正義とは?
Change Talk,
Change Listen and Life
"話し方を変えたければ
聴き方と生き方を変えろ"
喋りは「聴き方」と「生き方」が9割
「話がちゃんと”伝わる人”と
話をちゃんと”聴ける人”を増やす」
「22世紀に人見知りを社会からなくす」
トークスキルだけにフォーカスした
自己満足な解決法に疑問を投げかける
そもそも話し方に悩む人の原因は
“聴き手側にある”ことがほとんどです
ラジオの現場で培った“DJ思考”を伝え
話す、聴く、生きるをフルイノベーション
一般社団法人日本フリートーク協会代表理事
Lifeskill Talk College 学長の出口貴章です
こんにちは!
僕のブログに来ていただき
本当にありがとうございます!
同じものを見ている
けれども「考えていること」は違う
《多様性》の現代社会を表している
人間と猿とは極端な例えではあるけど
その「生物的な」違いだけではなくてね
同じ「猿」でも見ているものが違ったり
また「人間」であっても同じことが言える
目指す未来がどういうものを描いているか
反対にそれぞれが生きた過去を認めるか否か
映像だけ見ているともうほとんど猿物語
「猿の惑星」という映画を忘れてしまう
本当にまた別モノの動物主人公の映画
そんなふうにも思えたが意図的だろうか
ただストーリーは以前の作品を踏襲
音楽も第一作のオマージュがあったりと
その作風は間違いなく「猿の惑星」です
断片的な「王道の遊び心」が面白かった
『猿の惑星~キングダム』
まぁ設定など細かいことを言い出すと
それこそ本当にキリがないと思います
あくまでもその「細かいこと」を忘れ
ストーリーから受ける示唆は確かに深い
登場する人や猿はそれぞれ思惑がある
それはそれぞれ「正論」であり「正義」
つまり自分たちの観念で成り立つもの
ある意味他の者を度外視した思想です
その正論や正義を振りかざすのはいい
でも「善者」がいれば「悪者」がいる
つまり「善者」が「悪者」を生むのかも
悪者側にとって正義はいい迷惑なのです
ある意味この「正義」ってのは主観かも
自分の都合で自分に都合よく作られた思想
社会ってのはこの「正義」のせめぎあい
パワーによるバランスゲームのようなもの
よく言われることが「正義の味方」
我々が子どものころにあったヒーロー
街を破壊する怪獣たちは言わば「悪者」
なので有無を言わさず「退治」しちゃう
でもですよ
ひょっとしたら怪獣にも怪獣なりの
色んな「事情」や「都合」があるかも
我々の観念では街の破壊は「悪」だけど
怪獣社会では「当たり前」なのかもしれない
つまり怪獣にとっては当たり前ですから
ひょっとしたら罪悪感などは持たないかも
それこそ「街を破壊したから悪者」という
この考えは「地球」だけのものかもしれない
地球人にとっては破壊行為は「悪」だけど
極論怪獣のあの行為は「訴え」かもしれない
地球人はその訴えにまったく耳を貸さずに
問答無用で怪獣たちを退治してしまうのです
これは本当の「正義」なのでしょうか?
ならばそもそも「正義」とは何でしょう?
そう考えると世の中はこんな状況です
片方の都合で一刀両断するのが常です
どちらかが「善」か「悪」かを断じる
それこそ答えは「0」か「100」だけです
でも実際は「0」か「100」だけじゃない
「12」や「37」や「53」や「71」もある
昨日は「27」だったけど今日は「73」
そんなことだってザラにあるわけです
ネガティヴケイパビリティ
以前ここでも何度も触れていた話題
「答えを敢えて出さないという“答え”」
善悪とか白黒で断じてしまわないこと
それがネガティヴケイパビリティです
むしろ現代社会はこのほうが多くなった
主義主張や性別だって生き方も全く違う
それこそ昨日の常識は今日通用しない
そんな時代になってきているのですから
そんな中で「白黒」「善悪」という
「ゼロヒャク思考」で物事を断じると
それこそ双方の何かに歪みが生じる
つまりそれが「生きづらい」となります
その答えが出ない「問い」を続けること
むしろその「問い」の質を問うことが大事
正しい答えではなく「正しい問い」を持つ
これがネガティヴケイパビリティの真髄かも
『猿の惑星~キングダム』
この映画を観ながら考えていたことです
なので単なるSF(Science Fiction)ではなく
「Social Facts(社会の真実)」という視点
そんな観方をすると面白いと思いますね
何かしら「多様性」への正しい問い
それを見出すきっかけにしてもらえれば
また「正義」を少し深掘りしてもらえれば
相変わらず社会的意義の深い映画でした
今日はここまで
読んでくれてありがとう
ほいじゃまた明日!!