ドラゴンボールの世界では

かなり常識的になっている空飛ぶ技。

 

 

そう、それは武空術

 

 

物語の後半にもなれば

基本、メインの戦闘的な登場人物たちは

全員使いこなしており

空が飛べないっていう戦闘キャラは

せいぜいヤジロベーくらいだ。

 

 

だが、、、、

 

 

不思議な事に気が付いた。

 

 

最初に武空術が明確に名前で示されたのは

第22回天下一武道会の時であり

鶴仙流の独自技みたいな感じで紹介される。

 

 

 

しかしながら、それが本当なら

元々鶴仙流であったタオパイパイは

武空術が使えているはず・・・

 

 

しかし、彼は武空術が使えない。

 

 

それよりも困難ではないかと思われる

こんな方法で高速移動をしていた。

 

 

 

それ以外の時でも、あらゆる登場シーンで

武空術を使うそぶりは無い。

 

 

しかし、弟弟子にあたる天津飯やチャオズは

武空術が使えるという不思議な状況。。。

 

 

色々考えたが、かなり武空術というのは

困難な技なのかもしれない。

 

 

物語の超後半になっていくと分かるが

孫悟天なんかはスーパーサイヤ人になれるのに

武空術は使えないという描写もあった。

 

 

 

ひょっとして、センスによりけりかもだが

相当困難な技術なのでは?

 

 

・・・・・・・なんて、

そんなワケないかwww

 

 

また鳥山先生のお忘れエピソードか・・・

 

 

いずれにしても、

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

先生が偉大な方であったことには変わりない!!

 

 

合掌

 

 

 

美味しんぼのストーリーの中で

中華街で食事をしたら

人気店がとってもマズイ料理を出してきて

それを批判するという回がある。

 

 

 

 

そして、その後、料理勝負となり

結局、山岡の作った中華料理のほうが美味くて

その店主をギャフンと言わせる

 

っていう定番ストーリーだが・・・

 

 

実際の中華街のレベルについて言えば

ベースレベルが本当に低いと思う。

 

 

ハッキリ言って、

クソ不味い店はまあまあ有る!

 

 

勝手な価値観の押し付けではあるが

「中華街」と名を打って店を構えているなら

どの店に入ろうとも、最低限の味は保証してほしい。

 

 

だが、詐欺的なメニューで集客していたり

どれもこれもインスタントや

冷凍食品以下の味だったりと

レベルが低すぎる店がいくつもある!

 

 

中華街とは中華の専門店が

ただ並んでいるのではなく、

他では食べられない本物の中華を

出してくれる店で統一してほしいモンだ。

 

 

その上で、ピンキリがあるなら納得もいくが

あまりに不味すぎる店も多くあって

ホント辟易するってモンだ。

 

 

なので、本当に信用できる店にしか入れんな。

 

 

ラーメン博物館みたく

不味い店はどんどん入れ替える。。。

みたいな制度を導入してほしいとか考えちまうよ。

 

 

美味しんぼに出てくる「周大人」みたいな人が

中華街を審査してクソマズイ店を消してほしいねニヤリ

 

 

または海原雄山みたいな人が貶しまくるっていうニヤリ

 

 

 

ドラえもんに搭乗する主要人物の中で

富裕層に位置する人物と言えば・・・

 

 

そう、骨川スネ夫だ。

 

 

 

基本的に苗字では呼ばれず

スネオとだけ呼ばれる彼だが・・・

 

 

スネオは富裕層の生まれのため

何かと最新のラジコンなどの玩具を手に入れ

それを友達たちに見せびらかして

のび太を羨ましがらせる行為をおこなう。

 

 

その後、大体のパターンは

周囲の友達が羨ましがると

みんなにも遊ばせると言うが

のび太はダメと断るオチw

 

 

こうしてのび太は悔しがり、

家に帰ってドラえもんに泣きつく・・・

というのが王道のパターンな訳だ。

 

 

だがね。

 

 

そもそも悔しがる必要すら

無いのではなかろうか?

