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この日成功裡に登城した中野城だったが、麓の熊野神社が城主秋山光朝の居館だったとの記述を説明板で目にし、時間があったので訪問することにした。

館跡は中野城のある城山の東南東3kmほどの麓にあって、いまは広域農道がすぐ西を通っている。 


北側少しのところに小さな駐車場があったので、そこに車を置いて出発。

山上は気温30℃ほどで涼しかったが、麓はガチ猛暑日…🥵


現在位置(Googleマップで)

近づいてゆくと、集落の中に盛り上がる社叢林…


社叢林だけでなく地面自体も盛り上がっていて、ミニ平山城のようになっていたようだ。

北東の隅っこまで行ってから、コンクリと石段の道で登ってゆく。

境内は周囲より高く、参道の脇にも斜面が立ち上がっている。


そして、熊野神社の最高所が境内。

けっこう広さがあり、東西に長いようだが中之橋で東郭と西郭に分かれていた名残のようだ。


南から登ってくる表参道の脇に史跡の標柱が立っている。


反対側には、光朝公供養の経筒に関する説明板。

建久八年(1197年)、十三回忌に弟の光経が営んだ大法要の際に経文を納めた経筒を埋設し、それが後年発掘されたとのこと。


さて、この館の中央には南北に堀が入っていて中之橋で渡り、東西両側が曲輪になってそれぞれの南側に門があったようだ。

西側がいまの熊野神社の境内で、曲輪の門がそのまま表参道になったようす。

中央の堀は残っていないようだったが、先ほど登ってきた参道の脇南側に、何やら登ってくる竪堀みたいなやつが…😮


この下に何があるかと東から回り込んでみると、秋山天神という扁額のついた鳥居が一段上に立っていた。


先ほどの竪堀状は、ここから入っていた。


これが東郭の虎口とすると、東郭は隅っこをだいぶ削り取られているような感じ…

もちろん素人考え😅

 

なおこの秋山天神、最初に見たときはちっこい石龕にしか見えなかった…


が、ここでお会いした地元の方のお話によると、中野城もしくは雨鳴城に敗れた秋山光朝が実子をひそかに舂米(つきよね、今の富士川町)の城大工に託し、その子が成長して父の御霊を祀ったのが、この秋山天神とのこと。
凄い歴史の一コマを、この小さな石龕は密やかに語っていたか😨

さて、遺構らしいものは他に無いようなので、南から西へ回って引き揚げるか。
帰りがけに、熊野神社の表参道に構える鳥居⛩️
もとは館の西門だったか。

そして、西のほうが丘続きっぽくなっているが、そちらから眺めてもしっかり盛り上がっている✨
もともとは堀が入っていたようだけど、見つけられなかった…

だいたい、こんなところか。

これでも盛り上がった丘の上に構えていた面影が残っているようなので、1城カウントね😎

西にそびえる山にを構え、最期はそこに斃れたという武人の足跡を、思わぬ形で偲ぶことが出来た。

 

★秋山光朝館

山梨県南アルプス市秋山角屋敷

200メートル北のこの場所(→Googleマップ)に駐車場あり。

平山城

 

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(2025年9月10日 記)

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中野城は甲府盆地の西側に聳える南アルプスの前衛、櫛形山の東麓に降りてきた尾根上にある。すぐ近くに桜池があり、城から南東へと尾根が降りている。この尾根上には支城ともいわれる雨鳴城北山城が連なっている。

甲斐源氏秋山光朝の城といわれる。いまは熊野神社のある東麓の丘にかつては居館があった。源頼朝から謀反の罪で攻められ「雨鳴山」で自害したと伝わっていて、それがこの中野城のある山と言われているらしい。


この日は少し前に体調を崩して鬼の霍乱😅前日ゆっくり休み、先月登り残したこの城に11時近くになってから登り始めた。少々頭重いがそんなん知るかっ🥵


現在位置(Googleマップで)

