Commentarii de AKB Ameba版 -28ページ目

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

Tags:H1、School days、Be ambitious

 Team Aの最初のセットリストが「A1」なのはわかりやすい。
 でもTeam 4の最初のセトリを表すにはどうしたらいいんだ?

 とりあえず書き方は「4-1」でいいのか。
 読み方は「フォーファースト」か「フォーワン」なのか。

 まあ、そんなのは、どうだっていい。

 そうだ。とにかく「僕の太陽」だ。

  太陽は何度も夢をみる
  青空を/今 あきらめないで

 何度でも登る太陽は、再生のあかしだ。
 そう、何度沈んだって、

  夕陽が沈む空を見ているか?
  今を受け入れること/進むこと教えてくれる

 明日になればまた日は昇る。

 そうしたらまたそこを目指せばいい。

  時に 雲に隠れても/あきらめることはないんだ
  憧れのその日射しは/いつか君まで届く

向日葵

 阿部マリア、おめでとう。
 市川美織、おめでとう。
 入山杏奈、おめでとう。
 島崎遥香と島田晴香、どちらもおめでとう。
 どちらかが「キャプテン代行」就任、ご苦労様。
 竹内美宥、おめでとう。
 中俣汐里、おめでとう。
 中村麻里子、おめでとう。
 永尾まりや、おめでとう。
 山内鈴蘭、おめでとう。
 
 そしてそこに間に合わなかった、誰よりもその日そこに立ちたかったであろう、不在のキャプテン。
 大場美奈。
 新たな太陽が昇ったぞ。君と僕らの太陽だぞ。
 おめでとう。おめでとう。おめでとう。

 人は年を取って、たとえ自分で夢を見ることが出来なくなっても、それを託する人を見つけることができれば、それだけでシアワセだ。
 Dreamin' girlsよ。僕らはシアワセだぞ。
 さあ、

ほんの少しづつ/手を伸ばして

 君らの夢が叶うのを、ここで見ようじゃないか。
 Dreamin' girlsよ。
words
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Tags:Single、N1、Desire
 
 このブログ始めたばかりのころ、「キスはだめよ」について、

攻めてる男の子、ちょっと引きながら守りに入っているの女の子。そういう状況の歌。これが攻守交代すると制服が邪魔をするになるわけだ。

 なんて書いてた。
 あの時は、すぐに「制服…」の話ができると思ってたんだよー。ずいぶん時間かかっちゃったなあ。

 そう、A1の「キスだめ」では、積極的な男の子に対し、制服を理由にして女の子が拒んでいました。ま、歌ってるお姉さん方は制服じゃなくて、「金色のでかいスパンコール(というよりアイスのふたのようなもの)が下がったワンピース」を着てたんだけどね。

キスはだめよ/肩を抱かないで
制服のままじゃ/イケナイでしょう?

じゃあ制服を脱いだらキスしてもいいのか、というと、どうやらそうでもないらしい。
 
 だってすぐ後で

軽いノリだけで/はじまるのもいいけれど
あなたは違うの

 なーんて言ってるくらいだもの。
 「制服のままそういうことしちゃイケナイ」って言うのは、ちょっと言い訳Maybeくさいよね。

 ここでは「制服」は彼女の純潔(と踏ん切りのつかなさ)を守っている「鎧」だった。

訳知り顔の大人が/眉を顰めて通り過ぎてく
やな感じ

 人目も気になるから自制もするし。
 それがこんどは攻守交代。

 舞台もカッコイイ若者の街w「渋谷」ですもの。
 ついこの間まで「アキハバラフォーティーエイト」って歌ってたのに。

制服が邪魔をする/もっと 自由に愛されたいの
どこかへ 連れて行って/知らない世界の向こう

 だって。

 ここでは「制服」は文字通り邪魔者。愛し愛される自由を奪う、彼女のカラダを包む世界で最も薄い牢獄。
 「知らない世界」よりも「向こう」って、どんだけ遠いところなんだよ。ってくらい、ホントに吹っ切れちゃったみたい。

誰か(誰か)/見てても
関係ないわよ/キスしなさい

 制服を着てることによって気になっていた他人の視線もどーでもよくなっちゃうくらい。てか渋谷あたりじゃ制服を着たままチューしてる女の子、いるよね。
 
 制服が邪魔してるんなら、じゃあ脱ぎゃいいじゃんか。
 なーんてそれはあまりにも短絡的なご意見。
 ここでいう「制服」というのは、ただの衣類のことではなく、それが象徴する制度も含んでいるんであるよ。

