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大器は早成し、小器は晩成する

50代で仲間と一緒に飲食業を起業、煩悩即菩提的なブログ

官職に追いやられているキャリア官僚が、テレビや新聞で発言を続けています。


先日は朝日新聞にその主張が載っていました。おもに既得権を批判していました。その批判の内容が正しいかどうかは別にして、私が感じたことは次のことです。


一般社会であれば、組織の方針に逆らうことは、組織から排除されれ収入もなくなることが当たり前です。


このキャリア官僚は、確かに官職に追いやられたかもしれませんが、収入は保証されているし、辞めさせられれば勧奨退職で割増退職金をもらいます。また、名前を売ったので、しばらくはメディアで飯が食っていけるわけです。


こういうのを、キャリア官僚の既得権というのでしょうね。


彼の主張について、僕には官僚批判をキャリア官僚が行うことで官僚に対する国民からの批判のガス抜きをやることで、キャリア官僚全体の利益を擁護しているように思えます。


官僚制度の改革云々は、どのような改善策を作っても実現不可能なのは分かり切っています。


ポリティカルアポインティーにすればよいのです。


今の日本、何かを変えようとすると、その不利益・欠点をあげつらうことが当たり前になっています。改革しろと言いながら改革案の問題点を厳しく追及するということは、改革したくないということです。


周りが納得するような改革案は、実質的には既得権を侵されないから賛成を得られるというのが実態です。


数日前の朝日新聞社会面に義捐金の配布が遅れているという記事が載っていました。


記事の内容は、早期の配布を望む被災者の話で特段目を引く内容ではありませんでした。


ただ、識者の談話が財政学の専門家で、自治体の職員が不足しているなら増員しろというものでした。


先日朝日新聞は、被災地で活動している「自称医師」を医師として紹介した記事について、お詫び記事を掲載していました。一人の医師が医師であることを証明することの難しさが身にしみたはずなのに、何万人・何十万人の被災者が被災者であることを証明するのは、相も変わらず簡単だと思っているようです。


大体、義捐金の配布と財政学と何の関係があるのかよくわかりません。




中国高速鉄道事故のことをマスコミこぞって、その技術レベルについて疑問を呈するとともに、日本の新幹線技術と比して劣っていると高言しています。


マスコミの人たちは、日本の鉄道技術の安全性が絶対のレベルにあるかのように言いますが、普通の記憶力があれば信楽鉄道事故(1991年)や尼崎の福知山線事故(2005年)のことは覚えているはずで、今回の中国の鉄道事故と比べた場合、日本の方が明らかに安全だと言えるのかどうかはよくわかりません。


日本の場合、新幹線は無事故で安全だけれども、在来線は危険なのか。


新幹線も無事故というけれど、また地震に対応しているというけれど、阪神淡路の時は早朝で走っていなかった、東日本大震災の時は、震源地が遠かったので止まることが出来た、とすれば、僥倖もあったのではと思ってしまいます。


原発の安全神話が崩壊して、国民みんなが安全への自惚れを自戒しているときに、中国の事故を見て、ただ日本の鉄道は安全だと言っている人は、健忘症がひどすぎると言わざるを得ません。


日本の鉄道が、駅を含めて、さらに安全になっていくのか、それとも安全神話に酔って、安全がなおざりにされていくのか、これからどちらの道を行くのかはわかりませんが、今回の対応を見ていると他山の石とする気はないようです。




経団連を構成する主要企業は、日本のインフラをがっちり押さえています。

日本という縄張りを支配しているやくざのようなもので、日本国民は息を吸っていてもてら銭を取られているようなものです。


それで、税金を納めているの我々だと胸を張っているわけです。黙っていても金が入ってくる仕組みがあるのですから税金を払っても当たり前だと思うのですが。


今回の大震災によって、国民のライフスタイルが根本から変わる可能性があるとき、経団連企業にとって変化は最も嫌うところであるらしく見えます。


今日の経団連夏季フォーラムでは、復興事業が軌道にのらないのでセメントの出荷が増えないという意見が出たそうです。


復興の姿がまだ描けていない今の段階で、コンクリートを流し込むということは、これまでと変わらない方法で街づくりをするということです。


これからの将来像を政権に示せと言う一方で、コンクリートを流せというのは、建て前では変化を求めていながら、実際には変化を容認しないという姿勢です。


電力に示されたような、国民のエネルギー消費に対する根本的な変化が、全ての経済活動に伝播することで、自分たちが握っているインフラが再構築されるのを恐れているかのようです。


彼らのビジネスモデルはまさに新興国モデルですので、中国・インド・東南アジアに出て行ってもらいましょう。


そうすれば、日本には新たな省エネルギー型経済モデルを目指す企業が生まれます。

菅首相が脱原発依存の方針を示したことに対して、政界・経済界・メディアなどから、相変わらず、「議論が尽くされていない」「道筋が見えない」「首相の個人的意見」「現実的でない」「経済発展との整合性がない」など、方法論に対する批判ばかりが聞こえてきます。


菅さんの脱原発依存そのものに賛成なのか反対なのかについては、大半は原則賛成だけれども、言質をとられないようなあいまいな意見がほとんどです。


この国の電力政策をどうするかに対して、みんなスタジアムでスポーツの試合を見学している態で、試合をしているのは菅さんだけという風にも見えます。


自分たちの既得権や生活水準が守られるような結果だけを求めているようで、当事者意識が希薄です。


大震災以来、節電については、国民全般が真剣に取り組み、大いなる成果を上げています。地球温暖化対策において、家庭での電力消費が増え続けていることについて、全く対策がなかったことを考えると、国民の節電意識(生活様式の変更)によって、国の電力政策の変更が可能だと思われるような現象がおこっていることは驚きです。


長い間、消費が美徳とされ、近年は新しい消費の対象を見つけるのに四苦八苦しながらも、消費を続けないと経済が上向かないといわれていましたが、こと電力においては、無理に消費を作り出すために使っていたことがはっきりしました。


いらないものは買わない・使わない、我慢する、消費活動と異なる豊かさを求める、など生活様式の見直し・革新によって、エネルギー消費量は激減します。


これだけの大災害を経て、日本国民の意識がどのように変わったのか変わっていないのか、わたしはそこが知りたいのです。


菅さんは脱原発依存の方針の表明を個人の見解だと言いました。だったら、政権の方針が云々だとかいわないで、各所の有識者も、個人の意見をおっしゃってはどうでしょうか。メディアの番組でも、出演者はみんな意見を言ってください。


原発をどうするのか、国民の生活様式はどうするのか、工場が海外に出ていくのを享受するのか。