別に、言うほど悪くないだろう…

 

 

 

 

ポイントは2点。

 

 

①キレたこと

 

確かに、大人気ないかもねwww

 

でも、言われたことに腹を立てたのは別に間違っていないと思う。

 

というのも、無責任だと記者が言っているのが、そもそもおかしいから。

 

おかしいのは、むしろ記者の方。

 

 

②自己責任

 

被害者は、いつまで被害者であり続けるのだろうか。

 

韓国は日本に対し、1000年被害者であり続けると発言したが、

 

それでははっきり言って変質者である。

 

原発事故の被害者とは認める。そこは争いの余地はない。

 

しかし、いつまでも被害者というのはおかしい。

 

いつまでも被害者と主張するのであれば、

 

それがあるとき自己責任の範囲内と言われても仕方ないと思う。

 

 

 

メディアは繰り返し今村大臣をディスっているが、

 

言われるほど悪いわけじゃないと思う。

 

 

私はむしろ、失礼な記者の方に焦点を当ててもらいたい。

 

 

北朝鮮情勢が、過去最高レベルの緊張状態にあるようだ。

 

 

キューバ危機の時、今の北朝鮮よりもはるかに強力なソ連相手にアメリカは一歩も引かなかった。

 

まして、北朝鮮程度の国が核開発・ミサイル開発を進めてアメリカの安全保障上の危機になるのを、アメリカがなぜ躊躇するようなことがあるだろうか。

 

 

トランプ政権は、アメリカファーストだから、

 

極東が不安定になっても、やるときはやる。

 

実際、

 

「もし中国が北朝鮮問題を解決しないなら我々がやる」

 

と明言している。

 

 

それにしても、わが国日本は、国民の生命・財産を守るために、何をしてくれるのだろうか。

 

ミサイルを全て撃ち落とせるのだろうか。

 

それとも、敵基地攻撃をしてくれるのだろうか。

 

わが国に不測の事態への備えができていればよいのだが。

 

何もないに越したことはないが、それにしても不安だ。

 

 

米中首脳会談の行方が気になって仕方ない。

 

 

【報ステ】教育勅語「教材として否定せず」の波紋

 

 

政府は先月31日、“教育勅語”をめぐり「教材としての使用を否定しない」という方針を示した。松野文部科学大臣は3日、「教育勅語を歴史の理解を深める観点から、社会科の教材として使う分には問題ない」と説明。また、菅官房長官は、教育勅語には道徳の観点からも学ぶべき点があるとした。しかし、教育勅語は、戦後まもなく、衆議院で排除の決議、参議院では失効の決議が行われている。“国家の非常時には天皇のために命を捧げよ”という精神は、国民主権の理念とは相容れないという理由からだ。菅官房長官は「親を大切に、兄弟姉妹仲良くする、友だちをお互い信じ合う、そういうことまで否定するべきではない。適切な配慮のもとに教材として用いること自体に問題はない」との認識を示した。

 

以上。引用終わり。

http://webnews.asahi.co.jp/ann_g_000097851.html

 

 

 

いや、逆に国がこれを否定した時の方が、怖くないか?

 

国がこれを否定したら、それこそ表現の自由の侵害であって、

 

違憲だと思うのだが、そうは思わないのだろうか?

 

 

ふだん、表現の自由を守れとか、そんなことを言っている人たちが、

 

この問題には無頓着でいられるとしたら、

 

それこそ憲法をないがしろにしていることとなろう。

 

 

 

教育勅語というのは、明治天皇のひらめきで突然決まったことでは決してない。

 

長いことわが国で醸成された徳目をまとめたものであり、

 

今もその価値観は十分共有できるものである。

 

 

わが国には宗教教育というのがないので、

 

道徳教育がどうしても必要となる。

 

道徳教育というのは、当たり前の価値観をみんなで共有することである。

 

それがないと、例えば子供が

 

「なぜ人を殺してはいけないのですか?」

 

という質問をしてきたときに、論理的に答えるという愚行を犯すこととなる。

 

 

こんなのは、ダメなものはダメである、と答えるだけで済ますべきで、

 

それが道徳教育だ。

 

 

私は、上記記事の、官房長官の言うことに、同感である。

 

 

私は、報道ステーションを見ていて、

 

コメンテーターが

 

「一部が良いからと言って賛同するのはよくない」

 

などといっていたが、

 

それこそ、一部が悪いからと言って全否定することはないと考えられないのかと思った。

 

 

 

以下、産経抄より引用。

 

 