 人によっては(60歳代でトップは薄いのに、サイドとバックだけはどうしても長くしておかなくては気が済まない髪型に固執して、たまにマオカラーのジャケットを着るような御仁、奥さんは草木染めですかその微妙な色合いとか、あ、別に特定の個人ではありません)、菅直人に投票したり、個人の自由を抑圧する「制服」などという制度は断固排除すべしと言ったりしちゃうわけだが、話はそんな簡単ではない。

 菅直人に投票しちゃった人は腹を切って地獄に堕ちるべきである、ということはワキに置いておいて、「キスだめ」でみたように「制服」という制度は自由を抑圧すると同時に個人を守る仕組みでもある。
 だから

友達より早く/エッチをしたいけど

 なーんて言ってるくせに一方で

セーラー服を脱がさないで/今はダメよ我慢なさって

 などと言うんである。セーラー服でも何でも脱がさなきゃ話が始まんないじゃんか。
 脱ぎたい、でも脱がさないで欲しいというアンビバレンツ。

 え、これAKBじゃない?
 失礼、秋元先生の嫁選びおニャンコでしたね。

 いずれにせよ、自分を縛ると同時に守っている「制服」に対する葛藤という点では「制服が邪魔をする」と「セーラー服を脱がさないで」は同じ範疇なわけ。

 秋元先生も進歩しねえなあ、とここまでは思った。
 ここまでは。
words
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 何もかもうまく行かなくて、もうどうしたらいいかわからなかった。
 
 僕の手の中にあるものから、どういうものが生まれるべきなのか、それは頭の中で鮮明にわかっていた。
 全ての材料はそこにあった。
 
 でも、どうやって実現したらいいのか、皆目見当がつかなかった。誰も教えてくれなかった。知っている人はそこにはいなかった。僕しかいなかった。
 そして僕も何も知らなかった。

 「これ使ってみな」とボスが言ったのが、Macintosh IIcxだった。何かで獲ってきた百万単位の予算をつぎ込んで揃えたばかりの最新機種。System7、メモリは128MB。
 モニターの前に座って角形のマウスを手を伸ばした。
 ボタンはひとつだけ。それをクリック。

 世界がぐるりと回るのがわかった。

逆上がり
足で地面を蹴って
太陽がぐるりと回った

 それから数日徹夜が続いた。
 やり方は相変わらずわからなかったが、もう途方に暮れてはいなかった。
 やり方はわからなくても、やれることがわかったから。
 何も読まなくても、そこにある「景色」がやり方を教えてくれた。
 時々システムがクラッシュしても平気だった。やり直せばいいだけのことだから。

 そしてある朝、僕の頭の中にだけあったものが、カタチをなしてできあがった。僕の想像以上の出来映えで。

 その日以来、僕はいつもMacintoshと仕事をしてきた。何台ものMacが僕の相棒となった。

 Appleを作ったのは彼じゃなくて、Wozかもしれない。
 彼は決して「いいヤツ」でもなかった。「いいヤツ」のWozを騙したこともあった。彼の近くに寄ると、現実が歪むとまで言われた。
 でも、いつも僕に信頼すべき(ま、ときどきクラッシュするのは仕方ないよね、機械じゃないんだから)相棒を僕に届けてくれたのは彼だった。彼は僕のヒーローになった。
  
 彼がAppleに戻った時、僕はアドレスを知っている限りの友人にメールを打った(まあ、当時メアド持ってる友人なんて10人もいなかったけどさ)。チャーチルの海軍大臣復帰にイギリス海軍省が打った電文にならって、
 "Steve is back!"と。
 僕の最初の大きな仕事の謝辞には、両親、ボスとならんで彼の名があった(あと一人、Charles M. Schulzさん)。

 今僕の自宅とオフィスには9台のMacと17個のiPodがある。
 わかってる。これはとてもfoolishなことだ。

 でも「それら」を使って、あのころ出来なかったことを、今、僕は息をするようにたやすく行っている。

逆上がり
なぜか泣けてくるのよ
知らぬ間にちゃんと回れること

 もちろんそれは、僕が大人になったから、だけじゃない。

 ありがとう、Steve
 いつかiCloudの上のどこかで。
words
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Tags:Single、N1、Desire

 A3の8曲めにして、AKBメジャーシングル第2段。
 作曲は井上ヨシマサ。

 K2からプロジェクトに参加したヨシマサさん。その後良曲佳曲スマッシュヒットを排出し、AKBになくてはならない人になっていく。
 このころK2では「Virgin love」と「シンデレラは騙されない」、A3ではこの「制服が邪魔をする」と、公演タイトル曲の「誰かのために」、「涙売りの少女」を書き下ろした。「Virgin love」は、「制服…」のカップリング曲にもなった。

 当時の状況について、ヨシマサあにぃのいわく。

(秋元康に曲を)「どんどん書いて」って言われて喜んで書いているうちに。「あ、これはシングルでもいいんじゃない?」ってことになっていって。だから、最初からシングル狙いとかそういうことじゃなくて、いつも「劇場で燃え上がるもの」ってことしか考えてないんです。