 

 

そもそも、毎度

ドラえもんに泣きついちゃいるが

そのドラえもんこそ

最強のロボットな訳だ。

 

 

どんなにスネ夫が最新のラジコンなどを買い

みんなに見せびらかせようとも

ドラえもんには敵わない。

 

 

コントローラーで狭い範囲内のみ

特定の動きだけを再現する玩具と違い

ドラえもんはAI搭載の自立式ロボットだ。

 

 

どんな玩具も叶わない性能なのだ。

 

 

それを持っているのび太のほうが

とんでもなく羨ましいはずだ。

 

 

その事をのび太は忘れているようだ。

 

 

泣きわめいてドラえもんにすがる必要は無い。

 

 

そして、逆にスネ夫が優秀ならば

毎度、のび太に対して自慢する事が

どれだけ愚かな事か分かりそうなものだ。

 

 

どんな最新のラジコンだろうが

絶対にのび太のドラえもんには敵わない。

 

 

自慢するだけ、滑稽であろう。

 

 

しかし、彼は自慢しまくる。

 

 

頭が悪いからなのか?

 

 

いや、もしかしたら、

スネ夫は自分の玩具とドラえもんを

同一視はしていないのかもしれない。

 

 

つまり、ドラえもんを

のび太が所有するロボットである

という「モノ」として

考えているのではなく

人格を伴った「人」として

認識しているのかもしれない。

 

 

スネ夫の感情論になってはしまうが

そのように見ていたなら、のび太に対して

「所有物マウント」を取る意味もある。

 

 

ドラえもんは人であり

野比家の家族の一員という感覚だからだ。

 

 

まぁ、いずれにしても

のび太ほど恵まれた奴はいないだろう。

 

 

そりゃあ最終的に立派になっていく訳だ。

 

 

 

いま、久しぶりにドラクエ4やってて

とつじょ謎に思ったことがある。

 

 

 

第1章のライアンが戦うラスボスは

「ピサロの手先」っていうヤツだが

倒すとこんなセリフを吐く。

 

 

 

地獄、地獄・・・・ってよぉ~~~~~

 

 

このボスが地獄に行くっていうのは分かる。

スゲーよく分かる。

 

 

子供を誘拐しまくる悪事を働いた怪物が

天国に行くことなんてねぇーからな。

 

 

だが、「待っている」ってどういう事だぁー!?

 

 

ライアンまで死んだら

地獄に行くっつぅのかよぉーーーー!!

 

 

ナメやがって その言葉ァ

超イラつくぜぇーーーーーーー!!

 

 

正義の戦士が地獄に行くんなら

ほぼすべての人間が

地獄行きじゃあねぇーかぁーーーー!!

 

 

地獄で待つっつーんなら

ひたすら待ってみやがれってんだ!

 

 

チクショーーーーッ!!

 

 

・・・・ってギアッチョのごとく

叫んじまったぜぇニヤリ気づき

 

 

 

とにかく、、、、、、

 

 

ピサロの手先の言葉はイミフだ。

 

おそらく地獄でいくら待っても

ライアンは現れないだろう。

 

 

さよなら、ピサロの手先君・・・・ガーン

 

 

 

ドラえもんの最初のストーリーって

覚えているだろうか?

 

 

公式的にはドラえもんには最終回は無く

未だに新しいストーリーを付け加えながら

昭和の時代から継続されているアニメだが・・・

 

 

そもそも最初のストーリーとしては

未来を変える目的で、のび太の玄孫であるセワシが

ドラえもんを過去に連れてくるという物語。

 

 

 

 

簡単に言うと、のび太はダメ人間であり

このまま行くとジャイアンの妹と結婚し

その後もロクな人生を歩まずに

起業しても借金地獄という人生。

 

 

そんな悲劇な人生を変えるために

過去にセワシは戻って来て、

のび太にドラえもんを預けるのだ。


 

