トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ


雁峰城は佐久平の南の端のほう、千曲川の左岸を流れる片貝川の南側にそびえる尾根上にある。高速道路でいうと中部横断道佐久臼田ICのすぐ南南西。

鎌倉時代に海野氏から分かれてこのあたりに土着した小田切氏の城とのことだが築城された時期ははっきりしないとのこと。文明十六年(1484年)に村上義清が佐久郡にいた大井氏を攻め滅ぼしたときに小田切氏も村上氏に服属した。のちの戦国時代には南から甲斐の武田氏が侵攻してくるようになり、大永七年(1527年)には武田信虎の攻勢によって落城したと伝わる。その後は上田原の合戦で武田勢を破った村上義清が小田切幸長に守らせるなど村上氏と武田氏の最前線にあって変遷したようだが、最終的に武田氏が勝利し村上氏は北信濃に退いた。この頃城がどうなったかは分かっていないようす。


佐久平の南西側にたくさん構える山城を狙ったこの日の朝イチに登ったが、駐車場探しにウロウロしているうちに時間がたって、取りかかれたのは9時頃だった。


登り口の位置(Googleマップで)

登り口は陽雲寺脇にあるとのことだが、東の方の泉龍院との中間あたりに突き出した尾根先端のここからも登道が出ている。

今回はここから登ってみた。


道はすぐに右へクランクしながら尾根上に登る。

脇には石龕が立っていた。


道は落ち葉が多くなるが、ハッキリ刻まれている。

そして、すぐに尾根上を帯状の平場が横断している…


いや、どうやらこれは小さな堀切のようだ。

左右両側に、ごく浅いながらも竪堀状が降りている😮


この少し上には、石垣が埋め込まれた段があり、その上に祠が二つ立っている。

ここ全体が二段の曲輪のようになっている。


石垣の下に広がる段は、帯曲輪のように平坦になっている。


上の祠。


城への尾根は、この祠のすぐ前から土橋のように細い姿で登り始める。


そして、祠の周りの平場が終わるあたりで、小さな堀切に区切られている。

ここも一見して堀切とは分かりにくい…


が、南北にちゃんと竪堀状を下ろしている。

北側のは祠まわりの平場に抉り取られて、その下に少しだけ残っているようす。

南側はきれいに見える。


祠のある曲輪状が堀切の一部を崩しているところを見ると、ここは往時からの曲輪などではなく、後付けで祀られたものだろう…か。

となると、出丸だか居館だかは、まだ先か…


ここから少し登ると、上が小ピークのようになってくる。


ただの自然の山かと思ったら、意外にもちゃんと削平された空間がある😮


広さはバドミントンコートより少し狭いぐらいか。

尾根の天端の幅10メートル弱を削平したところらしい。


ここは城の北東に突き出した尾根の先端近くだし、祠は後補にしてもここまでの尾根上に数本の堀切も入っていたようだし、城を守る出丸のようなもののようにも見える。


曲輪を出ると、細くなった尾根がわずかに下りながら続いている。


が、その尾根がグイと登り始める裾に、見慣れた溝が…


これはまた、けっこう立派な堀切✨


天端間の幅が5〜6メートル、それでも人の背丈より深い立派な堀切が、尾根をバッサリ切っていた。

ここまでが出丸とか外郭とかの感じで、ここから上が主郭部なんだろう。


正面に踏跡が付けられていたので、底に降りてみる。

なかなかシッカリした薬研堀✨


向こう側にも正面に踏跡が付けられていたので、そこを登る。手を使うような急斜面💦

上には曲輪が広がっていて、堀切の向こう側に正対できるようになっていた😨


ここから見下ろす堀切。

戦国時代のレギュラーサイズ幅7〜8メートルぐらい?より小ぶりだが、断面がしっかりしているので一丁前に見える✨


出丸だか居館だからしい大きな曲輪の向こう側、山が登りに転じる場所に、今までとはデカさの違う堀切が穿たれていた…

ということは、ここから上が城の主要部ということになるか…


なんか、不穏な雰囲気でないかい…?

この先、行けるのか?🥶


佐久 雁峰城 その2に続く)

 

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

(2025年9月8日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ


天神山砦は国道141号やJR小海線などが通る千曲川沿いから直線距離で7kmほど東に入ったあたり、北相木村の役場背後の山中にある。

麓一帯に築かれた相木氏の居城相木城の詰城だったようす。相木城は武田信玄に従って各地を転戦した相木常喜が築いたとのことで、武田氏が滅んだ後の天正壬午の乱で北条方について敗れ、城も落とされたとか。

相木城は宅地などになって遺構は失われたが、城址碑が立っている。天神山砦は当時の面影を残している。


佐久平の南の方をウロチョロしていたこの日は小さい城ばかりを回って周辺一帯の城をだいたい押さえることが出来、いい時間になったのでラストは相木川を遡ってここへ行ってみることにした。


