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四稜郭は函館の町中の北東、親分たる五稜郭から北5kmほどのところにある。今はすぐ北を函館新外環が走る。
五稜郭を占領した榎本武揚らによる箱館政権によって1869年春に築かれた。設計したのがフランス軍事顧問団のひとりジュール・ブリュネだった。かれは江戸開城後に榎本と合流して箱館政権を支援しており、七飯町山中に眠る峠下台場もかれの指導による築造。
ほどなく5月11日に新政府軍の攻撃によって陥落し、そのまま放置されたらしい。
1934年1月22日に国指定史跡となった。
Wikipediaに記事あり。
前日昼に新千歳空港に降り立ってからレンタカーを転がすこと半日以上、朝方に函館空港チカの志苔館を首尾よく攻略し、その足でほど近いこの城に向かった。
函館産業道路を北西に向かい、亀田川隣のこの交差点(Googleマップで)で右折して北に向かう。
ここからひたすら北上すると5分足らずで、四稜郭の看板が左側に現れる。
砂利だがちゃんと駐車場(Googleマップで)もある。
トイレも完備✨
その駐車場の前には、何やら幾何学模様に型どられた花壇が並んでいる。
信州の五稜郭、龍岡城の隣の公園に五稜郭を形どった星形が設えられているが、それと似たものか…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/12/diis2002v1/33/18/j/o0900060015401355131.jpg?caw=800)
この花壇を維持しているのは『イメージアップ推進事業』とな…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/12/diis2002v1/98/2a/j/o0900060015401355135.jpg?caw=800)
四稜郭本体を囲む場所が公園に整備されている。
駐車場から公園への入口に、説明板が立っていた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/34/80/j/o0900060015401360834.jpg?caw=800)
史跡の保存についての説明板だが、ちゃんと縄張図が描かれている。
たしかに日本には無い形、何かの紋章にも見えてしまうような…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/fd/6b/j/o0900060015401360839.jpg?caw=800)
ここから四稜郭の門口までは、杉林の中の小径を進んでゆく。
杉林を抜けると、右前方に緑の土塁が…😮
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/7e/ea/j/o0900060015401360843.jpg?caw=800)
見えているのは南東の「でっぱり」(稜堡)から北への塁壁になる。
いよいよ歩道の脇に塁壁が近づいてくるところは、南側。
土塁の外に空堀を這わせているようだ…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/23/44/j/o0900060015401360844.jpg?caw=800)
門口までは、ほんの5分たらず。
左手に説明板、右手に城址碑が立っている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/ca/47/j/o0900060015401360848.jpg?caw=800)
右側の城址碑。
御影石の立派なやつ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/e6/d7/j/o0900060015401360853.jpg?caw=800)
こちらの説明板には、沿革や箱館戦争での戦いの経緯などが詳しく説明されていた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/13/diis2002v1/c9/96/j/o0900060015401360858.jpg?caw=800)
ひとしきり勉強させてもらって、いざ郭内へ💨
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/77/72/j/o0900060015401463707.jpg?caw=800)
直角に左へ折れて郭内へ…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/40/47/j/o0900060015401463839.jpg?caw=800)
郭内に入って、背面から。
これってもしかして枡形虎口…😮
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/9c/4b/j/o0900060015401463888.jpg?caw=800)
枡形虎口と呼ぶのかどうかはともかく、ちゃんと外から郭内が見えないように、また外からは一列縦隊でしか入れないようになっている。
このあたりの考え方は、洋の東西を問わないらしい。
郭内は、思ったより広々🙌
ソフトボールぐらいなら出来そう。
球技はやっちゃダメですよ🙅
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/1b/8e/j/o0900060015401463932.jpg?caw=800)
星形のでっぱり(稜堡)の一つに行ってみる。
これは北西に突き出したやつ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/75/d6/j/o0900060015401463990.jpg?caw=800)
内側には小さな段があって、登るための土橋状が付けられている。
これは火砲を稜堡に引き上げるためのスロープなのだそう。
公園入口の説明板には土塁に登らないよう書かれていたので土塁の壁や天端を踏みつけるのは謝絶だが、このスロープを通って稜堡に登るなら大丈夫だろう…
確認はしてない。傾斜が緩いので稜堡やスロープ上を歩くぐらいでは傷まないだろうが、十分注意したい🙇
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/59/93/j/o0900060015401464060.jpg?caw=800)
稜堡は六畳一間ぐらいか。
品川台場に置かれた砲台レプリカの大きさから想像するに、当時日本で作られていた80ポンドカノンとかの火砲を据え付けるには、このぐらいの広さで十分だったのだろうか…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/17/diis2002v1/b0/a7/j/o0900060015401464087.jpg?caw=800)
「でっぱり」の突端近くに立つと、両側に伸びる土塁を見渡すことができる。
まずは左側。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/20/diis2002v1/ca/77/j/o0900060015401514480.jpg?caw=800)
土塁の外が樹木に覆われて眺望は利かなかった…
続いて、右側。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/20/diis2002v1/19/b7/j/o0900060015401514483.jpg?caw=800)
裾には、直線的に空堀がなぞっている。
向こう側の「でっぱり」の方まで、空堀の中がよく見える。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/20/diis2002v1/4f/f4/j/o0900060015401514488.jpg?caw=800)
そして、これぞ星形要塞というのが、コレ!
空堀の先端まで尖ってる🤯
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240214/20/diis2002v1/b2/61/j/o0900060015401514495.jpg?caw=800)
星形要塞は、側面の土塁などから侵入者に向けて攻撃する際に隅櫓や塔の向こう側に出来る死角を無くす目的で、稜堡の先端を尖らせている。
その意図が、余すことなく伝わってくる場所だった。
これなら、稜堡後ろの側壁からでも空堀の先端まで死角無しっ!
見どころはこれぐらいだろうが、日本の城と共通なところ、違うところが色々と見える、面白い城だった。
けっきょく築造からわずか1カ月足らずで陥落した四稜郭だったが、もう城の縄張りで敵の攻勢に抗う時代はとうに終わっていた、ということだったのだろう。
このあとは松前藩戸切地陣屋に行こうと思っていたが、直前にtwitter(現X)のフォロワー氏から
峠下台場への訪問を勧められ、迷ったげくそちらに行くことにした…
★四稜郭
北海道函館市陣川町
訪問者用駐車場とトイレあり。
(冬季はトイレと水飲み場は使えない)
星形要塞
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(2024年2月15日 記)