声が裏返るまで歌え 8月10日
「君が代」のもとになったのは、薩摩藩の若者たちが昔から親しんできた村祭りの唄である。作家の故丸谷才一さんは、長編小説『裏声で歌へ君が代』のなかで、主人公にこんな「蘊蓄(うんちく)」を語らせている。
▼「国家がどういふものなのかといふ気持がちつともなくて、村の御祝儀とか、お前さん長生きしてねとか、そんなくらゐの気持しかない。だからどうしても…」。「国歌」として堂々と歌う気になれず、裏声になってしまう、ということらしい。
▼リオデジャネイロ五輪の体操男子団体総合で、日本が金メダルを獲得した。エースの内村航平選手(27)は表彰式の前、メンバーに呼びかけていた。「声が裏返るまで歌ってやろう」。同じ「裏」の字が入っていても、丸谷さんの小説とは正反対の意味である。実際、金メダルを首にかけた5人は、大声で「君が代」を歌っていた。
▼男子団体の金は3大会ぶりである。「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」。12年前のアテネ五輪で、最後の演技者となった鉄棒の冨田洋之選手が、見事に着地を決めたシーンは、アナウンサーの名実況とともに多くの日本人の記憶に残る。「アテネを超えなければ、体操ニッポンの未来はない」。個人総合で、世界一の座を守り続けている内村選手は、団体戦に悲壮な覚悟で臨んでいた。
▼ところが、予選では信じられないミスが相次ぎ、まさかの4位通過だった。「人生で一番心臓に悪い日だといっても過言ではないんですけど、間違いなく一番幸せな日になった」。白井健三選手(19)の喜びの声には、実感がこもっていた。
▼数々の名言に出合えるのも、五輪の醍醐味(だいごみ)である。「言葉のメダル」が聞きたくて、熱帯夜での夜更かしが続く。
以上。引用終わり。
http://www.sankei.com/column/news/160810/clm1608100003-n2.html
今一つ、何をいいたいのかよくわからん文でした…w
点数の低い作文といった感が否めない。
人のことは言えないですけどw
体操男子団体が金メダルをとって、声が裏返るまで歌った、というのを聞いたとき、
森さんへのあてつけか何かか、などと勘ぐってしまいました。
そんなことはないと思うのですが、
私個人としては、違和感を覚えました。
というのも、君が代は、声が裏返るまで大声を出すような歌じゃないとかんがえているので。
歌わないのは論外ですが、歌い方というのもあって、
まぁ、それは個人個人で自由だとは思うので、とやかく言う必要はないのでしょうが、
声が裏返るほど大きな声で君が代を歌うというのは、変だと思います。
上記産経抄で一番言いたいのは、声が裏返るまで歌え、というタイトル通りのことでしょうけど、
賛同できないです。
君が代は、目を閉じて、静かに歌うような歌じゃないかと、
そんな風に思います。
フランス国家・ラマルセイエーズのような血なまぐさい歌詞であれば、
それこそ、声が裏返るまで、気でも狂ったかのように歌えばいいのでしょう。
君が代というのは、すごく品のある歌詞なので、
歌い方にも品が求められる気がします。
外国人はわからないにしても、
日本人には共感できるものがある気がします。
いずれにしても、歌わないよりかははるかにマシです。
▼内村航平 君が代熱唱 「声が裏返るまで歌ってやろうと」リオ五輪 体操団体金メダル 表彰台
やけくそにでもなって歌っているかと思ったら、
とても良い笑顔で、
若者らしく、すごく健全に歌っているようで、おおいに結構だと思います。
男子の体操選手には、おめでとうと言いたいです。
そして、何よりうらやましい!
自分の偉業をたたえるために、国旗が掲揚されて、国歌が流れる。
このような経験は自分は一生できそうもないですし、
その点、とてもとてもうらやましく思います。
自分が受験生だったころ、
ちょうどオリンピックイヤーで、テレビを見ていて全く同じことを思って、
さっそく君が代を録音し、勉強中に再生してみました。
しかし、これは勉強中に聞くものではないと思って、
2度3度聞いて、もう二度とやりませんでしたw
勉強中にいろいろな音楽を聞きましたが、君が代は残念ながら無理でした…w
さて、
君が代は、やけくそになってでかい声で歌うようなものではないと思います。
子どもたちは、その意味をよく考えたらよいのではないかと思うのですが、
学校の先生が歌わないくらいですから、その意味を考える機会が奪われているのかもしれませんね。
サッカー日本代表は、コロンビア戦の前に、
チームメイトで腕を組んで、そして目を閉じて歌っていましたが、
ああいうのは、とてもよいなと感じました。
大切にしている人のことを思い、
そして無我無私の境地に至る。
君が代は素晴らしい歌だと、つくづく思います。