一歩外に出ると日差しは暖かく優しい。東京はすっかりと春だ。

でも春の紫外線も気をつけないとあっという間に日焼けしてしまうので気をつけたい。


まだ2月中だというのに半袖半ズボンで日焼けした小学生男児を通勤中に見かけて、もしかしたら人によって過ごしている季節は違うのかもしれないという気持ちになった。




生まれ月の3月は1年でいちばん好きな季節で、その次は初夏が好きなので35月が繰り返しやってくる季節のある国に行ってみたいけど、真夏の焼き付くような暑さも真冬の凍えるような寒さも好きなので出来たら四季がちゃんと味わえるような土地で暮らしたいなと感じる(東京は春と秋が一瞬で過ぎ去っていってしまうから)



色んな変化がある季節には多分に漏れず私自身にも色んな変化があり、環境の変化や生活の変化にまだ慣れない身体をコーヒーで調整しては、夜まで口の中に残るなんとも言えない気持ち達をアルコールで胃の中に流しては眠る毎日。

なんて事のない小さな悩みごとはきっとこれからイヤでもやってくるであろう春の花粉の症状が忘れさせてくれるだろうし、あとは前からやろうとして保留にしてしまっていることを誕生日をきっかけにひとつひとつ潰していくうちにきっと新しい心の変化が私の身体のうちに起こるだろう。


もうすっかりと外は暖かいだろうと夏の服装で外に出ると意外に寒かったり、朝はちょっと冷えるなと一枚多めに着込んで出かけると汗だくになったりして昔から服装のチョイスが下手でしょうがないので、今年は昨年よりも服装のチョイスが上手になりたいし、それらはきっと毎日天気予報を見ることで解決されると思うので天気予報はたまに見ることにしよう。

そう、今年もまた服装のチョイスが下手なまま年末を迎えてしまうだろう。



人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、自分がコントロールできない範疇でいいことも悪いことも起こってしまうのは仕方のないことだと思うけど、今日もし悪いことが起こっても明日はきっといいことが待っていると信じて一瞬で過ぎていってしまう春を楽しみたい。


同じようなことばかり書いているな。



昼食後の、春の日差しを浴びながら昼寝したい気持ちを耐えて書く文章はどこかふわふわとしている。

でもいつも同じようなことを書いているのであまり大差はないな。








ふとTwitterを開くと、あなたがTwitterを始めて9周年になりました」と表示された。

2014年に開設したTwitter、正確には2009年にTwitterを始めて1度消して再度始めたので14年くらいになるのだが、人生の半分近くTwitterを使っているのかと思うと不思議な気持ちだ。



長い年月SNSを使用しているとSNSが生活の一部となってしまっている感覚になり、私は愛煙家ではないが、それがまるで習慣かのように「起床してTwitter」「コーヒーを飲みながらTwitter」「食後にTwitter」みたいになってしまっている。いいか悪いかは別の話だし、おそらくいいとか悪いとかっていう話ではないだろう。





Twitterを利用していたことで様々な楽しい体験をして、様々な素晴らしい人たちに巡り合うことができたのはとても良かった。


それとは別に私が1日のうちでSNSに触れる時間が比較的多い気がしているので、全く触れないというわけではないけど少し生活スタイルを見直そうという気持ちになった。



飲酒や喫煙と同じように長く続いていた習慣をある日突然止めてしまうというのはそう簡単なことではないし、止めて何をするのかと聞かれたら特に決まっているわけではない。

でもずっと読んでいなかった本を読んだり、携帯電話も持たずに街へと出かけてみたり、部屋の模様替えをしてみたり、まとまった休みを取って当てもなく旅をしてみたり、とやりたいことの候補は沢山ある。





SNSを眺めている時間は私に一時の楽しさを与えてくれる。しかしSNSは私のことを幸せにできない。自分を幸せにするのは他の誰でもない自分自身だ。


刺激的なニュースやスクープを知ることができ、さまざまな真新しい情報が並び、友人や知人たちが今何をしているのかそこには表示され、自分が発信した投稿に知り合いたちからのリアクションが付く。中毒性は高いだろう。

しかしSNSが生活の中心になってしまっていると、SNSに載せる為だけの日々を送ってしまう人もいる。それが幸せと感じるかどうかは人それぞれだ。




何がどうなって、どういう状態になると人は幸せになるんだろうか。それこそ本当に十人十色、百人百色だろう。そこにフォーマットなどというものはない。


SNSで他人からたくさん反応が付くこと、称賛されることこそ幸せだと感じる人も勿論いる。

好きな人と過ごすことに幸せを感じる人もいるし、音楽を聴くことで幸せを感じる人もいるし、スポーツを行うことで幸せを感じる人もいるし、一人で過ごすことに幸せを感じる人もいる。


