Commentarii de AKB Ameba版 -27ページ目

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

 オキドキってこれのことだったのね(微グロ閲覧注意)。
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Tags:N1、天文、A dark side of AKB

 新しいタグつくっちゃった。
 「A dark side of AKB」。

 地下アイドル板の楽曲スレで、ときどき話題になるAKBの暗黒面。

 AKBっていうと、世間的には明るくてポジティブで前向きで「努力は必ず報われる」歌ばかりって印象が強いんだろうけど、ちょっと詳しく聞くようになると、決してそんな曲ばかりじゃないってことに気づく。
 これまで聞いてきた曲の中にも、かなわない片思いをネガティブに歌ったA1の「星の温度」とか、結末に心中を暗示するK2の「禁じられた2人」とかがあった。

 そりゃそうだよねえ。人間明るくポジティブだけで生きてけるわけじゃないもんねえ。
 フランツ・カフカは「僕の人生は、自殺したいという願望を払いのけるためだけに、費やされてしまった」んだそうだ。
 ま、今カフカが生きてても、AKBは聞かねえだろうなあ。でも秋元康はカフカにもマーケッティングをかけるんじゃないかしら。

 カフカほどではないにしろ、誰でも心に暗黒面を持っている。そこに語りかけるような曲。
 秋元先生はちゃーんと用意してくれてます。ケッコウみんな好きだよね、そういうダークな曲。

 で、「月のかたち」。

 作曲は秋元先生のかつての盟友ゴッキーこと後藤次利。
 A2で「リオの革命」を提供しA3では「田中角栄音頭月見草」も書いてる。その後もぽつぽつと楽曲を提供していくんだけど、井上ヨシマサほど重用はされなかった。秋元先生のリテイクの嵐についていけなかったのかしら。

「アイツはやめとけ!」/誰もが言うでしょう?
悪い噂/Bad girl!

 余談だけどこの「Bad girl!」って、ずっと「ばっかー」とばっかり思ってた。DVDでもCDでもエルは聞こえないんだもん。

 悪い噂を立てられちゃった女の子。ぱっと見が派手で、行動も目立つんだろうね。だから「悪い子」って思われちゃってる。
 でも他人の目に見えない部分、月で言ったら日が当たらなくて見えない部分をわかって欲しい。

月のかたちのように/欠けるけれど
闇に隠れた自分は/そう 変わらない

 若さってのは、決して素晴らしいだけのもんじゃない。
 未熟さゆえに、自分やまわりを傷つけないではいられないことってたくさんある。この子のように

誰か 私をかまって!

誰か 弱さをわかって!

 と、隠れた部分では悲鳴を上げているのに声を出せない。

 かまって貰いたいならば、まずは自分から近づかなきゃいけない。傷つくかもしれないけれど。
 わかって貰いたいならば、わかって貰えるように隠れた部分も見せるしかない。それがどんなに苦痛でも。
 ついでに言えば悪い噂を立てられたくなかったら、まず悪く見えないようなカッコをしなきゃいけないよねえ。たとえそれが気に入らなくても。
 いや、ホント、見た目って大事よ。ヤング諸君が思ってるより。

 ってのがオジサン的アドバイスなんだけどねえ。

 でもそういうのって、年取らないとわかんないし、わかってても出来ないのが若さなんだねえ。まさに

大人は(大人は)/汚れた分だけ
気軽に(気軽に)/生きられるのね/I can't do it.

