米軍の誤爆

 

 2015年十月、国境なき医師団の病院が「誤爆」された。この爆撃がいわば既定の路線だということはわかりきっていて、岸田外相が、爆撃を批判したくらいである。それならなぜ「誤爆」はなんだろうと思う。米軍は以前から「誤爆」の専門家なんだから、もういい加減にこういう言葉はやめたらどうかなあ。コソボのときだったか、米軍がベオグランドの中国大使館を「誤爆」した。そのときの現場の指揮官の言い訳は「使った地図が古かった」。

 

アフガニスタンで川を掘っていた中村哲さんは、米軍機にときどき「誤爆」されたらしい。日本の新聞も「誤爆」にカッコくらい付けたらいかが。

 

 米軍が誤爆と発表しているから。それをそのまま「客観的に伝えた」などといわないでくださいね。戦時中の大本営発表だって、軍がいったことでしょ。それをそのまま報道して、あとは知らんぷり。以来、やっていることは同じじゃないですか。

 

 私は米軍が間違っているなどといっていない。そもそも戦時下で「中立」であることはきわめて困難である。情勢が緊迫してくるほど、中立は困難になる。だから、どんどん敵味方が別れてきて、「世界」大戦になったんでしょ。戦時は両者がまさに命懸けで戦っているのだから、横から何を言っても、ムダに決まっている、そんなの、夫婦喧嘩の仲裁をしたってわかっているじゃないですか。むしろ真の中立は両者から敵と見なされるのが普通である。中立であるためにこそ、あらゆる意味での力が必要なのである。

 

 それはともかく、ウソを少し減らしたほうが世の中がわかりやすくなるのではないか。昨今はそう感じることが多くなった。

 

 米国の場合は、まずネオコンが問題だった。息子のブッシュ政権のときである。このときのウソはひどくて、大量破壊兵器の存在も、フセインとアルカイダの関係もウソだった。私は9・11のテロ話にもかなりのウソが交じっているという意見である。なにしろ、ネオコンの人達は、正しい政治的目的のためなら、ウソをついてもかまわない、という考えらしいのである。私はウソをついてはいけないとはいわない。でもネオコンの意見には反対で、政治家は正直なのが一番だと思っている。世間に余計なコストを掛けないからである。偉い人がいうことを、いちいち疑っていたのでは、面倒でやりきれない。

 

もっとも政治家は正直であれなんて。そんなことを思っているのは、私が世間知らずだからなのだろう。現実はそんな甘いものもんじゃない。いまだにオレオレ詐欺であれだけ騙された人がいるじゃないか。正しい目的を達するためには、そんな連中は騙しておけばいい。どうせわかっちゃいないんだから、それが世界の常識なのかもしれませんね。

 

(続く)

Q翁:「世の中で一番可哀そうな人は正直な人ですよね」とQ翁の姪御は幼稚園に入る前に、亡父に言ったらしい。世の中にどれだけ真っ正直な人がいるのか、Q翁は分からないが、オレオレ詐欺が一向に減らないところを見ると、世の中には結構正直な人が多いのだなと思ってしまう。

 

同時にATMとは別に、良くも大金(現金)を自宅に置いておく人がいるものだ。金持ちの老人が多いものだと、驚かされる。当分この種詐欺事件は、衰えることなないだろうと思う。

 

それに政治家のいう言葉は、どうも信用できない。国会での与野党の論争を聞いていると、言っていりことは、国会議員の議論することことか、と呆れる言葉ばかりである。貴重な時間を使って、国会で論争するのだから、重箱の隅をつつくような議論は止めて貰いたいと思う。

 

国民が高い税金を払って、国会議員を雇っておく意味がないように思う。

 

世界は大きく変わっていって」いるのに、国会議員の頭は、次回選挙のことで、一杯のように見える。政治不信が募るばかりである。

 

ロシアのウクライナ侵略で、日本も大きな影響を受けている。

 

「Q翁のブログはこれが最終回となります。ご愛読ありがとうございました。」

 

 

「心の戦争」果てに2

 

 年齢別に見ると、平成九年は、二十五歳から二十九歳までの死因のなかでは、自殺がトップで、その比率はあ二九パーセント(厚生省)ということは、皆さんがたの周りの二十五歳から二十九才までの亡くなった若者の三人に一人近くは、自殺だとうことなのです。決して他人事ではありません。この爆弾も落ちない、機関銃の弾も飛んでこない、一見平和に見えて、物も豊かで、福祉もそこそこ行き届いているという時代に、一年に二万四千人もの人々が、人生の舞台を降りていく。この数字だと、十年間で二十四万人、二十年間で四十八万人になります。しかもこの数字は本当の自殺者数の氷山の一角という見方もあり、、そしてさらにその数倍にも達するとも見られる、未遂者の数を入れると、その数字の大きさに愕然とせざるを得ません。

 

 皆さんご存知のIRA(アイルランド共和軍)は、北アイルランドのカトリック教徒たちがイギリスからの分離・独立を求めて、長くイギリスと争い続け、プロテスタント系の住民との間で、紛争が繰り広げられていたわけですが、これによる死者の数が、1960年後半から90年代までの三十年間で、三千数百人と新聞に発表されています。バズーカ砲から戦車まで繰り出しての戦いで、三十年間で、三千人ちょっとです。

 

 また政府が「交通戦争」と想定している交通事故の死亡者でさえ、一年間に約一万人です。では、その二倍以上にのぼる人が、みずから死を選ぶ。そのことをいったい何戦争と言えばいいのか。

 

 私どもは、平和のなかに住んでいる。平和憲法を守ろうと言っている。しかし、本当に平和か、一年間に二万四千人の自殺者が出るということは平和とは言えないのです。ある意味では、これは戦争なのです。それは、心の戦争であり「インナー・ウォー」という言葉がぴったりくるかもしれません、

 

 自殺ということに関して、たしかに、この質問にあるように、自殺を罪というふうに見るキリスト教的な考え方もあるけれど、一方でキリスト教のなかには、「殉教」という思想がありますよね。殉教というのは、自殺じゃないんです。