現在位置(Googleマップで)

村役場からすぐ先から山の方へ登ってゆく林道へ入って行けば、砦のすぐ北を通る切通し脇から登ることができる。

カーブミラーが目印。


踏跡というか、かなりしっかり踏まれた道が尾根上を登っている。

すぐに、ごく小さな堀切が横たわる。

一見ただの段にしか見えないが…


左右にちゃんと竪堀を落としているので、堀切とわかる。

かなり微妙だが…💦


そのすぐ上では、右の方に幅2メートルばかりの帯曲輪らしいものが伸びている。

ここがホントに登城道なら、いい具合に迎撃できるところに作られている…😨


さらに上に、堀切がもう一条ある?

いや、こちらは曲輪のように見える…


すぐ上が主郭というところには、左側に小曲輪。

こちらはちゃんと削平されたようす。


ここを登れば主郭だが、尾根の天端を幅5〜6メートルぐらいに削平しただけのようで、南に向かってやや傾いてもいる。

テニスコート半面分ぐらいの広さか。


虎口のところは土塁を積んで動線を西に寄せている。

一列縦隊の寄せ手を正面上から攻撃できる、ちょっとした堡塁のようではあるが、それにしても想定されたらしい戦闘は一ケタ対一ケタぐらいの大きさ…😮


いちおう、両側の斜面はそれなりの傾斜があって、下までつるんと落ちている。

この高さで守ってた砦だったのだろう。


南の端には、祠が二つ並んでいる。

郭内から見ると1つが木の陰…


正面に回ってみると、意外とちゃんと立てられたやつ。


主郭はここまでで、先を見ると少し下に小さな曲輪がある。


降りてみると、けっこうしっかり削平されていて、北相木村の中心地を見下ろせたらしい位置にある。

いまは樹林で眺望は無い。


傍らの標柱は砂防指定地のもので、城址のものではなかった…


砦はどうやらここまでのようで、南は尾根続きで下っているが、急斜面で落ちていた。切岸加工されてたか?


その先の尾根はかなり先まで見通せたが、遺構らしいものは無さそう…


というわけで、これで撤収💨

今日はここまで。


このあたり…千曲川上流から東の方に広がる南相木・北相木周辺の城を訪問したのは3年前の火燈城以来で、これも狼煙台+αぐらいかという小さな城だった。

それにしても天正壬午の乱で戦場になったとは信じられないような長閑な山村にも、 戦国時代の荒波は押し寄せていたか…😨


★天神山砦

長野県南佐久郡北相木村坂上

登り口前の林道脇に普通車1台分のスペースあり。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

(2025年9月5日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

佐久穂町の南側の入口あたり、JRでいえば小海線八千穂駅の裏山に3城に分かれて構える蟻城。

南城北城は3年前に訪問したが、暑い日で西城だけ後回しにしたまま時が流れていた…

木曽義仲が西上野方面の武士団を糾合するにあたって築いたと伝わっているらしい。


3年前と同じく暑い日で、今回は麓からの登り口を探して挑戦することにした。

 

東電の調整池の前を通る道の傍らに、説明板と略図が立っている。


この付近には留山が広がっているので、トラブル防止のためにもここからは入山しないのが無難。道も途切れている。

よって、もっと北に登り口を探す。

 

現在位置(Googleマップで)

登り口は、城から北に降りてゆく尾根の先端少し西の『蔵人之碑』のところから登ると良いだろう。

南北朝時代に北朝方の小山民部介を討つために、義良親王の命により近江からやってきた多々蔵人がこれを生け捕り、そのままこの地に根を下ろしたという話だった。


この裏側の山に道は無いが、傾斜は緩くヤブも無いので、尾根に向かってひたすら登れば良い。


尾根に出たら南へ向かってた高い方へどんどん登ってゆく。

しばらく登っていると、水平に近いほど登りが緩やかなところに出た。

40メートルぐらい続いてから、一段高いところへ登っている。


この上には、明らかに堀切とは違う穴のようなものが開いていた。

溝のようなやつだが、その左右に竪堀のようなものが続いていないので、かなり奇妙に感じる。

尾根は城域に近づくと傾斜がキツくなってくる💦

そんな中を登ってゆくと、突然正面が壁のようにそそり立っているのにぶつかる。

上はもうピーク近しの様子で、ここが城の始まりだろう。


正面右に登道のようなものが刻まれているので、ここから登る。

名前のせいではないだろうが、🐜の行列が幾筋も道を横断していたので、踏まないように気をつけながら登った😂

段は傾斜45°、土の安息角ギリぐらいの鋭さ✨


ここを登ると、上は帯曲輪のようになっていた。

正面に、また段😮


曲輪は崩れてきた土砂に少し埋まったか、やや外傾している。

それでも曲輪だった面影は十分✨


上へは、正面から踏跡が登っている。

主郭には神社があるというが、参道を設えるなどの改変はあまり施されていないようす…


段の斜面が、つるつるで佳い感じ✨


ここを登ると、こんどはしっかり削平された曲輪。

上が主郭で神社の建物が見え、手前には石灯籠が並んでいる。ここは神社勧請のときに削平し直されたか?


