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名鉄谷汲線 (岐阜県/黒野-谷汲) その4

●「谷汲線」の廃線探索は今回から後半戦へと入って行きます。
今回は山間部へ差し掛かりこの外周を回るコースで二つの駅を辿ります。

 

前回最後の地点、「八王子坂駅」跡を少々出た地点の廃線跡です。
外側を向くガードレールに石垣、廃線ムード満点です(黒野方面)。

 

そこから1Kmも進まないうちに次駅へ到着しました。
「北野畑(きたのばた)駅」です。かなり荒れているようです。

 

「駅入口」があったと思われる部分から、ちゃんと入りました(笑)。
しかしこの駅は他に比べると荒れ方が酷いです。まともに地面を歩けません。

 

ホームまで来ました。黒野方面です。左側、柵のある部分から先には
かつては立派な駅舎が建っていたのですが今は残されておりません。残念。

 

下り線側の廃線跡です。このような有様で軌道上へ降りるのも憚られる状態です。

しかしホーム上には雑草に見え隠れしながら現れる白線に嬉しさがこみ上げます😆

 

ご覧のようにホーム上にまでかなりの雑草が侵食しています。良く考えたら
コンクリート上なのに。雑草って凄い力ですね。「雑草魂」とはよく言ったものです。
 
ちなみに。2021年10月現在のようすがこちら。なんぞコレ?随分と綺麗にされて・・・
というか私有地のように行き届いた管理のされ方なんですケド。これはいったい?😅
 

では先へ進みます。山の外周を回るルートも間もなく終盤です。駅を出ると

これまで一緒に沿って進んできた「根尾川」がすぐ脇にまで迫ってきます。

 

すると橋台跡を発見。後ろの左へカーブする廃線跡もグッドです。
この付近は自然もタップリ、車窓からの景色もさぞ美しかったことでしょう。

 

次駅「赤石(あかいし)駅」跡へ到着です。残念ながらホームはありませんがよく見ると
盛り土が残りホーム跡がハッキリと分かります。なお奥にある山の左側を走ってきました。

 

では盛り土ではありますが「アレ」をやりましょうか。「ホームで列車を待ってみました」ですw
ちなみにボカシてある部分はお墓でして・・・どうもお騒がせしてすみませんでした。m(_ _)m

 

駅土台をよく観察すると・・・こんなものを発見。これはひょっとして待合室の跡では?
そして更に盛り土と思われていたホーム跡、実はアスファルトであり半分残っていたのです!😂

 

このサプライズに涙しながら引き続きホーム上から谷汲方面を見ます😭
それにしてもステキ★すぎる景色ですねぇ。個人的に大好きな絵です😍

 

先へ進みます。これまで山の外周を進んできましたが実は当初はこの山をブチ抜いて

「稲富-明石」間をトンネルでという構想がありましたが資金難により実現はなりませんでした。

 

橋梁跡に差し掛かりました。こちらは「管瀬川橋梁」跡です。でもこの川の名って

「根尾川」では?と思って調べたら、しっかりと「根尾川」の支流に属していました。

 

ではこの付近の状況を空撮で確認してみましょう。橋が架かって
いるのが分かります。また偶然にも列車が走っているのも見えます😝

 