 

 おのれが信じる神の言葉に従う。そして死を恐れないというようなことが殉教なのですが、東洋とか日本とかでは、みずから死ぬという行為を「自殺」というだけではなく、たとえば「自刃」という言葉もある、自ら裁く「自死」という言葉もあります。みずから死を選ぶ、それから封建時代の武士道のなかには、「切腹」という作法もありました。

 

 宗教的には、たとえば真言宗の宗祖、空海は、「入定」といって、五穀つまり、食事の量を少しずつ制限していって、どんどん自分の体を衰弱させていき、最期は木が枯れるように涅槃に入っていくーーこれは死というよりは宗教的な、新たな再生というか、そういう考え方なのでしょうけれども、そういう考え方もある。

 

 それから補堕落渡海といって、今の生きている世の中があまりにもひどく、醜い、この醜い現世に生きているよりも美しい極楽浄土に憧れ、それらに生まれる方が幸せなんだ その事こそ信仰の心にかなうものだ、というふうに、考えて浄土に旅立って、いこうとする。そいう自殺行為というのが、流行した時代もあります。

 

 だから自殺ということが、日本や東洋では「、そんなに悪としては、考えられなかったという面もあると思います。臭いものにフタじゃないけれども、縁起の悪いこととか、いやなことをしては自殺という行為を遠ざけていく気風は、むしろ現代のほうが強いような気がするのです。

 

Q翁:Q翁は、若い時から、自殺など考えたことはなかった。ただ第二次大戦で、日本が米軍に侵略されるということが、現実味を帯びてきたとき、命を捨てなければならないと真剣に考えた。生死を超越して、戦うということの難しを体験し、悩み苦しみもした。そこで最終的に到達した心境は、「天命」というものであった。特に敗戦末期には、米軍機の機銃掃射や、爆撃に、戦わずして「イヌ死に」するのはないかという恐怖にさらされた。それは自分ではどうにもならないことである。そこで「生きるも死ぬもすべて天命だと」思ったのである。

 

しかし、90%以上は自分は、死ぬと覚悟していたのである。

 

しかし8月15日。終戦の詔勅が降り、死ななくて良くなってのである。しかし当時の心境は、それが決して喜びでなかったことは確かである。米軍の占領下で、一体我々はどうなるのか。捕虜として重労働に付されるのかなどと戦友と話合っていたのである。

 

そういう体験をしてきたので、Q翁の生死に関する考え方は、常人とは大分違っていたと思う。今人生93歳5か月を生かされて、我ながら驚いている。死よりも、死に至る道程の方が、どうなるのか、気になっている。最期まで生死を超越していられるか、心配している。

 

 

 

 

 
 

第1章 長生きすることは、幸せなのか2

 

● 老人の身の処し方とは

 

  庭の手入れをしながら、私はいつも、古いものは取り除かれて、新しい命に譲る、生の継続と繁栄の姿を見ている。すると、「後期高齢者」などという制度や呼び名に腹を立て、「老人に死ねというようなものだ」などと怒ることもなくなるだろう。なぜなら、古い命が若木に譲るのは、当然の仕組みなので、植物は、無言で自然にそのルールに従っているのである。

 

 もちろん、よい若木を取るためにも、庭師は植物の声をよく聞いている。何より、親木の面倒を大切に見てやらなければ、よい若木も取れない原則があるからだ。

 

● 老年とは捨てていく時代

 

 老年は一つ一つ、できないことを諦め、捨てていく時代なんです。執着や、信念と闘って、人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密接に関係があるはずです。諦めとか禁欲とかいう行為は、晩年を迎えた人間にとって、すばらしく高度な精神の課題だと私は思うのです。

 

● お前はもういらない

 

 人間にとって最も残酷なことは、「お前はもういらない」と言われることだ。誰でも病気になり、誰でも年を取るのに、それで差別されるし、自分から差別する人もいる。健康な年寄りなのに、「私は年だから、もう働けない」とか「労わってもらって当然」とか、思うことである。

 

● 目的があれば、生き生きと暮らせる

 

  私は、毎朝、今日中にすることが山のようにあって幸せだ、としみじみ思う。どんなろくでもないことでも、、目的は目的だ。人間は目的があれば、生き生きと暮らせる。

 

 ことにその目的が、少しだけでも、人のためになることだと、それだけで意味がある。私は食料の買い出しと日々の献立を決めることは、必ず、自分でするけれど、できたら人に美味しいものを食べさせるということは、手頃な道楽だと感じている。美味しいものを食べさせてもらって怒る人はいないからだ。

 

● 分相応、身の丈に合った生活をする。

 

  若い時は、見栄を張ることもあるでしょう。しかし、長い間。生きてくると、いくら隠しても所詮、その人がどんな生活をしているか、大体のところはバレるものだから、見栄を張っても仕方がない。と気づく。晩年が近づけば、何もかも望み通りにできる人など、一人もいないことが体験的に分かってくる。「分相応」を知るということは、長く生きてきた者の知恵の一つだと思います。

 

 

(続く)

Q翁:長生きすることは幸せなこととはQ翁は思わない。要は長生きしていることではなく、どういう生き方をしているかが問題である。それは、第一は健康であろう。健康に生きていることが幸せの前提条件である。では健康でない人は幸せではないかと言うとそうとは、言い切れない。

 

病と向き合って、幸せに生きている老人も大勢いる。Q翁もその一人である。口では老人は抜け殻であるから、世の中から見捨てられても良いといいながら、多くの人に支えられ生かされている。これで不幸だなどと言ったら、神様の裁きを受けることになる。

 

老後の経済的問題も、無視はできません。お金は、多くは要りませんが、老人が一人で食べていけるだけの、経済力があることが、幸せに生きる条件になるでしょう。息子や娘が裕福で、経済的支援を得られるお年寄りもいるでしょう。しかし、幸せに生きるためには、自力で生きることが大切です。現在の年金制度のうち、国民年金の方は、年金だけでは生きていけません。だから若い時から、老後を考え、人生設計を立てる必要があうと思う。一攫千金を狙ったり、僥倖を望まない方がよい。地道に毎日の生活を送りながら、老後に備えて、無駄遣いをしないことが大切に思う。

