21時に眠りにつき、目が覚めたら23時だった。体感としては朝の4時くらいかなと思ったし、もしかして26時間眠ってしまっていたのかと錯覚したけど時計は2時間しか進んでない。

二度寝しようにも完全に目が冴えてしまって、もう一杯お酒でも飲もうかと思ったけど明日に響きそうだし、コーヒーを淹れて飲むのもいいかなと思ったけどコーヒーミルで豆を挽く音が夜中だとご近所迷惑になりそうだし、結局お湯を沸かして飲むことにした。

そう、ただのお湯だ。

なんだったらお湯の水割りを飲む。熱いから。


ほっとしたい時、二日酔いで死にそうな時、何か温かいものが飲みたいけどそれがお茶でもコーヒーでも焼酎お湯割りでもない時に飲むもの、それがお湯だ。

とても万能な飲み物だと思ってる。


暗闇の中で沸かしたお湯を飲むというのも不思議なもので、もはや何を飲んでいるのかもよくわからないけどそれが熱々なことだけは解る。闇湯というやつだな。

そんなものは無いが。


前にもブログに書いたりしていたけど、人間というのは至って単純な構造となっていて暖かくなると幸せになる生き物らしい。

いま私が不幸せかと言われると別にそうでもないけど、眠れなくて暗闇の中でお湯を啜っているという謎タイムを過ごしているという点ではそれに近いのかもしれない。


そしてお湯を飲み始めてから身体がとてもリラックスしてきて、闇湯もたまには悪くないなと思い始めてきた。

身体を温めるという行為は往々にして身体にいいとされることが多いし、体調がすぐれない時に飲む白湯もまた然りとされているので、眠れない夜の闇湯もそういった文献に追加を希望したい。根拠は全くない。


秋の終わりはどこかもの悲しいような、アンニュイな気持ちになってしまう季節だけど12月というのはなんだかワクワクした気持ちになる不思議な季節だ。一年の終わりを惜しむかのように人々は街へと繰り出しては暮れの買い物に出かけたり飲み会を何度となく開いたり「よいお年を」と来年また会う約束をしたり。

何かが終わり、また何かが新しく始まりそうな季節というのはいつだってワクワクしてしまう。


来年はどんな年になるだろう、と物思いに耽ながら飲むお湯は不思議と甘く感じる。


ただのお湯なんだけどね。


とかなんとか言っていたら二度寝できそうな気がしてきた暗闇の熱湯ゴクゴクおじさんは本日二度目の二度寝チャレンジを決行してみようか。

二度寝チャレンジってこどもチャレンジみたいですね。


敬愛するピアニスト、トミー・フラナガンが弾く「セントラル・パーク・ウェスト」を聴きながら、秋の思い出を少しずつ思い出しては噛み砕きながら眠る。