幸せの感じ方は人それぞれだから、それぞれが幸せな状態でいられるのならそれでいいのだと思う。

しかし他の人や物から得られた幸せ、もらった幸せな気持ちというのは持続しないことが多いから、やはり自分を幸せにするのは自分なのかなと感じる。


これは他人の助けを一切借りずに自分の力で全てをどうにかするということではなく、自分が幸せになるために自分で自分を幸せに導くように仕向けることを指している。





SNSは手段であって目的ではない。いい距離感で彼らとうまくやっていけたらと思う。







日々の生活が忙しいことを言い訳にしてすっかりとコーヒードリップをする習慣を失ってしまっていたけど、1年くらい他所に置いたままとなっていたコーノのカラードリッパーとの久しぶりの再会が嬉しかったこともあるし、忙しなく過ぎていく日々は生活から彩りを容赦なく奪っていくから目の前の出来事に気を取られて大事な何かを忘れずに少しでも自分の時間を楽しいものにしていこうという気になった。



だんだんと暖かくなってきたかと思うと急に寒くなる落ち着かない春の訪れは出会いと別れの季節を過ぎるとあっという間に夏がやってきてしまうから、一瞬しか楽しめない春のひとときを噛み締めるかのように楽しんで過ごしていきたい。













21時に眠りにつき、目が覚めたら23時だった。体感としては朝の4時くらいかなと思ったし、もしかして26時間眠ってしまっていたのかと錯覚したけど時計は2時間しか進んでない。

二度寝しようにも完全に目が冴えてしまって、もう一杯お酒でも飲もうかと思ったけど明日に響きそうだし、コーヒーを淹れて飲むのもいいかなと思ったけどコーヒーミルで豆を挽く音が夜中だとご近所迷惑になりそうだし、結局お湯を沸かして飲むことにした。

そう、ただのお湯だ。

なんだったらお湯の水割りを飲む。熱いから。


ほっとしたい時、二日酔いで死にそうな時、何か温かいものが飲みたいけどそれがお茶でもコーヒーでも焼酎お湯割りでもない時に飲むもの、それがお湯だ。

とても万能な飲み物だと思ってる。


暗闇の中で沸かしたお湯を飲むというのも不思議なもので、もはや何を飲んでいるのかもよくわからないけどそれが熱々なことだけは解る。闇湯というやつだな。

そんなものは無いが。


前にもブログに書いたりしていたけど、人間というのは至って単純な構造となっていて暖かくなると幸せになる生き物らしい。

いま私が不幸せかと言われると別にそうでもないけど、眠れなくて暗闇の中でお湯を啜っているという謎タイムを過ごしているという点ではそれに近いのかもしれない。


そしてお湯を飲み始めてから身体がとてもリラックスしてきて、闇湯もたまには悪くないなと思い始めてきた。

身体を温めるという行為は往々にして身体にいいとされることが多いし、体調がすぐれない時に飲む白湯もまた然りとされているので、眠れない夜の闇湯もそういった文献に追加を希望したい。根拠は全くない。


秋の終わりはどこかもの悲しいような、アンニュイな気持ちになってしまう季節だけど12月というのはなんだかワクワクした気持ちになる不思議な季節だ。一年の終わりを惜しむかのように人々は街へと繰り出しては暮れの買い物に出かけたり飲み会を何度となく開いたり「よいお年を」と来年また会う約束をしたり。

何かが終わり、また何かが新しく始まりそうな季節というのはいつだってワクワクしてしまう。


来年はどんな年になるだろう、と物思いに耽ながら飲むお湯は不思議と甘く感じる。


ただのお湯なんだけどね。


とかなんとか言っていたら二度寝できそうな気がしてきた暗闇の熱湯ゴクゴクおじさんは本日二度目の二度寝チャレンジを決行してみようか。

二度寝チャレンジってこどもチャレンジみたいですね。


敬愛するピアニスト、トミー・フラナガンが弾く「セントラル・パーク・ウェスト」を聴きながら、秋の思い出を少しずつ思い出しては噛み砕きながら眠る。

 

 

 

 

14時間も眠っていたひどい土曜日が過ぎて、目覚めた日曜日の朝にどうしてあんなに私は眠っていたんだろうか、疲れていたのかな、とか思い返したりしてみたけど仕事は概ねいつも通りだったし、飲みに行ったりもしたけどそんなに深酒した覚えもないしよくわからないまま何故だかぐったりとしてしまっていて貴重な土曜日が失われてしまった。

 


 

 

 

私はどちらかというと効率よく物事を行う・行いたいほうなので割と狙い通りに色々なことを済ませられるように日々を過ごしているんだけど、いつか女性の誰か一人から「女性は複数の物事をいっぺんに行える脳の造りになっているけど、男性はひとつの物事しかできない脳の造りになっている」と教えてもらったことがあるけど、あれはきっと嘘だと思う。

 

正確には性別うんぬんよりも、それらは「人による」と思っている。

 

 

 

 

土曜日は何時くらいに起きて洗濯機を回しながらお湯を沸かして朝コーヒーを淹れて飲みながら何時くらいに何処何所に出かけて、、と大体の予定を週末に近づくにつれて仕事中にぼんやりと考えたり計画したりするんだけど、それらの予定は様々な要因によって予定通りに行かなかったり願いが叶わなかったりすることが多々あって、それ自体はよくあることなので別にいいんだけど昨日の土曜日のような無性に眠気に襲われて計画していたことが何もできなかった一日は久しぶりだったから自分で自分の身体の状態にびっくりとしてしまった。

