駒籠楯は山形新幹線北大石田駅の南西あたりで最上川が丹生川を右岸から合わせた少し下流、駒籠の集落あたり一帯に広がっている。
かねてより延喜式に記載された古代の駅家『野後駅』ではないかと注目され、十数次にわたって発掘調査が行われたとの事。
ここは遠征中に対岸の川前館を訪問しようとしたが本降りの☔で車を停める場所も見つからなかったので断念し、ネットで近くを探していて見つけたものだった。
どういう城かもよく分からなかったが、手近だしまぁ行ってみよう、という軽めのノリで訪問…😅
県道から曲がって、駒籠楯の中を通る道に入るが、駐車スペースらしいものはない。
そもそもこの場所には城郭を示す案内のようなものは全く無く、畑の中に集落、その間に森が見えるだけのような印象だ。
手前に広い畑、森の向こう側に集落があるココ、すでに城の外郭なのだが、最初は分からなかった…
こういう場所は、やたらと入り込んで土塁に登ったり堀底に降りたりすると人目に付く事が多いので、外から眺めるだけかなぁ、なんて思いながら遺構を探す。
って、畑と集落の間にある森…
高さ3メートルはある。
森やヤブで覆われているが、それがなければ道路か線路の盛土かと見紛うばかりの威容だ😮
古代の宿場にしては厳重すぎる守り…
冷たい☔がシトシト降る中だったし、🌿🌿で登っても見通しが利かない様子なので道路から眺めるだけにして、まずは他にこの土塁へ入れる場所がないか確かめに、城外側へ回り込んでみることにした。
土塁の外側は集落、県道123号が通り抜けている。
びっしり民家が建ち並んでいて、土塁に近づける場所は無かった…
300メートルほど西に進むと、土塁の反対側の端になる。
眼の前まで行くと、土塁の外側に空堀のような溝が掘られているのが見える。
もっとも往時のものかは分からない…
けっきょく、この土塁の周りの道を周回してしまった😂
ホントに、民家や畑の散在するそうとう広大な集落の中に、城の北辺を守っていた土塁は完全に溶け込んでいた。
土塁に近づけるのは、西端の車道沿いだけのようだ。
さてこの城、主郭は車道を挟んで集落の反対側、最上川沿いの崖上に広がっている。
そちらへは、どうやらこの横堀状を入ってゆくらしい。
最初の地点(Googleマップへ)あたり…😂
特に柵などされておらず立入禁止という掲示なども無いが、どう見ても人さまの土地…
入っていいのかな…?💦💦
土の城はだいたいが私有地。見学できるかどうかは持ち主の意向次第なことを肝に銘じておこう…
最後に、この北東隅の折れを上から見ようかと、空堀が低くなっている最上川寄りから外側に登ったところ…
外にもう一本あるっ😮
主郭の東辺を仕切る空堀の外側に沿うように、深さ1メートルもない浅い空堀が並行していた😮
面積はあるが縄張りが単純と思って軽く見てたら、侮れないな…
お目当ての空堀北東の隅は、もちろんシッカリ頂きました🙌
★駒籠楯
山形県北村山郡大石田町駒籠
駐車スペースらしい場所が無い難関。
平城
(2023年11月16日 記)