「管瀬川橋梁」から先の廃線跡です。この後も次の駅まで、このような
築堤状の廃線跡が続きます。 この築堤が終わると間もなく次駅到着です。

その4は以上となります。次回はいよいよ最終回、「谷汲駅」までの廃線跡を辿ります。

名鉄谷汲線 (岐阜県/黒野-谷汲) 最終回

●「揖斐線」「谷汲線」と続いた名鉄シリーズ(全13回)も今回が最終回、
もちろん終点「谷汲駅」までを辿ります。今回は大量追加版です、ではどうぞ。
 
「長瀬駅」跡へ到着しましたが、何も残っておりませんでした。なので場所を
特定するのも少々迷いました。しかしこの広さで1面1線の駅なんですよね。
 
「駅跡はここだ」と特定できたのは、実はコレのおかげなんです。
現役時代からある「自転車置き場」らしいんですよね、助かりました。
 
ではこの付近を空撮で確認してみましょう。これは現在と1975年との比較ですが
現在は自転車置き場以外はありません。駅入り口のようなものはハッキリ見えますね。
 
では次の駅へ行きましょう。実はこの付近が戦時に休止となった
「長瀬茶所(ちゃじょ)駅」跡の筈なんですが・・・特定できませんでした😪
 
では先へ進みます。いよいよラストスパートで、ここから先は左にある
県道号(西美濃もみじ街道)と並行して走ります。そしてこの先にも前駅同様・・・
 
ひと足お先に廃止(1990年)となった「結城駅」跡があり、山際にありました。
右側に駅跡のようなものが見えますが、正直場所は特定できておりません。
 
ただ、距離票的にも駅の記録を調べてみてもほぼ状況は一致しているので
可能性はかなり高いと思われます。写真は山際の森を抜け振り返った一枚です。
 
そして最後の直線、約600mほど進むと遂に終点、「谷汲駅」に到着です。写真はどうやら
ヘッドマークらしいのですが、実際に使われていたものかどうかは不明です(現在は消失?)。
 
そして駅の西側へ回ると・・・どどぉ~ん!なんぞコレ !? 「谷汲駅」入り口が登場する
ワケなんですが、谷汲線って9年前(当時)に廃止になったんですよ、ね?でもこれって・・・
 
あまりの「現役」ぶりに驚愕です。「残っている」とは聞いていましたが、ここまで
完璧に残っているとは思ってもいませんでした。なので喜びも一塩、大興奮です😂
 
す、スゴイ、凄すぎます! 現役さながらの状態ではないですか、コレ?
もう夕方ということもあり人も居ないので、ジックリと拝見させていただきます😁
 
駅構内にはこのような絵が飾られていました。送られたものでしょうか。
素晴らしいですね。おや?奥に見えるのは・・・気になりますね、見てみましょう。
 
佇む車両でした。もちろん現役時代に活躍していた車輌でしょう。
大事に保存されている様子が伝わってきます。しかし細いですね。
 
運転席の様子です。中へ入ることは出来なかったのですが、
自分は見ても意味不明のチンプンカンプンなんでこれで十分です😅
 
反対側からの撮影です。ところで行き先が「新岐阜」となっていますが、
「黒野駅」から先の「市内線直通線」があったということでしょうかねぇ?
 
それでは終点谷汲駅の空撮を見てみましょう。やはり現役時(しかも1975年!)と
ほぼほぼ変わらない様子が見てとれます。もうすぐ半世紀が経とういうのに凄いです。
 
ホーム先端へ移動しました。もちろん黒野方面です。
恐らく現役時代とさほど変わらぬ景色なんでしょうね。
 
振り返ってホーム全体を撮影します。
末期はこの左側のホームしか使用していなかったようです。
 
そしてこちら側のホームには全体を赤く塗った車輌が
置かれていました。こちらの行き先表示は「黒野」ですね。
 
反対側です。こちらは「谷汲」になってました。これがデフォなのかな?
ちなみに光の加減で色が違って見えますが、もちろん間違いなく同じ車両です。
 
では最後に。この「谷汲駅」跡には資料室(旧待合室です)が
設けられています。こちらは廃線当日のようすですね。すごい混雑です。
 
残念ながら資料室は閉まっていましたが、中の様子は窺えました。
ところでこの駅、やたら新しいと思ったら立て替えてまだ5年だったそうです。
 
以上、谷汲線の廃線探索レポートでした。「揖斐線」と合わせての感想ですが
非常に辿り易く遺構も多い、そして非常に魅力タップリで最高の廃線跡でした😍

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その1

●データ 【所在地】宮城県登米市~栗原市 【運営キロ】25.7Km
【開業】1921年(大正10年)12月20日 【廃止】2007年(平成19年)4月1日
【魅力】まだ新しい廃線跡ということで遺構の数は申し分ありません。
 ただしほぼ全ての駅の撤去が進むなど管理体制を見ると、
 遺構減少に加速も・・・。 【訪問日】10.07.24


当HPでは最北端となる宮城県へやって来ました。もちろん宮城県も初上陸です。
「くりでん」の愛称で親しまれた「くりはら田園鉄道(線)」の
廃線跡探索にやって来ました。前日に宮城入り、
「くりこま高原」駅近くのホテルで一泊し、当日はレンタカーを借りて回りました。
 
この「くりでん」は2007年の廃止と、廃線跡としては「最新」の部類に入ります。
そのため遺構の数的には申し分のない廃線跡となっています。
ただし清算手続きがしっかりしているせいか遺構撤去のスピードも早く、
現在残る遺構も何時まで残っていてくれるのかは微妙なところです。

とはいえ、回ってみて気付いたのは「くりでん」に対する愛情なのか、
遺構保存運動も強いようで完全に痕跡が無くなることは無さそうです。
その例として現在、駅のホーム等は殆ど全てが撤去されてしまいましたが、
その駅のあった場所ひとつひとつに記念碑が建てられています。
 
ちなみに余談ですが、この「くりはら田園鉄道」を名乗ったのは1995年からで、
それ以前は「栗原電鉄」でした。ただ愛称は「くりでん」のままな訳で、
当時は上手く「愛称を変えずに名称を変えた」んだなぁと思わず
勘ぐってしまいました。もちろん私の勝手な想像ですが、案外そうだったりして?
 