居眠りする生徒が悪いのか、単調な授業が悪いのか

 

いまは亡き立川談志さんが地方で務めた高座で、事は起きた。「やってられるか」。名人芸に満座がどかんと沸く中、談志さんが仏頂面で座布団から立った。最前の客が1人舟をこいでいる。客はつまみ出された。


▼毒舌で鳴り響く人の前で居眠りとは、よほど太く丈夫な神経の持ち主に違いない。退席させられた客は後日、主催者側に損害賠償を求め、あえなく敗訴した。談志さんも、いい面の皮である。判決直後の談話が残っている。「今度は、居眠りしないで聞きに来い」。


▼演者と客の関係を教師と生徒に置き換えても、同じ真剣勝負の舞台だろう。ただし居眠りさせた側の力不足と居眠りした側の気の緩み、どちらに非があるかは判断が難しい。授業中に「居眠りする」と答えた高校生の割合は、日本が15・0%と突出しているという。


▼国立青少年教育振興機構が日本や米国、中国、韓国の高校生に行った、昨年の意識調査である。「居眠り」は授業態度とリンクしているらしい。「問題意識を持ち、聞いたり調べたりする」は12・3%で、中国の52・7%や、米国の34・5%と比べて極端に少ない。


▼「高い社会的地位に就く」(13・8%)や「リーダーになる」(5・6%)など将来的な野心も、4カ国の中で最も低い。脂ぎった欲が薄いということかもしれない。授業態度に見られる「受け身」の姿勢が、淡泊な人生観に投影されているのだとすれば悩ましい。


▼「単調は退屈の母」とは漫談家、徳川夢声の警句である。機構側は教員の側に「授業観の改善が必要」と生徒の意欲を引き出す工夫を求めるが、若者たちの人生観を変える刺激も必要だろう。泉下の談志さんに、お知恵を借りたいところである。「やってられるか」とは言うまい。

 

 

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/column/news/170319/clm1703190004-n1.html

 

 

 

正直、うちの塾にも寝ている人はいるw

 

そして、それに対する自分の態度も、相手や時に応じて、様々だ。

 

叱ったり、放置したり…。

 

 

 

さて、立川談志の上記の件は、よく覚えている。

 

当時の自分は、客が正しい、と思っていた。

 

というのも、サービスを購入した客は、そのサービスをどう受けようと、それは客の自由だと思っていたから。

 

しかし、裁判所は客を敗訴にしたというのは、理由はよくわからないが、それは牛丼屋に入って牛丼を購入しながら、それを食わずに持ち込んだ弁当を食っているのが許されないと考えれば、わかる気もする。

 

つまり、食堂には、食堂としての目的があり、その目的にかなった使用をすべきという義務が客にはあり、経営者はその施設運営権がある、ということだ。

 

だから、漫才を聞きに来て寝ている客がいたら、それは営業妨害、という見方も十分に成立する、のかもしれない。

 

 

しかし、レストランと違って、教室での睡眠というのは、もっともっと深い問題である気がする。

 

子どもたちが寝る理由というのは、実に様々だと思うからで、致し方ない場合もあると思う。

 

だから自分の対応も、一概にどうするかは言えないし、今後も決まった対応を取ることはしないと思う。

 

それでも、何度も何度も寝てばかりいると、ドカンといくのだがw

 

 

 

先日、中学1年生があまりにも授業中に落ち着きがないので、「子どもたちはなぜ人の話を聞かないのか、不思議で仕方ない」と言ってみた。

 

そしたら、「先生の授業がつまらないからだ」と即答されたwww

 

しかし、中学生の英語を面白く教えろと言われても、それは結構ムチャな注文で、

 

英語の授業は英文の内容により面白さが左右されるのだから、習い始めはとくにつまらない。

 

世の中には、テレビはケータイなど、ワンタッチで娯楽・快楽を与えるものが氾濫しているから、英語の授業よりも面白いものは山ほどあるだろうけど、

 

自分にとって楽しいものしか受けつけないという姿勢も誤りであると、知ってもらいたい。

 

勉強、あたまを使う、ということは、楽しいことでもあるし、大変なことでもあるし、しかしとても大切なことなのだ。

 

 

 

あと、やはり教える側の問題だろうが、日本の教育は受験でスコアが取れればよいという教育をやっているので、それではどうしても教室では、考えさせるということよりも、知識を伝えるということに終わってしまう気がする。

 

これでは、授業がつまらない、ということになりかねない。それこそ、単調は退屈の母になってしまうからだ。

 