だが、ドラえもんの世界観というのは

現代で扱われるの「多元宇宙論」ではない。

 

 

ドラゴンボールとかアベンジャーズみたいな

マルチバースっていう理屈ではないため

バックトゥザフューチャーと同じ考えの

過去から未来は同一ライン上の歴史として

捉える理屈になっている。

 

 

だからこそ、未来を変えることも確かに可能だが

それをしてしまうと、未来の改変により

セワシは誕生しない事になる。

 

 

つまり、のび太はジャイ子の代わりに

しずかちゃんと結婚するのだから

その後の子供たちも大幅に変わって当然だろう。

 

 

それを承知で未来の惨事を変えるため

まだ小学生だというのに

過去にドラえもんを預けに来るセワシって

すげぇな・・・って思った。

 

 

自分の未来が変わるまで

延々手助けに来るっていう律義さ。

 

 

しかし、成功したあかつきには

自分は消えてしまうだろう。

 

 

それを覚悟の上でたびたび過去に戻り

のび太を助けに来るという自己犠牲は

とんでもないホスピタリティだ!

 

 

まぁ、実際は歴史が変わったのに

どういう訳かセワシは存在し続けると言う

矛盾が継続されてしまうんだがね・・・えー

 

 

本来ののび太の史実はヤバかったようだが

唯一の成功はセワシを誕生させた

家系の血筋だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

聖闘士星矢の初期の十二宮編が始まって

それぞれの黄金聖闘士の特徴などが分かってくると

その中でも正義と悪の性格がハッキリしてくる。

 

 

それで昭和のころに、

現代では星座カーストなどと揶揄されるイジメが

流行る原因ともなったのが

 

 

蟹座と魚座だろうな。

 

 

 

 

 

彼ら二人の黄金聖闘士は

 

力こそが正義であり

正義のためには

多少の犠牲は止むを得ない

 

と、合理的かつ、

強い者が正義なのだという理論で

教皇アーレスの行ないが悪だと分かっていても

従っているという描写が為される。

 

 

それ以外の黄金聖闘士に関しては

最初から教皇が乱心して

悪だと気付いて反旗を翻しているか

 

信じ切ってしまっていて

味方をしているかのどちらかであり

 

力ある者だけが絶対の正義とは思っていない。

 

 

そのため、大体星座カーストの対象として

特にイジメられてしまうのは

蟹座と魚座だった感じだ。

 

 

だがね・・・・

 

 

力こそ正義だという主旨を発言していたのは

もう一人いたぞ!

 

 

それは

水瓶座アクエリアスのカミュだ!

 

 

 

カミュも色々とツッコミ所満載な黄金聖闘士だが

とにかく今回の主旨で言うなら

多くの読者が感動したという氷河との最終戦において

シレッと力こそ正義という主旨発言をしている。

 

 

お互いにラストバトルで

オーロラエクスキューションを放ち

相打ちとなって二人とも果てる寸前で

師であるカミュは氷河にこう言ってたのを

みんなは覚えているだろうか?

 

 

ここまでお前が成長できたのも

お前が信じる物が

正しかったからだ!

 

 

つまり、カミュに勝てるほど成長しなかったら

信じる物が正しいとは認められず

それは悪いことになるっていう意味だよな?

 

 

結局、強ければ信じていた事が正しい事にされ

弱ければ何を信じていようと

それは正しくない事とされる訳だ。

 

 

言ってることは

デスマスクやアフロディーテと同じだ。

 

 

だが、当時、星座カーストで

水瓶座がいじめられるなんて見たことが無い。

 

 

それだけ小学生レベルでは

本質を見抜ける奴なんて

いるはずも無かったという話。

 

 

当然だがな。

 

 

まぁ、結局、どう抗おうと

資本主義社会では強ければ生き弱ければ死ぬという

絶対的な真理には抗えないという事かな。

 

 

なんだかんだで、私もカミュや

デスマスク、アフロディーテ派だ。

 

 

 

ん? ミュー自身の星座は何かって?