 

 

おそらく季節の変わり目に急に気温が下がり寝冷えしてしまったことも関係しているのかな、と思いながら昨日は何をするでもなく終わってしまい、今朝は天気もそこそこよく晴れており湿度は高めだけど暑すぎず心地のいい朝だった。

 

細胞レベルで引きこもることができない私にとっては休みの日を丸二日家でじっとしていることが困難だったので朝から外に出ることばかり考えていて、外に出るのが好きということは住む家に対して別にそこまでこだわらなくていいんだなと新たな発見があった日曜日だ。

そろそろ部屋の更新の時期なので色々と考えようと思う。

 

 

そういえばサウナ仲間でありロードバイク仲間でもあるジローさんに教えていただいたとても良いという銭湯にそのうち行きたいと思っていたことを思い出して、そのうち行く=絶対行かないという方程式が往々にして成り立ってしまうので今日は絶対に行くぞ!と自らを奮い立たせて磨いた愛機を片手に部屋を飛び出した午後。

 

 

 

 

 

 

 

夏の空の名残のある秋の空だ。初秋というやつだな。

 

季節の変わり目はいつだって人の気を狂わすらしい。知らんけど。

 

 

狂った季節の中で狂っている人々はいたって正常なのだろう。これはどこかで聞いたことのある台詞だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は私が思っているよりずっと基礎体力が落ちているようで、自分のことは自分が一番知っているようでいてじつは自分が自分のことを一番知らないんだなぁ(みつお)って気分で漕ぎ出して間もなくいい雰囲気のコーヒー屋さんがあったからといって休憩を挟んでしまうこの体たらくだ。

 

急に無理をすることはよくないのでこれは正しい、ジャスティス、と種田山頭火とサンシャイン池崎も言っているので入店。

 

 

 

こんな大御所2人から言われたらそれは休憩を入れるしかないでしょう。

 

 

これで休憩しない奴いる?いねぇよなぁ!?(元ネタは知らない)

 

 

 

 

 

 

 

東久留米駅からほど近い素敵な喫茶店だ。

 

 

 

メニューを頂くも、入り口にある「8時間水出ししたこだわりの水出しコーヒー!1日4杯限定!」に惹かれて店員さんに尋ねるとまだあるぽいので注文。

 

今日はツイてるな。

 

 

 

 

 

 

恐ろしく香り高い水出しコーヒー、氷が入っていないところにこだわりを感じる。

 

 

 

 

 

自宅を出発して間もなく休憩を挟んでしまい、もう近いし第二喜多の湯でいいのでは?と思いながらも、第二喜多の湯はそんな妥協して入りに行く銭湯ではないしそもそもの自らの目標を思い出し一路、川越方面へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

片道約30Km、Google大先生に指示されたルートはやたらにうねうねとした地図を出されたのでそれをガン無視して走って何とかたどり着いた。

途中歩行者専用道路(自転車進入禁止)の道を行けと言われた日にはスマートフォンを投げそうになった。

 

 

 

 

銭湯なのに炭酸泉が2種類もあるなんて洒落ていらっしゃる。

 

 

 

 

 

 

サウナ料金750円を支払い膝掛けみたいなふわふわなバスタオルを受け取って浴室へ。

 

サウナ利用者専用ロッカーのカギとサウナ室用のカギを手に入れ、浴室へ。

 

 

 

とても清掃が行き届いた綺麗な浴室で、入り口入ってすぐ左にある水風呂が15度表示の水深90cmというのが惹かれる。

しかも炭酸泉が2つもある。それに炭酸泉が2つもあるんですよ。

 

大事なことなので2度言いましたよ。

 

 

 

 

 

身を清めてから水風呂へ。

 

 

これは...水の状態がいいですね。

水深もあり水温も低めなので身体がシャキっと引き締まる。

 

 

 

 

サウナ室はBGMもTVもない95度表示のナイス空間。6人は座れるけど実質4人が限度だろうな。

 

途中で全身和彫りのおじさんが入ってきて、おっマナー悪いパターンか?と思ったらサウナ室内で別の常連さんと話し始めて

「俺...来月ジジイになるんすよ、娘が身籠りましてね...相手は売れないお笑い芸人さんで祝言も挙げるんですけど俺なんかが行ったら皆さんおっかながるでしょうから式代だけ二人に渡しましてね...晴れ姿は見られませんが...」と優しそうな顔で語られていてしんみりとした。

 

 

 

 

 

そしてしんみりとした気持ちも問答無用でアイシングしてくる水風呂はポテンシャルが高い。

 

 

 

水風呂後に入った高濃度炭酸泉、笑っちゃうくらい炭酸強すぎて水風呂へ入る前にかけ水したら全身が針で刺されるような感覚になって笑った。

これは新たなる快楽の扉が開かれる...