主郭から東に落ちる斜面が、またつるつるで佳き✨

いや、けっこう厳しい表情😨

主郭の前に仲良く並ぶ石灯籠。


この上に、一段上がって主郭前の虎口みたいな小曲輪があり、そこからさらに一段上がって主郭になる。

主郭には神社が立っているが、手前側の拝殿も奥の本殿もボロボロ…😭


右脇に、城跡の標柱が立っている。


主郭の虎口みたいな、一段下の小曲輪。

主郭との間には石垣が追加されていて、往時どんな感じだったのかは、もはや分からんな…


主郭の標柱から向こう側には、土塁みたいな盛り上がりが見える。

これも神社を建てるときに掘った残り…?


社殿の後ろ側にも曲輪は続いていた。全体の広さはバドミントンコートぐらいか。


なかなか魅惑的なんだが、ボロボロの神社が痛々しい…😢


ここからは、北側と同じような感じで階段状に曲輪が2段連なる。

最初のやつ。


その下は、松の幼木に覆い尽くされて見通しが利かない😂ので東側に出て望む。

尾根がぐんと細くなって、その天端だけを削平した細長い曲輪のようす。


その末端には土塁が盛られている。


そして、この土塁の裏側が大きく抉れている。

そして、底には堀切が…😮

この城に残る土木の跡では最も目立つやつだが、何しろ🌿🌿が…😂


それでも、東の斜面へ落ちてゆく竪堀は立派✨


断面も、なかなかキレイな薬研堀✨


ここから先、尾根は南城に向かって登ってゆく。

こちら側から下山しようとすると留山にぶつかって通行不可(恐らく)になるので、南城まで登るか来た尾根を引き返したほうが無難。


他の南城北城は訪問してから3年も経っているので(やっぱり暑い日だった💦)記録を見ながら思い出しながらだが、南城と似た素朴なつくりの城だった。

前方に段郭を並べ、背後の尾根続きを堀切で断つという基本的な所はキッチリ押さえていたのが印象的だった。


★蟻城(西城)

長野県南佐久郡佐久穂町穂積

車を置く場所が近くに無く苦労する。南城下まで林道を登って上からアクセスするのが良いだろう。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

(2025年9月4日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

大石川烽火台は大石川が千曲川に流れ込む直前の右岸に入ってくる尾根先端に小さく盛り上がっている。国道141号でいうと清水交差点、中部横断道でいうと八千穂高原ICからそれぞれすぐ近く。

甲斐から佐久方面に進出してきた武田氏が築いたようだが詳しいことは不明なようす。


朝イチで上流の馬越城を見てきてから、車で移動して訪問。近くに車を停める場所が無く少しウロウロした😅


現在位置(Googleマップで)

烽火台の前には国道141号と上の集落から幅のある道路が通じている。

そのヘアピンカーブの外側にボコッと盛り上がった、高さ10メートルもないような小山が烽火台跡。


ちゃんと道から登る手摺り付き階段もある。

🌿🌿に埋没してるな😂


階段の途中から、道路のカーブを振り返る。

なかなか、カッコイイでしょ✨


この道路は、堀切のあったところを切り広げたかな…?

階段を登ると、左側の土塁に寄せられるような虎口へ通される。


この虎口、よく見ると反対側にも低いながら土塁が積まれていて、その切れ目に開けられたものだった。

写真だと🌿🌿が土塁みたく見えるけど😂


主郭はテニスコートより狭いぐらいのコンパクトなやつ。

いまは烽火台の代わりに あずまやが立つ。

下の土にはアリジゴクの巣が無数…😨


佐久方面と甲斐方面の連絡を担ったという、この烽火台。

いまは桜の木で展望も樹間越し…

それでも思い浮かんでくるのは、向こうの山上に向かって狼煙を上げている様子とか、麓の街道を物々しく通り抜ける軍勢とか…


煙を上げて近くの烽火台と連絡するところなので、周囲からよく見える高いところにあるだけでなく、周囲の切岸もなかなかの迫力がある✨

登り口からは10メートルもない小山に見えたが、下の大石川までは20メートルぐらいは落ち込んでいる😮

やっぱり、ココは立地が魅力か。


★大石川烽火台

長野県南佐久郡佐久穂町千代里

近くには車を停める場所は無いが前を通る道の少し離れた所には路肩の広がった場所はある。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

(2025年9月2日 記)

