もてなし
茶道において客をむかえるための構成がある。
「しつらい」「よそおい」そして「もてなし」だ。
この「もてなし」の理解を再び。
現代の日常会話の「もてなし」の意味と茶道の「もてなし」は違う。
現代のそれは、むかえた人を直接的に喜ばせ満足させるためのサービス的な主旨が強い。
茶道においては、精神性に基づき深い配慮で人をむかえ、やはり客もそれを感じて深い理解で
満足することだ。
茶道は基本的に「一期一会」。
だから「もてなし」のために亭主は一回きりの相手を思い、通り一遍でなく特定の相手のためだけに
もてなしを心得る。
それはサービスとは違う気がする。
この「もてなし」は仕事においてもとても大切だと考える。
仕事としてと全てをウェルカムなスタンスであることは大切だと思う。
ただ反面、本当のお客様へのスタンスを構える姿勢とはちょっと違う気がする。
なぜ、目にとまったのか?
なぜ、問い合わせをしてくれたのか?
なぜ、依頼をしてくれたのか?
こう考えると、やはりお互いがよい意味で特定の相手であり、依頼をされた側はその意味を
真剣に深く考え、自分が出来ることでを相手にとっての特別で特定な答えを出すことではないかと思う
それは、サービスではない。そして、サービスで出来る事ではない。
それは、一方通行的な行為でなく、例え時間がかかったとしても、互いの考えを高めてることが
「なぜ」から始まる問いへの真剣な答えだと思う。
つまり「もてなし」だと思う。
現在使われている「もてなし」のニュアンス。
これも心得る必要がある大切なこと。
ただ、本来の「もてなし」を前提としたうえで、相手をむかえ、思う行為、思う気持ちは
必ず伝わると信じている。

「しつらい」「よそおい」そして「もてなし」だ。
この「もてなし」の理解を再び。
現代の日常会話の「もてなし」の意味と茶道の「もてなし」は違う。
現代のそれは、むかえた人を直接的に喜ばせ満足させるためのサービス的な主旨が強い。
茶道においては、精神性に基づき深い配慮で人をむかえ、やはり客もそれを感じて深い理解で
満足することだ。
茶道は基本的に「一期一会」。
だから「もてなし」のために亭主は一回きりの相手を思い、通り一遍でなく特定の相手のためだけに
もてなしを心得る。
それはサービスとは違う気がする。
この「もてなし」は仕事においてもとても大切だと考える。
仕事としてと全てをウェルカムなスタンスであることは大切だと思う。
ただ反面、本当のお客様へのスタンスを構える姿勢とはちょっと違う気がする。
なぜ、目にとまったのか?
なぜ、問い合わせをしてくれたのか?
なぜ、依頼をしてくれたのか?
こう考えると、やはりお互いがよい意味で特定の相手であり、依頼をされた側はその意味を
真剣に深く考え、自分が出来ることでを相手にとっての特別で特定な答えを出すことではないかと思う
それは、サービスではない。そして、サービスで出来る事ではない。
それは、一方通行的な行為でなく、例え時間がかかったとしても、互いの考えを高めてることが
「なぜ」から始まる問いへの真剣な答えだと思う。
つまり「もてなし」だと思う。
現在使われている「もてなし」のニュアンス。
これも心得る必要がある大切なこと。
ただ、本来の「もてなし」を前提としたうえで、相手をむかえ、思う行為、思う気持ちは
必ず伝わると信じている。

外壁
外壁は建物の印象を大きく左右する。
つまり、外壁の選択次第では、考え抜かれたデザインが施された
建物も素材一つで表現性がスポイルされてしまう。
ただ、商業的な目的や多目的な用途がミッションの場合は意外性や
打破的な意味を含めた素材選択はおおいにあると思う。
私の場合は住宅建築や店舗設計の御依頼をいただく機会が多い。
そして、住宅建築の外壁においては私なりに慎重に検討している。