城への登り口は、林道が桜池まわりの平坦地から北の方へ下り始めたところにある。

道標と説明板が立っているので、迷うことなく辿り着けるのが有難い😊


説明板。

鳥瞰図や縄張図なども描かれて、予習無しで登れる✨


登城道は、説明板の前から小さな沢城を渡って反対側の斜面へ。

傾斜の緩い斜面だが、直登でもなく少し回り込むように登ってゆく。


分岐らしいものはほぼ無く、整備も行き届いている✨こんな道標もシッカリ😊


道はいちど小ピークに登り、少し下ってから城山直下の登りにかかる。

その鞍部がごく浅い堀切のようにも見えたが、人手で掘り下げたような跡は全く見えず…


ここから斜度はさすがにキツくなるが、道はつづら折れなどでさほど急にならずに登れる。

そして、鞍部から10分も登れば、たおやかな尾根上に出る。この先に城がある。


前方に説明板らしいものが見えるあたりからすぐ上が、城山のピークらしい🙌


左側には谷状が登ってきている。


戦国時代の城とかだったら、すわ大手道❗️となるところだったが、この谷は虎口から西にズレた方へ登っていて、山のてっぺんに自然な感じで食い込んでいる。

 

説明板の内容。

すぐ前に虎口があるとのこと。


少し進むと、なるほど…

土塁の切れ目らしいところがある😮


もしかして戦国時代より明らかに前の城で、こんなハッキリした土木工事の跡を見たの初めてかも…😮

そして、左側の土塁っぽいやつは外側が切岸のように落ちながら、数十メートル先まで続いている感じ。


しかし、右側はすぐに終わっていた…


虎口の中も、建物を建てるための平坦地を造成するような土木工事がされたように見えるかと言われると、微妙な感じ…

正面は完全な丸い丘にしか見えぬ…😮


左側は、奥の方に横堀みたいなのが走って、その向こうに塚のようなものが立ち上がっている?


行ってみると、その塚の上に建物が立つようなスペースは無く、全体が南から東へカーブする土塁のような感じだった…


ここから眺める城内が絶景✨

北の方へ向かって続く尾根…

さて、ここからは北に城塁のある尾根が続くので、その起点になる虎口正面の盛り上がりへ。

道もそちらへ登っていて、その上が主郭らしいところ。

削平されたような、やや南に傾いているような、不思議なところ…


ここに説明板が立っている。


ここから北へ進むと北側の曲輪へと続く尾根に入るが、まずは東側を見てみる。

こちら側にも曲輪があるとのことで、目を向けると降りてゆく土塁のような小尾根が目に留まる…


これに沿って降りてゆくと、何やら曲輪のような平坦地が尾根に抱かれているのが見えてくる😮


ここもやや南に傾いているようだが、平坦地にするための土木工事はされたような感じ。

広さはバドミントンコートより少し狭いぐらいで、南側が斜面になって降りている。


この斜面の下の方を見やると、ずいぶん下に曲輪のようなものが見える。

あそこまでも城の範囲だったか😨


あそこまで降りてしまうと労力がかかるだけでなく迷子にもなりそうなので、俯瞰だけでやめて主客に戻った。

 

そして、城の北側へ続く尾根💨

 