 別にシングルで売り出そうという意識なしに書いた曲たちであったと(でもあの演出見るとさあ、ちょっとは下心あったよね、ちょっとは)。

 作曲家としては面白かったろうなあ。ヒットとか枚数とかタイアップとか、そういう縛りを考えず、ただただシアターでヲタを熱狂させろ、と。ヤツら舌は肥えててうるさいが、いったん食いつけば骨までしゃぶりつくすから。
 そりゃものつくる人は燃えるよねえ。

 今みたいに初日(初週じゃない初日!)100万枚なんて数字が出ちゃうと、もうこれは万人単位の人の生活がかかる「産業」になっちゃうわけで、あんまし無茶ができなくなっちゃうよね、きっと。

 でも当時は、「会いたかった」の売り上げが3万枚弱。それはそれですごい数なのだが、冒険や挑戦を思いとどまらせるような声は少なかったろう。

 この曲がステージにかかったのは2006年8月20日(おっと、前日にゲネプロがあったんだね)。その10日後にメジャー第1段の「会いたかった」の発売がアナウンスされた。
 発売は同年の10月25日(「夏へ続く近道」ってのはニュージーランドにあるんですか?)。
 
 当時にしてみりゃ第2段シングル? 何それおいしいの? ってな状況だったのだろう。
 インディーズ合わせりゃ3枚目だけど、どんな手を使ってでもメジャー1枚目を売らなきゃ次があるとは限らないのが業界の常。
 
 どのような事情があったのかはわからないが、めでたく「次」があることになって、恐らくは綿密なマーケットリサーチw(まあシアターに来てるヲタにちょっと聞いてみるとかさ)の末、とまれこの曲が第2段のシングルと決まった
 発表はシアターの柿落としからほぼ1年後の2006年12月4日でした。
 
 余談ながら、この頃の公式ブログには、当時のプロジェクトの様子が垣間見える。
 試行錯誤(行き当たりばったり?)、高揚感(字 でかっ)、急な告知(おいおい明後日だってよ)、日々のトリビア(試験勉強でお休みだってさ、じゃしょうがないよね)etc…

 SKEにもNMBにもいろいろと工夫したブログがあって、読んでてとても楽しいのだが、AKBのこの頃のブログの「工夫のしなささ」(「用の美」? そりゃ言い過ぎ)は別格。
 これらを読んで一喜一憂するヲタどもの姿さえ見える気がする。ある意味「記録文学」だよね、この頃の公式ブログ。
 戸賀崎氏の人徳なのでしょう。

 ほらあーこんなことばっか言ってるから曲の話できないじゃんか。
 じゃちょこっとだけね。

制服が邪魔をする/もっと自由に愛されたいの
(中略)
制服が邪魔をする/もっと自由に愛したいの

 「キスはだめよ」が「制服が邪魔をする」になって「JK眠り姫」「女子高生はやめられない」で思い直して「制服レジスタンス」「I'm crying」で陰の花を開く「制服」と女の子とのアヤシイ関係が気になってます。

 あと花ちゃんの試験はうまくいったのかしら?
words
video は探せばあるんだけどね。
Tag:「『僕』の歌」

 うわーい、カギさんに誉められちった

 シロウトのブログなんてものは、そもそも自分の書きたいことを好き勝手に書くだけのものでしかないのだけれど、それでも読んでくれる人がいたり、誉めて貰ったりするというのはとっても嬉しいものですね。
 しかも誉めてくれたのが、あのカギさんとは。
 ありがとうございます。

 公演に行ったこともない新参者が何を書いているんだろうなあ、と思うことがあります。
 いい年をして誰に向けて、何のために書いているんだろうと自問することもあります。

 そんな時は

その背中を意識してみて/暖かな眼差しに気づくはず

 なるほど、つくづく人とは人との関わりの中で(のみ)生きていくもの、なのだなあ。

 ところで。
 
 Team KII、3公演めにして初めてのオリジナルセットリスト。
 これもやっぱりおめでたいおめでたい。
 
 これまでにも、新曲と出会うことは季節ごとにあったけれど、オリジナルの「新セットリスト」の開幕に遭遇したのは、考えてみたら初めてなんですよね。何しろド新規だから。

 今のAKBの状況を考えると、いわゆる「本店」のチームでまっさらなセットリストを演る、というのは途轍もなく大変なことだというのは想像に難くないです。

 ただでさえ超多忙な上位のメンバー諸君が、十数曲分のレッスンを行う時間を取れるのか(もちろん麻里子様には造作もないことですが)、とか、せっかく練習したのに、実際にシアターに立つ機会がほとんどなくて、たまーに久しぶりに舞台に出るようなはめになって、ちゃんできるのか(もちろんぱるさんは基本回っていればいいんですけど)とか。
 そう考えると、「本店」の新オリジナルセットリストというのは、当分あり得ないんだろうな、と思います(「あり得ない? ふーん、そうなの」って言ってあり得ないことをやっちゃう人たちという期待もあるんですが)。