 

長生きが幸せのすべてとは思わないが、この世に生まれた以上、人生の四季は味合うbきである。若死にしてはならない。ましてや自殺などもってのほかである。忍耐し、真面目に生きていれば、必ず他力が働き、道が開けてくる。これが93歳5か月を生きて生きたQ翁の人生哲学である。

 

 

 

(続き)

 

 主体がないから原始的かというなら。そんなことはない。状況依存とは、きわめて客観的な態度でもありうる。出来る限りの要素を考慮に入れて決定する。そういうことだからである。

むろんそれにはその欠点もある。物事がとくに根拠もなく、なんとなく決まってしまう時があるからである。オリンピック・スタジアムが典型であろう。

 

安保論議がやかましい。これも状況依存の典型か、憲法第九条を拳拳服膺する限り、自衛隊の海外派遣は違憲であろう。じゃあなぜ、あえて違憲の法律を作るのか、状況が変わったからだ、現に政府はそういっているはずである。

 

 それなら今回の安全保障に関する法律を作ったのは、北京政府とイスラム国といっていいだろう。その背景にはアメリカ政府を加えていい。国際的な「状況」が違憲を要請している。政府に「平和憲法を守る」気など、そもそもない。そんなことをいうのは左翼かぶれに決まっている。万事は状況に依存する。そう考えるのを、「現実的」という。

 

 私見だから、乱暴を言わせてもらう。日本の本土防衛はそもそも盤石である。なぜなら最終兵器を沿岸に五十余り並べているからである。こんな国は世界のどこにもない、福島原発の事故が起きたあと、一週間以内に5000人の中国人が新潟空港から帰国したと聞いた。アメリカ艦隊が近海まで来たが、放射能の危険を感じて、間もなく消えた。国土が占領される危険があるなら、この最終兵器を順次使えばいい。だれも日本に近寄りもしなくなるだろう。

 

 自分も損害を受けるではないか。当たり前であろう。自分が損害を受けず、相手だけにダメージを与える。そんな甘い戦争はない。大日本帝国は中国と八年間戦った。その間、中国は本土決戦だった。日本は硫黄島と沖縄で手を上げた。どちらの考えが甘いか、よく考えたらいい。

 

念のためだがヴェトナムは、アメリカに勝った。前回も言葉について書いた。言葉や法律が国を守るのではない。国民の腹である。イラク派遣だけで、自殺者が30人近く出る軍が、外地でどれだけ本当に働けるのか。神風特別攻撃隊を銃後で送り出した世代の老人だから思う。もう一度「本気で」防衛を考えていただきたいなあ、と。

 

(註1)2016年3月から施行された平和安全法制について、「集団的自衛権」の行使に関して広範囲で議論」が起こった。

 

 

Q翁:今回のロシアのウクライナ侵攻は、憲法9条が国の安全と平和を守ることに全く役に立たないことを証明している。そしてロシアは、ウクライナが日本の憲法9条のようなものを制定し、軍備を放棄することを要求している。つまり憲法9条は侵略しようとする国にとって、都合のよい法律なのである。勿論日本の憲法9条も当時の戦勝国アメリカが、日本に押し付けたものである。

 

だからそれから70年余を経過し、国際情勢も大きく変動しているのであるが、日本人はアメリカの占領政策で、すっかり洗脳され、憲法9条で日本の平和が守られていると思っている人が、大勢できてしまった。

 

自衛隊は、専守防衛だという。専守防衛などという軍隊が、世界のどこにあるのだ。その言葉で、自衛隊はがんじがらめにされていて、動きがとれない。

 

日本人全員が、我が国の平和と安全を守るためには、どうあるべきか、を考え直さなければならないと思う。Q翁は間もなくこの世を去る。

個人的には、何の心残りもないが、日本の平和と安全については、心配事を山ほど抱えて死んでいくことにないそうだ。

(続き)

 

 主体がないから原始的かというなら。そんなことはない。状況依存とは、きわめて客観的な態度でもありうる。出来る限りの要素を考慮に入れて決定する。そういうことだからである。

むろんそれにはその欠点もある。物事がとくに根拠もなく、なんとなく決まってしまう時があるからである。オリンピック・スタジアムが典型であろう。

 

安保論議がやかましい。これも状況依存の典型か、憲法第九条を拳拳服膺する限り、自衛隊の海外派遣は違憲であろう。じゃあなぜ、あえて違憲の法律を作るのか、状況が変わったからだ、現に政府はそういっているはずである。

 

 それなら今回の安全保障に関する法律を作ったのは、北京政府とイスラム国といっていいだろう。その背景にはアメリカ政府を加えていい。国際的な「状況」が違憲を要請している。政府に「平和憲法を守る」気など、そもそもない。そんなことをいうのは左翼かぶれに決まっている。万事は状況に依存する。そう考えるのを、「現実的」という。

 

 私見だから、乱暴を言わせてもらう。日本の本土防衛はそもそも盤石である。なぜなら最終兵器を沿岸に五十余り並べているからである。こんな国は世界のどこにもない、福島原発の事故が起きたあと、一週間以内に5000人の中国人が新潟空港から帰国したと聞いた。アメリカ艦隊が近海まで来たが、放射能の危険を感じて、間もなく消えた。国土が占領される危険があるなら、この最終兵器を順次使えばいい。だれも日本に近寄りもしなくなるだろう。

 

 自分も損害を受けるではないか。当たり前であろう。自分が損害を受けず、相手だけにダメージを与える。そんな甘い戦争はない。大日本帝国は中国と八年間戦った。その間、中国は本土決戦だった。日本は硫黄島と沖縄で手を上げた。どちらの考えが甘いか、よく考えたらいい。

 

