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くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その4

●第四回です。今回は3つの駅、距離にして僅か2.4Kmの
区間ではありますが、これらの駅をご紹介致します。
 
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まず最初は「津久毛駅」跡です。「つくげ」ではなく「つくも」と読みます。
駅舎は健在でしたが、実際に使われていたのは左の白い部分だけでした。
 
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これまで通り、ホームのあったところに記念碑が建っていました。
かつては交換駅だったのか、やや「石越側」にもホームがあったそうです。
 
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「津久毛駅」跡を出発したところです。「13Kmポスト」がありました。
奥に小さく見えているのが駅舎です。
 
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場所は変わり、今度は間もなく「杉橋駅」跡へ到着しようかと
いう辺りです。ご覧のように標識も手つかずで残っております。
 
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小さな橋梁がありました。しかし中央にはやや綺麗な「渡し」が。
「通行用」でしょうか、生活道として使われている感じもします。
 
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「杉橋駅」跡、到着直前です。右奥のスペースが駅跡になります。
注目は鉄道標識。裏側も利用し、両面を使えるようにしています。
 
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そして反対を見ると、制限「45」の文字が。この路線では、ほぼ全線で
このような使い方をしています。単線路線は、このような使い方が多いようです。
 
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「杉橋駅」跡へ到着です。やはり綺麗サッパリ片付けられていました。
別に残しておいてもいいのにね。やはり危ないからでしょうか。
 
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そして「杉橋駅」跡を出るとすぐに橋梁を渡ります。
小さな橋梁ですが、「石越駅」を出発してからは最大の橋梁です。
 
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「鳥谷川橋梁」です。ただ不思議なのが渡る川は「鳥沢川」なのに、
橋梁名は「鳥谷川」なんです。この疑問の解ける方、募集中です(笑)。
 
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反対側へ来ました。架線柱を取り除いてしまった以外は、
ほぼ当時の景色を維持していると言っても良いでしょう。
 
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「鳥谷川橋梁」を渡ってすぐの踏切跡です。
何にクローズアップしているかは、お分かりですね。
 
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ふと気付けば雲行きが怪しくなっていました。スコールが来そうです。
車内からの撮影ですが、既に雨粒がフロントガラスに数滴付いています。
 
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もうあと数百メートルで次駅というところです。
雨はポツリポツリですが、雨粒は確実に大きくなっています。
 
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次駅、「鳥矢崎駅」跡へ到着しました。やはりホームのあった場所に
記念碑が建てられています。あの注意書きは先ほどと同じですね。
 
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「石越駅」方面です。左側がホームのあった場所です。しかしいよいよ
雨が激しくなってきました。手の平でレンズを覆いながらの撮影です。


以上「津久毛-鳥矢崎」間の廃線跡でした。しかし雨が強くなり
面倒なことになって来ました。最小限で止んでくれると良いのですが・・・。

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その5

●「くりでん」編も前回でようやく中間点を迎え、今回より後半戦へと突入します。
しかし、前回の終盤で雲行きが怪しくなり雨が降り出してきてしまいました。
最小限の雨量で止んでくれると良いのですが。では続きをご覧下さい。
 
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前回の続きで、まだ「鳥矢崎(とやさき)駅」跡・西側に居ます。
雨はいよいよ強くなり、雨粒が右側の池の水面を強く叩いています。
 
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「厄介なことになったな」と思いつつ、先へ進むとアラ不思議。
雨が小降りになってきました。画像は16Kmポスト付近の踏切跡です。
 
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間もなく「栗駒駅」跡へ到着します。そして雨は完全に止んでくれました。
ところで、制限の「25」は解るのですが、下の「主」とは何でしょう?
 