尾根上にも道が付けられているが、多少アップダウンがある。


そしてここは、東側の斜面が見どころ。

コレ、落ちたら止まらんやろ🥶


1つ目のピークを越えた先が、細尾根チックで絶景✨


その先の小ピークには展望台があるのだが、その下もほぼ垂壁🥶


この展望台も、何十年かでゴッソリ落ちそう…💦

樹林が繁茂して展望も利かなくなってきてもいる…


北から登ってくるかなり大きな、しかし堀切と言うには浅すぎるような鞍部が入る。

尾根の西側は、東側とは打って変わってたおやかな山容😮

その向こうに小ピーク。

東側の斜面、ここは絶壁というほどではなくなったけど、相変わらず険しいな😨


そして、ここから北が平坦地っぽくなっている。

削平されたかどうかは例によって怪しいが、ここから先が北側の曲輪ということになるのだろう。


この空間、奥がものすごく広くなっている。

西に大きく広がっていて、やや傾いているが全体はソフトボール場ぐらいありそう😮


で、相変わらず東側の崩壊っぷりが凄まじい💦

ここは落ちたら命ない…🥶



この曲輪の北側には、ごく小さな帯曲輪が造成されているようだ。


といった感じの城。

土木の跡はほんの僅かだったけど、東側の険悪な崖が連なる尾根上とは、よくこんな築城もってこいの場所があったな、と思った。

こんな険しいところに非常時の備えを置かなければならず、しかも最期はここで主君の軍勢に討たれるとか、どれだけ生き辛い時代だったのか…😢


このあと、麓の秋山光朝館の跡も見てきた。

 

★中野城

山梨県南アルプス市中野

駐車場は無いので桜ヶ池周辺の路肩などに停めるしか無い。

山城

 

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(2025年9月10日 記)

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福田城は中部横断道佐久穂ICから1.5kmほど北沢川沿いを遡った北側の尾根上にある。東端の曲輪に赤い屋根の明光寺があって目印になるが、路地が狭くて車での訪問はかなり厳しい。

歴史は不明だが天正年間に福田美作守なる人物が居城としていたとのこと。尾根の南側に階段状の帯曲輪を多数設えた縄張りのようす。


この日は最初に北側の雁峰城に登ったが、城域が広くて時間を食い、なおかつ車を停める場所を探してウロウロし、登り始めが昼頃になってしまった。

 

現在位置(Googleマップで)

