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大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

昨日、あるラジオを聞いていて、ロシアのヴォルガ川で遊覧船が沈没した事故を伝えていました。


そのなかで、パーソナリティが、定員オーバーと船の老朽化が原因との話をしていました。ロシア政府も老朽化を認めているのですから真実だと思います。


でも、言い方を聞いていて、?と思いました。


「船の製造が、1950年代で、古い船を使っているから沈没するのだ」と言わんばかりに笑っていたからです。


日本国内で、客船で、船齢が50年以上経っているものが、あるのかないのか、考える想像力はないみたいです。


1950年代に作られた船が、メンテナンスをしっかりやっていれば、実用に耐えるのかもしれない、とも思わないようです。


古い船を大事に使い、そのためのメンテナンスに労苦を問わず努力している人たちがいることを考えると、船齢が50年だからと危険視する短絡なパーソナリティに憤慨してしまいます。


新しい船を買いたくても採算が合わないので、償却が終わった船を使って商売を続けるしかない、そんな人は一杯いるし、これからますます増えていくでしょう。


福沢諭吉の学問のすすめに「ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。」という言葉があります。


これは「愚民の上に苛(から)き政府あり。」から続いているフレーズで、徳義や学問のない人民だと政府の法支配も厳重にならざるを得ないという意味で使われています。


政府と人民を二極に分けて、その相互の関係を述べたものです。当時は、有司専制体制で、政府が民主的に選出されているものとの前提では書かれていません。


従って、この福沢諭吉のこの言葉をもって、現在の日本の政権と国民との関係を言い表すことは間違っているでしょう。


でも、この言葉は、今の日本の状況を的確に言い表しています。


原発事故を終息させるのは、日本の政権の責任ではなく、日本国民の世界に対する責任です。二度と原発事故をおこさせないのも、日本国民の世界に対する責任です。


日本国民が、第三者的な立場で、政権が右往左往しているのを嘲笑うのは勝手ですが、その結果の責任はすべの国民が負うしかありません。


原発をどのような形で続けるのか、そのリスクはどのように享受するのか、これは政権が決めることではありません。国民が決めることです。


政権に、一挙両得のような知恵はありません。


経団連の会長様が、偉そうに政権批判を繰り返しています。


原発再稼働ができないなら、日本を出ていくそうです。


日本を出ていける企業は良いですが、もう一回原発事故が起こってもどこへも出ていけない国民はどうすればよいのでしょうか。


原発の安全性に問題がある(今回の震災で証明された)のだから、安全性を高めるまでは企業も耐え忍びますとか言えば賛同もしますが、電力不足だから即海外に出ていきますといわれれば、どうぞと言うしかありません。


経団連の主要各社は、日本のインフラに組み込まれた事業をおこなうことで、少しの努力で大きな成果をあられる収益構造を持っているのではありませんか。また、優秀な日本人を多く雇用することで製品の優位性を保っているのではありませんか。


海外に出て、生き馬の目を抜く国際企業と同じ土俵で戦うと言うなら、どうぞ出ていってください。


浜岡原発をとめたのはけしからん。でも、スズキが工場を海岸沿いから移転させるのは企業の危機管理としては当たり前。


想定外の津波で原発事故が起こったのは仕方ありません。事前に予見できなかったのだから。でも、今は違います。もう一度、原発事故が起こったら日本はお終いです。


経団連加盟企業は、国際企業として生き延びられると思っているのでしょうか。


原発の安全性を向上させるためには、時間と費用がかかります。

点検中の原発を早期(1年以内)に稼働させるために、おこなうことができる安全性向上策は、非常に限定的で効果もないものに限られます。


従って、ストレステストは、安全性を現状でどの程度満たしているかを図る指標です。

そのうえで、政治的に経済的に稼働させるかどうかを政府や自治体が判断することになります。


東日本大震災で安全神話が壊れてしまった日本の原発が、安全だとは国民は思っていません。これからの原発は、限定的な安全性のもとで、経済的に必要だからという理由で動かすしかありません。


経団連や政治家、評論家諸子にしたところで、原発が結果として再稼働すれば良いのであって、そのために自治体や住民を丸めこめない、手が打てない現政権を批判しているだけです。

また、ストレステストなどで指標化すれば、原発稼働の判断が、安全性ではなく、政治的恣意的におこなうものであることが白日のもとに明かされるのを避けたいだけです。


政権が変わったところで、原発の安全性に変化があるわけではありません。


今日発表の内閣支持率は最低を記録したみたいです。これだけ悪口をいわれれば下がるのは当たりまえです。

でも、政権が代わっても、何も劇的には変わりません。

本日の日経一面の特集記事「再浮揚日本経済 復興への試練4」を読んで、頭には????が沢山浮かびました。


東日本大震災復興のための予算や義捐金の執行率が低いのは政治が迷走しているからだと書いています。執行率は事実だと思いますが、その原因が政治の迷走にあるというのは短絡的ではないですか。


事例として、再建支援金の事務をおこなう部署で人員はいてもパソコンがなかったから処理できなかったということを取り上げています。


なんでパソコンが揃えられなかったかの理由が書いていません。理由は書かないが、責任は政治の迷走にあるというわけです。


普通に考えれば、

1、パソコンの購入手続きをするのを担当者が忘れた

2、パソコンを買いたくても予算が無いので買えなかった、日本の役所は手続きに時間がかかる

3、役所のパソコン仕様が決まっていて、それに合致する製品がすぐに入手できなかった

ぐらいしか思いつきません。


いずれにしろ、政治の混迷とは関係ないと思うのですが。


義捐金の配分率が 22.8%だそうです。7月初旬で。

この配分率が高いのか低いのか分かりません。


だいたい、被災者だということを、どのようにして証明しているのかな。厳密にすれば時間がかかる、緩くすれば不正がはびこります。


たとえば被災者以外の人に20%ぐらいわたってもいいから配分しろ、俺が責任を取ると言わないからすすまない。それは、政治の責任だという指摘なら、一理あります。でも、日本の国民やメディアは、政治家にそんなアローワンスを許してはくれません。


原発の再稼働だって、「70%ぐらい安全だから再稼働」という政治家をメディアが支持するのでしょうか。


強権的、現地無視、国民世論無視の実行力によってしか成し遂げられないような成果を求めながら、一方で民主的に現場の意見を聞いて、国民の声に耳を傾けなさいと言うのですから、びっくりしてしまいます。


だいたい、金もうけしか頭にない、証券アナリストの言葉を、金科玉条のごとく奉っているのが良くわかりません。

大震災で、日本国民がこれまでの消費行動を反省してこれからどのような国づくりをしているのかを考えているときに、経済アナリストの意見を当たり前のように記事の最後に載せる記者の気がしれません。