足利市の西の方、小俣城から川を挟んで東側に、石尊山という山がある。足利百名山の第6座、栃木百名山の第98座に選ばれている。
じつは同じ石尊山という名の山が市街地北の名草地区にもあって紛らわしい。そちらは足利百名山の第29座で、石尊山城という城郭あるいは写し霊場の遺構がある。
さて小俣城東の石尊山は、三角点のある山頂の標高が486メートル、東西に長い平坦な尾根を持つが周囲の斜面が非常に険しく、岩むき出しの荒々しい山容を見せている。
石尊というのは相州大山の阿夫利神社の御神体たる石尊権現で、この山が岩が多く大山山頂に似ていることから勧請されたのだという。毎年8月に行われる梵天祭りが栃木県の無形民俗文化財に指定されている。
この石尊山から西に伸びる尾根の末端に叶花山城という城が見つかっていたが、これが30年ほども忘れられていて2019年にそれらしい城が再発見されたとのこと。また石尊山山頂の東側には堀切らしい遺構が3本あるのだという。
叶花山城の再発見が確認されたという情報は見当たらなかったので、ここでは叶花山城(仮)とする。
このような次第で、どちらも歴史などはまったく不明らしい。
石尊山まで一気に攻めるとなると比高が360メートルにもなり道も険しそうなので、午前中に高津戸城で足慣らしをしてから臨んだ。
石尊山への登山口は、集会所から280m先まで県道を登る。
そして、立て看板が立っているのでそちらへ入ってゆく。
すぐに、石灯籠の並ぶ間から登山道が始まる。
小さな広場のようなところを通って登るのだが、傍らに立っている、この看板😮

トバ口のほうは、植林の中に刻まれた緩やかな登り。
ハイカーともけっこうすれ違う。
どう見ても観光客の出で立ちのワタシ、そのうち注意されるぞ😂
ま、駿河の徳山城も徒手空拳でアタックしたんですが…😅
しかし、急登の始まる手前から、こんな切通し状が現れたり…
こんな大岩が顔を出してたり…
この道が古くから刻まれていたこと、そしてこの山が岩盤チックなことを教えてくれているのか…😨
ちゃんと拾(十)丁目を示す丁石も立ってる😮
そして、標高200メートルあたりから、道は急斜面を直登し始める💦
まぁ地形図では急斜面をまっすぐに登っているように描かれているが、実際には尾根を右左につづら折れになりながら登っているので、ゆっくり歩けば大丈夫だろう。
その点、尾根線上をかなり上までホントに直登している徳山城は、まじキツかった…🥵
少し傾斜が緩んで折り返すところに、女人禁制碑。
反対側には十三丁目の丁石も。
ゆっくり登って30分もすれば、もう稜線間近の雰囲気。
このあたりがまた、人の背丈ぐらい掘り下げられた道…😮
これを登ると、稜線に詰め上げる。
突き当たりになっていて、傾いてはいるがちょっとした広場のようになっている。
石尊山へは右に折れて、まだまだ登り💦
さて、我らが叶花山城(仮)へはここを左へ。
ほとんど忘れられていたハズな割には、尾根上に踏跡が見えるような…😨
…って
これって❗️🤯
(足利 叶花山城(仮)と石尊山の城郭遺構 叶花山城(仮)編に続く)
(2024年12月18日 記)