 

 

 

そして高濃度炭酸泉の隣にある「超高濃度炭酸泉」が高濃度炭酸泉よりも炭酸弱かったのである。何故なの

 

状態そうでもなかったのかな?次回来訪時にそのポテンシャルを感じられたら幸い。

 

 

 

 

 

炭酸泉と水風呂の往復をこなしてから帰路へ。

 

 

上福岡は遠いけど、それでも来る価値はある。そんな銭湯だった。

 

 

 

 

銭湯近辺の飲み屋さんも状態よかった。自転車だと飲み屋さんに寄って帰ることが憚られるというのが唯一のネックなので、そういうときのためにいつだって輪行袋を携帯していたい。いくらでも太れるな、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りは通り雨にも見舞われ、帰ったら家の洗濯物がお亡くなりになっていたけど末広湯の状態が総じてよかったので今日はとてもいい日曜日だった。

 

 

人生に無駄な時間は大いにあっていいと思うし、無駄なやり取りや生産性のない言葉のキャッチボールも大いにあると思うけど、だからといって自分の人生が悪くなるかというとそういうわけではない。

無駄じゃないことだけして生きられる人はある意味では幸福だと思うけど、でもそれだと人生における空白の時間を楽しむという余裕がなくなってしまうのかなと感じる。

 

無駄な時間は無駄な時間でそれを存分に楽しんで、そうじゃない時間はそれはそれでがむしゃらに打ち込めるのがいい状態なのかなと。

 

 

 

 

 

 

 

なんにせよいい時間を作るのはいつだって他の誰かではなく自分自身なのだと思う。

 

 

 

毎日は難しくても、週に3日くらいはいい時間を探しては作っていけたらそれは幸せな人生なんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

ふじみ野市の末広湯、とてもいい銭湯だった。近所の方がうらやましい。

 

 

今度は何事も起こっていない平和な土曜日に出かけたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

何かを成し遂げようと懸命に生きている人々はとても輝いていて素晴らしいなと感じるけど、命があるから生きているのであって何かを成し遂げるために生きているわけではない私は彼らから見たらとても怠惰に映るのだろうと思う。映ったところで私にはあまり関係のない話だ。

 

 

 

 

 

約一年ぶりにブログを更新してみようと思ったのは先月8月末の兄に関する記事を書いたことを久しぶりに思い出して、そういえば私はブログを書いていたっけなそういえば、と思い出したので久しぶりに何か書いてみようと思ったからだ。

 

 

 

この一年で私を取り巻く環境も変わり、日本は少しずつマシにはなってはきているけどまだまだ人々は狂っているなと思いながら生活をしている。

狂った環境の中で大勢の人々が狂ってしまっているのならそれは正常(まとも)な世界なのかもしれない。狂っていると言われるのはいつだって少数派の方なんだろう。

 

 

 

 

 

 

2022年が始まったと思ったらあっという間に桜が咲いては散り、夏が来たと思ったらあっという間に秋の虫が鳴くようになってしまった。

季節の移り変わりという話以前に時間の早さについていけないと歳をとるごとに強く感じる。それは私の歩みが年々遅くなっていっているのか、時間の流れが年々速くなっていっているのかだけど恐らく後者だろう。

 

流行は別に興味がないのでどうでもいいけど、時間の流れと同じスピードで歩いていけたらいいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まばたきをしている間に一瞬で過ぎ去っていった2022年の夏は特に大したこともしていないけど、空はとても青くとても気持ちのいい夏だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仲間たちと久しぶりにサイクリングロードを走った日曜日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たくさん走った後はジローコーヒーでアイス珈琲を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9月も何だかんだで夏なので引き続き日本の夏を楽しんでいきたい。

 

 

 

 

これが私の2022夏だ。以上!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついこの間、夏が始まったばかりと思っていたのに気がつくと10月が終わろうとしている。

 

ぼんやりと過ごしていると、まばたきをしている間にあっという間におじいさんになっていそうだ。

 

 

 

 

全国サウナ物産展の準備に追われ、境川サイクリングロードを走りその道中の景色に感動しながら江ノ島へ行った初夏、本当に楽しかった。

物産展のあれこれに追われているうちに梅雨がやってきて、嵐のように始まった物産展も一瞬で終わったかと思うと本格的な夏がやってきて、それらが過ぎ去ってしまったら10月も中ごろを過ぎていた。不思議な感覚だ。でも思い出に残る素敵な夏だった。

 

 

 

 

10月に入ってから飲み屋さんでの飲酒も大っぴらに解禁になり、好きな飲み屋さんに気兼ねなく行かれる日々が再び戻ってきた。

 

 

久しぶりに行く馴染みの飲み屋さんでお酒や名物メニューを楽しめるのは本当にうれしい。

 

 

 

 

 

 

温浴施設で湯上りにお酒を楽しめるのもうれしい。

 

 

ウイルスそのものが悪いはずなのに、気がついたらお酒が悪いような風潮になってしまっていたことに関してはかなり納得がいっていないけれど、でもまた酒好きたちがそれぞれ静かにお酒を楽しめる日々が少しずつではあるけど戻ってきていることは非常に喜ばしい。