 その代わりと言っちゃなんだが、SKEとかNMBとか、いわゆる「支店」で新セットリストをどんどんやって、活気づいて欲しい。古来よりパラダイムシフトを起こすのは周縁(AよりB、Bより4。AKBよりSKE、NMB。じゃあ、日本よかJKT、TPE?)の役割って決まってるんだから。
 
 というわけで、とにかくおめでたい新セットリスト。

いっきにラムネを飲めないだろ? /半分、半分残せばいいんだよ
炭酸抜けてぬるくなっても /胸のビー玉息が詰まるなら

 まだ公式にメディアに載ってないものを扱うのは、ちょっと反則かも知れないけど、ご祝儀と思ってカンベンしてね。

 ラムネを飲むときには、瓶のくぼみ(外からみると。内から見るとでっぱり)に、瓶の中のビー玉をひっかけて、飲み口の方に落っこちてこないようにしなくちゃいけない。

 こんなのコモン・センスだよと思ったら大間違いで、ラムネなんか飲んだことないって若い子もいっぱいいるのね。

 セットリストのタイトルを聴いた時、「ラムネってあわてて飲むとビー玉が詰まっちゃって飲めなくなるから、あわてて飲んじゃいけないんだよって、歌なのかなあ」とちょっと思ったんですけど、やっぱりそういう歌でした。
 
 秋元は、ある時は「自分の持てる全ての力を振り絞って、命がけで、夢を実現させるためにガンバレ」と励まし、またある時は「一人で背負わなくてもいいから、そんなにガンバらなくていいから、少し休みなよ」と諭す。
 ケッキョクどっちやねん、とツッコミもあるのだろうが、言うまでもなく、どっちも、です。

 ちょっとおっさん的なもの言いになるのだけど、対立する概念がぶつかると、どっちかにしなくちゃいけないって強迫に捕らわれて、どっちにもいけずに頓挫してしまう、そういう若い子が増えて来ちゃってるような気がします。肯定なら全肯定、否定なら全否定のどっちかでないと落ち着いていられないっていうか。
 
 でもテーゼ・アンチテーゼの葛藤の向こうにアウフヘーベンがあるっていうのは、何も難しいことじゃなくて、よく見ると日常茶飯に起こってることなんだよね。どっちかが勝つっていうのじゃなくて、どちらでもない一つ高いレベルの状況になっていく。ものごとが変わったり進歩する時ってのはたいていこういうもの。

 葛藤という一時的に不安定な状態を耐えなきゃいけないのがちょっと辛いんだけど、それができるのが「タフな知性」ってもんじゃないのかなあ。ゆらゆら揺れていても、風の中の柳のように決して折れずに、しなやかに振る舞えること。是非そうありたいと思うし、そうあって欲しい。
 
 KII3、今のペースで行ったら、一つ一つの曲について、時間をかけて語れる日がいつ来るのか皆目検討がつきません。某所で見かけた、彼女たちの明るい姿を見ていると、今すぐにでもいろいろ言いたくなるのですが、自重自重。

 だってまだ2006年の彼女たちとの先約があるんですもん。ゆっくり行きましょう。

大人はラムネを飲まなくなるよ/きっと、きっと嫌いじゃないけどね
忙しい日々疲れ切って/そんなビー玉なんか面倒で

 はい。仰るとおり「ラムネ」、嫌いじゃないですよ。時々飲んでますよ。
 いくら忙しい時でも、瓶の中を転がるビー玉の澄んだ音を聞きながら面倒を込みで楽しめるのが「いい大人」なんです。心配ご無用。それまで大事に歌っていて下さい。

 KIIのリーダーをはじめとするみなさんの情熱と、それに応えたPARTY主催者に心よりの敬意をこめて。
 
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Tags:N1、「『僕』の歌」

 「ライダー」の記事を書いたのはたった半年(略。

 A1「PARTYがはじまるよ」から時系列に沿って曲を見聞きし、感じたこと考えたことを書く、というのがこのブログのそもそもの趣旨だったのに、どういうわけか先走りしてA3の「ライダー」について書いてしまった。

 この曲にまつわる「伝説」について、おそらく半年前の僕は書きたくて仕方なかったのだと思う。AKBというプロジェクトを知り始めたばかりの僕は、いろいろなことを誰かに話したかったのだ。どの分野でも初心者にはありがちな心根である。
 それでも歌詞を引用し、コメント一行だけにとどめたのは、大人の自制心というヤツ。今は書くべき時ではない、A3まで行ったらちゃんと調べて書こう、と。