東側の明光寺から登るのが大手のようだが、道が狭い上に車を停めるところがなかったので、裏側の御嶽蔵王大権現のある切通しから登ることにした。


なお、周囲が工事中で登り口下の広場が立入禁止になっていたが、城のある山側の尾根にはギリギリ取り付くことが出来た。

入ってゆくと、なんと城のほうへ道が登っていた😮


道が尾根上に出ると、間もなく祠の立つ平らな小ピークがあった。

それだけの平場だが、宮坂武男先生の鳥瞰図通りで嬉しくなってくる😆


ここから先にも道らしいものが続いているが、🌿🌿の濃さが爆上がりっ💦


地面が見えず危ないので、左側の斜面の中が灌木で地面が見えるので、そちらへ移ってなおも進む。

ヤブは10メートルほどで薄くなってくるので道に戻り、なおも進むとそれなりの広さのある平場に出た。

ただ、けっこう凸凹がある。


奥へ進むと、一段下がっている。

向こうには堀切らしいものが…


この堀切だが、こちら側の曲輪の縁に大きな木が生えていて、全体を広く見渡すには南の方へ行くようにする。

🌿🌿が深いが、しっかり掘られているようす✨


底に降りてみる。

尾根線より北側は、鋭い薬研堀になっている。


それに対して、南側は浅く広い。

底が埋まった箱堀のような感じになっている…


主郭部側の壁。

高さ2メートルほどで、上に登る踏跡が付いている…😮


登ってみると、またも🌿🌿の園😂

幸い、地面は見える。


さっき越えてきた堀切を見下ろしてみる。

深く切れ込んでいるだけでなく影にも入っていて、怖いぐらい😨


さて、奥へ入ってゆくと間もなく、行く手が盛り上がってくる。

これが主郭の盛り上がりだろう。


南側はちゃんと切岸加工されたようで、それなりの傾斜を保っている。

ちょっと大人しいか…


下には帯曲輪もあるらしい。


さて主郭のほうへ進んでみると、森が突然途切れて鳥居の立つ平場に出た。

おう❗️ここから降りられるか🙌と思ったが、世の中そう甘くはなかった…


ここは上下二段になっていて、上段にはブロック塀に囲まれた祠が立っている。

神社の境内になっているらしい。


祠の左右は両方とも、かなり深いササヤブになっていた。

コレじゃ突っ込めん😂

ま、けっきょく突っ込んで進むしかなかったんだけど…🥶


ここから東の方は観音堂を通って明光寺まで階段状が続いているようだが、ここは神社の参道から一旦下山しようと思って、鳥居の下から階段道を下ってみた。

先ほど見えた帯曲輪らしい平場の下の切岸が、すぐ脇に見える。


そして、降りていった先でかなり大きな帯曲輪に出た。


まだかなり高いところにいて、集落までの道もなく🌿🌿な斜面と、さらに下にもう一段帯曲輪のようなものが見えている…

これは、ここから下ると民家の庭を通過するハメになりそうなので、ここからの下山は諦めた。


これで探索を諦めて引き返すか、それとも東へ抜けられるルートを探すか…🥶

仕方ないので、主郭の北の方へ回り込んでから東へ進むと、🌿🌿の薄いところが続いて、東の方に進むことが出来た。

主郭の東側の段は、一部崩れているのか土橋のような動線を盛っているのか、歩いて降りる事が出来た😮


ここからがまた難関だったが、北の斜面が日当たりが悪いようで🌿🌿が少なく、平坦地に出たり斜面を下ったりしながら進んだ。

途中にも階段状あるみたい…


さらにヤブを縫っていると、北のほう北のほうへと追いやられてゆく😂

それでも、しっかりとした切岸が見えたりした。


このあたりの上が平坦になっているようだったので登ってみると、そこは二段になった曲輪だった。


真ん中に小さな石龕…


上の平場には🌿🌿が生えているが、削平はしっかりしている。


奥に塚のような盛り上がりがあって、奥の方にまた石龕。


ここからは尾根の高度が急激に下がる。

下は畑のようで、柵も見えた。

後で見た蚕神社前の説明板によれば三郭になるか。ということは今いるのは二郭になる。


ここから、柵を避けるように北側の斜面を進んだが、最後が地面の見えないササヤブと野バラのコンボで、通り抜けるのに苦労した。

南側から降りられるかどうかは確かめなかったが、少なくとも眺望は良かった。

下から見上げる二郭方面。


柵の南側は刈り払われてもいた。


そして柵に囲まれた横を抜けると、広場になっていた。
左端が蚕神社、ほかは集会所や物置などらしい。

説明板が立っていた。
各曲輪とかの名前はこれでようやく同定出来た😅

さて、そろそろ帰らねば…
明光寺との間を切通しで抜ける道へ降りて、車を置いた西の方まで麓の道から戻った。
明光寺の方にもまだ城域が続いているようだが、ここはそれを区画する堀切でもあったか?

明光寺側はお寺さんの場所とのことで、外郭でもあり無理には入らず、これで退散した。

さて、帰るっ💨

 

探索できた部分は尾根線周辺のわずかな部分だけで、しかも🌿🌿の濃いぃ場所が多く、なかなかの難物だった😅

それでも、城があった頃の面影はあちこちに残っていて、冷や汗をかきながらも楽しい登城だった。

せっかく立派な説明板も立ったことだし、謎の解明が進むといいなぁ🤗

 

★福田城

長野県南佐久郡佐久穂町上

近くに駐車場所無く登城口も分かりづらい。主郭東側は遺構に乏しくヤブ深いので東西に分けるのが良い。

山城

 

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(2025年9月9日 記)

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主郭から、さらに奥の方へ入って行こうと一段低い曲輪へ降りて、ヤブの少ない南側から慎重にアプローチして行った向こう側…


で…で…デカ〜っ🤯


この堀切は巨大だった。


この城の全体的な縄張りは、北面の大手側には多数の曲輪を階段状に並べ、主郭背後の尾根続きは大きな堀切でぶった切る、というものらしい。

佐久平の北西の外れにある式部城とか、信州ではよく見かける縄張りで、背後からの侵入には堅く守れそうだが正面から攻め込まれると多数の守備兵が必要になる…のか?