 

 

 

 

 

 

 

初夏に楽しかった境川サイクリングロードを中秋に再び走ってみたら、また見える風景がちがっていた。

 

 

いつか先輩から「夏という季節は毎年必ずやってくるけど、でも今年の夏というものはもう二度とやってこないんだよ」と言われたことがあって、そのときは「そうなのか~」程度にしか思っていなかったんだけど、でも今その頃よりも大人になってみると、その意味がとてもわかる。

 

さりげない言葉のようでいて、とても深い。

 

 

 

 

 

 

日本一小さい牧場で食べたジェラートも久しぶりに口にしたけど、やはりおいしかった。

 

 

 

素直な気持ちが生きていく上でとても大事だと思っていて、前にも書いたけど、行きたい場所には1ヶ月以内くらいには行って、会いたいなと思っている人にはすぐにでも会いにいくべきだ。誰にでもいつでも会えるなんて思わないほうがいい。

 

 

 

 

久しぶりに父から電話があり、陽性者も減ってきたしお前も気にせず帰省しろよと言われたので、これで心おきなく家族たちに会いに行かれるなぁと今日は少しうれしかった。

 

お互いの住んでいる地域は関係なく、会いたいか会いたくないか、それがお互いの距離を決めるのだと誰かが言っていた。

会えるかどうかではなく、いつ会うか、という話になるからね。

 

 

 

まだ盛夏くらいの季節のつもりでいたら晩秋になりつつある季節の中で、私の大切な人たちが幸せであってくれたらいいな、と思いながらひとり季節ボケをしながら夏の余韻を楽しみながら眠る。

 

 










首の痛みと共に早朝に目覚めて、眠い目をこすりながら「今日は木更津に行こう」となんとなく思った。なぜなのかはわからない。

土曜日に仲間たちとロードバイクで出かけて、私が過剰に後方確認をしていたおかげで日曜日朝に目覚めたときに首が動かなくなっていた。
動かない、というわけでもなかったが歩くだけでも首のうしろ側や肩に痛みが走った。痛くて重いものも持てないし、服を着替えるだけでも一苦労という完全なるおじいちゃんムーブをかましていた、朝。


日曜日は仕事だったけど、完全に使い物にならなかったので数年ぶりに早退して家で横になっていた。
しかし首がやられているので横になったところで首が痛み、起きてる方がいいような気もしていたがなんとか痛くないポジションを探して昼寝を。

ここ3ヶ月くらい夜に在宅時にはずっとざるそばを食べていたんだけど、久しぶりにどん兵衛そばを食べた。久しぶりに食べたら、こんなに蕎麦の香りがしたっけなぁ、と新しい発見ができてよかった。鴨そばつゆはおいしい。



風呂に入りに行く気力もなく、夜はそのまま寝てしまった。寝て起きたら首の痛みもどうにかなっていたらいいなぁと思いながら。

手のしびれとかがあると神経系がやられてる可能性もあったが、Google先生に聞いて調べた感じだとただの筋肉痛のようだった。
日曜日の午前中は「このまま首の痛みがひかなかったらどうしたものか、まだ私には会いに行かねばならない人が沢山いるからこのまま歩けなくなったりするわけにはいかんのだ」と若干のアンニュイな気持ちではあったが、ただの筋肉痛だろうと安心した。


月曜日は一日何もない日だったので、この痛みを取るために湯治にどこかへ行こう、とコーヒーを一杯だけ飲んで出かけた。
首の痛みは昨日よりかは幾分ましたが、やはり痛みはある。








懐かしい場所だ。




袖ヶ浦・木更津線のアクアライナー、たしかバスの側面にイヌみたいなのが付いてたね。懐かしい。

イヌなのかな、これ








海なし県の生まれ育ちなので、海を見るとテンションは上がる。

でも山間部で育った私はときおり山が無性に恋しくなる。昔は「山ばっかりでつまんない土地だな」と思っていたけど、やはり離れてみるとその大切さがわかるね。




バスは木更津駅西口へ到着し、そこからイオンモール木更津行きのバスへ乗り換える。
歩いてもいいかな、と思ったんだけどちょうどバスが来たからね、しょうがないね。



イオンモール木更津の手前、ソニー入口というバス停で降りるとすぐ見える「ランドリー つぼや」の文字。
ほどなくして左手に見えてくるのが、千葉が誇るサウナの名店、サウナきさらづ つぼや。




いつぶりに来たか覚えていないけど、何も変わってない。


営業時間が20時までの時短になっていたのと酒類提供休止は宣言解除までかな。




月曜日、昼12時のつぼや。


浴室に入ると、夜しかついていないブルーライトが早くも点灯しており左手にはビーチパラソルと丸テーブル、休憩用椅子が6つ。なかなかの変化だ。

レトロなカランのシャワーヘッドも新しくなっていてびっくりだ。


そして月曜昼だというのになかなかの利用客の多さ。みんな平日の昼から何やってるんだ。
客層も若者からおじさんまで様々、年配の方をあまり見ないのは珍しい。


身体を洗って、そもそもの目的だった湯治の為に黒湯へ。
これって温泉なのかな、どうなんだろう。分からないまま4年も通ってる。


水風呂は相変わらず広くて気持ちいい17度。ほんのりと磯の香りもするのは変わっていないし、冬場はとんでもなく冷えるんだろうな。恐ろしくてまだ真冬のつぼやを体験していない。