念のためだがヴェトナムは、アメリカに勝った。前回も言葉について書いた。言葉や法律が国を守るのではない。国民の腹である。イラク派遣だけで、自殺者が30人近く出る軍が、外地でどれだけ本当に働けるのか。神風特別攻撃隊を銃後で送り出した世代の老人だから思う。もう一度「本気で」防衛を考えていただきたいなあ、と。

 

(註1)2016年3月から施行された平和安全法制について、「集団的自衛権」の行使に関して広範囲で議論」が起こった。

 

 

Q翁:今回のロシアのウクライナ侵攻は、憲法9条が国の安全と平和を守ることに全く役に立たないことを証明している。そしてロシアは、ウクライナが日本の憲法9条のようなものを制定し、軍備を放棄することを要求している。つまり憲法9条は侵略しようとする国にとって、都合のよい法律なのである。勿論日本の憲法9条も当時の戦勝国アメリカが、日本に押し付けたものである。

 

だからそれから70年余を経過し、国際情勢も大きく変動しているのであるが、日本人はアメリカの占領政策で、すっかり洗脳され、憲法9条で日本の平和が守られていると思っている人が、大勢できてしまった。

 

自衛隊は、専守防衛だという。専守防衛などという軍隊が、世界のどこにあるのだ。その言葉で、自衛隊はがんじがらめにされていて、動きがとれない。

 

日本人全員が、我が国の平和と安全を守るためには、どうあるべきか、を考え直さなければならないと思う。Q翁は間もなくこの世を去る。

個人的には、何の心残りもないが、日本の平和と安全については、心配事を山ほど抱えて死んでいくことにないそうだ。

第一夜 自殺について

 

 ぼくは二十歳の地方に住む大学生です。今の世の中を見ていると、ぼくは生きていくことが馬鹿らしく思えたり。時にはいやになったりすることがあります。そんな時、ふっと死ぬことを考え、「完全な自殺マニュアル」のページをめくります。そして気持ちがそちらのほうへ、傾きかけると恐ろしくなり、慌てて五木さんの『生きるヒント』を読み返すのです。

 

 五木さんは、最近よく自殺について書かれたり、発言したりされていますね。自殺はキリスト教では罪とされているそうですが、五木さん自身はどう思っておられますか。五木さんの考えを聞かせてください。

 

(匿名希望の大学生より)

 

「心の戦争」の果てに

 

 自殺という問題は、この十数年、ぼくがずっとつづけている問題で、最近は広く、社会的な関心を集めているテーマです。

 

 どうして、ぼくが自殺に関心を持つようになったかというと、じつは、これは年来のテーマなのですが、「みずから死を選んだ人々」というタイトルの本を書いてみたいというふうに思って、それで自殺のことを調べていたのです。ところが、自分が本を書くために過去の資料を調べるということから、いつのまにか、あまりにも現実の自分達が生きているこの時代に、自殺者が多いということに気が付いて、過去のことではなく、今の問題として自殺を考えるようになったわけです。

 

一時話題になった、「クオリティー・オブ・ライフ」という言葉があります。それは人間が生きているという、その生きていることの内容を大切にする、という意味です。例えば闘病生活をしている病人が、まるで地獄のようないろんな苦しみを受けながら治療を受け、入院して囚人のように管理され、暮らすという「のではなく、病人も人間としての喜びとか、いきいきとした自由とか、そういうものをちゃんと保ちつつ、病と闘っていけないだろうか、という考え方です。

 

 それに対して、「クオリティー・オブ・デス」という新しい考え方が、ぼくのなかで生まれてきました。つまり人生というものを。まず生きるということから、考えるだけではなく、死ということ、人間は死ぬ、必ず死を迎えなければならないという前提で考えるのです。

 

 小林秀雄さんが、人間というのは、おぎゃあと生まれた瞬間から、死へ向かって一歩一歩歩いている旅人のようなものだ。という内容のことを、一緒に講演旅行に行ったときに話されて、すごく新鮮に聞こえたことがあったのだけれども、本当にそのとおりだと思います。「死」ということをきちんと見据え、そこからあらためて、人間の生を考えるということが大事なのではないか。いわばクオリティー・オブ・デス「いかに死ぬか」ということを考えることが、逆に、「いかに生きるか」ということにつながるのではないか、というふうに考えるようになってきたわけですね。

 

 そうした中で、人間は自然に死ぬということもある。「天寿」という言葉もある、だけど、いったい自殺とは何かということを考えると、自殺について、哲学的あるいは思想的に考えるというよりも、今の現実がどうなんだという関心のほうが、ぼくには強くなったのです。

 

それで、いろいろと調べてみて、非常に驚いたのですが、今年(平成九年)の警察庁の発表で、昨年の日本国内での自殺者の数が、小さく出て居まして、これが二万四千三百九十一人でした。平成三年の頃が、二万一千人代なんです。そこから徐々に増加してきて、平成七年は二万二千四百四十五人という数字が出ており、平成八年が二万三千百四人、平成九年は二万五千人になっていくかもしれません。

 

厚生省によれば、今や自殺は、日本人の死因の第6位なのです。これは驚くべきことです。第九位が肝疾患だと だと聞くとちょっとお酒を飲みすぎてれ、「休肝日をつくらなければ肝臓を傷めちゃう」なんて心配している人もいますが、肝臓疾患をはるかに上回る死因が自殺だというふうに聞くと、これはショックです。老衰(第7位)よりも多いのです。

 

(続く)

Q翁:クリスチャンだから言うのではない。「自殺は絶対にしてはならない」どんなに苦しくても辛くても自殺はしてはならない。それは宗教的考察から言っているのではない。哲学的思考から言っているのではない。

 

それは、Q翁の戦争体験から、本能的に思うようになったのである。勿論Q翁自身も死ぬ覚悟をしていたが、Q翁より2~5年早く生まれた先輩達は、多くの方が戦塵となって亡くなっていったのである。しかも大部分の先輩は、半ば犬死と言われても仕方がない、特攻隊員として、無くなっていった。国のためとは言え、どんなに生きたかったか、悔しかったか、無念であったか、想像すると、Q翁は今でも、怒りを抑えることができない。

 