 ってこと。
 いやいや、決して気軽に生きてるわけじゃないですよ。
 汚れたってのは否定しませんけれど。

 「努力は必ず報われる」って、高橋は言う。
 「私がそれをみんなに証明したい」って。でも誰も彼もがたかみなになれるわけじゃない。秋元はそれも知っている。
 秋元はそんなこと百も二百も承知の上で、女の子の現実を歌い上げる。

 「ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない」と言ったカフカも、この曲なら聞いてくれるかもだよね。
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Tags:N3、秋

 じゃんけん選抜の新曲、「上からマリコ」www。

 破壊神アキモトがまた壊しに来ましたってことですかね。これ。
 賛否両論かまびすしいでしょうが、なに、AKBらしいのはこっちなんですから、むしろいい感じです。テッテー的に壊しちゃって下さいな、秋元先生。ミリオン行かない? んなの構やしませんよ。
 「上からマリコ」なんて今更びっくりもしませんやね。なんてったって、こっちは「小池」ですもん。
 
 ということで「小池」。
 最初、「小池」ってなんだよって言ったんだろうなあ、みんな。

 まあ小池って言えばこの人だよなあ常識的に考えて。

 夏が行っちゃって、みんながセンターに集まって、そしたら中から麻里子様が出てくるわけでしょ。で、いきなり語り出すわけだ。

「この歳になると、嫌でも現実ってヤツが見えて来ます。」

 だもん。いい繋ぎだよな、ここ。
 アシメのブラウスの下はこういうワンピだったんですねえ。シアターで見てたら、いきなり登場でびっくりって感じなんだろうなあ。

 ちなみにナンバの衣装は、Team Aと違って色合いはみな一緒なのだが、エリの飾りがリボンだったり、タイだったりして統一されていない。ブラウスを着ている前曲では気がつかないのだけれど、「小池」ではじめてわかる、という仕掛けでした。

激しい夏が過ぎて/二度目の恋が終わり
焼けた肌が/褪せる頃は/偶然の季節

 当然、前曲の「夏が行っちゃった」と繋がってますよねえ。夏の恋が終わって、その余韻の切なさに浸っているところで見えて来ました「現実」。何たって「がりがりくん」だもん。

 あ、正確な商品名は「ガリガリ君」ね。赤城乳業の商品名ね。じゃ紅白でうたえないんじゃん「小池」。
 ガリガリ君、昔はバッタもんのアイスって位置だったけど、いまじゃ立派なブランドなのな。あと群馬県かと思ったら埼玉県なのな、赤城乳業。

 この歌の魅力はやっぱセリフと歌の掛け合い。
 正直篠田のエロキューションはケッコウいまいちでしょ。で、芝居もわりとアブラナ科方面でしょ、麻里子様。
 これシアターで見ると補正がかかったのかな。CDで聞くとセリフが早回しみたいなんだよね。
 
 そのせいだか何だか、日本青年館のシャッフルヴァージョンの「小池」、増田が大阪弁でセリフを言ったヤツって評価高いんですよね。同じ尺なのになんかものすごくたくさんしゃべっている印象。内容は相当デフォルメされていて、笑いを取りに行っているのだけれど、それでも何言ってるかちゃんと聞き取れる。

…ウチよりもレベル低いのは確かやねん
だけどウチよりもメッチャ巨乳やんということが
悲しかった。

 www。
 あれから5年、「ゆっぱい」と呼ばれるようになると思ってなかったろうなあ増田。

 ナンバの「小池」も当然大阪弁。しゃべるのは山田。

はぁ、しもたなあ。あそこで手を打っといたらよかったんかなあ

 増田ほどのしゃべくりではないが、それでもこなれたセリフまわし。

 山田ってついこの間、「蜃気楼」でウイスパーボイス云々って絶賛してたんだけど、あれからいろんなとこでシャベリを聞いたら、オバチャンやん。大阪のオバチャン。いや、もちろんオバチャンがいけないわけじゃないですよ。

 元歌は

小池!/何とか言え!
やさしい言葉のひとつもかけやがれ!

 と切れて終わる(CDだとこれにエコーがかかる)。
 ナンバ(山田版)では元歌をなぞりながらも、

小池、何か言いや/やさしい言葉の一個や二個、よう言わんの?
もうあんた、アホちゃう?

 とオマケがつく。
 増田版は

ま、彼女は置いといてー今度またウチと食いだおれ行こうや!
え? 行かへん?/行かへんちゅーの!?/なんでやねーん!

