史上の災害が証明しています。


火山は危険です。飛行機も、電車も、車も、自転車も。それが、どの程度危険であるかを計り、わかったうえで利便性と秤にかけて利用しているのが社会であり人間です。


裁量労働制の導入により日本の労働生産性をあげると、政府や経団連は言っています。


労働生産性を上げる方法としては、仕事の内容を変えずに一人あたりの仕事量を増やして生産する付加価値を大きくするか、仕事の内容をより付加価値を生み出すように変えていくかのどちらかです。


それで、労働者の仕事のやり方(取り組み方)を変えて、より短時間で、より多くの付加価値を生み出す方法として、裁量労働制が必要であるとされています。


下請け中心の町工場のオーナーや家族労働は、まさに裁量労働制を導入しているわけで、それにより労働生産性が向上しているのですが、やっとこ付加価値を生み出しているのが実態でしょう。


じゃあ、町工場はどうすればいいのか。付加価値の高い仕事をやればいいわけです。それって、労働の質ではなく、ビジネスの構造の問題、経営力の問題であるわけです。


経団連加盟の会社は、それなりに大きなところばかりです。その加盟社が、そろって裁量労働制の大幅な導入を訴えているわけです。しかし、考えなければならないことは、労働生産性をあげるのは、経営者の責任だということです。労働生産性が低いのは、そもそも会社が付加価値を生み出せない体質(ビジネス構造)だからではないですか。


陳腐化したビジネスモデル、平凡な経営者、競争の激しいい市場という環境では、労働者が裁量労働で付加価値を増大させるなど不可能です。だから、人員を削減して一人あたりの労働時間を引き延ばして、労働生産性を上げるしか、ほかにアイデアがないのです。


そもそも、経団連加盟社の経営陣や人事責任者の労働生産性がいかほどのものか。

事業を改革・改善する力もないし、人材を育成する能力もないのです。

だから、手っ取り早く成果を上げる方法として、裁量労働制を導入したがるのです。


見方を変えれば、日本におけるビジネス慣習が、必要以上に手続きや折衝時間を長くしているともいえます。物を買う場合、競合との性能と値段だけではなく、系列や紹介者、会社の納入実績、人間関係、前任者の意向などなど、どうでも良いことがいっぱい絡んできます。購買担当者が、そうしたことに配慮しなくていいなら、すぐに現状の倍の仕事ができるかもしれません。


ところが、ここで考えなければならないのは、経団連の会社の経営幹部が、まさにそのようなビジネス環境で育ってきた人たちで、それを得意としたから出世したという事実です。


結論は、労働生産性を上げるためには、日本的なビジネス慣習を一気になくすことが、最初に取り組むべきだということです。

そうしたら、100万円のものを買うのに、1か月かけて、5社ぐらいの営業と合計10回ぐらい折衝するような馬鹿なことはなくなって、大いに労働生産性があがるでしょう。


とにかく、何で裁量労働制を導入したら、日本の労働生産性が上がるのか、きちんとした説明が聞きたいものです。


※ 法律がなくても、裁量労働制は導入できるのですから、現状でも裁量労働による長時間労働が実現できるのです。それではなぜ導入しないのかといえば、労働者との折衝や労働基準監督署からの指導に面と向かう勇気と根性が経営者・人事責任者にないからです。世間の目が怖いので通行手形が欲しいのです。

泉光院は、文化13年3月17日から22日にかけて、6日間で、秩父三十四か所の札所を参詣しています。


http://www.chichibufudasho.com/


3日間で三十番札所までを巡り、残り3日で四か所に参拝しています。


地図で確認しながら読みましたが、最後の四か所は距離も離れていますし、山道です。しかも、三峰山という山にも登っています。


やっぱりこの人は山伏なんだなあと感動しました。

僕と同年代で、日本国中歩いたのですから、当たり前ですか。


泉光院の歩いたところを、特に田舎の村を、Yahooの航空写真で見て、まっすぐではない道に集落があると、江戸時代のから場所は変わっていないのでは、と思ってしまいます。


日記には、村としか書いていませんので、細かい場所までは特定できませんが、ここを歩いたのか、ここに泊まったのかと、と想像してしまいます。


明治維新の神仏分離令により、僕たちは、寺と神社が分かれているのを当たり前に思っていますが、江戸時代まではそうではないんですね。


アメリカのプロテスタント原理主義やイスラムの原理主義のようなことを、日本は明治維新でやってしまったのです。多くの文化が失われたのです。


泉光院が住職だった佐土原の安宮寺も、明治維新の廃仏毀釈で失われたそうです。