要するに、授業中の睡眠については、どちらかが悪いのではなく、どちらも悪いということで、

 

やはり双方の理解が必要なのだと思う。

 

 

 

 

以下、愛媛新聞・地軸より引用。

 

 

教育勅語

 

先の戦争が終わるまで、全国すべての学校に「奉安殿」があった。中には「御真影」と呼ばれる昭和天皇、皇后の写真と、教育勅語の謄本(写し)が納められていた▲


「学校一番の神聖不可侵の聖域だった」と昔の本紙記事に載っている。前を通る児童生徒は全員、最敬礼が義務付けられた。写真や書類の紛失はもちろん、染みを付けただけでも学校長らの責任問題になり、火災や空襲から守ろうとして命を落とす教職員もいた▲


勅語は、親孝行や兄弟、夫婦の和などの道徳項目のほかに、戦争など有事の際、勇気をふるって身をささげ、皇室国家のために尽くすことが務め、と記している。軍国主義教育の根拠となった深い反省から、1948年に衆参両院で排除と失効が決議された▲


その勅語を、稲田朋美防衛相は「その精神は今も取り戻すべきだと考えている」と評した。自衛隊を指揮監督する立場での発言であり、非常に危うい▲


稲田氏に新たな「駆け付け警護」任務を与えられ、南スーダンに派遣された部隊が5月末に撤収することが決まった。わずか4カ月での唐突な撤収決定。そもそもの派遣の判断に疑念が湧く▲


理由は、現地の治安情勢悪化が濃厚だが、政府は「一定の区切り」と言い張る。稲田氏が現地からの「戦闘」報告を「武力衝突」と言い換えたのと同じ。国民を「臣民」とした教育勅語のように、自衛隊員を臣民と見なしているとしか思えない。

 

 

以上。引用終わり。

https://www.ehime-np.co.jp/online/column_chijiku/

 

 

 

教育勅語を一部引用します。

 

 

(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。

 

 

 

一旦緩急あれば、のくだりが特に気に入らない人たちが多いみたいですけど、

 

皇室がキライな人たちは、それはまぁ個人の自由なので、

 

天壌無窮の皇運を扶翼すべし、とは言わないにしても、

 

一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、は、社会の構成員として当たり前じゃないか?

 

 

例えば家訓があって、

 

一家がピンチになったら、全員で家族の危機に立ち向かおう、というのがあって、

 

それで、「オレは関係ねぇ」なんて人がいたら、

 

そういう人と家族は組めないし、

 

そういう人は家を出て、1人で暮らしていくべきじゃないか。

 

 

「その勅語を、稲田朋美防衛相は「その精神は今も取り戻すべきだと考えている」と評した。」

 

とあるが、

 

その精神とは、国がピンチになったらみんなで勇気を出して立ち向かおうという精神だと思う。

 

 

 

これをもって、軍国主義っていうのは、おかしいし、

 

そろそろその欺瞞に気がつかないものか。

 

 

日本は道徳的に悖っていたから戦争に負けたわけでも、

 

負けたから道徳的に悖っていたわけでもない。

 

 

東京裁判というのは、法的には全く無意味であり、

 

学会レベルでは全くお話にならない。

 

まさに勝者による敗者のリンチだった。

 

だから、彼らの理論を真に受ける必要は全くないのだし、

 

そろそろ欺瞞に気がついても良いと思うのだが…。

 

 

 

【森友学園・籠池氏会見(3)】
「温かい目で見てほしかった」…身の危険感じ開設断念

 

 

「(学校の)土地も習得でき、さあこれからというときに爆弾が炸裂した。私の顔写真が指名手配犯のように毎日テレビに出る異常事態だ。

 『瑞穂の國(記念小学院)』。神話にもとづく瑞穂の国。山の幸、おいしい水、空気で育った子供が、優れものにならないわけはない。選ばれてわが国に生まれた、優れもののための教育をしたかった」

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/west/news/170310/wst1703100071-n1.html

 

 

 

 

私は政治的には保守的な考えをするほうだと思うので、この人と政治思想的には同じ方向を向いていると思う。

 

しかし、教育者としては、賛同できない。

 

例えば、以下の動画。

 

 

▼塚本幼稚園の運動会 選手宣誓映像 森友学園

 

 

これでは、中韓の反日教育と内容は違えども、その手法は全く同じだ。

 

 

あと、会見で気になったのがこの部分。

 

「選ばれてわが国に生まれた、

優れもののための教育をしたかった。」

 

 