 こういう故人のことを思うと、その後平和の時代に生きながら、自殺するなどということは、「何を考えているのだ」と言いたくなるのである。

確かに、人間関係や経済的理由で、「もう生きていられない」と思うこともあるであろう。戦後生き延びたQ翁は、そういう悩みにも遭遇しました。アメリカの占領政策のもとで、もう日本人として生きていても仕方がないのではないかとも思いました。詳細は述べませんが、そういう思いとは別に、Q翁は結果的に道が開けて生きていけるようになったのです。

 

そこで作用したのは、他力(今でいうなら、間違いなく神の恵み)である。自然に道が開けたのである。自殺を考えるようになったとき、最も大切なのは「忍耐」です。忍耐していれば必ず他力が働きます。

 

そしてその忍耐は、自らに生きる力を与えてくれます。

 

本当は自殺を思い立つような環境に置かれる前に、「忍耐」の大切さを幼児の頃から、教え込むことが大切なのです。

 

 

 

 

第1章 長生きすることは幸せなのか

 

私は長生きして、死ぬまでにいい絵を描いて死にたいという老女の生き方を、大変爽やかなものに思うようになっている。

 

● 老女の爽やかな生き方

 

  「あの方、ここのところ、ずっと絵を描いてるんですって、死ぬまでに、何とかして 自分でも納得できる絵が描きたいから長生きしたいって言うのよ。私には分からない真理だわ」

子供が死んでしまったら、もう未来に、何の希望もないと思っているらしい母に言った。

 

そして私はその頃、子供がまだ小さくて、最も子育てに溺れている時だったので、母と同じように感じていた。しかし今、息子が一人前になってしまうと、私は長生きして、死ぬまでに、いい絵を描いて死にたいという老女の生き方を大変爽やかなものに思うようになっている。

 

● 長生きすることは必ずしもいいものではない

 

  私自身、長生きは、必ずしも社会と自分にとって、いいものではないとも思い始めているた。仮に思考が奪われた老後の自分を考えると、生き続けるのは、それほど望ましいものではなかったし、一人の老人が長生きすれば、確実にそれだけ、世代に回すべき健康保険の費用を使うことにもなる。だからと言って、「老人は早く死ぬべきだ」などと私は、一度も思ったこともないし、書いたこともない。しかし、自然の寿命を大切にして、自分はそれ以上は望まないことにいたい、と考えているのである。

 

● 老人の健康を測るバロメーター

 

 体の悪い高齢者を働かせるのは、気の毒ですが、健康な老年に働いてもらうのは、少しも悪くない。死ぬまで、働くことと遊ぶことと学ぶことをバランスよく続けるべきだと私は思います。

「年齢に甘えないで、もっと働いてください」と言うと、怒る人もいれば、喜ぶ人もいるでしょう。どう反応するのか、それが老人の健康の度合いを測るバロメーターにもなりそうですね。

 

● 今まで通りにいかないのが普通

 

 老年の賢さと体力が如実に示されるのは、自分の体の不調や不幸を、どのていど客観的に、節度をもって自覚し、外部に表現できるかということにかかっているかも知れない。何時も眉をしかめて、前はあそこが悪かったのだが、今はここが悪いと訴え続ける人がいる。すると、いわゆる暗い空気があたりに立ち込める。

 

 人間は原則として、陰々滅々たる空間の中にはいたくなにものだ。だからそういう人の傍には、結果的に人が寄り付かなくなる。すると、この人は、世間はみんな自分に冷たくて、放置するのだと言うのである。

 

 そもそも、老年というものは、今まで通りにことがいかなくて、普通なのである。世間の人達は、誰でも、冷蔵庫、自動車、ガスの湯沸し器などという機械を使ったことがあるはずだ。たとえば湯沸かし器は通常十年くらい使えば取り替えの時期に来ているはずで、我が家でそれを十二年もたせたとしたら、それは「うまく使った」と慶賀すべきことなのである。しかし使用者の実感といては、たった十二年で「もう使えなくなったか」とがっかりし、改めて費用がかかることにうんざりするものである。しかし、機械も古びるなら、人間の体もまた。使用期限が来るのが当然だ。

 

(続く)

Q翁:、自分が93歳5か月も生きているとは、全く予期していなかった。白血病という不治の病を患っているが、今のところ、認知症にはなっていないようである。病院で多くの高齢入院者を見ると、殆どが何等かの認知症的症状を伴っている。看護師さんに聞くと、殆どがQ翁より10歳位若い。

 

 余命は宣告されてるとは言え、このことは、Q翁にとって有難い話である。「長生きは必ずしもいいことではない」という言葉は、Q翁には当てはまらない。79歳で、教会礼拝に参加し、その後、洗礼を受けて、キリスト者となり、13年になろうとしている。この13年は我が人生の中で、極めて充実し、人生の罪を悔い改める期間であった。神がその期間をお与え下さったことに感謝すあるのみである。

 

 

 

 

 

 

 長きにわたって独居Q翁つぶやきをご愛読いただきまして、ありがとうございました。昨日(4月6日)午後2時、天に召されました。Q翁の希望であった自宅での昇天を叶えることが出来ました。これまでQ翁をサポート頂きました皆様方には心から感謝申し上げます。これまでの経緯などは、このブログで紹介済みではありますが、簡単にまとめますと、骨髄異形成症候群と確定診断されてから、輸血で延命してまいりましたが、白血病を発症し、白血球の異常な増加と極端な血小板の現象で、最期は腎臓などの臓器からの出血が止まらず亡くなりました。苦しみ緩和などケア頂きました訪問看護師、往診医師、ケアマネジャーなど、関わって頂きましたすべての方々に感謝申し上げます。

 

 最後に、Q翁はこの後数日もブログが自動アップできるように設定を行っておりました。本人の意思を尊重し、しばらく設定通りアップすることに致します。

 

状況依存

 