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ポイント部分をローアングルで撮影。しつこいようですが、私の好きな
アングルです。ちなみに末期は、主に左の路線を使用していたようです。
 
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「栗駒駅」跡へ到着しました。ホームはやはり取り壊されていました。
しかしその代わりに正面には「17Kmポスト」が存在感を出していました。
 
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「栗駒駅」跡・ホームです。乗客はこの通路を使いホームへ向かいました。
末期は主に右側(南側)のホームを使用していたようです。
 
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そしてその島式ホームの先、右側にもホームが存在、このホームの上に
大きな駅舎がありました。普段は使われることは無かったようです。
 
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振り返って(石越方面)駅構内を見渡します。
右側の線路は側線で、左側の線路を列車は往来しました。
 
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大きな駅舎のあったホームより撮影。本当は「列車を待ってみました」
シリーズのつもりでで撮影したのですが、使ってなかったみたいですね。^^;
 
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こちらはいわゆる「駅前」です。そしてこれまでとは違い、ここでは
駅の入口に記念碑が建っていました。しかし何故かタクシーが?
 
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ではそろそろ「栗駒駅」跡をお暇(いとま)することにしましょうか。
ちなみに線路の内側のレール、「護輪軌条(ごりんきじょう)」って・・・
 
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言うんですね。脱線しないための補助レール。勉強しちゃいました。
写真はブチ切られた踏切施設です。廃線跡には良く見る光景です。
 
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少し進むと、分かり辛いのですが削り取られ平らにされた築堤跡が。
そういえば、ここにはタイヤの切れっ端が付いてませんね。忘れたのかな。
 
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こちらは同場所にあった鉄道標識です。制限って「35」?「45」?
たぶん「35」なんだろうけど、見方によっては「75」にも見えますね(笑)。
 
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先へ進みましょう。この後は徐々に築堤の高度を増して行きます。
こうなると次はもうお約束の展開です。アレしか無いですね。
 
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橋梁の登場です。三迫(みさこ)川を渡る「三迫川橋梁」です。
架線柱撤去以外は、ほぼ当時のままの景色でしょう。

ということで、その5は以上で終了となります。次回はこの「三迫川橋梁」を
少々堪能してその先、「栗原田(くりはらた)町駅」から「尾松(おまつ)駅」までの
探索を行います。また、旧線のトンネルも登場・探索予定です。

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その6

●第6回、後半戦です。「三迫川橋梁」へ到着したシーンからの再開です。
 
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「三迫川橋梁」跡です。川は当然「三迫川」ということになります。
奥の方に一本架線柱がありましたが、それ以外は当時のままでしょう。
 
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土手を降りて下から撮影します。このような廃橋梁は趣きがあって良いですね。
 
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今度は正面へ移動します。レールがそのまま残っています。
待避所の少々先に架線柱がありました。
 
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場面は次駅手前へと移動しました。橋を渡り終えると緩やかに
築堤を下りながら右カーブ、そして次駅へと向かいます。
 
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次駅、「栗原田町(くりはら たまち)駅」跡へ到着です。国道457号線の
脇にある駅で、手前に自転車置場等、奥にホームがありました。
 
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駅を出発します。即国道を横切り暫く直線を走ったのち、
小さな森の中を左カーブして行きます。標識も残っています。
 
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その左カーブを終えた地点です(石越方面)。制限「45」の標識が。
当然ですが、「護輪軌条(ごりんきじょう)」も残っています。
 
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ということで次駅、「尾松駅」跡へ到着しました。記念碑の示す通りの
位置にホームはありました。レールに沿ったややカーブしたホームでした。
 
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ところで、ここには軽便時代に使用していた「旧トンネル」があると
聞いて来たのですが。左側にあるアレでしょうか。で、でも・・・
 
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こ、コレって入れませんよねぇ? 多少の雑草ならば強引に突入しますが、
この時の状況は全く「その気」にすらなれないものでした・・・。
 
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ということで、こちら側の入口は断念、定石通り反対側を目指します。
新線は旧線トンネルの南側を切り通しによって進みます。
 
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すると、ありました。ここもかなり入り辛そうですが、反対側よりは遥かに
入り易そうです。実は写真を撮り忘れてしまい、こんなものしか残って・・・^^;
 
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旧線はやや上方を走っていたようで、よじ登るような形で進入しました。
中はご覧の通り。でもコレって・・・埋もれてますねぇ。この土もどこから?
 