違う。私は、こうは思わない。

 

日本に生まれた人がすべて優れた者という発想は、おかしい。

 

これではまるで、選民思想だ。

 

私は中国・韓国はキライであるが、でも、これまでの人生で中国人・韓国人と話をしてきて、優れた人、敬意をいだく人は少なからずいた。

 

社会を抜きにして、個人としてつきあって、いい人は確かにいたし、今もつきあいは続いている。

 

 

私は、この人が学校を作ったとして、教育勅語を読ませるとか、修身の授業をするとか、

 

自分が賛同できる内容があったとしても、

 

やはりこの人からはムリだ。

 

温かい目で見てほしかった、とは言うが、

 

この人は死ぬまで自分が正しかったという思い上がりを抱えて生きていくのだろうと、

 

そんなことを思った。

 

 

それにしても、残念だ。

 

もう少しまともな人がやってくれていたら、素晴らしい学校ができたのではないかと思うので、それだけに残念だ。

 

 

 

 

 

 

以下、愛媛新聞・地軸より引用。

 

 

言い換え辞典

 

 「こんにゃく=裏金の隠語。100万円の札束を指す」―。森友学園を巡る「国有地の8億円値引き売却問題」で、陳情を受けた鴻池祥肇元防災担当相の弁で知った。政治の言葉はどうも分かりにくく、「言い換え辞典」が必要▲

 

 例えば「知らない、記憶にない=責任を取りたくない(元都知事)」とか「激しい武力衝突=戦闘だが、言うと憲法上問題になるので言い換える(防衛相)」とか。聞き手が「脳内変換」し続けなければまかり通ってしまう▲

 

 あるいは「テロ防止=国民の目をそらす万能の口実」とか。悪名高い「共謀罪」を政府は「テロ等準備罪」と言い換え成立をもくろむが、改正案に肝心の「テロ」の文言がなく、慌てて付け足すという。だが真の狙いは恐らく、捜査権力の一存で解釈自在の「等」の一文字▲

 

 言い換えによる印象操作は他にも。経済産業相は、情報漏れをとがめられたか突如、省内施錠や取材対応の厳格化を命じたが1週間で事実上撤回した。圧力にも等しい通知は「取材に不慣れな職員へのアドバイスのようなもの」。ものは言いよう▲

 

 その経産省は、原発から出る「核のごみ」の最終処分場候補地を「科学的有望地」と呼ぶことをやめる。決定と思われると困るというが、こればかりはいくら言い換えても印象操作は無理。原発問題の本質は隠せない▲

 

 言い換えねばならない言葉の裏の、政治の本音に耳を澄ます。架空の辞典を引きながら。

 

 

以上。引用終わり。

 

 

 

 

以下、あるサイトより引用。

 

 

朝日新聞の用語集

・「しかし、だからといって」
 ここから先が本音であるという意味


・「議論が尽くされていない」
 自分たち好みの結論が出ていないという意味


・「国民の合意が得られていない」
 自分たちの意見が採用されていないという意味


・「異論が噴出している」
 自分たちが反対しているという意味


・「政府は何もやっていない」
 自分たち好みの行動を取っていないという意味


・「内外に様々な波紋を呼んでいる」
 自分たちとその仲間が騒いでいるという意味


・「心無い中傷」
 自分たちが反論できない批判という意味


・「皆さんにはもっと真剣に考えてほしい」
 アンケートで自分達に不利な結果が出てしまいましたという意味


・「アジア諸国」
 中国、韓国および北朝鮮の事、それ以外の多くのアジアの国は含まれない


・「ただ、気になることがある」
 論理薄弱のため心配事の表現形式で、自社主張の「なんくせに誘導しますよ」という意味

 
 

以上。引用終わり。

 

愛媛新聞も、この用語辞典必要なんじゃないかと思いますw

 

 

 

一見、昨年よりも楽に思えた。

 

割合スラスラ読める。なんだ、今年は平凡な内容だな、去年の問1(A)はかなり大変だったが、と思って取り組み、答えも出したのだが…。

 

東大の英語は、そんなにシンプルじゃない。

 

 

問1(A)は、要約問題だが、正直、私はみっともないことに、今年の問1を読み違えた。

 

というか、論点をはずした。

 

英語の問題はクリアできていたのだが、国語的にダメな答案を書いてしまった。

 

油断したのかもしれない、が、結果は結果。

 

それにしても、近年まれにみる良問だと、あらためて思う。

 

 

 

問1(B)は全問正解だったが、少々時間をかけすぎた。

 