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では今回の道のりをご紹介しましょう。スタートは「石越駅」で、
西にある「細倉マインパーク駅」を目指します。
 
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こちらは出発前、ホテルの窓から撮った一枚です。
どうです、青い空に白い雲、なんという良い景色でしょう!
 
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こちらは「くりこま高原駅」で新幹線専用駅です。何気なく撮った一枚
でしたが、まさかこれから借りるレンタカーが正面に写っているとは(笑)。
 
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そして車を借りて移動すること約20分、今回の出発地、JR「石越駅」へ
到着しました。さて、「くりでん」の「石越駅」はドコでしょうね。
 
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JR東北本線の「石越駅」入口脇に案内板を発見。「あるかなぁ?」と
思ったら、やっぱり。旧名「栗原電鉄」としてそのまま載ってました。
 
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では行ってみましょうか。こちらが「くりでん」の「石越駅」跡です。
残念ながら駅舎は既に撤去済みで、何も残っていませんでした。
 
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しかし嬉しいことにホーム跡が健在でした。線路のあった部分は
埋め立てられてしまいましたが、その奥にあるのはまさしくホームです。
 
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この位置に駅舎はあったようです。本当に何ありませんでした。
 
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でも。ホームがあるなら「アレ」をやりましょうか。
「(ホームで)列車を待ってみました」シリーズです(笑)。
 
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ホーム前は埋め立てられてしまいましたが、しかしその先はレール健在。
切断された切り口にはご丁寧にタイヤのゴムが取り付けられています。
 
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先へ伸びる赤錆びたレール。これぞ廃線跡です。恐らく架線柱を
撤去された以外は、当時とほぼ変わらないの景色ではないでしょうか。
 
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ローアングルで撮ってみました。結構好きな構図なんですよね。
天気も良いので、この廃線跡がクッキリと良く映えます。
 
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では「石越駅」跡を離れ先へ進みます。奥に見えるのは東北本線です。
また、ご覧のように鉄道標識は各所でそのまま残されています。
 
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こちらは「石越駅」跡へ向かう最後の右カーブ入口です。
「制限、35」とでも言ったのでしょうか。
 
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「ガタンガタン」。列車の音が聴こえてきました。ま、まさかココ!?
なんてね(笑)。東北本線を走る貨物列車でした。
 
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この左カーブを曲がると、最初の駅「荒町駅」跡となります。ところで、
この駐禁マークは一体?車が通るような道ではないんですけどね。

その1は以上です。今回は全部で18の駅を回る予定で、間違い無く長編となるでしょう。
現在は全8回で収める予定ですが、場合によってはもう少し伸びるかも知れません。
ひょっとしたら過去最長も・・・ということで次回は「荒町駅」~「若柳駅」を探索致します。

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その2

●「くりでん」の第二回です。今回は「荒町駅」を経て夜間の
車輌停車場にもなっていた「若柳駅」までの探索編です。ではどうぞ。
 
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早速「荒町駅」跡へとやって来ました。残念ながら解体済みでした。
 
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実は事前情報によると、ほぼ全ての駅は解体されてしまったそうです。
と、その代わりに記念碑があるそうです。コレは駅跡確認に助かりますね。
 
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こちらは「荒町駅」前にあったと思われる踏切跡です。
右手が「荒町駅」で、踏切部分は舗装し直されて痕跡はありません。
 
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では次の駅、「若柳駅」跡へ参りましょう。こちらは駅舎も
ホームも健在です。本社や車輌基地があったからでしょう。
 
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しかし、いざ到着してみると、事前情報とは些(いささ)か違う部分が。
駅は西側で寸断され、中へは入れないように施されていました。
 
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こちらは駅舎の中を外から撮影しました。
当時の運賃表(若柳起点)がそのまま残されていました。
 
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こちらは何でしょう? 奥の丸っこいゲージのあるヤツです。
駅名が入っていたのですが自分にはサッパリ。電報、じゃないよね?
 