それは、そこに住まうお客様とのヒアリングから得た家のキャラクター要素や
その家が建つ周りの雰囲気。近隣の家との距離感など要素は多い。
いかに、周辺環境に調和し奇抜で一時的な演出性を控えながらも
同化されることなく、むしろ静かにそして永続性ある主張ができる外壁の選択が大切に思う。
そんな外壁の選択眼は、過去からの経験が大きい。
これまでの仕事の履歴を軽く説明すると、新卒ですぐに湘南の地で仕事に就いた。
当時なら、東京にあるアトリエ事務所での修行が一般的だった。
でも何故かそちらへの興味が湧かず、縁あって藤沢片瀬にある「技拓」という会社に入社させてもらい
設計室にて設計のイロハを学んだ。
「技拓」は湘南の雰囲気を伝える住宅の元祖である。
社長を筆頭に社員の多くが鵠沼育ちの生粋の湘南人間のような集団だ。
当然、さり気なく文化的でカッコいい大人達。
設計施工という肩書きの会社ながら、それ以上のセンスを求めて御依頼されるお客様が多かった。
そして、次に「クリプトン」という会社に転職。
社長の名は、佐賀亜光氏。
彼も生粋の鵠沼人間で仕事はもとより
日本のサーフィンの草分け、サーフィン業界ではレジェンドだ。
ここでは、クリプトンで手掛けた殆どの設計をさせてもらった。
そして現在に至る。
「技拓」においては外壁材として杉材など、自然素材を
張る工法のノウハウを経験した。
単に「自然素材を張る」だけでなく、美しく見せるためには
プランニング(平面計画)から徹底した配慮が必要なことや
自然素材ならではの経年変化の見せ方やメンテナンスの容易さの重要性など多くを学んだ。
「クリプトン」においては自然素材と白い外壁という組合せのテーマで
どうすれば、湘南らしい住宅が表現できるかを考えた。
佐賀氏は設計ではなく経営者だったが、藤沢の自然と海の関係や、当時そこに建てられていた
別荘のたたずまい方などローカルの視点で多くを語ってもらい、「現在の湘南にふさわい建物の
あるべき姿は!」などを話し合い、色の配色や素材の使い分けの検証を重ねながら、スタイルを
作り上げていった。
「あくまでも、さりげなくカッコよくいこうぜ!」をテーマとして。
本当に僭越であり、おこがましく、嫌らしく聞こえるが、現在巷で「湘南のスタイル」
とうたって白い外壁と板張りとのコントラストの建物の表現を作り出したのは
「技拓」で学んで「クリプトン」で実践した我々だと思う。
そして、なによりもそのスタイルに共感して御依頼をしてくれたお客様方のお陰で
実践、実績を得ることができた。
だから、今でも「湘南のスタイル」とされる建物とは一線を画す設計が出来る自負はある。
表現的には僅かな差異に見えるかもしれないが、この差が建物の魅力の多くを引き出す。
そして建物の寿命への貢献度も技法の差で大きく左右している。
現在は、更に表現の引き出しを増やすべく新たな試みも行っている。
施工のパートナーとでもいうべき心強い施工会社がある。
そこの技術は職人さんの心構えから始まりとても意識が高い。
そして、技術者としての自信に満ちた経営者自らが現場の目線を持っているから慣習的な仕事でなく
前向きに変化している。
「普通の外壁なら、そんなに変わんないじゃん!」という声も聞こえてきそうだが
出来上がるまでの工法、素材の厳選などまつわる全ての集大成が「外壁」であり
ビジュアル的にもダイレクトに表現される箇所であり、なかなか悩み多いが、深く考え抜いた結果として
必ず、完成度の高い仕上げが約束できる。

つまり、外壁の選択次第では、考え抜かれたデザインが施された
建物も素材一つで表現性がスポイルされてしまう。
ただ、商業的な目的や多目的な用途がミッションの場合は意外性や
打破的な意味を含めた素材選択はおおいにあると思う。
私の場合は住宅建築や店舗設計の御依頼をいただく機会が多い。
そして、住宅建築の外壁においては私なりに慎重に検討している。