 

 

 

蟹座だよニヤリキラキラ

 

 

 

 

 

以前から気になってたんだがね。

 

 

ジョジョの第三部

「スターダストクルセイダース」

序盤のことだが・・・

 

 

 

 

ジョジョの第三部からは

ファンならご存知の通り、

スタンドという概念が登場し

現在のジョジョの世界観の大枠を作った感じ。

 

 

そして、そのスタンドというものを

読者にも理解させるために

ある種の自己紹介的なストーリーを

序盤に展開していくのだが・・・

 

 

それは不良だった承太郎が牢屋にぶち込まれ

その中で様々な物体を牢屋に居ながらにして

手にできてしまっている異常さから

一種の超能力的なものを読者に

知らしめていくストーリーとなっていた。

 

 

 

ビールどころか、

ありとあらゆる雑貨などを持ち込む。

 

 

この後、まるで幽霊のような守護霊を出して

自分の分身として操れることが分かってくる。

 

 

そんなこんなで少しずつスタンドという特性を

読者に伝えていくことになるのだが・・・

 

 

後々になってスタンドには

「射程距離」が存在することに気付かされる。

 

 

簡単なセオリーでいうと

パワーが強いスタンドほど近距離タイプであり

パワーが弱いと遠距離タイプになるというもの。

 

 

例外的な自動操縦型の能力などを除き

スタンドはパワフルな能力ほど

遠距離な操作はできない。

 

 

そういうルールがあると分かってきた所で

主人公承太郎のスタンド「スタープラチナ」は

後程、射程距離が2mほどの近距離型と判明してくる。

 

 

ただ、そうなると、序盤の牢屋で見せていた

承太郎のスタンド能力に矛盾が出てくるだろう。

 

 

近距離だったなら、

それこそ、あれだけの物体を

壁などを破壊せずにどうやって持ち込んだのか?

 

 

そもそも牢屋の周辺にありそうも無い物まで

色々と持ち込んでいただろう?

 

 

つまり、あの芸当を行なうには・・・

 

 

遠距離操作ができる能力があり

なおかつ、重い物も持ち上げられるパワーもあり

その上、壁や鉄格子などを破壊しても

仗助のクレイジーダイヤモンドみたく

修復できるような能力まで

備わっていないと不可能なことなのだ!

 

 

それって、メチャクチャ凄いスタンドだ。

 

 

そんな能力は無かったはずだし、

何よりまだ完全に操れていなかった承太郎では

もっともっと不可能だろう。

 

 

まるで発現した直後は

とんでもないスタンドだったが

能力者本人の自我が目覚めてしまったら

一瞬でスタープラチナが退化したかのようだ。

 

 

ちなみに、以前から

読者たちから指摘はされていたのだが、

 

作者の荒木先生は、

読者にキャラクターを強く印象付けるため

最初の初登場シーンを後先考えず

つい強烈に誇張して書いてしまうクセがあるw

 

 

最初と途中で、キャラの性格などまで

変化してしまうことも良くあること。

 

 

まぁ、ジャンプ黄金期の作品には

良くあるパターンってヤツだな。

 

 

とりあえず、そんな矛盾を探しながら

漫画やアニメを見るのも楽しかろう。

 

 

さて・・・次は何が見つかるかな~。

 

 

 

私が好きなマンガの中に

ダイの大冒険っていう作品がある。

 

 

 

 

まず私が評価に値すると思う作品は

ストーリーに大きな矛盾が無いこと。

 

 

また、無理やりで贔屓目線な考察をしなくても

十分な道理が通るストーリー展開であること。

 

 

そういう意味において

ダイの大冒険は非常に内容が洗練されている。

 

 

後付けの設定もあったとは思うが

かと言って無理やり感は無く、

しっかり後々に伏線をきれいに回収していく。

 

 

まぁ、お気に入りの主観定義はそれくらいにして

今回伝えたい話っていうのは

多くの人が本質を見失い、

世の中の常識にとらわれ過ぎてるって話だ。

 