 日本の文化では、主体を置かず、状況で動く。だから文章には主語を置く必要がない。たとえば近代の西欧語では、動詞がいちいち人称変化するにも拘わらず、人称代名詞を必ず主語に置く。I am a boy.というわけだが、この I (アイ)は不要だとお気付きだろうか。am の主語に立つには I(アイ)しかない。それなら I(アイ)をいちいち言う必要はない。

 

am とあれば I が先立つに決まっている。現にラテン語では言わない。デカルトの「われ思う」の場合なら、フランス語では「われje」がいるが、ラテン語ならcogitoの一言で済む。

 

 欧米の家庭にお邪魔すると「お茶にしますか。コーヒーにしますか」と訊かれる。その真意は、客の嗜好を大切にしているからではない。現在の状況でお茶か、コーヒーかを決定する主体が存在する。それは「あなた」だ。つまりメタメッセージとして主体の存在を押し付けている。その主体が「選択」をする。アメリカの文化では、この「われ」を具体的に選択と言い換えてしまった。そう考えてもいいだろう。

 

 だから三歳の子供が、誕生日のお祝いに、木製のオモチャの車をもらう場面で、周囲の大人が口々に言う。「この車の色を決めるのはお前だよ」と。

 

 アメリカ人なら小さい時から、「自分選択をする」ことを押し付けられる。客が座れば、黙って飲みごろのお茶と羊羹が出て来る。そういう文化ではない。

 

 主体性という言葉に、若い時は悩まされた。学生運動華やかなりしころ、一度くらいは聞いたことがあるのではなかろうか。いまではもういわない。今の若者は、主体性とは何のことかと思うに違いない。自己責任という言葉がその代わりに時には使われる。とはいえ、日本社会で自己責任という言葉は有効ではない。それは選択がないからである。自分と言う主体が存在して、それが選択したのだから、結果は主体、つまり本人である。でも多くの人が、暗黙にはそうは考えていない。問題は選択ではなく状況なんだから、陛下のご聖断が「やむなきに至りぬ」だったことを思えば、当然であろう。選択しようにも状況はもはやのっぴきならない。これが日本社会の殺し文句である。

 

 戦争責任という言葉が日本でじつは意味をもたないのも、そのためであろう。あの状況では戦うしかなかった。そう思っているから、その責任といわれても。状況に責任を負わせるしかない。では当時の状況を完全に説明できるかというなら、そんなことは初めから不可能に決まっている。

 

 だから「戦争責任があいまいだ。ドイツを見ろ」となるわけだが、欧米なら話は簡単である。「ナチが悪い」「ヒットラーが悪い」で根本的には済んでしまう。欧米全体が主体と言う共同幻想をもつからである。

 

(続く)

Q翁:強大な軍事力を持つ、ロシアが、殆ど軍事力持たないと思われていたウクライナに侵略した。当初は越境して進撃するロシア軍は、2時間で首都キエフを陥落さえ、ロシア傀儡政権を樹立し、この戦争は終結するであろうと思われた。いや ロシアはそう豪語していた。

ところが、ロシ軍は、予期しなかったウクライナ国民の反撃にあって、進撃を阻止された。3週間「立って、戦争終結は、見込めない。

 

焦って苛立つロシア非人道的無差別攻撃を行っている。第二次大戦末期、殆ど死に体になっている日本に対し、アメリカは原爆投下を決断した。通常兵器で日本本土決戦をした場合、さらに100万人のアメリカ兵の命が失われるという、勝手な試算を根拠に、トルーマン大統領は、原爆投下を決めたという。真偽のほどは分からないが、原爆投下を行うことを、アメリカ大統領から聞かされたイギリスのチャーチル首相は、「天国で、神の前に立たされたとき、あなたは何と言い訳するのか」とトルーマンに言ったという。その時、トルーマンは、日本人は人間ではない。ゴキブリみたいなものだ」と答えたという。

 

さてプーチン大統領は、ウクライナの人々をどう思っているのだろうか。口に飛び込んできた虫と同じだと言っているらしい。吐きだし、捨てるしかないだろうという。しかし、第二次大戦末期とは違い、ロシアの非人道的戦争犯罪は、世界に映像として瞬時に流されている。隠蔽することは不可能な時代になっている。プーチンはそのことを理解しているのか?

 

第二次大戦末期と、今のロシア、ウクライナ戦争の様相は非常に似通っている。核兵器の使用も、生物化学兵器の使用も、現実味を帯びているのである。「まさか」と思っているのは、日本人だけかもしれない。

 

 

まえがき

 

人間は小学校に行く頃には、いつか自意識が生まれる。というが、私は子供の頃から、若い娘と言われる年齢に移る時も、年齢による自我の変化などを感じたこともなかった。

 

 私の内面には、続きの「癖のある困った私」が居座っていて、それが年相応にいつも出しゃばって、来るという感じだったのである。

 

 少なくとも「老後」といわれる年齢になると、人間の性格もその人なりに安定するのもと思われている。

 

 論壇によると、「不惑」は四十歳である。通俗的に言っても、四十歳くらいになると、人間は惑っている暇はない。子供が次々に進学する。家を持ち、家を建てて当然の年だ。ましてやそんなことにあたふたと追い込まれているうちに自分の体も更年期を迎える。まだ老人ではないが、少なくとも中年真っ盛りが初老に、足を突っ込む年となったのである。

 

 すると重病ではないが、体のあちこちに故障が出る。しかし、それをごまかして、とにかく日々を生きていかねばならないのが、中年だ。会社でも「管理職になってみると少しも嬉しくないポスト」だと言った人がいた。

 

 そういう出世に関する苦労と 小説家の世界はあまり関係ない。

 

 小説家には「出世街道」とでも言うべきものがない。呼び名を見れば、それがよくわかる。新人の頃は「小説家」、そのうちだんだん「中説家」と呼ばれるようになり。死ぬ頃には「大説家」になる道が開いているなら、この道にも確実に出世があるのだとわかる。

 

 しかし、今述べたような仕組みで、この道に出世はない。何歳まで仕事を続けても「小説家」だ。まるで老人にならない青年のようではあるが…。

 