 と、オチをつけて終わる。
 お上品なTeam Aとは違うKの芸の幅広さを見せたらんかい! って気合いの入った演技でした。
 「なんでやねーん」って、ゆっぱいこの時まだ15歳だったんだよな。たいしたもんだ。

 山田も増田も、方言を上手につかっていて楽しい。そういや、篠田もシアターでは「博多弁」バージョンをやったそうだが、音源は残ってないんだろうなあ。どうだったのかなあ、麻里子様。

 さて、A3がシアターにかかったころ、歌詞の通り「二十歳をすぎて」いた「小池」センターの篠田。
 季節は巡り、ついにシングル曲のセンターを勝ち取りましてその名も「上からマリコ」。
 果たしてどのような曲になりますのやら。

p. s.
>ミリオン行かない? んなの構やしませんよ。
 などと愚かなことを申しました。
 「上からマリコ」さま、初日96万枚。不明を心からお詫び申し上げます。
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Tag:地震

 なんだか遠い昔のようだけど、まだ8ヶ月も経っていない。

 2011年3月11日、地震が起こる数時間前、僕は海の上にいた。
 オフィスのテレビで水が町を呑み込むの見た時、ほんの少しの差で、死に神の鎌の刃が僕の首のすぐ前を通り過ぎていったんだということに気づいた。船の上では気配すら感じなかったが。
 テレビに映し出されるあの場所で、自分が津波にさらわれていないのは、本当にただの僥倖でしかなかった。
 
 だから続く数週間の混乱も、不便でいろいろな困難はあったが深刻ではなかった。深刻なことは東北で起きていたし、「Memento mori(死を思え)」という言葉がリアリティをもって迫ってきていたから。

 このブログを書き始めてすぐの頃だった。
 AKBについて考えたことや書きためたことがたくさんあった。一日に二回記事をエントリーしたこともあった。
 新しい恋がはじまったばかりのような熱に浮かれていたんだろう。

 災害はその熱を冷まさなかった。むしろ不便や困難に直面する度に僕は彼女たちの歌を口ずさんだ。
 ガソリンスタンドへの長く動かない列に並んでいる時には、松井Jが涙を浮かべながら歌う「青空のそばにいて」を聞いていた。現場で震えている人たちを思って「会いたかった/僕の太陽」を書いた。
 被災地へは「誰かのために」を聞きながら向かった。ベースキャンプとなった福島の寒いホテルでは、出たばかりのAX2011を見続けた。

 今から思えばある種の防衛機制だったのかもしれない。

 でも一方で、そうすること、すなわち出来るだけ彼と彼女たちに繋がっていることが「正しいこと」であるという、素朴な信仰のようなものも僕にはあった。

 そうすることによって、実利的には様々なアクションが行われ、被災地へのサポートとなるだろうと確信していた。

 秋元康はそういう人だ。
 彼が「善人」だ、と言いたいわけではない。ただ彼は、「やるべき時にやるべきこと」が誰よりもよくわかっている人、ということだ。実際、それはそうなっていった。

 AKBの名の下にたくさんのお金が集められ、送られた。
 多くのメンバーが現地を訪れ、歌声を届けた(高齢化率の高い地域の需要とはやや離れていたかも知れないが)。
 僕ら(あ、勝手に「ら」にしちゃった。ごめん「ら」のみなさん)はそれを心から誇りに思った。

 AKBと繋がっていることが「正しい」と思った理由がもうひとつある。

 うまく伝えられるのかちょっとわからないのだが、そうすることによって、僕は目の前(正確には離れた所だが)で起きている凄惨で残酷な生の現実を、自分の中へ取り込もうとしていたように思う。
 
 3月11日に起きたことは、地面が揺れ、海の水が陸地に押し寄せ、そこにあった人や物を呑み込んで去っていったという事象である。出来事としてはそれだけなのだが、いかんせん人にとってはあまりにも規模が大きすぎた。

