以下、愛媛新聞・地軸より引用。
教育勅語
先の戦争が終わるまで、全国すべての学校に「奉安殿」があった。中には「御真影」と呼ばれる昭和天皇、皇后の写真と、教育勅語の謄本(写し)が納められていた▲
「学校一番の神聖不可侵の聖域だった」と昔の本紙記事に載っている。前を通る児童生徒は全員、最敬礼が義務付けられた。写真や書類の紛失はもちろん、染みを付けただけでも学校長らの責任問題になり、火災や空襲から守ろうとして命を落とす教職員もいた▲
勅語は、親孝行や兄弟、夫婦の和などの道徳項目のほかに、戦争など有事の際、勇気をふるって身をささげ、皇室国家のために尽くすことが務め、と記している。軍国主義教育の根拠となった深い反省から、1948年に衆参両院で排除と失効が決議された▲
その勅語を、稲田朋美防衛相は「その精神は今も取り戻すべきだと考えている」と評した。自衛隊を指揮監督する立場での発言であり、非常に危うい▲
稲田氏に新たな「駆け付け警護」任務を与えられ、南スーダンに派遣された部隊が5月末に撤収することが決まった。わずか4カ月での唐突な撤収決定。そもそもの派遣の判断に疑念が湧く▲
理由は、現地の治安情勢悪化が濃厚だが、政府は「一定の区切り」と言い張る。稲田氏が現地からの「戦闘」報告を「武力衝突」と言い換えたのと同じ。国民を「臣民」とした教育勅語のように、自衛隊員を臣民と見なしているとしか思えない。
以上。引用終わり。
https://www.ehime-np.co.jp/online/column_chijiku/
教育勅語を一部引用します。
(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。
一旦緩急あれば、のくだりが特に気に入らない人たちが多いみたいですけど、
皇室がキライな人たちは、それはまぁ個人の自由なので、
天壌無窮の皇運を扶翼すべし、とは言わないにしても、
一旦緩急あれば、義勇公に奉じ、は、社会の構成員として当たり前じゃないか?
例えば家訓があって、
一家がピンチになったら、全員で家族の危機に立ち向かおう、というのがあって、
それで、「オレは関係ねぇ」なんて人がいたら、
そういう人と家族は組めないし、
そういう人は家を出て、1人で暮らしていくべきじゃないか。
「その勅語を、稲田朋美防衛相は「その精神は今も取り戻すべきだと考えている」と評した。」
とあるが、
その精神とは、国がピンチになったらみんなで勇気を出して立ち向かおうという精神だと思う。
これをもって、軍国主義っていうのは、おかしいし、
そろそろその欺瞞に気がつかないものか。
日本は道徳的に悖っていたから戦争に負けたわけでも、
負けたから道徳的に悖っていたわけでもない。
東京裁判というのは、法的には全く無意味であり、
学会レベルでは全くお話にならない。
まさに勝者による敗者のリンチだった。
だから、彼らの理論を真に受ける必要は全くないのだし、
そろそろ欺瞞に気がついても良いと思うのだが…。