 実を言うと、不惑などという状態を現世に求めず、老後も不惑などと希望すべきではないように思う。人間は生きている限り呼吸するように迷うのが当然だからだ。

 

 しかし、年を取れば、経験は増えるから、結果の形も、少し読めるようになる。そこで無駄なエネルギーや手間が省ける。その時初めて老人が自由人になるのである。

 

 表現というものは面白い。「私は迷いません」という言葉には、現実に迷わずに済む人間になっているという他に、迷わない人間でありたい、という願いも込められている場合がある。

 

 「不惑」などという言葉には現実が示されているより、希求の割合が多いように思う。老後はもう先が短い。迷っていたら死んでしまう。そこで人間は悪知恵を働かせて、迷わないことで、「ない時間」を稼ぎ出したのだ。

 

 悠々自適の状態の人間は素顔が輝いているという。追い詰められた人間も、必死の自我を出す。

 

 さて不惑になったら、人間はどんな顔を見せるか、ということだ。ぼろぼろか、生き生きか、きょろきょろか。

 

いささかの「老後の設計はしたいところだが、果たして誰にとってもそれは可能かどうかわからない。

 

二〇一九年四月

 

曽野綾子

 

Q翁:今日本では9割近い人が、病院で最期を迎えているという。これは医療の大きな無駄を強いることになるというので、政府は、自宅死を推奨している。しかし、これはなかなか実行されない。ひと昔前は、多くの人が自宅で最期を迎えていた。家族もその心構えができていた。

しかし、今の時代は違う。少し容態が悪ければ、直ぐ救急車を呼ぶ。病院で可能な措置が行われれば、後遺症の残る大部分の人は、施設に搬入される。そこで容態が悪くなれば、施設と契約している病院に搬入され、そこで最期を迎える。これが多くの人が描く、老人介護の在り方の常識のようになっている。

 

 しかし病の中には、Q翁のように、このパターンに乗れない病もあるのである。白血病(骨髄異形成症候群)という不治の病である。取り敢えず対応できるのは輸血しかない。これは現状の貧血の苦しみを少しでも柔らげるもので、治療には当たらない。

 

 こうなると、受け入れてくれる病院も施設もなくなる。笑福亭仁鶴師匠が、この病で亡くなられたが、やはり亡くなられた場所は自宅であった。

 

 Q翁は、最期に臨んで、一切の心臓マッサージ、人工呼吸、及び抗癌剤治療をお断りする旨、宣誓、署名した。同時に往診ドクター(死亡診断書を書いて下さるドクター)との契約をお願いした。

 

 さらにその前から、訪問看護師会と契約し、24時間看護師の来訪が可能になるよう契約した。もちろん自分が最期を迎えるときは、意識がないであろうから、最初に訪問看護師会に連絡し、そこから往診ドクターに繋いでいただくよう、息子夫婦にも伝えてある。もうその時は、あわてる必要もないことを伝えてある。命を助ける措置は一切不要なのであるから。

 

 そしてこの事態から、息を引き取るまでの時間はそう長くないと思うので、そこは辛抱していただきたい。と思っている。

 

 ここまで、分かると、気分的には楽である。Q翁に関わったすべての人に感謝して、この世を去ることができるような気がしている。

 

まえがき

 

人間は小学校に行く頃には、いつか自意識が生まれる。というが、私は子供の頃から、若い娘と言われる年齢に移る時も、年齢による自我の変化などを感じたこともなかった。

 

 私の内面には、続きの「癖のある困った私」が居座っていて、それが年相応にいつも出しゃばって、来るという感じだったのである。

 

 少なくとも「老後」といわれる年齢になると、人間の性格もその人なりに安定するのもと思われている。

 

 論壇によると、「不惑」は四十歳である。通俗的に言っても、四十歳くらいになると、人間は惑っている暇はない。子供が次々に進学する。家を持ち、家を建てて当然の年だ。ましてやそんなことにあたふたと追い込まれているうちに自分の体も更年期を迎える。まだ老人ではないが、少なくとも中年真っ盛りが初老に、足を突っ込む年となったのである。

 

 すると重病ではないが、体のあちこちに故障が出る。しかし、それをごまかして、とにかく日々を生きていかねばならないのが、中年だ。会社でも管理職「なってみると少しも嬉しくないポスト」だと言った人がいた。

 

 そういう出世に関する苦労と 小説家の世界はあまり関係ない。

 

 小説家には「出世街道」とでも言うべきものがない。呼び名を見れば、それがよくわかる。新人の頃は「小説家」、そのうちだんだん「中説家」と呼ばれるようになり。死ぬ頃には「大説家」になる道が開いているなら、この道にも確実に出世があるのだとわかる。

 

 しかし、今述べたような仕組みで、この道に出世はない。何歳まで仕事を続けても「小説家」だ。まるで老人にならない青年のようではあるが…。

 

 実を言うと、不惑などという状態を現世に求めず、老後も不惑などと希望すべきではないように思う。人間は生きている限り呼吸するように迷うのが当然だからだ。

 

 しかし、年を取れば、経験は増えるから、結果の形も、少し読めるようになる。そこで無駄なエネルギーや手間が省ける。その時初めて老人が自由人になるのである。

 

 表現というものは面白い。「私は迷いません」という言葉には、現実に迷わずに済む人間になっているという他に、迷わない人間でありたい、という願いも込められている場合がある。

 「不惑」などという言葉には現実が示されているより、希求の割合が多いように思う。老後はもう先が短い。迷っていたら死んでしまう。そこで人間は悪知恵を働かせて、迷わないことで、「ない時間」を稼ぎ出したのだ。

 

 悠々自適の状態の人間は素顔が輝いているという。追い詰められた人間も、必死の自我を出す。

 

 さて不惑になったら、人間はどんな顔を見せるか、ということだ。ぼろぼろか、生き生きか、きょろきょろか。

 

いささかの「老後の設計はしたいところだが、果たして誰にとってもそれは可能かどうかわからない。

 

二〇一九年四月

 

曽野綾子

 