 

それはダイの大冒険のストーリーの

初期に見られたポップのようなもの。

 

 

ダイの大冒険をマンガなりアニメなりで

しっかり見ていた読者であるなら

伸びしろ最強のポップについても

知っているだろう。

 

 

 

魔法使いのポップは、物語初期のころ、

臆病で仲間を見捨てたりしていた。

 

 

そんな彼も、少しずつ成長していき

最後には無くてはならない重要キャラへと

大きなレベルアップを遂げるのだが・・・

 

 

大きなレベルアップを図るキッカケの1つが

師匠となるマトリフとの出逢いだろう。

 

 

師匠のマトリフは、ポップに瞬間移動呪文である

「ルーラ」の習得修行を課す。

 

 

しかし、当初のポップは

ルーラの修行に関して不満に思っており

戦いの役には立たないと愚痴を漏らす。

 

 

そんな戦いの本質を欠いたセリフを吐くポップに

師匠のマトリフが激昂するのだ!

 

 

 

 

 

 

そう、単純に敵を倒す魔法だけが必要ではなく

ピンチから脱する魔法も、また必要であること。

 

 

しいては、それが勝利へとつながっていく!

 

 

何事も同じことなのだが

物事の本質をつかまないと

木だけを見て、森を見ない現象に陥る。

 

 

なぜみんな仕事をしているのか?

 

 

そこに色々なキレイ事の理屈を並べ立てる奴が

世の中には数多く存在するがね・・・

 

 

しかし、要は単純なこと。

 

 

仕事をする理由はお金を稼ぐためであり

しいては、生活するため、生きるために

結局労働をしているのだ。

 

 

だが、雇われの仕事をしている人は

日々、不満だらけの生活を送っていないか?

 

 

自分が選択したはずの人生なのに

愚痴を毎日のようにこぼす。

 

 

居酒屋なんかに行けば

サラリーマンたちの会話など

そんな話題で持ちきりだろう。

 

 

愚痴を言ってるのもカッコ悪いのだが

パワハラだモラハラだなんていって

その問題が深刻になっていくと

ついには鬱になってしまったり

場合によって自殺なんて事にもつながる。

 

 

楽しく、幸せな生活を望み

日々、お金を稼いでいたはずが

そんなことになってしまうなら

本末転倒な結末とは思わないだろうか?

 

 

だから私は思う。

 

 

そんなに愚痴るほど嫌な仕事ならば

辞めてしまえと。

 

 

もっと自分自身が輝ける稼ぎ方を選択し

自分の人生が楽しめる状況に持って行けるよう

どうせなら努力したらどうか?ってね。

 

 

そうでないと、一体、なんのために

毎日大変な思いをして働いてるのか

意味が分からなくなってしまう。

 

 

自分は少なくともそう思ったから

ネットビジネスに手を出して

個人事業主として早々に会社は辞めた。

 

 

そして、いつの間にか投資家となり

ある種の利息生活となって

何もしなくても勝手にお金が増える

生活になっていった。

 

 

雪だから出勤したくないって?

台風が近づいてくる?

暑すぎてヤダ?

満員電車がキツイ?

 

 

ぜーんぶ脱サラしてりゃあ関係ないこと。

 

 

まぁ、価値観によるとか言う奴も多いが

ホントに今の仕事とかを永久に続けるのが

自分の価値観として最適な選択なのか?

 

 

そうだと言うなら、なんで愚痴る?

 

 

最適ならば、1つも愚痴が出ないほど

自分が幸せになる選択でないとおかしい。

 

 

ある人が周囲に愚痴を漏らせば

それは地獄言葉だ・・・

なんて言ってたけど、本当にその通りだと思う。

 

 

そんな事をしていても本質は変化しない。

 

 

行動・環境・手段を変えなきゃ

実情に変化は無いって気付こうぜ!

 

 

自分は下記の環境のおかげで

とんでもなく変われた!