 この半年、短い間ではあるが、「彼と彼女たち」のプロジェクトの「森」に分け入り、僕なりにいろいろな景色を眺めてきた。

 その結果知り得たことは、「伝説」について僕は何かを語るべきではない、ということだ。それを語るべき人はすでに語っている(もしくは語らないことを選んだ)。
 「ライダー」のエピソードについては、それで必要にして十分なのだ。僕が新たに書き加えるべきことは何もない。 
 それに気づくことができるくらいは、この半年で僕は「彼と彼女たち」と親しくなったと言っていいのかな?
 
 その代わり備忘録としていくつかのリンクを張ることにしよう。

AKB48黎明期を支えたファンの"夭逝" NMB48が歌い継ぐ「ライダー」誕生秘話

 関係者にきちんと取材をして書かれた記事(当たり前のことのようだが、そうでないことはるかに多い)。「伝説」のサマリーとして。

本日のゲネプロについてのお知らせ

 A3のゲネプロについての公式のアナウンス。

・若くして逝きし友のこと
事実と物語、もしくはあの曲について
まだ公演を見ていないので

 「ライダー」氏の友人であったカギさんの当時の記事。

・ライダー
・ライダー2010
・ライダー2011

 プライヴェートで「ライダー」氏の親友だったという方のブログ。「ライダー」氏のご家族のコメントもある。

・悲しみを忘れず。
・そしてこの日がやって来る

 斯界の古参、◎◎みすと氏のエントリー。墓参の記事も。

 「伝説」は風化していくだけ、と思いきやNMBによる「誰かのために」公演によって甦った。「ライダー」氏とは縁もゆかりもない子たちが、みごとに新たな命を吹き込んだ。
 かくして「ライダー」は歌い継がれる。

NMB48のお気に入り

 大阪朝日新聞がNMBのメンバーを取り上げたコラム。
 NMBで「ライダー」を歌ったユニットのメンバーの一人、森彩華の回。

・AKB48劇場★あいにゃん(´`)★
・千秋楽 ** けいっち(っ・ω`*)っ☆
・にゃん×3★あいにゃん(´`)★

 「ライダー」を歌ったNMBのメンバー公式ブログ。こうやって眺めると賑やかなタイトルだよね。つーか、今はこっちがデフォか。
 ナンバの子たちがこの曲を大事にしていることがよくわかる。
 うん、いい子たちじゃん、みんな。と、おっさんはすぐにころっと行っちゃうんだよね。
 でも、実際の所毎年何百何千という歌がつくられ、消費され、消え去っていくいくなかで、こうやって新たな歌い手を得た歌のなんと幸せなことか。

卒業曲としてのライダー

 NMBの森が卒業にあたって「ライダー」を歌った。それについてのカギさんの記事。

 秋元康は、亡くなってしまった一人のファンのエピソードを「サヨナラも言わずに遠くに行ってしまっけど、いつまでも自分を支えてくれるトモダチ」の歌へと昇華させてステージにのせた。

 その歌は年月を経て、新たな歌い手と普遍性を得て僕らの前に現れた。

 A3のステージでは、ご存じの通り間奏でステージの明かりが消え、9名のメンバーが一列になって客席下手方向を見つめ、右手を左胸に当てるいわゆる「Hand on Heart」のポーズを取る。
 この歌で「ライダー」氏のエピソードを思い起こさせるのは、この場面だけだ。 

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 N1でも間奏の時に横一列になるのだが、この時彼女たちはHand on Heartではなく、両手でマイクを握ったポーズだ。ステージもやや光量を落とす程度で、A3ほど暗くはない。

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 そう、これでいいのだ。
 NMBの子たちは逝ってしまった人への哀悼の意を表す必要はない。
 彼女たちは今、現にここで自分たちを支えてくれている人たちへの愛情と感謝を表していればいいんだ。

手拍子している/君のその姿は
永遠の味方さ

 ナンバのステージを経て「ライダー」は、夢を追いかけ続けるみんなの味方になった。
 
 おまけ。
 ありし日の「ライダー」氏が写っているといわれる動画。確認は取れていない(どなたかご存じでしたら教えて下さい)。
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Tags:N1、サヨナラ

 「蜃気楼」が「禁じられた2人」の続編ではないか、という説について。
 前回は衣装や演出、つまり外見の面から見てみた。

 では、歌われている詞の世界、つまり内面はどうだろう。

 言うまでもなく、「禁2」は女性同士の恋愛とその悲しい結末(おそらく心中)を歌った曲である。「蜃気楼」はどうだろう。 

心 ゆらゆらゆら/揺れながら
あなたの前から消える
愛をごめんね/愛をごめんね

 別れを選んだのは、愛が失われたからではなく、愛ゆえ。
 「ゆらゆらゆら」と3回も繰り返す揺らぎは、別れを選んだ心の動揺だけでなく、幻のように消え去らざるを得ない自分のはかなさを表しているようでもある。