Q翁:今日本では9割近い人が、病院で最期を迎えているという。これは医療の大きな無駄を強いることになうというので、政府は、自宅死を推奨している。しかし、これはなかなか実行されない。ひと昔前は、多くの人が自宅で最期を迎えていた。家族もその心構えができていた。

しかし、今の時代は違う。少し容態が悪ければ、直ぐ救急車を呼ぶ。病院で可能な措置が行われれば、後遺症の残る大部分の人は、施設に搬入される。そこで容態が悪くなれば、施設と契約している病院に搬入され、そこで最期を迎える。これが多くの人が描く、老人介護の在り方の常識のようになっている。

 

 しかし病の中には、Q翁のように、このパターンに乗れない病もあるのである。白血病(骨髄異形成症候群)という不治の病である。取り敢えず対応できるのは輸血しかない。これは現状の貧血の苦しみを少しでも柔らげるもので、治療には当たらない。

 

こうなると、受け入れてくれる病院も施設もなくなる。笑福亭仁鶴師匠が、この病で亡くなられたが、やはり亡くなられた場所は自宅であった。

 

Q翁は、最期に臨んで、一切の心臓マッサージ、人工呼吸、及び抗癌剤治療をお断りする旨、宣誓、署名した。同時に往診ドクター(死亡診断書を書いて下さるドクター)との契約をお願いした。

 

 さらにその前から、訪問看護師会と契約し、24時間看護師の来訪が可能になるよう契約した。もちろん自分が最期を迎えるときは、意識がないであろうから、最初に訪問看護師会に連絡し、そこから往診ドクターに繋いでいただくよう、息子夫婦にも伝えてある。もうその時は、あわてる必要もないことを伝えてある。命を助ける措置は一切不要なのであるから。

 

 そしてこの事態から、息を引き取るまでの時間はそう長くないと思うので、そこは辛抱していただきたい。と思っている。

 

 ここまで、分かると、気分的には楽である。Q翁に関わったすべての人に感謝して、この世を去ることができるような気がしている。

 

3月28日、現聖書研究会の方々が、面会に見えた。久ぶりに、楽しい一時を過ごした。そして、翌日、尿色が茶褐色になった。喉が渇くことの2点をラインで息子に通報。息子から往診ドクター阪口女医さんに電話。直ぐに阪口女医さんが来訪。フェントステープ0,15mmを手配。訪問看護師さん、週1回を毎日に改めるよう指示された。(口にはださないが、いつ死んでもおかしくない状態「らしい)

 

其の他最終段階で使用するクスリなど、冷蔵庫に保管するよう指示。30日午前・午後と訪問看護師来訪。足湯マッサージなどをしてくれる。聖書の主イエスの足洗いの光景が頭に浮かぶ。生まれて初めて、足湯マッサージを受け、感動する。

左手首付近内出血。血小板が少なくなっているので、止むを得ないという。

 

那須から息子夫婦、介護住み込みで来訪。

 

3月31日、午前訪問介護士中村、須原両看護師来訪。足湯マーッサージをしてくれる。息子夫婦那須に急用ができて帰る。

午後、中村看護師来訪、フェントス テープ張替えに見える。

 

夕刻から息切れを感じるようになった。電話で会話するのも息苦しい。

 

4月1日。朝から息苦しい。

 

阪口往診医11:30来訪。血液データから見ると、現在このように、生きているのは奇蹟らしい。我ながら何故生かされているのかわからない。新薬レスキューを処方される。モルヒネらしい。息苦しいとき服用するように指示される。未だ服用せず、何とか耐えている。

 

 

病状かなり厳しく、生きていることが奇蹟と医師にいわれる状況になり、本日の礼拝説教ブログは記載できません。悪しからずご容赦ください。

 

と思いつつ、残された気力体力で、記述を始めました。

 

ユダヤ人は。旧約聖書の律法を重んじ、割礼を受けるていることを誇りとし、律法を持たず、割礼を受けていない異邦人たちを裁いていたのです。パウロはそのように人を裁く姿勢の中にこそ、罪があり、ユダヤ人達の熱心に立法を守る姿勢は、実際の律法の精神にいきるのではなく、形式的に律法を守って、人間の業によって、義を主張しようとしていることなのだと指摘したのです。

 

 本日の説教ではパウロがアブラハムを取り上げています。アブラハムはイスラエルの民にとって、信仰の父祖です。主なる神は、アブラハムに救いの約束を語り、「わたしが示す地に行きなさい」と命じます。この呼びかけに対して、アブラハムが、生まれ故郷を離れて、旅立ったことによって、神の救いの御業は始まったのです。ユダヤ人たちは、アブラハムを尊敬し、アブラハムを誇っていました。アブラハムの名を挙げ、もしも、皆、罪人で、人間の業は関係ないのであれば あの誰もが認める信仰の父、アブラハムはどうなのかという問いが生まれてきたのです。

 

ここでパウロははっきりと言います。「もし、彼が行いによって義とされるのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません」

 

そして、パウロは、そのアブラハムの行いが立派だったから義とされるという受け止め方は正しくないと指摘するのです。

 

そして3節には、『アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた。』とあります。これは創世記15章6節の引用です。

 

すなわち「信仰義認」は、キリストによって始められたのではなく、アブラハムから、つまり神の救いの歴史の最初から示されていたのです。

 

アブラハムは、神との約束を信じ、人間には不可能「だと思われる約束を信じ、神に委ねたのです。(詳細創世記参照)

 

さらにパウロは、信仰義認という救いは、無償であることを強調します。すなわち、民が負っている負債を神が無償で贖ってくださるのです。

 

パウロは例として「、旧約聖書に登場するダビデ王をとりあげます。(何度もこのブログでも述べているので詳細記述省略します)

 

アブラハムもダビデ王「も、人間の業によって救いを得たのではなく、神の恵みによる救いを受け止め、ただ神を見上げて歩んだのです。

 

割礼のないままには、省略します。割礼議論など、イスラエルの民には重要かもしれませんが、私たちには、他人事に聞こえるからです。

 

いまQ翁はすべてっを神に委ね、生かされています。