湘南の建築家のひとりごと -4ページ目

和室

和室。
この呼び名をあらためて考えてみると「なんだっけな?」と思う。
つまり、「リビング」や「子供部屋」「浴室」などなど使用目的がはっきりしている場合
その部屋の位置や大きさなどは、ある条件にそってカタチがはっきりしてくる。
そこで和室。
もともと、住宅の歴史をさかのぼれば特に部屋名がはっきりとはしていなかった筈だ。
平たく言えば、昔は全てが畳敷の空間で、それを帖数で言い表して、用途に合わせて
使う場所を移動しながら使っていた。
現代の住宅は、そのほとんどが畳敷以外の床材などで仕上げているので、畳敷はむしろ
特殊なしつらえの印象だ。
(そんなこと言いながら、フツーにフロア材の部屋を設計しているのが事実だが、、、)

設計者自らが、疑問を抱きながらじゃどうしようもないが。

だから、ヒアリング時に「和室が欲しい」とリクエストを受けた時にはその、ご家庭の
「何でも受け皿的な空間」と置き換えてイメージプランとしている。
つまり、古来(大袈裟?)からある畳敷の部屋の可変性を生かして、いろいろな要素を
持ち、答えてくれる場所として。

例えば、スペース的に無駄であっても「気持ちの余裕」を生み出す空間としての存在。
また、急な対応に応じた一時的な収納部屋空間としての存在。
また、「膝をつきあわせ」じゃないけれど、どっしりと密な時間を共有する空間としての存在。
そして、ゲストをおもてなしする際の演出の空間としての存在。
まだまだ、考えるといろいろ当てはめられる。

そのくらい、未だに日本人の生活に直接的に使いこなせる空間だ。

そう考えて、和室のあり方を考えると「なんだっけな?」が一つの回答かもしれず
その曖昧さが日本の住宅の素晴らしい寛容さを物語り、それを設計、お客様ともに
無意識に求める結果なのかもしれない。

さしずめ、この時点で自分が和室を使うなら旨ーい大吟醸の日本酒を飲んでズルズルな状態で
畳の心地よさを頬で感じながら眠りこける感じだな。

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書斎

「ヒアリング」で家づくりのご希望を伺う。
その際に出てくる、各部屋ごとのご要望箇所の一つに「書斎」がある。

不思議な事に、何故かリクエストの優先順位としては後ろのほうであり
しかも、たいていが旦那さんが控えめな口調で「あのー書斎も作れますかねー?」と。

自分自身、自宅に書斎は構えていないので(構えられないのが事実だが)
経験則に乏しい話で恐縮だが、書斎の定義が変わったと思う。

我々の親の世代あたりでは、書斎は父親の専用部屋のような印象が強かった。
威厳に満ちた場所で、やすやすとは入れない空間。

しかし、現在の書斎の定義は「共有空間」の傾向が強い。
つまり、夫婦で共有できるし、子供も一緒に使える空間ということだ。

思いつく理由はいくつかある。
まず、仕事のツールがPC主体となり書籍を何冊も広げるスペースが省けてきたこと。
そして奥様方も仕事をされていて、とても忙しい時間をすごしている事。
この二つで言えば、特に後者の要因が大きいように思う。

奥様方は仕事以外に、日々家事をこなしている。
朝食から始まり、掃除、洗濯、子供の行事のスケジュール管理、アイロンがけ、昼食、夕食など
思いつくだけでこれだけあり、まだまだあるはずだからからかなり忙しい。
つまり、家事から逃れることができずに大切な自分の時間も確保するには、家事をこなす空間(部屋)に近接、あるいはつながっている書斎は必然の場所となってくる。
あるいは「家事コーナー」と読み替えてもいいような気がする。


個人的な設計の立場から見てこの変化は賛成だ。

一日のなかで家に滞在している時間は、奥様方の方が圧倒的に長い。
それであれば、家事コーナーを存分に使ってもらうほうが空間が生きてくると思う。
何も、仕事や家事だけでなく趣味の時間としても使えるし
子供達が帰ってくれば、互いに別の事をしていたとしても距離感が近いことから
会話や気配で共有感が高まると思う。
そして、夜は旦那さんのスペースにシフトすればよいと思う。