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凄くヤバいものを見つけてしまいました。何と、穴が開いているのです。
土はまさかここから? というか、このタイミングで崩れて来るなよぉ?^^;
 
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恐る恐る突き当たりまで来ました。どうやら崩壊してしまったようです。
こちらも崩壊した隙間から空が覗いて・・・おっかないので撤退します。
 
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振り返って撮影。でもこの土って、位置的に見てどうやらあの穴からの
ものじゃないのかも。ということでこれ以上の探索は断念、終了します。


最後の最後ですが・・・申し遅れました。このトンネルの正式名称ですが
「赤坂山隧道」と言います。心残りなのは、かなり奥まで行けるという
西側抗門より入れなかったこと。やっぱり夏場は駄目ですね、雑草が酷くて。
 
それにしてもおっかないトンネルでした。所々に多数の亀裂も発見しました。
仮に少々大き目の地震が来たら、次は確実に崩れるかも知れません・・・。

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) その7

●前回は「尾松駅」北側にあった「赤坂山隧道」の探索を終わろうか
いうところで終了しました。「くりでん」の探索もいよいよ終盤を迎え、あと
二回の掲載で終了というメドも立ちました。ということでラス2の今回はこの先、
「尾松駅」から「鶯沢工業高校前駅」までの探索を行います。ではご覧下さい。
 
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「尾松駅」跡・北側にある「赤坂山隧道」北口抗門です。
この土砂ですが、やはり多少意図的に入れられている?
 
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では「尾松駅」を出発することにします。駅を出ると築堤となり、
右カーブをしながら緩やかに下って行きます。
 
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実はここから800mほど北側に若干のスペースが空いています。
これは軽便鉄道時代の名残りで、位置が変わった理由は不明です。
 
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築堤途中に橋台跡を発見しました。「宝領架道橋」と言うそうです。
調べてみたら定石通り、この付近の地名でした。
 
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こちらは「宝領架道橋」から400mほど先にある「高崎橋梁」です。脇には制限
「65」の標識が。ところで周辺にデカいハチが居ました。巣でもあったのかな?
 
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そして、間もなく次駅到着というところですが、直前で廃橋梁を発見。
「辻前橋梁」と呼んだそうです。この時は水はありませんでした。
 
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「辻前橋梁」上です。奥には次駅が見えています。ちなみに右側の青い
車は今回借りたレンタカーです。「その3」以来の登場です(笑)。
 
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次駅「鴬沢(うぐいすざわ)駅」跡へ到着です。ところが、駅の位置を50mほど
間違えました。奥に記念碑が写っているのも帰宅後に気付きました。^^;
 
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位置を間違えた言い訳をしましょう(笑)。この右側のスロープと架線柱
跡にヤラれました。「確かに記念碑がないな?」と思ったのよね・・・。;
 
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「鴬沢駅」跡・西側より石越方面を振り返って撮影します。
直線なのでここからほぼ「尾松駅」までを見渡せます。この間約1.5km。
 
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同じく「鴬沢駅」跡・西側でこんなものを見つけました。
これを見てふと「鹿島鉄道」の「小川高校下駅
」を思い出しました・・・。
 
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では先へ進みましょう。「鴬沢駅」跡を出ると、列車は二迫川を渡る
「二迫川橋梁」を渡ります。「くりでん」では2番目に長い橋梁でしょうか。
 
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でも、やっぱり「三迫川橋梁」と同じくらいでしょうか。そこで地図上で
調べてみました。「二迫~」は約100mで「三迫~」は約165mでした。
 