 

⇒ 最短で不労所得を得る方法

 

 

※私と同じ環境で自分の理想生活を手に入れよう

 

 

何も行動を変えずに愚痴ってるだけなら

ただの負け犬と変わらんし、悔しくないか?

 

 

 

なんか大きな勘違いをしてる人がいたので

ハッキリ明言しておくことにする。

 

 

ビジネスで成功し、

大きな経済力を手にするのに

とてつもない努力が必要なのか?汗

 

 

答えは全然必要ない!

 

 

すでに私が紹介したビジネスですら

体験した人はお気づきだろう。

 

 

「え? こんなんで稼げちゃうの?」・・・とニヤリ

 

 

正直、私の見解からすれば

小学生低学年でも教えればできる知識で

たとえば年収1000万円以上になるなんて

簡単な事だと思ってる。

 

 

でも、多くの人はもっともっと

大人ならではの大変な努力をしていても

そのレベルにすら、辿り着かない人が

日本には全体の95%以上という統計だ。

 

 

ボクシング漫画で有名な「はじめの一歩」にて

こんな名ゼリフがあるのをご存知だろうか?

 

 

 

 

これはスポーツなどの世界においては

本当に正しいと思う。

 

 

よっぽどの天才は置いといて、

オリンピックなどで金メダルを取る奴っていうのは

メチャクチャ練習とかしまくってるだろう。

 

 

しかし、ビジネスにおいては

まったく当てはまらない!!

 

 

 

努力したら稼げるのではなく

いかに情報を知っているか?

 

 

ただ、それだけ!

 

 

簡単に例えるなら

どんなに勉強をしまくって偏差値を上げて

東大に合格できるように頑張ろうと

 

もし、当日の試験問題と解答を

事前に把握してる奴がいたら

確実に合格するのはそいつだ。

 

 

ビジネスというのは

そういう出来レースに参加する情報を

結局少ない自己投資でゲットして

大きな勝利を得るゲームみたいなもの。

 

 

そこに早く気付いて情報を得た者が

ササッと社畜人生から抜けて行く。

 

 

努力すれば稼げるのではない。

バカでも稼げるイージーな環境に行くだけ。

 

 

そして、そこへ行くための地図をゲットするだけ。

それが言うなれば大切な事だろう。

 

 

そこに何人、気付けるかな?

 

 

だって、私が投資で

不労所得を得られるようになったとは言え

大した努力なんてしてない。

 

 

たぶん、私の読者たちのほうが

日々いろいろと努力していると思う。

様々な事に対して頑張っていると思う。

 

 

でも、努力していない私のほうが

おそらく収益は高い。

 

 

年収1億円ちかく勝手に行く。

 

 

やってる事はスマホでタップしてるだけ。

そして、放置・・・・。

 

 

とくに何もしてない。

 

 

それを努力というのか?

 

 

いや、言わないだろうね。

 

 

ズルイとか、卑怯とか、思ってないで

自分の欲望に素直になって

早く稼ぐ武器を使いこなしちゃったほうが

人生の勝ち組ってだけだよ。

 

 

努力すれば報われるのは

スポーツとかの純粋な勝負の世界だけ。

 

 

ビジネスの世界では努力と経済力は

必ずしも比例しないって覚えとくといい。

 

 

そして、もう答えは出してあげてるから。

 

経済力が単純に欲しいなら

こちらの環境を利用して稼ぐだけ!