サウナ室は110〜120度のカラッと熱いストロングスタイル。
独特の香りを嗅いで、つぼやに来たな〜という実感が湧く。

アツアツのサウナ室で早々と蒸され、水風呂へ。
水風呂に人が5人も入ってる!これは初めて見る光景。

やはりTVで紹介されたのもあるだろうし、テレワークにより平日でも来ている方が多いんだろう。あと単純にサウナブームだからか。


1セット目を終えて、静かな浴室の椅子に腰かけながら窓から入る柔らかな日の光と、窓から見える木々の緑を眺めていたら何だか泣きそうになってしまった。







懐かしい光景だ。

つき出しの小鉢も嬉しい。




ここにくると何故だか食べたくなってしまうカップ焼きそば。人が作ってもらう、しかもつぼやのお姉さんに作ってもらうカップ焼きそばが何故おいしいのかは永遠の謎だ。

フタつきで出してくれるのも嬉しい。





フタを開けたらもうこの状態なんだ、フタを開けたらもうこの状態なんだよ。

大事なことなので2度言いましたよ。



3ヶ月ぶりのカップ焼きそばを美味しく完食。





身体が冷えてきたので「暖かいコーヒーあります?」と聞いたら、おばちゃんが「じゃああっためるわ〜」と缶コーヒーをレンジでチンして持ってきてくださった。

「まだぬるいかな?もうちょっと温めてくる?」と気を遣ってくださるおばちゃんに感謝。
ちなみにコーヒーは若干ぬるかったので再度レンチンしてもらったよ。






首の痛みはなんとなく良くなってきた。


巨大なTVが3発あるファンキーなリクライニングは相変わらず面白い。

聖徳太子トレーニングにはピッタリな場所だ。



聖徳太子トレーニングって何?





このまま堕落していたい気持ちはあるけど、ここは木更津だということを忘れてはいけない。
宿泊可能だったらこんなに危険な、最高な施設もないだろう。


またポテトチップスみたいなものをアテに瓶ビールや缶ハイボールを飲んで夕方までダラダラとするやつをやりたいな。







コーヒーを飲んだらまた浴室へ行こう。



で、飲み干そうとしたら、あと1/3ほどのコーヒーカップを見たおばちゃんに「もう一度温めてこようか?!」と聞かれたので温めてもらった。笑いながら。

換気がバッチリでちょっと冷えるリクライニングだけど、暖かい場所だ。



今日もありがとう、また会いにくるよ。


 

 

 

そこまで暑い夏ではなかった今夏もあっという間に過ぎてしまった。

 

あいさつの二言目には「暑いですね~」なんて言葉が出てしまうのはみんな同じだろうけど、でもそのうち忘れたころに寒い冬がやってきて暑い夏が恋しくなりますよ、と私は返していたけど、まさかこんなに暑い夏が早くも恋しくなるなんてね。

 

 

夏は夏で好きだし、秋も冬も春も好きなのでその季節ごとの楽しみをめいいっぱい楽しんで過ごすのが好きなんだけど、せっかくの暑い夏を冷房をガンガンかけた部屋で一日中過ごすのもなんだかもったいない。

 

今年もこれは果たせなかったけど、市民プールに行って泳いだりとか、アロハシャツをたくさん着たりだとか、地元の田舎の夏を楽しんだりとか、熱海とか軽井沢とかにふらっと行ってちょっと街中を歩いたりだとか、あてもなく知らない街を歩いてから知らない飲み屋さんに入って一杯飲んだりとか、そういうことをもっとしたかったんだけど、要請という名の強制と、報道各社が煽りに煽るものだから外に出かけたり飲みに出かけたりすることが悪だ、人非人だ、と非難されてしまう世の中になってしまったものだから気軽に、そして大っぴらには外出ができなくなってしまっている昨今だ。

 

すべては自己責任でいいので、好きにさせてほしい。いつかはみんな同じところに行くのだから。

 

 

 

あれができない、これができないと日々悲しんでいられるほど人生は長くもないので、できる範囲で楽しめることを思う存分に楽しんでいけたら。

 

 

 

 

 

 

 

先日買った13枚のCDアルバムがどれも良かったので、久しぶりにCDアルバムのレビューでも書いてみよう。

 

 

 

CAYMMI VISITA TOM / Dorival Caymmi,Antonio Carlos Jobim

 

 

 

 

ブラジル音楽の父ことドリヴァル・カイミと、アントニオ・カルロス・ジョビンが始めて共演したアルバム。

 

 

カイミやカイミ家の子供たち、奥さんの歌声とジョビンのピアノ、歌声が入り混じる素敵なアルバムだ。

カイミの息子、ダニーロ・カイミはジョビン晩年のバンドにずっと在籍してフルートとヴォーカルを担当して、その奥さんのシモーネも女性ヴォーカルのうちの一人として素敵な歌声を聴かせてくれた。