英語のテストで時間がかかるというのは、出来なかったのと同義である。

 

 

 

なんか、こんなことを言ってはいけないのだが、自分の限界を感じてしまう問題だった。

 

英作文をぱっとみたのだが、2問とも60~80語で書け、という指示。

 

これでは、かなりの高速でやらないと、とても時間が足りない。

 

前半45分で、問1(A)、問2、問4、記述の問題をまとめて終わらせて、そしてリスニングの問題にかるく目を通さなくちゃいけないのだが、はたして終わるだろうか…

 

 

現在の自分の能力だと、厳しいかもしれない、正直。

 

私自身、これまで英語をきちんと学んできたつもりである。

 

しかし、東大模試の結果を見ると、私以上にスコアを取ると思われる子たちはたくさんいる。

 

これって、もしかしたら生まれ持った才能の差なのかな、と正直思ってしまう。

 

 

それは、プロ棋士になる中学生にアマチュアのオッサンが全く歯が立たないのと同じようなものかもしれない。

 

 

 

 

東大の問題は、なんだか自分にとっては自分の凡才っぷりをあぶりだしてくれるかのようだ。

 

ただ、安易に才能のせいにしてはいけないのかもしれないので、

 

やはり自己研鑽を積まねばならないと思った。

 

例え東大英語で100点を超えなくても、60点で十分合格できる範囲内である。

 

つまり、天才だけが入れる大学というわけではないのだから。

 

 

受験生も心が折れるかもしれないが、あきらめないで頑張ってもらいたい。

 

 

PS

東進が出している問1(A)の模範解答は、自分と同じく、論点を外していると思います。

自分は東進の答案をみて、自分の答案のミスに気がつきませんでした。

しかし、駿台の模範解答を見て、ビビりました。駿台の模範解答を見て、もう一度英文を読み直し、そして自分はようやく自分の論点ズレに気がついたのです。

 

よく見比べてもらえたら、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

馬鹿とは、まさにこのこと。

 

 

マレーシアの対応非難=北朝鮮、正男氏事件を初報道―「露骨な主権侵害」と主張

 

【ソウル、クアラルンプール時事】北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏が殺害された事件で、北朝鮮国営の朝鮮中央通信は23日、身元の特定を避けながらも事件を初めて報道し、検視を行ったマレーシア当局の対応を「主権の露骨な侵害」と非難した。

同通信によると、朝鮮法律家委員会スポークスマンは22日付の談話で
「マレーシアで2月13日、外交旅券を持つわが国民が航空機搭乗前に突然、ショック状態に陥り、病院搬送中に死亡した」と発表。マレーシア外務省や病院側が当初、「心臓まひによる死亡」と北朝鮮大使館に伝えたと説明した。しかし、韓国メディアが「毒殺」と報じたことを受け、マレーシア側が「引き渡し要求や国際法を無視し、われわれとの何の合意も立ち会いもないまま」検視を行ったと批判した。

スポークスマンはさらに、「マレーシア警察は客観性、公正性を欠き、何者かの操縦に従って捜査の方向を定め、われわれに嫌疑を掛けている」と主張。
「南朝鮮(韓国)当局は、事件を以前から予見し、脚本まで作っていた」と決め付けた。

マレーシア警察は北朝鮮に対し、事件に関与した疑いのある在マレーシア大使館のヒョン・クァンソン2等書記官らの事情聴取や、既に本国に戻ったとみられている北朝鮮国籍の4人の容疑者の身柄引き渡しを求めているが、北朝鮮が拒否するのは確実だ。

 

以上。引用終わり。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170223-00000021-jij-kr

 

 

 

馬鹿(ウィキペディアより引用)

 

秦の2代皇帝・胡亥の時代、権力をふるった宦官の趙高は謀反を企み、廷臣のうち自分の味方と敵を判別するため一策を案じた。彼は宮中に鹿を曳いてこさせ『珍しい馬が手に入りました』と皇帝に献じた。皇帝は『これは鹿ではないのか』と尋ねたが、趙高が左右の廷臣に『これは馬に相違あるまい?』と聞くと、彼を恐れる者は馬と言い、彼を恐れぬ気骨のある者は鹿と答えた。趙高は後で、鹿と答えた者をすべて殺したという。

 

 

 

北朝鮮の言い分を聞いていると、馬鹿としか思えない。

 

つまり、この故事の馬鹿を思い出す。

 

まったく、紀元前から成長していないのだろうか、北朝鮮人は。

 

 