 日常からはずれた不規則な出来事に直面したとき、人は混乱する。それが大きければ大きいほど、茫然とし無力になっていく。小さな交通事故でさえ人は「頭が真っ白になって何も覚えていません」と言う。いわんやあの「出来事」をや。

 眼前に広がる「出来事」を「震災」と名付け、「悲劇」と呼び、心を侵犯する感情に「悲しみ」のタグをつけることによって、ようやく人は「それ」と対峙できるようになる。

 世界は僕らがそのまままるごと呑み込むには大きすぎる。

 何とかしてそれを切り分け、噛みしめ、苦みに耐えて呑み込まなければならない。そうやって世界を自らの中に回収することによってのみ、人は圧倒的な世界に立ち向かえるようになる。

 だからそこにはどうしても「言葉」そして「歌」が必要だった。

 それが言葉や歌の使命なのだ。

 3月11日、その時僕の目の前にあったのが、たまたま彼の言葉であり、彼女たちの歌だったというわけだ。もちろんそれは偶然であり、他の何かでもよかった(「偶然の仕業」のような「どんな普通の出来事にも意味がある」んでしたっけね、秋元先生。ひょっとして先生ってユング派?)。
 
 でも結果としてその時目の前にあったのが AKBであったことを僕は喜んでいます。
 
 震災の直後に、AKBは「誰かのために」を初動のキャンペーンソングに選んだ。

 僕も最初に思い出した歌だ。
 君でも僕でもない「誰か」。会ったこともなくそれが誰なのかはわからないが、確実にそこにいて、助けを必要としている見知らぬ「誰かのために」。
 
 会ったこともない「誰か」のために、人は時に命すらかけることがある。その尊く愚かではかない営みこそ人を人たらしめている本性なのだろう。
 震災直後の「歌」としてこれほどふさわしいものはなかった。

 歌っている彼女たちは、背負っているものの重さに気づいてはいなかったろう。
 それでいいのだ。彼女たちはヴェクター、運び手でいい。その重荷を受け取り担うのは、もう少し歳を重ねた大人の仕事なのだから。
 重荷は確かに受け継がれた。

 「誰かのために」は、声が届くまで歌い続けることを約束して終わる。
 そしてその約束は果たされた。被災地以外に住む多くの人が、痛みを忘れた頃に。
 風は吹き続けなければならない。
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Tags:N1、サヨナラ、秋

 このブログでA3が始まったのが今年の8月9日。
 A3の初演が2006年8月20日だったから、時期的ににはちょっと早めのスタートでした。

 ちょうど夏が終わる頃にこの曲にさしかかればいいな、なんてぼんやり思ってたんだけど、季節はもうすっかり秋から冬。とほほ。
 せめて夏の終わり(ってか秋の初め)に、この曲についてヒトコトだけでもって、ホントにヒトコトだけ言ってみたのが、これ
 A3で一番最初に気に入った曲。

 「制服が邪魔をする」がため息で終わり、余韻のようにシアターに立ちこめるアンニュイな雰囲気。それを吹き払うように流れ出す軽やかなイントロ。

 「制服…」を歌った8人と色違いのスカートとリボンorタイをつけた残りのメンバーが登場。
 色違いと言っても、赤の彩度が落ちているだけなんだよね。「制服…」組が明るい赤だったのに対し、残り大勢は暗い赤。それだけの違い。
 そこまでして「おそろい」にならないようにしてるんだなあ、という感想は前の話を引っ張りすぎですかそうですか。
 ちなみにN1では、「制服…」組とその他大勢のスカートとリボンorタイの色合いは同じように見える。少なくともここでは(この話「小池」に続く)。

 夏の終わりと恋の終わり。切ないけど、軽やかでどこかコミカルな歌詞とメロディ。ちょっと往事のモー娘。を思い起こさせるような「wow wow wow wow」。

 作曲は山崎燿。K2で「転石」「君が星になるまで」を書いた人ですね。この曲のおよそ5年後にどでかい五尺玉を打ち上げることになるのだけれど、それはまた別の話。 

賑わっていた/海の家が壊される

 