 2人が出会えて、一時だけでも結ばれたことに後悔はない。でも別れなければならなかった理由はわからない。
 ただ、「愛をごめんね」と言い残し、相手が好きだから、全てを捨てて旅に出る、というのだ。

 ここにはAKBのお別れの歌にありがちな「サヨナラはまた会う日までの云々」的な留保は、ここには一切ない。
 この2人はもう会えない。金輪際会えない。なぜなら、

ああ/今でも/好きだから
このまま/いなくなる/永遠に

 主人公は相手と離れるだけではなく、いなくなってしまうのだから。

 おいおい、永遠にいなくなるなんて、穏やかじゃないぞ。まるでこのまま死んでしまいそうな…。

 そう、「蜃気楼」のお別れは明示されていないものの、死出の旅立ちを思わせる。
 そうすると第1スタンザの

夜明けのホームは/何も書かれていない
手紙のようで

 誰もいない早朝のホームをたとえた「何も書かれていない手紙」というのは、書こうとして書けなかったお別れの手紙—遺書—を暗示しているようでもある。

 「禁2」は、2人で別の世界、つまり来世へ旅立つことで愛を成就させることを予感させた。
 「蜃気楼」は、愛するゆえに自分一人が幻のように消えてしまう姿を描いた。 
 いったい愛し合う2人の間にいったい何があったのだろう?

 「禁2」の2人を苦しめたのは、「女性同士」という、世間からはまだ受け入れられることの困難な愛の姿だった。 
 「蜃気楼」では、2人の性別は示されていない。でも2人は一緒にいられなくなってしまう何らかの障害にぶつかってしまった。それも主人公が一方的に消え去ってしまうしかない程の障害。
 それは同性同士、という理由だったせいかもしれない。
 または、異性愛であったとしても、たとえば清き身でなければならないドルイド教の巫女の身でありながら侵略者のローマ総督を愛してしまい、彼に裏切られながら彼とその恋人(自分の部下のしかも巫女!)の命を助けるために自らを殺すことを決めたのかもしれない(こう書くとものすごいこみ入った事情だな)。

 いずれにせよ自分を滅ぼすことによって愛を貫く、というあり方は、異性愛でも同性愛でも変わらない。

 どちらも愛ゆえの愚かしさであり、愚かしさゆえの美しさであったわけだ。

 というわけで、「蜃気楼」は「禁2」の続編かどうかはわからないけど、どちらも同じ愛のあり方を歌った哀しい曲だった、というのが結論です。

 「愛をごめんね」という、秋元康が四半世紀前に小泉今日子に託した愛のカタチは、今でも不変なのだなあ。これについては「ごめんね、SUMMER3」でも考えたテーマでしたね。
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Tags:N1、サヨナラ

 うわあああ。やっちゃった。
 山田菜々を山田奈々って書いちゃった。
 菜っ葉ね。菜っ葉のナね。菜菜菜菜ー、菜菜菜菜ー 、菜ー菜ー菜-、ね。
 でもあれな、山田菜々でつべあさっても、歌ってる絵はほとんど落ちてないのな。ヴァラエティ番組ばっかなのな。菜菜菜菜ーって。大丈夫かい菜、この子たち。ちょっと心配。
 
 えー前回はN1の、というか山田(菜)の歌声にメロメロになってしまいました。
 ただね、ちょっとだけ気になったところもあるの。
 小姑みたいなんだけどさ。

 菜々さんはほら、とってもよくやって下すってるのよ。 
 だからあたしも安心して隠居してられるんですけどね、ほら、年寄りってつまんないことに気がつくでしょ、ね、だからそんなに気にしないで聞いてほしんだけどね、

愛のいじわる

 のところのフリ、ね、ちょっと違うんじゃないかしらね。

 A3の小嶋お姉様とか中西お姉様は、マイク持ってるのと反対の手の親指を立ててコブシを握って、お顔の横で手首をぐりぐりとさせながら、「いじわる」って歌ってらしたでしょ。あの「ぐりぐり」が「いじわる」って意味なの。
 ほら、ご覧あっさっせ。りなてぃん、うんと「いじわるな感じ」でしょ。

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 そこのところね、菜々さんたち、ちょっとフリがいいかげん。
 あら、あたし今ちょっと言葉きつかったかしら。ごめんあっさっせ。
 フリがちょっと甘くて、きちんと「ぐりぐり」できてない感じなのね。そこがちょっと気になるの。