それは、そこに住まうお客様とのヒアリングから得た家のキャラクター要素や
その家が建つ周りの雰囲気。近隣の家との距離感など要素は多い。
いかに、周辺環境に調和し奇抜で一時的な演出性を控えながらも
同化されることなく、むしろ静かにそして永続性ある主張ができる外壁の選択が大切に思う。
そんな外壁の選択眼は、過去からの経験が大きい。
これまでの仕事の履歴を軽く説明すると、新卒ですぐに湘南の地で仕事に就いた。
当時なら、東京にあるアトリエ事務所での修行が一般的だった。
でも何故かそちらへの興味が湧かず、縁あって藤沢片瀬にある「技拓」という会社に入社させてもらい
設計室にて設計のイロハを学んだ。
「技拓」は湘南の雰囲気を伝える住宅の元祖である。
社長を筆頭に社員の多くが鵠沼育ちの生粋の湘南人間のような集団だ。
当然、さり気なく文化的でカッコいい大人達。
設計施工という肩書きの会社ながら、それ以上のセンスを求めて御依頼されるお客様が多かった。
そして、次に「クリプトン」という会社に転職。
社長の名は、佐賀亜光氏。
彼も生粋の鵠沼人間で仕事はもとより
日本のサーフィンの草分け、サーフィン業界ではレジェンドだ。
ここでは、クリプトンで手掛けた殆どの設計をさせてもらった。
そして現在に至る。
「技拓」においては外壁材として杉材など、自然素材を
張る工法のノウハウを経験した。
単に「自然素材を張る」だけでなく、美しく見せるためには
プランニング(平面計画)から徹底した配慮が必要なことや
自然素材ならではの経年変化の見せ方やメンテナンスの容易さの重要性など多くを学んだ。
「クリプトン」においては自然素材と白い外壁という組合せのテーマで
どうすれば、湘南らしい住宅が表現できるかを考えた。
佐賀氏は設計ではなく経営者だったが、藤沢の自然と海の関係や、当時そこに建てられていた
別荘のたたずまい方などローカルの視点で多くを語ってもらい、「現在の湘南にふさわい建物の
あるべき姿は!」などを話し合い、色の配色や素材の使い分けの検証を重ねながら、スタイルを
作り上げていった。
「あくまでも、さりげなくカッコよくいこうぜ!」をテーマとして。
本当に僭越であり、おこがましく、嫌らしく聞こえるが、現在巷で「湘南のスタイル」
とうたって白い外壁と板張りとのコントラストの建物の表現を作り出したのは
「技拓」で学んで「クリプトン」で実践した我々だと思う。
そして、なによりもそのスタイルに共感して御依頼をしてくれたお客様方のお陰で
実践、実績を得ることができた。
だから、今でも「湘南のスタイル」とされる建物とは一線を画す設計が出来る自負はある。
表現的には僅かな差異に見えるかもしれないが、この差が建物の魅力の多くを引き出す。
そして建物の寿命への貢献度も技法の差で大きく左右している。
現在は、更に表現の引き出しを増やすべく新たな試みも行っている。
施工のパートナーとでもいうべき心強い施工会社がある。
そこの技術は職人さんの心構えから始まりとても意識が高い。
そして、技術者としての自信に満ちた経営者自らが現場の目線を持っているから慣習的な仕事でなく
前向きに変化している。
「普通の外壁なら、そんなに変わんないじゃん!」という声も聞こえてきそうだが
出来上がるまでの工法、素材の厳選などまつわる全ての集大成が「外壁」であり
ビジュアル的にもダイレクトに表現される箇所であり、なかなか悩み多いが、深く考え抜いた結果として
必ず、完成度の高い仕上げが約束できる。

黒鯛
建築のことではありません。
楽しみの一つとして「釣り」がある。
その対象の魚は「黒鯛」。
というよりも、他の魚を釣る方法は憶えようとしないので釣れたとしても
いわゆる、「釣る」ではなく「釣れちゃった」である。
だから、「黒鯛」は「釣る」にこだわりたい。