 

ブラジル音楽好きなら誰もが知っている曲をしっとりと歌い上げる二人の巨匠とその家族による貴重な録音。

 

 

 

 

 

 

 

Antonio Carlos Jobim / PASSARIM

 

 

 

前述のジョビン晩年のバンド。

 

ジョビン、ダニーロ、5人の女性ヴォーカルが歌い上げるジョビン・ナンバーが素晴らしい。「ガブリエラ」なんかは静と動の展開が読めない大作なのに美しいメロディの曲だけど、途中で「ストーンフラワー」が挿入されるのはすごい。無理やり感はなくはないが、どちらもジョビンの作曲なのでどうしようが彼の勝手なのだろう。

 

ジョビンの息子がヴィオラォンを弾き、奥さんと娘が自身のバンドで歌うというのはいい感じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Guilherme de Brito / FOLHAS SECAS

 

 

 

これは買うしかない、と私の第六感が叫んでいたのでジャケ買いしてしまったギリェルミ・ヂ・ブリート68歳の録音。

 

 

カルトーラを彷彿とさせるも、彼とはまた違った魅力の歌声と彼の曲は耳にも優しく、とても68歳とは思えない若々しい歌声がステキだ。

「枯れ葉のサンバ(FOLHAS SECAS)」はベッチ・カルヴァーリョも好んで歌っていたとても有名な曲で、近い未来に朽ち果てるであろう自分の命を枯れ葉に例えて歌っている。

 

「明日私が死んでしまったら、友人たちはみな「惜しい人をなくした」と泣いてくれるだろう、そして花を手向けて祈ったりしてくれるかもしれないけど、時が経てば私が死んだことなどみんな忘れてしまうだろう。だから私に何かをしてくれるのなら生きているうちにしてほしい、花を渡してくれたり、友情の手を差し伸べてくれるだけで私の苦しみや悲しみも和らぐのだから」と歌う「生きているうちに優しさを」という曲はいろいろと考えさせられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう眠くなってしまったのでこの辺で。

 

シングルモルトウイスキーを吸いながらブログを書くものではないし、久しぶりのブログがこれかよって思いながら読んでもらえたら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう3年の付き合いになるサウナ友達のジローさんとは飲み友達でもあり、定期的にいろんなナイスな居酒屋に繰り出しては最終的にお互い飲みすぎて記憶を飛ばすみたいな遊びをしばしばやっているんだけど、1年前からジローさんもテントサウナオーナーになったこともあり「春だしテントサウナやりたいねぇ」みたいな話を飲みながらしていた。それが今月始めの話。

 

飲みながら「月末どう?」「月末やりましょう!」みたいな話になって、決行されたのが昨日の話。

 

 

最初は「3~4人くらいでやろう」って話をしていたのに、いつの間にか「あの人も声かけてみようか」「あの人も」「それならあの人も」ってことでいつの間にやら10人近くが来ることに。これはいつも通りですね。

 

都合により直前になって来られなくなってしまった人もいたし、1週間くらい前まで土曜日は雨予報だったんだけど、直前になったらどうやら晴れるらしかったのでホッとした。

 

 

せっかくのテントサウナパーティーなので楽しくなくっちゃ!というわけで前回の秋の裏弦秋祭りのときに大盛況だった、我らがトンベさん激推しのお店でもある駒沢大学駅近くにある横浜ラーメンおか本さんの特製チャーシューを今回も仕入れることに。

 

 

 

 

ただチャーシューを買いに行くためだけに駒沢大学駅に降り立つ男ではないんだ、私は。

 

しっかりと自慢のラーメンをおいしく頂いてきました。

 

 

 

 

 

券売機で食券を買ってから席につくなり、店主から「あっ、トンベさんとこの!?」と聞かれる。どうして分かったんだろう。

境南浴場パーカー着ていたからかな。

 

ラーメンもチャーシューメン+炙りチーズのトッピングで大変おいしかったし、味玉サービスもしてくださり感謝。

 

そしてチャーシューも2本持ち帰りをお願いしていたのが、店主から「トンベさんにはいつもお世話になってますから、1本サービスしておきますね。おいしく食べてください!」と男気溢れるおもてなしに全汗腺から涙が噴き出しそうになる。なんていいお店なんだ…さらにファンになってしまった。

 

帰り道には鉄アレイかと思うくらい重いチャーシューと重い胃袋を引きずって帰ったのだった。チャーシューって…意外に重いんですね…

 

 

 

 

 

そんなわけで当日朝9時、場所は私が仲間たちと昨年ヒィヒィ言いながらロードバイクで峠越えした国道413号線、神奈川県から道志村への入り口にある両国橋キャンプ場。

 

 

 

天気もよかったので道中たくさんのロードバイク乗りたちが気持ちよさそうに走っていた。

 

 

 

 

ジローさんを筆頭に、テントサウナの設営に慣れた人たちのおかげもあり、あっという間に組み上がり火入れされるロシアンカラーのMORTHことジロモル。

 