 ここってほら、特徴的な、いわば「キャラの立った」フリだから。
 AKBのお姉様方の曲って、一曲に最低一カ所はキャラ立ちした「フリ」があるのよ。秋元のおじさんがうるさいのよ、「印象に残るフリを最低ひとつは入れろ」って。だからね、今度から考えて貰ったらいいかなって…。
 細かいことごめんなさいね、年寄りの繰り言と思ってあきらめてね。

 って小芝居は置いといて。

 A3上演当時、「蜃気楼」はK2の「禁じられた2人」の続編ではないか、という説が囁かれたことがあったらしい。

 伝聞の伝聞でソースが確認できないんだけど、うーん、言われてみれば似たイメージのある曲だよね。この2つ。
 人気で言うと圧倒的に「禁2」なんだけど。
 前にもちょっと書いたけど、K2とA3って、構成が似ているところがあるよね。「Blue rose」に「Bird」が対応しているように、「禁2」には「蜃気楼」が対応している感じ。
 
 「禁2」と「蜃気楼」。どちらも2人だけによるデュエットのパフォーマンス。
 デュエット曲と言えば、A1に名曲「あなたとクリスマスイブ」があるんだけど、あれはキーボード弾き語りでちょっと違う印象。「禁2」「蜃気楼」みたく情感と緊張感をもって2人だけでステージを2人だけで支配するって感じじゃないね。

 この2つの曲を比べて、まず気づくのは見た目の共通点。

 「禁2」では「姉」と「妹」のパートがはっきりわかれており、衣装も異なっている。
 それに対し「蜃気楼」の2人は歌詞の上での役割分担はなく、衣装もほぼ同じものを着けているようだ。
 しかしよく見てみると、「禁2」も蜃気楼」も、要所要所で演じる2人があわせ鏡に写った像のような印象、つまり「鏡面対称」を作り出すように演出されていることがわかる。

 「禁2」では以前も書いたように、衣装こそ違え、フィンガーレスグローブやアームバンドといった装飾は共通で、かつそれぞれ左右反対の腕につけている。しかも肝心なフリではわざわざマイクを持ちかえることによって「鏡面対称」になるようにしていた。

 一方「蜃気楼」では2人の衣装はほぼ同じなのだが、装飾品はあえて左右反対につけるという工夫が見られる。
 A3の小嶋は帽子と腕飾りは左、足飾りは右につけ、マイクはほぼ右手。中西は小嶋と反対側に装飾品をつけている。

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 N1の山田(菜)小笠原も同様で、装飾品は左右が逆になっており、さらにマイクを持たない方の手、山田(菜)は右手、小笠原は左手の人差し指に指輪をしている。

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 こういう見た目の演出の類似点も、「蜃気楼」が「禁2」の続編じゃないのかしら、という説の源泉だったのかもね。
 
 じゃ、詞の世界は?
words
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Tags:N1、サヨナラ

 秘かにお気づきの人もおいでになるかもしれないけれど、僕のTeam Aに関する評価には少なからぬバイアスがかかっている。
 だから他のTeamがAオリジナルのセットリストを演っているときの採点は少々辛めになっている。

 だってしょうがないじゃない。僕にとって彼女たちは「最初」で「特別」なんだから。

 駄菓子菓子。おっとだがしかし。

 ことこの曲に関して言うならば、A3よりもN1のパフォーマンスに軍配を上げざるを得ない。
 A3の6曲目。デュエットの「蜃気楼」。

 もちろんA1オリジナルの小嶋中西は魅力的だ。でもそれを凌駕するものがN1にはあった。
 有り体に言うと、 N1で小嶋パートを演じている山田菜々の歌声にしびれたというわけだ。

 N1はDVDは出ているものの、スタジオレコーディングのCDは出ていない。
 NMBヲタの熱狂ぶりをみると需要はあると思うんだけどなあ。権利問題があるのかしら。

 だから仕方なくDVDからサウンドをリップしてmp3にして聴いている。ここ数日の間、何度も何度も、繰り返し繰り返し。だから現時点で、僕にとっての「蜃気楼」はすっかり小笠原・山田(菜)の曲になってしまった。
 ぱるさん、りなてぃん、ごめんなさい。って言うか、ごめんなさい。

 NMBの映像とか音声は、なかなかネット上に落ちてはいない。つい先日、不祥事続きのNMBに立ちこめる暗雲を吹き飛ばすとて、アカバン覚悟でN1全曲をアップしたカミカゼ野郎がいたが… あえなく予定通りバンされました
 
 ウィスパーボイスと言っていいのだろう。
 ここでジェーン・バーキンとかフランソワーズ・アルディーを引き合いに出してしまっては山田(菜)を持ち上げすぎなのはわかっている。

