泉光院は、文化13年3月17日から22日にかけて、6日間で、秩父三十四か所の札所を参詣しています。
http://www.chichibufudasho.com/
3日間で三十番札所までを巡り、残り3日で四か所に参拝しています。
地図で確認しながら読みましたが、最後の四か所は距離も離れていますし、山道です。しかも、三峰山という山にも登っています。
やっぱりこの人は山伏なんだなあと感動しました。
僕と同年代で、日本国中歩いたのですから、当たり前ですか。
泉光院の歩いたところを、特に田舎の村を、Yahooの航空写真で見て、まっすぐではない道に集落があると、江戸時代のから場所は変わっていないのでは、と思ってしまいます。
日記には、村としか書いていませんので、細かい場所までは特定できませんが、ここを歩いたのか、ここに泊まったのかと、と想像してしまいます。
明治維新の神仏分離令により、僕たちは、寺と神社が分かれているのを当たり前に思っていますが、江戸時代まではそうではないんですね。
アメリカのプロテスタント原理主義やイスラムの原理主義のようなことを、日本は明治維新でやってしまったのです。多くの文化が失われたのです。
泉光院が住職だった佐土原の安宮寺も、明治維新の廃仏毀釈で失われたそうです。