ともかくも、底へ降りなきゃ💦

向こう側まで10メートルぐらい、深さ5メートルぐらいあるか。

ぱっと見、降りるのは大変そうだが、正面左から堀底に降りることができる。

底に土砂が落ち葉が積もって箱堀状に見える。


側壁には土と石が混ざったように見える露岩が顔を出している。

房総に負けず劣らずの立派な岩盤堀切のようだ。


この岩は混ざっている石の大きさがバラバラで、間を砂や泥が埋めているような感じ。

トラフ充填堆積物か?

甲州の岩殿城もそうだが、こういう岩は意外と堅固なこともあって、岩殿城など一部でそれを防御に取り込んでいる。

堀底に大きな岩が列をなして残っているのは、妻木城の矢穴石と同じく堅すぎて割ることができず、撤去できずに残されたのか…?


この堀切から先は、何もない自然地形のような尾根に変わる。


来た時には気づかなかったが、石龕乗ってる😮


で、ここから先にはまだ堀切があるということなので、奥まで行ってみる。

尾根は少しずつ高度を上げており、その途中にごく小さな堀切が刻まれていた。

小さいと言っても、意外と幅があるか??


傾斜も鋭さもなくなった尾根上をさらに進んでゆくと、向こう側が急に立ち上がっていた。

ここが城の南端のようだが、なんとも奇妙な空間が広がっていた…


まず、向こう側の立ち上がりの裾に堀切が入っている。


立ち上がる城塁の裾で守っているように見えるが、向こう側が城外😮

城内側が低くなっているので、土塁を盛って堀切に仕立てている。このため土塁の内側がかなり大きな凹になっている。

そして、この土塁の真ん中に切れ目が入っていた。


切れ目から土橋を出して堀切を渡しているようにも見えるが、小さすぎるような…

写真で分かるか…💦


そして、堀切は東西両側に断面を大きくしつつ下っている。


全体はこんな感じで、城に絡む何かが築かれたのだろうが、それが何で、何を意図していたのかが見えにくいやつだった…


そろそろいい時間だし、最後に主郭から北西に伸びる尾根上の段郭をサワリだけ見ることにした。

主郭の西側に横たわる帯曲輪へは、南側から降りる踏跡があったので、降りてみる。

これがまた、驚くほど立派な切岸の下に横たわっていた😮


この北西側の端っこから幅のある尾根が出て、その付け根の一段下がった所がそれなりの広さのある曲輪になっているのだけど、🌿🌿が濃厚すぎて様子がよく分からん😂

よって、ここへの深入りは早々に諦めて、退散することにした。
陽雲寺へ下る道に出れば、多少🌿は生えているが安心して下山できる。
途中には帯曲輪のようなところも…

ってか、見上げるだけで階段状の曲輪の重なる様子が見えてくる😮
こちらから登ってくると城の主要部の概念を掴みやすいかも。

というわけで、広大な城域をひと通り回るのに3時間ばかりを要した💦

ふつうに陽雲寺から登ると、北側に段郭を連続させたこの城の特徴とイキナリのご対面になってたか…


【完】

 

★雁峰城

長野県佐久市中小田切

麓の陽雲寺は入口も駐車場も分かりにくい。付近には他に駐車場所無し。

山城

 

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(2025年9月9日 記)

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オーソドックスには北の陽雲寺から登ってくるところが、北東に伸びた尾根上の遺構を探るためにそちらから登ってきたら、大きな曲輪の先の堀切で道が消えてしもうた💦

