ちょっと漫画や最近の映画などからは離れ

古い短編小説についてモノ申したい。

 

 

今回はコレだ。

 

 

 

 

この杜子春(とししゅん)は記憶をさかのぼれば

中学時代の国語の教科書で知った小説だが

作者が芥川龍之介だけに

世間的にも有名な小説であろう。

 

 

簡単にストーリーをおさらいすると・・・

 

 

杜子春というグータラ人間がいるのだが

仙人の援助によって

2回も大金持ちにしてもらえる。

 

 

しかし、その2回とも贅沢三昧をつくし

結局、2回とも破綻して浮浪者になり果てる。

 

 

その2回の破綻で理解したことは

金の切れ目が縁の切れ目だという事。

 

 

金があるうちはチヤホヤされるが

それも無くなれば誰からも軽くあしらわれ

最終的には人間不信になってしまった。

 

 

人間に嫌気がさした杜子春は

今度は仙人になろうと

2度も救ってくれた仙人に対して

弟子入りを志願する。

 

 

だが、仙人になるための最初の修行が

自分が留守の間は

 

何があっても言葉を発してはならぬ!

 

という謎の修行内容。

 

 

どんな魔物が襲ってこようと、

地獄に引きづりこまれようと、

鬼たちに拷問を与えられようと、

 

杜子春は言葉を発せず、耐え抜くのだが・・・

 

 

最終的には自分ではなく

杜子春の両親が地獄で苦しめられる姿を見せられ

とうとう耐え切れずに言葉を発してしまう。

 

 

そこで修行は終わってしまうのだが

仙人は自分の両親が酷い目に遭わされても

自分が仙人になるために掟を優先したのなら

杜子春を殺す予定だったと暴露する。

 

 

そこで杜子春は言う。

 

仙人なんかになれなくても構わない。

これからは真面目につつましく生きていくと。

 

 

それを聞いた仙人は

杜子春に人間界で使っていた家と畑を与え

これからは真面目に働いて

暮らしていくよう伝えて去っていった。

 

 

・・・・・という話なんだがねニヤリあせる

 

 

 

なんなの?

 

その100%仙人になれないっていう

謎のバッドエンド確定のゲームは?ガーンハッガーン

 

 

 

おそらく早々に音を上げていたら

情けないヤツだと破門を食らうだろう。

 

 

かと言って、両親が苦しむ姿を見ても

仙人になるために必死で耐え続けたら

師匠に殺されるんだよね?

 

 

ぜってぇー無理ゲーじゃん笑い泣きDASH!

 

 

ハナから仙人にする気ゼロだろ!チーン

 

 

まったく持ってイミフだ。

 

 

まぁ、分かるよ。

 

本来、この杜子春から得られる

道徳的な学びというのは

 

 

そもそも大金にかまけて

まともな人間関係を築かなければ

簡単に人は去っていく・・・とか、

 

両親を大切にすることこそが

何よりも素晴らしい恩返しだとか、

 

真面目に働かなければ

結局、手元に価値あるものは残らないとか、

 

 

まぁ、色々と無理くり学びがあると

イメージすることは可能なんだが・・・

 

 

仙人になる事は100%できない設定だ。

 

 

ただ、現代までに似たようなシチュエーションの修行が

色々なアニメなどで良く見られる。

 

 

今回の杜子春のように

まるでひっかけみたいな修行内容ではなくて

 

ストレートに忍耐を試す修行って

まあまあ存在する。

 

 

そして、その手の修行内容に有りがちなのは

たいてい自分の大切な人が敵になって現れる。

 

 

基本的にそれは師匠的存在の人物が

幻覚魔法などを使っていたりして

そういうシチュエーションを

作ってる事が基本なのだが・・・

 

 

それらの試練に引っ掛けなどは無く

辛くても倒さなければ

こっちが殺されるケースが一般的。

 

 

シンプルに惑わされることなく

忍耐、精神、本質を見抜く訓練として

たびたび見かける事が多いのだが・・・

 

 

杜子春はカンペキなるムリゲー!

 

 

結果論から言えば、師匠となった仙人は

真面目に杜子春が働くようになるか

最後まで掟を守ったために殺されるかの

どっちかしかない・・・えーガーン

 

 

なんかシャクゼンとしないな。。。ショボーン汗