私は、日本に生まれたことを本当に感謝するし、

 

後世の日本人も同じように思えるよう、

 

私たちは責任をもって今を生きる必要があると思う。

 

本当のことを言えない社会というのは、すごくイヤだ。

 

 

 

以下は、産経新聞からの引用です。

 

 

「家族会」結成20年…ついに横田夫妻も来られず 北朝鮮拉致、制裁解除の「見返り」も提案 家族に迫る厳しい現実

 

北朝鮮による拉致被害者家族会と救う会が19日、「今年中」と期限を初めて明記して全被害者の奪還を政府に求める運動方針を打ち出した。背景には問題が長期化する中で、家族が直面する厳しい現実がある。

 

「家族には亡くなった方もいる。もう待てない状況なんです」。家族会の飯塚繁雄代表(78)は固い表情でこう語った。「横田ご夫妻も来られない状態になってしまった」

 

この日の会議に横田めぐみさん(52)=拉致当時(13)=の両親、滋さん(84)と早紀江さんは(81)の姿はなかった。滋さんは足腰が弱って言葉が出にくくなり、早紀江さんも体調不良を抱えている。苦渋の欠席だった。

 

早紀江さんは合同会議を前に「皆さんに本当に申し訳ない」とした上で、「すべての拉致被害者を必ず取り戻せると信じている。老いや死を強く意識するようになったが、いつ倒れても悔いのないよう全力で訴え続ける。国民も怒りを伝えていただきたい」と思いを語った。

 

救う会の西岡力会長は家族を先頭に多くを背負わせる活動は限界と指摘、「日本国民が一丸で北朝鮮から同胞を助ける運動にしなければならない」と話す。

 

運動方針に解決期限を明記し、全被害者を帰す「見返り」として制裁解除を提案した姿勢には、あらゆる策を突き詰め、是が非でも被害者を奪還したい家族の痛切な思いがにじむ。

 

めぐみさんの拉致から40年、家族会結成から20年。「これほど長い時がたってしまったことが大問題。どういう手段を使ってでも被害者が帰ってくればいい」。飯塚さんはそう語る。拉致を最優先課題とし、解決に全力を尽くすと約束した安倍晋三首相に改めて切迫した状況を伝え、具体策を確認したいという。

 

以上。引用終わり。

http://www.sankei.com/world/news/170219/wor1702190060-n1.html

 

 

 

 

戦前の日本人なら、それこそこのような国家による誘拐なんかあったら、

 

すわ開戦、の世論が巻き起こったことだろう。

 

実際に、サンフランシスコ学童隔離があったとき、そのような世論が起こった。

 

当時の日本人は、学校で修身を学んでいた。

 

だから彼らには、今の日本人にはない徳目が確かにあったのだろう。

 

 

 

今の日本でこの拉致問題に関して、世論が澎湃として起こらないのは、

 

つまるところ、他人のことはどうでもよい、という日本人が増えてしまったからではないか?

 

 

 

私は、このようなニュースを北朝鮮はよく見ていると思う。

 

彼らはきっと、こう考えるだろう。

 

拉致問題の会議に参加する人が年々減っている。

 

いずれ風化し、問題はなくなるだろう、と。

 

 

 

情けない、実に情けないです。

 

 

 

私は、拉致被害者は、今も生きていると信じる。

 

というのも、前回、帰国する予定でなかった5人が帰国という結果にたまたまなり、

 

それで全員帰ったと信じる根拠が全くないからである。

 

北朝鮮は、その後も不誠実な対応を繰り返すばかりだ。

 

北朝鮮の言い分を信じろと言われても、まともな人なら信用できるわけがない。

 

 

 

拉致といい、テロといい、暗殺といい、

 

およそ近代国家の体をなしていない、文字通りのならず者国家である。

 

きっとアメリカなら、こう交渉するだろう。

 

金正恩に向かって、

 

拉致被害者を返さないのなら、お前の命をミサイルで確実に葬りさるけど、

 

返すのであれば、当面、現状維持を認めてやる。

 

どっちか選べよ、と。

 

 

 

アメリカなら、交渉を成功させようと努力するだろうし、

 

国民世論もそれを求めると思う。

 

 

 

力無き正義は無力だ。

 

 

昔、中国人の友人にこういわれたのを、私は一生忘れられない。

 

 

『日本人は原爆落とされて、去勢された。』

 

 

言われた時、ものすごく悔しくて、でも反論できなかったが、

 

今も反論できないどころか、全くもってその通りだと思うのが情けない。