ここから上は、何やら🌿🌿が濃いぃ感じ…💦


まだ真夏だと言うのに、いつものテイストか…🥶

それでも、うっすら上の曲輪の城塁が見えたので、覚悟を決めて突っ込んでゆく。

ここは主郭部最初の曲輪の下を取り巻く帯曲輪のようだ。


上の曲輪の城塁は、高さ4メートル弱。

けっこう立派で、立木などが無ければ登るのに苦労するやつ💦


上に登る動線はどこにもないようなので、仕方なく手近の斜面を竹などに掴まりながら直登する。

幸い足場も掴まるものも豊富にあり、高さも無く難しくはなかった。


そして登ってみると、一転してマダケの竹ヤブになっていた…

広さはテニスコートぐらいか。


奥の方がヤブになっていたが、わずかな🌿🌿を突破すると陽雲寺から登ってきたらしい道に飛び出した。

ここからは道を辿って登城できる…🙌


道はここから尾根上を主郭に向かって登り始める。

さっそく奥に段が見えていて、道はそこで右に折れて登ってゆく。


…と思ったら、段の上の石塔がたくさん並んでいるここで終点らしい🥶💦


どうやら、この裏手とか先ほどの道の直進方向とか、🌿🌿の中へ突っ込まないと、この先へは登れないらしい…🥶

仕方なく、ふたたび🌿🌿の中へ突っ込んで行った😂 


マム君🐍にいまだ怯えるワタシだったが😅ここも幸いそれほど長くはなく、すぐに奥の曲輪の切岸直下に出ることができた。

なぜこれほど怯えているかは鍋山城波多野城の各記事をご覧下され😅


左手下の方には大きな曲輪😮

その上にも階段状に曲輪が並んでいるようだ…


上の曲輪の切岸には🌿🌿はほとんど無く、ハッキリと踏跡まで入っている。

もちろん、有難く利用させて頂いて、上の曲輪に出る。

かなり奥まで続いているようだ…


少し奥へ入ったが、膝下ぐらいのササに覆われていた💦

これ以上は、ヤダ💦


中央付近から上への動線らしいものが登っているようだ。


登ってゆくと、主郭らしい東側に横たわる帯曲輪のようなところに出た。

横堀のように見えるが、左側は濃厚な🌿🌿…

ここからは主郭に登れなそうなので、脇の斜面から取り付いて上へ💦

が、ここはまだ主郭ではなく、さらに上があった😨

その下に東西に横たわる帯曲輪のようだった。


上へは、東側の低い段をまず登るようだ。


ここにも踏跡が付けられているが、急斜面を這うような登りでしかも掴まるものが無い💦

何とか登ると、そこは主郭の一段下…


この城、段郭がやたら多い💦

こういう縄張りにして急傾斜地に広い居住空間を創り出しているのだろうが、登るには骨が折れる…

この曲輪は主郭の東側の裾を這っていて、南の方で一段高くなっているようだ。


ここから主郭へ登る動線らしいものも無いので、仕方なく斜面の直登💦

登ると、広大で細長い主郭が広がっていた😮


北端に祠が…


東側の帯曲輪から登ってきたが、そちら側だけでなく西側にも下の方に帯曲輪が見える。

ほぼ全周を帯曲輪が取り巻いているようだ。


南側にだけ、土塁がある。


その脇から下の曲輪に降りられそうだが、見れば一面のササ💦


この中を進むのはイヤだが、この奥に大きな堀切があるんじゃ仕方ない…💦

🌿🌿のより少なそうな東側から行ってみることにした。

帯曲輪との高低差は1メートルほどに小さくなっていて、簡単に降りることができた。


曲輪を一面覆っている🌿🌿は膝下ぐらいで、見た目より楽に進めた。それでもヤブの少ない端っこを選んで進んでゆく。

途中で見下ろす東側の切岸が、めっちゃ高い😨


曲輪の南端。

この先の堀切で直線的に仕切られているようす。


そして…


…‼️

 

佐久 雁峰城 終章に続く)

 

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(2025年9月8日 記)