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そして列車は「二迫川橋梁」を渡るとちょっとした山間部へ
入って行きます。よって勾配の区間もやや多くなります。
 
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次駅、「鶯沢工業高校前駅」跡へ到着しました。もちろん近くの施設名から
取った駅名ですが、実は1995年以前は「駒場駅」と呼ばれていました。
 
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すでに「鶯沢工業高校前駅」跡を出発しています。
ここは「くりでん」唯一のトンネルの近くです。


以上その7でした。次回はいよいよ最終回、終点の「細倉マインパーク前駅」
までの廃線跡を辿ります。またオマケ付きです。

くりはら田園鉄道 (宮城県/石越-細倉マインパーク前) 最終回

●長らくのご乗車お疲れ様でした(笑)。「くりでん」編もいよいよ今回で最終回です。
最終回は「くりでん」に唯一存在した「秋法(あきのり)隧道」から終点までを辿ります。
 
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「鶯沢工業高校前-細倉マインパーク前」間にある「くりでん」唯一の
トンネル、全長100mにも満たない「秋法(あきのり)隧道」東口です。
 
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残念ながら、柵が設けられており防御は完璧のようです。。。
でも、中は良く見えるので、ある意味良心的とも言えるでしょうか(笑)。
 
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中の様子です。やはり反対側にも柵が設けられているようです。
 
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UPで撮影します。これだけ中の様子が確認出来たので、
反対側からの撮影に向かうのは止めました。
 
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では先を急ぎます。次駅は「細倉マインパーク前」跡なんですが、
実は100m少々手前に、「細倉駅」という駅が1990年まで存在しました。
 
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基本的には「細倉マイン~」の前身となります。この同名の施設の完成と
ともに同駅は西側へと移動しました。写真はブッタ切られたポイントです。
 
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「細倉駅」跡・西側です。ホーム上からだと、恐らくこのような光景だった
のではないでしょうか。奥には終点・「細倉マイン~」が見えています。
 
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そしていよいよ終着駅、「細倉マインパーク駅」跡へと到着です。
これは当時活躍した電車でしょうか。お約束の記念碑もあそこに・・・。
 
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駅舎は健在でした。実働17年、今はただひっそりと佇んでいます。
ここもいずれは取り壊されてしまう運命なのでしょうか。
 
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中の様子です。備品等は全て取り払われておりますが、壁のポスター等はそのままでした。
 
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ではホームの方へ移動してみましょう。駅舎を出ると
このように短い屋根付き階段を下りてホームへ向かったようです。
 
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当時とほぼ変わらないであろうホームと草生している茶色いレール。
どうやらホーム上とレール上では時間の流れ方が違うようです。
 
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「くりはら田園鉄道」、西側末端部分です。実は1988年までは
この先に「細倉鉱山駅」が存在、この先のレールは続いていました。
 
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赤錆び途切れたレールに、バラストの間から顔を出す雑草。
「廃線跡の条件」が揃った絵が撮れました。
 
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ではこの後は1988年まで存在していた「細倉鉱山駅」までの約500mを
追ってみます。一段高くなっている横のラインが廃線跡と思われます。
 
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すると何ということでしょう、こんなところに「例の記念碑」を発見。しかし位置は
少々ズレているようです。便宜上ここにせざるを得なかったのでしょうか?
 
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では最後に、この「細倉鉱山駅」周辺を空撮で確認してみましょう。
写真左側に貨車が停まっているのが見えます。駅はその左側か。
 
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そしてこちらが現在の様子です。意外や意外(失礼!)、
周辺道路が整備されたこともあり、かなり様変わりしました。


以上で「くりはら田園鉄道」の廃線跡訪問記は終了となります。
大変満足の行く探索記となりました。
しかし当初にも述べたように、徐々に遺構の数は減少しています。
駅に関してはほぼ全滅状態、最後にご紹介した「細倉マインパーク駅」も
いつまで残っているものか・・・今後の動向が気になります。