ああ 砂浜の上で/見つめ合った時間
ああ 皮が剥けていく

 一緒にレモンのかき氷を食べたであろう海の家は解体がはじまり、ひりひりとするような日焼けをした後の「皮が剥ける」とき、ヤケドのような夏の恋が終わっていくわけだ。

 それにしてもまあ、何て表現なんでしょう「皮が剥けていく」。
 アイドルの歌う失恋ソングに、耳に引っかかるヒトコト。
 それはまるで甘いお菓子の中に紛れ込んだ砂粒みたいに、歯にジャリっと当たる。無理して噛んでみると苦かったりして。

 秋元先生、ちょいちょいこういうことやるよね。わざとなのかたまたまなのか。
 あと「これってひょっとしてやっつけ?」と思っちゃうような異和感ありの言葉の使い方もあるでしょ。
 これについて前々から言いたかったんですが、書き始めたら怖いことになりそうなのでまた今度にします。
 その代わり今後気づいたらその都度チェックしとこう。
 
 砂粒ワーディング:「皮が剥けていく」
 
 肌から薄皮が剥けていくような無茶な日焼けの仕方、何年もしてないなあ。
 もちろん、そういうヤケドしそうな恋をしたのも遠い遠い昔の話。
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Tags:Single、N1、Desire

 「見逃した君たちへ」DVD大杉。

 ええと、まだ制服の話が終わらない。

 制服の機能についてまとめます。
 制服には「美しさを隠そうとする」機能があると書いた。
 それはつまり、色味やデザインは基本地味ってこと。
 わかりやすく言うと、「葬式に着ていける」コスチューム。ね。中高生って喪服の代わりに制服でお葬式行くでしょ。ついで言うと、「葬式に着ていける」ってことは「ちゃんとしている」ってことでもあります。「ちゃんとしてる」って言うのは、「それを着て、公の場に出てもOKという社会的合意ができてる」ってこと。

 もう一つ、これまであんまり言わなかったけど、制服って「おそろい」でなきゃいけない。
 制服のある学校の生徒は、基本おそろいの格好をしている。当たり前と言えば当たり前だけど、これが制服の本質。
 英語で「uniform」っていうのは、uni-(ひとつの)form(かたち)ってことだもの。ひとつに統一された形ってことは当然「おそろい」ってことだ。

 つまり、「地味でちゃんとしてて、おそろい」であるのが制服。
 
 で、AKBの「制服」を見ると、まず「地味じゃない」。だって「桜の花びらたち」のジャケ写みたいな格好じゃ葬式行けないよね。

 そして「ちゃんとしてない」。特に「制服が邪魔をする」以降に目につくようになった、裾を半分だけ出してるように見えるアシンメトリックなブラウスは、すごーく「ちゃんとしてない」というか「しだらない」印象が強い。

 そういやちょっと前に裾出しシャツでブツギを醸したオリンピック選手がいたっけね。
 そうそう、この人
 あんときゃ大騒ぎだったよねえ。もっともボーダーって基本あんなカッコだもんね。あれがボーダーの「おそろい」と考えればフツウなんだが、「ちゃんと」してなきゃいけないことになっているオリンピック選手団の制服であんなアレンジをしちゃったから、「だらしない」って怒られたんだね。
 もともとはスゴイ選手なのに可哀相でしたね。

 AKBの「制服」のもうひとつの特徴は「おそろいじゃない」。
 最初のころはおそろいだったんだよ。でも気がつくとメンバーごとにばらつくようになった。
 「PARTY」公演の「制服」は、「地味じゃない」けど、それなりに「ちゃんとしてる」し、「おそろい」だった。A2、K2のころからちょっと個人ごとのばらつきがあるようになったようです。