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駅舎横には真新しい記念碑が建てられていました。
それもその筈で日付を見れば、建てらえたのは先月でした。
 
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こちらは駅東側からの撮影です。中に入ろうと思えば余裕で
入れましたが、どうも気が進まず遠くからの撮影で我慢しました。
 
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そしてこちらがホームをブッタ切って造られた道路です。
少々つらい光景ですが、逆に残されていることに感謝でしょうか。
 
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今度は西側からの撮影です。こちらもロープ一本で立ち入り禁止を
促しており、どうも入り辛い雰囲気なので今回も遠くから撮影します。
 
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中にはこのように当時活躍した車輌たちが静かに眠っています。
ちなみに一部は動態保存されているそうです。
 
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では道路より向こうの探索を致しましょう。ちなみに申し遅れましたが、
同駅は先月6月13日、「鉄道公園」として生まれ変わったそうです。
 
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道路に寸断され、残った「線路の切れ端」が点在しています。
ちなみにこの付近は、車輌基地でした。そして、ここで振り返ると・・・
 
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そこには「くりでん」くんが眠っていました。ただ、中へは入れません。
ちなみにヘッドライトはカンテラをモチーフにしたそうです。
 
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横から撮影。「OH!バンデス号」と書かれています。この意味は
DVD、『さようなら くりはら田園鉄道』を観れば謎が解けます。

その2は以上です。次回は少々スピードを上げ、
4つ先の駅「沢辺駅」までの廃線跡をご紹介致します。

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その3

●くりはら田園鉄道の第三回目です。今回は「若柳駅」を出発して
4つ先の駅、「沢辺駅」までを辿ります。ではご覧下さい。
 
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「若柳駅」跡構内、西端部分です。そこにはボロボロになった貨車が。
ただその上には真新しい屋根が。何故、このような処置を?
 
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ではそろそろ「若柳駅」跡を出発しましょう。再びここから単線となり
先を目指します。腕木式というやつでしょうか。信号機が残っています。
 
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「若柳駅」を出て1.5Km、次の駅「谷地畑(やちはた)駅」跡へ到着しました。
ここにも記念碑が建てられています。駅は線路の右側にありました。
 
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こちらは「谷地畑駅」跡のやや「若柳駅」跡寄りから撮影しています。
このように鉄道施設が所々に残されています。
 
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では先を急ぎましょう。次の駅は「大岡小前駅」跡です。
実は1995年に建てられた新しい駅で、僅か11年半の実働でした。
 
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こちらは「大岡小前駅」跡を少々出たところです。この付近はのどかな
田園地帯を真っ直ぐ突っ切る区間が続きます。おや?あの高架は?
 
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「東北新幹線」の高架です。実は当初、この「くりでん」との接続駅の話が
あったようですが、こじれて頓挫、接続の夢は叶わなかったそうです。
 
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「くりこま高原駅」がここにあったなら・・・残念な話ですね。
ところでその向こうには「東北自動車道」の高架が見えています。
 
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次の駅、「大岡駅(石岡方面)」跡です。記念碑の位置に駅がありました。
以前は交換可能駅でもあり、反対側奥にもホームがありました。
 
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今度は「沢辺駅」方面を見て撮影しています。奥の高架は「東北道」で、
この駅は「新幹線」と「東北道」の間にある駅でした。
 
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「大岡駅」跡を離れ、「東北自動車道」の下までやって来ました。
「くりでん」のために設けられた高架下のスペースが、空しく残ります。
 
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振り返って撮影します。画像では分かり辛いのですが、
先ほど立ち寄った「大岡駅」跡が見えています。
 
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今度は「沢辺駅」跡、駅前へやって参りました。今は取り壊されて
しまいましたが、この正面・やや右側に立派な駅舎がありました。
 
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駅跡へ入ります。ナント、予想外にもまだホームが健在でした。
ただし、いずれは撤去・取り壊されるという話も聞こえてきます。
 
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「ホームで列車を待ってみました」シリーズ、石越方面です。2面3線の
駅でしたが、もう片方のホームは既に撤去されてしまったようです。
 
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この渡りを使い反対側ホームへ移動したようです。またくりでんでは
珍しい有人駅で、末期まで列車交換が行われていたようです。


以上「若柳-沢辺」間の探索でした。
次回は「津久毛(つくも)-鳥矢崎(とやさき)」間、3駅を辿ります。