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モロラン陣屋は室蘭の町から国道37号を東の方へ進み、室蘭港を渡ってくる白鳥大橋が降りてくるあたりの北側の丘の縁にある。陣屋から白鳥大橋や海岸のコンビナートが見える。

南部藩が蝦夷地沿岸の警護のために安政三年(1856年)に築き、藩士が常駐して任務にあたった。明治維新後の1869年、新政府への陣屋の引き渡しを拒んだ藩は、陣屋を自ら焼き払って撤収したという。

その後は放置されていたが、昭和九年(1934年)に国指定史跡となった。整備の手が入ったのは戦後しばらく経ってからとのこと。


前日に函館の志苔館四稜郭、さらには難関の峠下台場までも攻略して意気揚々と新千歳空港まで戻る途中、飛行機の出発まで時間がありそうだったので立ち寄った。

はるばる函館まで来て五稜郭をスルーしてるところがワタシらしいでしょ😅

 

アプローチは国道37号に白鳥大橋が降りてくる下から山側に曲がって、まずは「陣屋中央通り」に入る。

この路地あたり(Googleマップで)で通りから離れて陣屋の方を目指して進む。

直進ではなく何度か右左折するので、少し分かりにくいかも。

いつしか道は砂利に変わって、森の中に入ってゆく。

 

現在位置(Googleマップで) 

この道が突き当たる正面に、切れ込みの入った土塁が見えてくる。

 
少し手前右側が広くなっていたので、そこに車を停めた。
トイレの前になる。
 

突き当りから少し北に行くと、陣屋北辺の空堀が伸びているのが見える😮

奥の方が🌿🌿っぽい…

 
まずは御影石の石碑。
史跡の名称は、たしかにこの通り。
もともとこの陣屋だけでの史跡指定だったのが1974年に同じく南部藩が築いたヲシャマンベ陣屋(長万部町)、砂原陣屋(森町)ほか台場跡などを追加したことで、この名称になった…
 
見えている土塁の切れ目は、陣屋の裏門。
手前の空堀を幅広の土橋で渡った、向こう側。
 
土橋の左側に伸びる、陣屋東側を守る空堀。
きれいに一直線。

 
右側は、すぐに北東隅になって左に折れている。
向こう側の植林の中に、かつては火薬庫があったらしい。
 
陣屋の中に入る。
建物の跡が、コンクリ舗装と石、御影石の銘板で示されている。
 
ここは「鉄砲武者」とある。
銃を用いる歩兵の詰める兵舎、ということだろうか
 
御影石の銘板
 
陣屋の東側を望む。
土塁は人の背丈より高く、敵が歩兵で陣屋に攻め寄せていよいよ、という時には防衛戦も出来るようになっていたか。

 
近くの芝生の中に、石の列が埋もれている。
通路があった場所か
 
レプリカ?
 
中央には御武器倉
そんなに広くはない。

 
南寄りの方にも建物が並んでいたらしい。
中央、奥とも「御先手」とある。
向こう側の土塁が切れているところに、表門があった。
 
表門に行ってみる。
土塁の切れ目の東端に、案内図が立っている。
陣屋の見取図が示されていた。
どこが何の建物かまで示されている😮

 
これを見ると、陣屋は武器の保管庫+駐屯する藩士の集合住宅のようなもので、常に緊張にさらされていた様子が垣間見えるような気がする。
余分なものが全く無い…
 
表門は、裏門より相当広かった。
写真の左右端に見える柵の内側が、そのまま動線。
ここから大砲などを出し入れすることもあったろうから、それを想定してたんだろうか…
 
外は土橋になっている。
その向こう側に出て、表門を見返す。
土橋の幅が相当広いが、山形の駒籠楯下総の須賀山城などで見たような土橋と虎口の組み合わせ✨
 
もっとも両側の堀は、この有様だった…💦
右側

 
左側は、水堀の水面が見えている。
 
ヤブで堀の断面が見えないほどなのは、仕方ないだろう…
 
ここには立派な石碑と、説明板が立っていた。
やっぱり、こちらが陣屋の表玄関だな。

 
外には石碑と説明板が立っているだけなので、陣屋の中に戻る。
西の端の方には、鉄砲武者や村夫とある建物の跡が並んでいる。
長屋のような兵舎だったか?

 

さて陣屋の北側は、杉林に覆われた斜面になっていて、陣屋はその裾にある。

その中がどうなっているかと近づいてみる。

まずはヒマワリの小さいやつのような花の群落。

各地で問題になっている特定外来種のオオキンケイギクではないらしい…

 

斜面を斜めに登る踏跡らしいものがあるが踏み荒らされて出来たような感じがしたので、そうではなさそうな場所を探して登ってみる。

けっこうな高さがある。7メートルは下らないか。

 
登った上には、
 
すぐに空堀かっ😮

 
折れがあるっ🤯
 
この空堀、斜面を登った縁のすぐ外を走っている。
それだけでなく、中央付近でクランク状の折れを伴っている。
これは横矢掛かりだろうか…?
 
東の方は、緑の園だった😂
 

さて、土塁や空堀の内側はこれぐらいだが、その北東には火薬庫が隣接していた。

この🌿🌿の中へ突っ込むのはイヤなので、陣屋に戻って裏門から出て、東から回り込んでみた。

 

土木遺構らしいものは何も無い。
奥に石碑が立っているのが見える。

 
史跡〜の下に、火薬庫と刻まれている。
火薬庫があったことを示すのは、今はこの石碑だけのようだ…
 
傍らには、墓地があった。
この地で没した藩士たちの御霊を静かに守っている。
 
19歳という若さで亡くなった藩士もいたというから、故郷を遠く離れたこの地での生活や任務の過酷さが偲ばれる…😢
 

凍える寒さの中で過酷な任務についていた藩士たちの姿が見えてきそうな気がした…

それにしても、重要で過酷な任務につく兵士たちの慰労とかまったく考えないで劣悪な待遇そのままにしてるの、今に始まったことではないのか…😢

 

★モロラン陣屋

北海道室蘭市陣屋町

表門と裏門の付近に車を停めるスペースあり

方形陣屋

 

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(2024年2月15日 記)