 A2(B2、KII1)でいうと、「背中から抱きしめて」からの3連コンボ。金ピカで「制服」というのとはちょっと違うかも知れないけど、おそろいのコスチューム。での襟とか袖の縁取りの色が赤、青、緑の3種類あった。

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 K2では、しょっぱな3曲の「制服」。珍しくとっても制服らしいコスチュームで、ローファーを履いている。でもよくみると、ネクタイが3種類。赤、紺、ピンク。
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 K2の公演タイトル曲でもある「青春ガールズ」は、前にも書いたけど、ベストを脱ぎネクタイを緩めるというとっても象徴的な所作が冒頭にある。
 「君が着ている制服の束縛をちょっと緩めようぜ」みたいなメッセージ。その制服が、ほんのちょっとだけど「おそろい」じゃない、ってのはまあよくできた(たぶんそんなに意識していたとは思わないが)演出でした。

 A3でも、実は頭3曲が「制服」を着ている。どれも直接学園メタファーとは無関係な曲なんだが。で、よく見るとやっぱりタイの色が違っていて、完全な「おそろい」ではない。

 そしてこの「制服が邪魔をする」(の話だったんだよな、もともとは。忘れてたよ)。
 アシメで「ちゃんと」してないブラウスにネクタイ組とリボン組にわかれてるので、やっぱり完全に「おそろい」ではない。

 その後も「地味でなくちゃんとしもていなくて、おそろいですらない」というAKBの「制服」は徐々に進化していく。それがぎりぎり制服のように見える、という一線は残したまま。

 これを「制服の脱構築」「制服のポストモダン」と呼ばずして何と呼ぼう(いや単に「変な制服」って呼びゃいいんですけどね)。

 うわ、我ながら言い回しが20世紀っぽくて赤面してしまうのだが、でもホントに「脱構築」「ポストモダン」なんだもん。

 そういや秋元副学長を擁する京都造形美術大大学院院長は、かつてのポストモダニズムの旗手、浅田彰大センセイじゃないですか。
 微妙にかすってるよね。

 さて、その「制服」の進化形のひとつを、2011年現在、僕らはA6の「制服レジスタンス」に見ることができる。当ブログ的にはものすごーいフライングゲットなんですけどね。
 チープで過剰な装飾、アシンメトリックなカット、3人3様のデザインとディテール。すげーな。
 それでも見ようと思えば、制服に見えないこともない。

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 何というか、これはもう制服に似せて最も「反制服的な制服」と言うしかないでしょ。まさに「制服(に対する、内部に留まって抵抗するという言葉の本来の意味に照らし合わせて誠に正統的な)レジスタンス」。
 
 なんでAKBの「制服」はこんな特異な進化を遂げたのだろう?
 いろいろ考えているんだけど、今ひとつまとまらない。

 ただひとつ言えることは、おかげさまで、まだぎりぎり板野さんもまだ「制服」を着ることができるってことかしら。麻里子様はちょっと…。

 そう、制服らしからぬ「制服」を採用することは、結果として現在の主力である1990~91年生まれ組が、AKBから離脱するのを防ぐ役割を担ってるとは言えますね。

 というわけで、「制服」に関するゴタクを、TOKYO DOME CITY HALL 2011第19公演(「PARTYがはじまるよ」)を見ながら書いてました。
 篠田やぱるさん、秋元(オ)はおろか、CinDyや佐藤があの「制服」を着て「PARTY」を歌う姿は、往事を知る人(と昔の公演DVDを舐めるように見てるおかしな人)にとっては感涙ものでありました。

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「見逃した」余談:モップコールってはじめて聞いちゃった。
余談2:ぱるさんの自己紹介MCのとき、「はるなちゃんコール」が欲しかったなあ。当日ご本人は映画館で見てたそうです。演出の一貫でご招待してもよかったんじゃないかしらね。ムズカシイことはよくわかんないんだけど(と童貞面)。
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Tags:Single、N1、Desire