もう一つの効果として気づいたことがある。
それは、「書斎/家事コーナー」に併設すうことが多い本棚の存在だ。
みんなのスペースになると、そこに並ぶ本の種類もにぎやかになる。
難しそうな本の横に、写真集やマンガがあり、そして料理レシピ本が並びと
実ににぎやかで楽しい。
例えば、旦那さんが何気なく開いたレシピ本から、今晩のメニューが決まり
夫婦で調理がはじまる。
難しそうな本を子供が開き、さっぱり何が書いてあるかはわからないけれども
パパの仕事を想像してみたり。
反対に子供のマンガが実はとっても楽しくてすっかり大人がはまったり。

空間的な共有が、気持ちの共有までもを深くしてくれると思う。

書斎へのリクエストは様々だが、実際の広さ以上に様々な効果を想定して
設計を心がけている。

ヒアリングの際に優先順位が後ろの書斎。
でも、これはもしかしたら旦那さんは全てをわかっていて
奥さんや子供達家族への空間として作ってもらいたいという、ある種の照れであり
そして優しさの表現なのかもしれない。















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クルマ

最近、クルマが気になり始めた。

クルママニアとは全くかけ離れているが、クルマは好きだ.
とは言え、諸事情から好きなクルマを次々となど、到底無理だし
仕事の時も公共交通か自転車の手段がもっぱらだから、意図せずクルマへの
意識を封印していた。

ところが、そんな調子を10年以上続けていった結果、我が家のクルマも13万キロ超えと
結構走っていたのだ。
国産車だから問題なく走ってくれるが、ヤレ感は否めなく、部品交換の箇所もだいぶ増えてきている。
また、中途半端にサイズがありながら、中途半端な排気量のため妙に燃費も悪い。
色々と気になり出す同時に現行のクルマの性能へも興味が湧いてきたのである。

クルマが売れない。
悲観的、排他的に捉えればいまのクルマの環境は魅力が減っているように見えるが
この状況下だからこそ、各メーカーの手腕がいかんなく発揮されてオリジナルカラーで
見え始めてきたように思える。

燃費に特化したタイプの車種でも、ストレートに数値を謳うところもあれば
技術力で数値以上の説得性を表現したり、イメージを先行させたりと試行錯誤が直接的に
見られるのでとてもおもしろい。

カタチについても、一部の車種は「誰にでも」よりも「好きな方へ」との主張も強くなってきた。
恐らくいままでは抑えられていた若手の意見が、逆に必要な絶対条件となってきて台頭し始めたようで
楽しみであり、期待感が高まる。

多くのメーカーが「売れるには」はもちろんだが「自分が買うならば」と意識を変えてきているように
思う。
やはり、原則は「自分の立場に置き換えて、同じ立場の感情で善し悪しの判断をする」ことが大切なような気がする。
少なくとも、自分の喜びとすることは、誰かに分け与えて共有できれば素直に「楽しい」ことだから。

大企業自ら、意識を変えて開発提供をしてくれれば、我々消費者も選択肢が広がるという以上に
「何となく買う」ではなくて「これを買う」という目的意識と見極める力が強くなるような気がする。

そんな視点でいまのクルマの環境を見ると、どうのような変化をしていくにせよ
クルマへの期待が増していくばかりである。

話を戻し、我が家のクルマ選びは、まだまだこれから、どんなクルマが出てくるのかの期待が勝って
なかなか決まらなそうである。
それに、かなりの年寄りでスリキズやヘコミだらけの我が家の車への愛着も相まってもいるし。


最後に
恐らく手にする事はないと思うが家族全員がかっこいいと言ったクルマがあった。
かなりデザインが強く、ユーティリティなどは二の次的な感じとSUVでサイズはあるはずなのに
スケールレスに見せるデザインも主張が強くて好きだ。

RANGE ROVER EVOQUE








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