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品川御台場は嘉永六年(1853年)のペリー来航で江戸湾の防御の必要性を痛感した江戸幕府が、韮山代官だった江川太郎左衛門英龍を勘定吟味役に登用して翌月から造営を開始した砲撃用の海上要塞だった。

当初は11〜12基の台場を建設する予定だったが、最終的に第1〜第6台場までが完成し、第7は未完成、以降は着手されなかった。

明治以降は海軍省〜陸軍省の所管となった後に第3・第6の2つが東京市に払い下げられ、このうち第3台場が史跡公園として整備された。2017年に続日本百名城の124番に指定された。

 

夏も終わりかけの時期に行ったのだが、撮った写真を保存していたスマホが壊れて取り出せなくなったので、文化の日を利用して再訪と相成った…

 

第3台場は海浜公園の沖合に、レインボーブリッジをバックに構えている。

アクアシティ前の砂浜から


裾に設えられた石垣がきれいな布積みなのが、遠目にも見える。


第3台場への道は海上に築かれた築堤上にある。

この築堤は、当時のものではない。

築堤の根元あたり、今のレインボープロムナードの台場口付近に第7台場があったが、もちろん跡形もない…


そして台場へは木の階段を登る。


階段の裏も石垣…

って、そりゃそうだ。階段も足元の築堤も後付…


階段の左手に台場南東辺の石垣が伸びる。

きれいな布積みで、てっぺんが武者返しのように突き出している。

階段裏とは石の積み方が違っているようだ…🙄

石垣は海中まで続いているんだろうけど、水が濁って様子は窺えなかった…


階段を登ると、大場の土塁に刻まれた二筋の道を通って、台場へと入ってゆく。

ちょっと土の城の虎口っぽい感じがするが、もちろん築堤が繋がれて公園化されたときに掘られたか、踏まれて凹んだものだろう…


入ったところに説明板。

来歴が簡単に説明されている。


しっかりとした見取図が付いている。

全体の形はほぼ正方形で、中央に細長い陣屋、土塁の内側に弾薬庫や かまど場などが並んでいた。そして南西側には砲台が2基据えられていたとの事。
今置かれている砲台と かまど場はレプリカかな…?
 
説明板の前からは、台場のほぼ全体が見渡せる。
四周を分厚い土塁に囲まれ、内部は海面と同程度まで凹んだ、野球場より少し広いぐらいの平坦地になっている。
中央あたりに細長い陣屋の礎石が見える。

北東側の土塁。
向こう側にレインボーブリッジ

南東側の土塁
両方とも天端の幅は10メートルはあるだろう😮

土塁を南西側まで行くと砲台の跡があるとのことだが、まずは中へ降りてみることにした。
真ん中あたりに陣屋跡の柱石が並んでいるが、まずは築堤の内側…
石組みに蓋をされたようなこの空間は、弾薬庫だとのこと。

その奥には、布積みの石垣が積まれている場所がある
何のための空間だったんだろう…?

その右側の、仕切りのような土塁の上の方に積まれた石…
戦国時代の山城で見かけるようなワイルドさが…🤯

この日は人が多く、人を写さずに陣屋跡のレプリカを写すのに苦労した…
長屋のような細長い建物だったらしい…

南の方には、かまど場の跡がある。

入ってみるか…

広さは小宴会場ぐらいか…

真ん中あたりの、これがかまど?

全体は、南東端から土塁に登る途中で俯瞰できる。

反対側、東辺の土塁下にも、へばり付くような空間がある。

これは何のための空間か、説明板では何も言ってなかったな…🙄


手前を仕切る土塁の妻面は石垣で固められている。

この空間の側壁の石垣は、外壁のものより石の表面が粗いか…?

ここの石垣、けっこうバリエーションあるな…😮


ここから土塁の上に戻って、西の砲台跡へ。

台座のレプリカが2基、まだまだ強い日差しを浴びて佇んでいる。


これで人の背丈の半分ぐらいの高さ。
そんなにデッカイ物ではなかったのね…😮

後端には打たれた鋲…

てっぺんには回転軸が…😮
ここに佐賀藩で製造された80ポンドカノン砲が乗っかっていた。

南面の土塁のてっぺんも、同じく外側が高い。


南西側には築堤が見えるが、これは台場ではなかった…

もう一つ残っている第6台場は、コッチじゃ😅

今はすぐ隣にレインボーブリッジのアンカレイジや橋脚が立っているが、往時はホントに海上にポッカリ浮かんでいるように見えたか?😮

第3台場の見どころは北側にもう一つ。

そして第6台場を俯瞰しにレインボーへ💨


江戸湾 品川台場 その2 に続く) 

 

★品川台場

東京都港区台場

りんかい線東京テレポート駅、ゆりかもめ お台場海浜公園駅から徒歩。芝浦ふ頭駅からレインボーブリッジを渡るのも可。

 

 

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(2022年11月8日 記)