そこで黒鯛に捕食させるためには、餌を見せるには!といつも模索する。
「黒鯛」は一般的な魚のカタチをしているので、人間の目の位置とは違う。
ひらべったい体のそれぞれ両端に目がついているので見え方がまるで違う。
片方づつの視野、つまり単眼視野が180度にかなり近い。
尾びれの方に餌が落ちてきてもしっかりと視野に入るようだ。
逆に両方で見える範囲は目の位置の構造上とても狭い。約30度の範囲だ。
そして視力。
人間の視力に換算すると0.1くらいなのだとか。
ただ、水晶体の構造が人間のそれとは違うので、視力が悪いかかはよくわからない。
よく釣り師が「ハリスを細くしないと見破られちゃうよー」と言う。
確かに、「黒鯛」の視力とハリス(釣糸のこと)の太さとを距離に換算すると
見破られる距離は有ると思う。
ただ、あくまでも理論上の話だと思う。
現時点での私の薄っぺらい理屈では、「黒鯛」に対して意表を突く場所に餌を落として
ビックリした瞬間に餌に飛びつかせることが釣る確率をあげることかなと考えている。
(釣り師はみんな持論があるので、ここに書いてしまうのはかなり気恥ずかしく間違っている考え方かもしれないのも重々承知している。)
あくまでも我々の陸と違う、海水中の環境であること。
その場所の時間帯や水流、音、臭い、そして水温など果てしなく条件が折り重なった状態で
「黒鯛」は捕食のために動く。
我々の釣れるためのパターンを考える理屈は、その条件下の何千分の一かもしれない。
あえて、情緒的に考えると「だから、深くっておもしろいんだよね!」となる。
事実、自分自身をそうやってなだめすかして釣りをしていると思う。
ただ、何千分の一の条件でも自分で理由付けすることで
明日のさらに明後日の釣りが深くなるのだと思う。
あと3ヶ月後。

楽しみの一つとして「釣り」がある。
その対象の魚は「黒鯛」。
というよりも、他の魚を釣る方法は憶えようとしないので釣れたとしても
いわゆる、「釣る」ではなく「釣れちゃった」である。
だから、「黒鯛」は「釣る」にこだわりたい。
そこで黒鯛に捕食させるためには、餌を見せるには!といつも模索する。
「黒鯛」は一般的な魚のカタチをしているので、人間の目の位置とは違う。
ひらべったい体のそれぞれ両端に目がついているので見え方がまるで違う。
片方づつの視野、つまり単眼視野が180度にかなり近い。
尾びれの方に餌が落ちてきてもしっかりと視野に入るようだ。
逆に両方で見える範囲は目の位置の構造上とても狭い。約30度の範囲だ。
そして視力。
人間の視力に換算すると0.1くらいなのだとか。
ただ、水晶体の構造が人間のそれとは違うので、視力が悪いかかはよくわからない。
よく釣り師が「ハリスを細くしないと見破られちゃうよー」と言う。
確かに、「黒鯛」の視力とハリス(釣糸のこと)の太さとを距離に換算すると
見破られる距離は有ると思う。
ただ、あくまでも理論上の話だと思う。
現時点での私の薄っぺらい理屈では、「黒鯛」に対して意表を突く場所に餌を落として
ビックリした瞬間に餌に飛びつかせることが釣る確率をあげることかなと考えている。
(釣り師はみんな持論があるので、ここに書いてしまうのはかなり気恥ずかしく間違っている考え方かもしれないのも重々承知している。)
あくまでも我々の陸と違う、海水中の環境であること。
その場所の時間帯や水流、音、臭い、そして水温など果てしなく条件が折り重なった状態で
「黒鯛」は捕食のために動く。
我々の釣れるためのパターンを考える理屈は、その条件下の何千分の一かもしれない。
あえて、情緒的に考えると「だから、深くっておもしろいんだよね!」となる。
事実、自分自身をそうやってなだめすかして釣りをしていると思う。
ただ、何千分の一の条件でも自分で理由付けすることで
明日のさらに明後日の釣りが深くなるのだと思う。
あと3ヶ月後。