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

馬越城は中部横断道八千穂高原ICから大石川を1kmほど遡った右岸の段丘上にある。川沿いを八千穂高原へと登ってゆく国道299号とは川を挟んで反対側で、城へ行くには少し下流から対岸へ渡ることになる。

歴史などは全く分かっていないようで、現地の説明板でもまったく言及されていない。


この日はここが朝イチで、8時頃にはすでに日向は刺すような強烈な陽射しで暑くなっていたが、標高の高いこのあたりの日陰はまだ涼しく、なかなか気持ちの良い中でのスタートだった。


現在位置(Googleマップで)

投稿日現在、Googleマップ上では説明板の位置にピンが打たれている。

国道299号を中部横断道八千穂高原ICから少し登り、大石川右岸の林道へと入ってゆく。

左側が江戸時代に掘削されたという馬越用水が流れる森の中、その反対側に標柱と説明板が立っている。

 

この説明板の裏側が城域。

縄張図の類は全く無さそうなので、この説明板の説明が頼り💦

道から入ろうとするとヤブの突破が必要だが、少し麓側の水道施設の脇から入ればラク。

 

森の中に入ると、やや奥に向かって傾く広い平坦地に出た。

これが北側の曲輪か。

 

その麓寄りの段になっているのが、城の北端を区画する堀切だろうか。

こちら側は2メートルぐらい高くなっているが、向こう側はそれほど掘られていないようす。

 

この堀は、そのまんまの浅い断面で西側の大石川沿いの斜面に出ている。

城内側に細いやつが分岐しているみたいだな…

 

この分岐した堀みたいなやつ、曲輪の西の端に出て段丘崖の内側を並走している😮

 

この堀を南へ追いかけてゆくと、この曲輪の南側の境界になる空堀に突き当たっていた😮

なかなか魅惑的な風景✨

 

この細い溝は説明板では言及されていないので、遺構なのか後補なのか判別する手がかりが全く無い…

 

突き当たった空堀から大石川に向かって斜面を降りてゆく竪堀も、浅いけどハッキリ見えている✨

 

この空堀も、浅い😮

幅は7〜8メートルぐらいあって、かなり広い。

ちょうど説明板の真裏から城の長軸と垂直に交わり、大石川ぎわまで一直線に区画している。

 

そして、ここも南側が高くなっている。

この側壁が見事✨

 

このあたりが、いちばん城の雰囲気を感じられるところかな😊

なお、この堀は車道からも説明板の背後を注意して覗き込めば見つけることができる。ただしその辺りから入城するとヤブ突破が必須。

 

この斜面を、崩さないように注意しながら登ると、向こう側の曲輪。

大石川の斜面に面したところは緩傾斜の斜面だが、少し道路側に戻ると平坦になる。さっきの曲輪より西への傾きは少ない感じ。

 

ここから見下ろすさっきの空堀は、なかなか見事✨

 

曲輪は膝下ぐらいのササに地面が覆われ、その下に倒木とかが散乱している。

それなりに生き物を育んでいそうな感じ、真夏に城内を探索する◯態にはイヤな感じ😂

夏休みにマム君🐍に立て続けに出会って、まだ怯えてる…🤣

 

この曲輪には竪穴とかがあったとのことだが、🌿🌿の中をけっこう探し回ったものの全く見つけることが出来なかった😅

諦めて南へ進んでゆくが、けっこうだだっ広い😮

進むにつれて、大石川の斜面が迫ってきて傾きが急になってくる。

 

そして、その先に竪堀なのか自然の小さな沢なのか…

ごく浅い溝が、大石川に向かって落ちていた。
斜め後方に向かって落ちているような感じ。

 

この向こう側には、説明板にある通り狭い平場が続いていた。

 

大石川へ落ち込むところは、いかにも切岸のように鋭いが、ここは城内なのだろうか…?

 

この空間は、やがて左側に一段高くなった畑が迫り出してきて、その下に埋もれるような形で終わっている。

これが後補で盛ったものなのか往時からのものかは分からず、城の南端も城内に4条あるという堀の残り1本も、けっきょく確認することはできなかった。

ここまでに見ることのできた遺構の位置は、こんな感じだろうか。

(電子国土webの図上に筆者作図)

 

けっきょく、大石川と背後の山との間にできた段丘利用の城ということは分かったが、どんな目的とか設計思想とかを持つ城かは良く分からなかった、というのが正直なところかも…

とくに、丘城には必須と思われる城と背後の山との間を区切る堀みたいなのが見えなかったので、気になった。

ひょっとして道の脇を流れている馬越用水が、空堀跡をトレースしたやつだったとか…?

 

★馬越(まごし)城

長野県南佐久郡佐久穂町千代里

説明板の反対側の路肩にスペースあり。

丘城

 

トップページ 都道府県別索引へ 長野県の索引へ

 

(2025年9月3日 記)