 

 

 

 

もちろん長崎を代表する丘の上の素敵なカフェ「ガレージカフェぐりぐり」のぐりタオルも忘れていません。

 

 

何のことやらわからないトーシローの諸君はツイッツァーで「#ぐりタオル放浪記」で検索、またはこちらを参照のこと

 

 

 

 

 

 

すっかり仕上がってゴキゲンなジロモルと私とぐりタオル。

 

そうです、ガレージカフェぐりぐりの回し者です。

 

 

 

 

 

 

 

前回同様、私はひたすらコーヒーを淹れるおじさんと化してしました。

 

幸運なことにも皆さんの舌に合ったみたいで何よりです。

 

 

 

 

 

もちろんおか本さんのチャーシューも

 

 

 

こうなって

 

 

 

 

 

こういう感じになって

 

 

 

 

 

こういう感じにもなりました。

 

なお、写ってはいないけど炙ったチャーシューをチェダーチーズスライスと共にホットサンドにして焼いて食べたりなどもしました。圧倒的に罪深かったです。

 

 

 

 

 

フィンランドで売っていたという謎肉の缶詰も食べました。

 

 

 

 

チェダーチーズスライスと合わせてホットサンドにしてやりました。

 

 

 

 

なお、ティンコさんによる「ホットサンドメーカーでホットケーキとかも焼けるんじゃないか!?」チャレンジも腹抱えて笑いながら見守っていたけど結局よくわかんない物体が完成したのは最高に面白かった。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに会ったサウナハット好きが家にサウナハットを忘れてきて、借り物のサウナハットを被ったらこの表情である。

 

 

 

 

しかし元気そうで何より。

 

川も透き通っていて最高に気持ちがよかったな。

 

 

 

 

 

 

 

楽しい時間もあっという間に過ぎて片付ける時間はいつだってどこか寂しさがあるのは、テントサウナが楽しすぎるのが原因なんだろうねぇ。

 

前日に仕入れてきたコーヒー豆もあっという間になくなって何より。

 

 

桜が満開の中でサウナに入れるロケーションというのは贅沢極まりない。主催者のジローさんと、参加された皆様には本当に感謝。

 

 

 

 

二次会として、某所にておいしいお酒と肴を頂けて本当に楽しい一日だった!生きていて本当によかった!そんな夢のような一日だった。

 

次回までにコーヒードリップの腕をさらに磨いておきたいな。何ならテントサウナ内に出前とかしたい。

 

 

 

 

 

暖かい一日だった。

 

春になると山のほうからポテトチップス コンソメパンチ味のような甘い香りが香ってくるのを地元にいる頃は毎年感じていた。これは私の嗅覚がおかしいだけなので全く気にしないでいい。

 

 

何も変わらない一日ではあるけど、しいて言えば私がひとつ歳をとったということらしい。

しかし、人間は年齢だけでは語り表せないものなので、私がひとつ歳をとることが、私が1年分大人になったかどうかということは必ずしもイコールではないということだ。大事なのは年齢ではないね。肝に銘じて今年一年も過ごしていこう。

 

 

 

生きてきた歳月ということを考えると、今日をもって私は6年前に亡くなった兄よりも年上になってしまった。

 

果たして、私は兄よりも立派な大人になれているだろうか、ということを考えていた一日だったけど、兄もそれほど立派な大人でもなかったのでこのことはそれほど気にすることでもないだろう。

(ここはアメリカ人の笑い声でお願いします)

 

 

 

 

朝から兄、姉たちからお祝いの言葉を賜りうれしい気持ちで目覚めた。そして話題はやはり亡き兄の話題だ。

 

一緒に暮らしていた頃は気だるい日常が永遠に続くものだと信じてやまなかったけど、どうやらそうではないらしい、ということに気が付いたのは兄がこの世を去ってからだった。

 

 

私は立派な大人になれているだろうか、と兄に聞いてみたいところだけど、それも叶わない。

人間、生きているうちにしか逢えないし、憎まれ口も叩き合えないのだ。それは過ぎ去ってしまってからでは遅すぎるのだ。

 

逢いたい人には週末にでも逢う約束をして、行きたい場所には今月のどこかで都合をつけて、という風にしていきたい。

 

 

 

兄には悪いが、兄が知らない世界を私は生きている。いつかあの世で再会したときには、あのときまだ生きていたらな~!と後悔させるくらい面白いお土産話をたくさん持って大往生してやるので兄は覚悟してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

そんな今夜は境南浴場へ。

 

 

 

兄弟3人で暮らしていた頃は徒歩3分の場所にあった銭湯だ。

 

そこを離れてから私も次兄もハマって足繁く通うことになろうとはその頃は思わなかっただろう。

 

 

 

 

 

昨年の緊急事態宣言後に入れなくなってしまったサウナ室のことを思うと、この状況下でもサウナと水風呂を楽しめることに大いなる感謝を。

 

 

 

今年は昨年以上に楽しい一年にしたい。可能な限り、家族たちにも逢いに行くね。