 でも彼女の歌声を聴いて思い浮かんだのが実際バーキンや「私のフランソワーズ」のあのささやき声だったのだから仕方ない。

ああ/あなたが/好きだから
私は/すべて捨て/旅に出る

 下線は山田(菜)のパートであるが、特に「捨て」の「て」の囁くような、おののくような、ふるえるようなはかなさは尋常じゃない。

窓にゆらゆらゆら/蜃気楼
過ぎゆく時は 幻/夢を見られてよかったわ

 そう、「蜃気楼」という文字通り幻のような愛の歌には、山田(菜)の声がまことに似つかわしい。
words
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Tags:N1、School days、片思い

 この間はTeam 4のみなさんに、ついとても乱暴な口をきいてしまいました。
 会ったこともないお嬢さんたちを捕まえて、「お前ら」とか「小娘ども」とか。
 ごめんなさいです。

 ところでTeam 4の公演決定おめでとうございます。名作「僕の太陽」。
 大場は初日に間に合いませんが、刻苦勉励粉骨砕身臥薪嘗胆で備えてくださいね。

 じゃんけん大会、楽しかったです。でも河西をにらみ付ける大場の姿を見たかったな。

 ずいぶん寄り道をしてしまいましたが、「投げキッス…」についてもう少しだけ。

 「投げキッスで撃ち落とせ!」が、フィンガー5という1970年代前半に一世を風靡したアイドルグループの「本歌取り」であるという妄想を前に述べた。

 この「本歌取り」、一般には「オマージュ」とか「リスペクト」いう言葉を用いることが多い。「オマージュ」とは元来は騎士が忠節を誓う儀式の事だし、「リスペクト」は文字通り「尊敬」。
 いずれにしてもその行為の根底には敬意がこめられている。

 秋元が敬意を抱いた相手。

 もちろん、それが記録的なヒットを飛ばしたフィンガー5に対しての敬意であることは間違いないのだが、これらの曲の歌詞を書いた作詞家は誰かと見れば。

 そう、日本レコード大賞受賞5回、日本レコード大賞作詞賞受傷7回、日本作詞大賞受賞8回、贈従四位旭日小綬章深田公之、筆名を阿久悠。
 2007年8月に他界するまで、阿久悠は文字通り「作詞の神様」だった。

 放送作家を経て作詞家となり、アイドルから演歌歌手まで幅広く詞を提供してきたというキャリアは、秋元とよく似ている。

 でも受賞歴について言えば、秋元は阿久の足下にも及ばない。トータルのシングル売り上げも今のところは阿久悠が勝っている。

 作詞以外、小説家としても評価された。「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補で映画化されてヒットした。推理小説も書いて、こちらは横溝賞を受賞してる。「さらば、メルセデス」秋元も小説を書いてはいるのだが、実績はちょっと残念。

 アイドル発掘のオーディション番組を企画し、当時の業界の地図を塗り替えたのもこの人。秋元もこの分野ではガンバってるよね。

 晩年は「歌謡曲」の衰退や秋元ら若手の台頭のせいもあってか作詞からやや遠ざかっていたけど、亡くなった時は大きな衝撃だった。いくつもの追悼番組が流され、勲章が贈られ、故人を主人公としたドラマも作られた。

 秋元康も阿久悠についてNHKの番組で語っている。番組の導入部は秋葉原を歩く秋元康。撮影もほとんどAKB劇場で、当時の公演の様子が(阿久悠とは関係ないのに)挿入されている。

 これ多分あれだね、秋元さんとこに局からオファーが来た時、「阿久先生について語るのはいいけど、その代わりAKBの話もさせてね。で、ちょっと絵も流してね。あとインタヴューはシアターでやってね」くらいの交渉をしたんだろう。どんな機会を捉えてでもAKBを世に送り出そうと必死だった秋元康の執念がうかがわれる(でもこの年は紅白出らんなかったんだよね。大晦日の夜オカロが渋谷のNHK放送センターに行って、翌年のリベンジを誓った年)。
 
 「投げキッス…」が書かれたころ阿久悠は存命ではあったが、秋元にとって阿久は尊敬すべき/超えるべき/打ち倒すべき先達であったのは間違いない。

投げキッスで撃ち落とせ!/空飛ぶハートを

 の中に、阿久悠のあまたある代表作のひとつ

弓をきりきり心臓めがけ/逃さないパッと狙い撃ち

 の匂いを感じることができる。

 阿久悠の影響はそれにとどまらず、「せんせい」「個人授業」に比して秋元の「およしになってねTEACHER」「DMT」を論じることだって出来そうだ。

 ということで妄想の展開オワリ。
 秋元先生、早くレコード大賞とってね。

 たかみなが言ってたよ。秋元先生のために獲りたいって。