 

⇒ 努力をせずに不労所得を手に入れに行く

 

 

東大に合格したり

弁護士になるような司法試験に受かる努力なんて

まったく必要なく彼らより年収高くなれるからw

 

 

 

 

 

ちょっと漫画や最近の映画などからは離れ

古い短編小説についてモノ申したい。

 

 

今回はコレだ。

 

 

 

 

この杜子春(とししゅん)は記憶をさかのぼれば

中学時代の国語の教科書で知った小説だが

作者が芥川龍之介だけに

世間的にも有名な小説であろう。

 

 

簡単にストーリーをおさらいすると・・・

 

 

杜子春というグータラ人間がいるのだが

仙人の援助によって

2回も大金持ちにしてもらえる。

 

 

しかし、その2回とも贅沢三昧をつくし

結局、2回とも破綻して浮浪者になり果てる。

 

 

その2回の破綻で理解したことは

金の切れ目が縁の切れ目だという事。

 

 

金があるうちはチヤホヤされるが

それも無くなれば誰からも軽くあしらわれ

最終的には人間不信になってしまった。

 

 

人間に嫌気がさした杜子春は

今度は仙人になろうと

2度も救ってくれた仙人に対して

弟子入りを志願する。

 

 

だが、仙人になるための最初の修行が

自分が留守の間は

 

何があっても言葉を発してはならぬ!

 

という謎の修行内容。

 

 

どんな魔物が襲ってこようと、

地獄に引きづりこまれようと、

鬼たちに拷問を与えられようと、

 

杜子春は言葉を発せず、耐え抜くのだが・・・

 

 

最終的には自分ではなく

杜子春の両親が地獄で苦しめられる姿を見せられ

とうとう耐え切れずに言葉を発してしまう。

 

 

そこで修行は終わってしまうのだが

仙人は自分の両親が酷い目に遭わされても

自分が仙人になるために掟を優先したのなら

杜子春を殺す予定だったと暴露する。

 

 

そこで杜子春は言う。

 

仙人なんかになれなくても構わない。

これからは真面目につつましく生きていくと。

 

 

それを聞いた仙人は

杜子春に人間界で使っていた家と畑を与え

これからは真面目に働いて

暮らしていくよう伝えて去っていった。

 

 

・・・・・という話なんだがねニヤリあせる

 

 

 

なんなの?

 

その100%仙人になれないっていう

謎のバッドエンド確定のゲームは?ガーンハッガーン

 

 

 

おそらく早々に音を上げていたら

情けないヤツだと破門を食らうだろう。

 

 

かと言って、両親が苦しむ姿を見ても

仙人になるために必死で耐え続けたら

師匠に殺されるんだよね?

 

 

ぜってぇー無理ゲーじゃん笑い泣きDASH!

 

 

ハナから仙人にする気ゼロだろ!チーン

 

 

まったく持ってイミフだ。

 

 

まぁ、分かるよ。

 

本来、この杜子春から得られる

道徳的な学びというのは

 

 

そもそも大金にかまけて

まともな人間関係を築かなければ

簡単に人は去っていく・・・とか、

 

両親を大切にすることこそが

何よりも素晴らしい恩返しだとか、

 

真面目に働かなければ

結局、手元に価値あるものは残らないとか、

 

 

まぁ、色々と無理くり学びがあると

イメージすることは可能なんだが・・・

 

 

仙人になる事は100%できない設定だ。

 

 

ただ、現代までに似たようなシチュエーションの修行が

色々なアニメなどで良く見られる。

 

 

今回の杜子春のように

まるでひっかけみたいな修行内容ではなくて

 

ストレートに忍耐を試す修行って

まあまあ存在する。

 

 

そして、その手の修行内容に有りがちなのは

たいてい自分の大切な人が敵になって現れる。

 

 

基本的にそれは師匠的存在の人物が

幻覚魔法などを使っていたりして

そういうシチュエーションを

作ってる事が基本なのだが・・・

 

 

それらの試練に引っ掛けなどは無く

辛くても倒さなければ

こっちが殺されるケースが一般的。

 

 

シンプルに惑わされることなく

忍耐、精神、本質を見抜く訓練として

たびたび見かける事が多いのだが・・・

 

 

杜子春はカンペキなるムリゲー!

 

 

結果論から言えば、師匠となった仙人は

真面目に杜子春が働くようになるか

最後まで掟を守ったために殺されるかの

どっちかしかない・・・えーガーン

 

 

なんかシャクゼンとしないな。。。ショボーン汗