 「国民的アイドル」なんて言われ方をするようになったけれど、大多数の人にとって「AKB? 僕の人生に必要ありません」なわけで、それでも最新曲とかについてのトピックならばまだしも、シングルになったとはいえ5年前の曲の、しかも曲の内容ではなくて、靴やコスチュームの丈の長さについてぐだぐだぐだぐだ書いているわけだが、100人いたら99人がどうでもいいと思い、残りの1人は読みゃしないよなこんな文章、糅てて加えてここまで句点ゼロだし。
 
 駄菓子菓子、それでも語りはじめたら語り終えねばなるまい。
 「制服が邪魔をする」なのに制服っぽくない制服を着てるって話の続き。

 AKBにとって制服って言うと、切っても切り離せないようなアイテムのようなのだが、彼女たちが着てきた「制服」を実際に見てみると、実はあんまし普通の制服っぽくないってことに気づく。

 もちろんPVの小芝居などのように、リアリティが求められる場合は別だけど。
 そうじゃない場合の「制服」、たとえばファーストシングル「桜の花びらたち」のジャケ写のコスチュームはどうだろう。
 
 フリルのシャツにピンクのタイ。スカートもピンクのチェック。
 かわいい。文句なしにキャワイ~い。

 でもちょっとデコラティブ過ぎで機能的じゃないよね、これ。
 あと志穂さんの頭インパクトでかすぎ。
 あとツウの皆さんならお気づきのように、この「制服」は「桜の花びらたち」用の衣装じゃなくて、A1の頭3曲、「PARTYがはじまるよ」「DMT」「毒リンゴを食べさせて」と続けてお聞きいただきましたが、みなさんいかがでしたでしょうか、ありざとざーす、用のもの。それはさておき。

 さて、これは制服なのだろうか?

 学校の女の子の制服っていうのは、ホントはもっとジミなものだ。酒井順子さんの言葉を借りるならば、学校の制服とは

人生の中で最も美しい時期の肉体を、隠そうとしている

酒井順子 制服概論

 ものなのだから。

 何故隠すかというと、前にも触れたように、制服はそれを着る者の守るためである。それがこんなキャワイ~い「制服」で目立ってしまったらあっという間に食べられてしまう。

 アイドルの中にはAKBよりも学園メタファーを前面に押し出したグループ(ええ、さくら学院のことです)や、その名もずばり制服向上委員会(SKi)などもあって、彼女たちの「制服」は(もちろん多少のデフォルメやデコレーションはあるものの)とても制服らしい(靴はペニーローファーだ)。
 それは何故かというと(「それに触れてはいけない」と僕のゴーストが囁くのでやめときます)。

 それに対し、AKBはしょっぱなから「制服のようで制服でない」制服を選んだ。

 これについて、最初から確乎とした戦略があったのかどうかは詳かにしない(まあ無かったんだと思うよ。最初の頃そんな余裕はなかったろうし。そもそもは秋元先生の趣味と、茅野しのぶ嬢のセンスが全てだったんだろう)。だが結果として、AKBの「制服」はその後も特異な発展を遂げることになる。

 うわ、まだ終わんねえよこの話。
 まさに「制服が(進捗の)邪魔をする」。
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目の前に/続いてる/希望への渋滞
ライバルは/全力で
競って/道を進む

 これは何と辛い現実なのだろう。

 「希望への渋滞」。

  そこを突破するためには、傍らで同じ苦労をしているライバルを押しのけながら進まなくてはいけないのか。

 SKEには、こういう時、ぎゅっと手をつなぎながらにこっと微笑んで、一緒に行こうと言ってくれる友がいた。

 AKBにも、いつだってそばにいる仲間が支えになって、一人きりじゃなかった。

 だが、SDNにはそれが許されていなかった。
 ランナーはたとえ足がつろうとも、一人きりで意地を見せなければならなかった。

 そう、それが大人の現実。

 彼女たちの2倍から3倍の年月を生きてきた秋元康はそれを知っていた。
 秋元より少しだけ若い僕も、それを知っている。

 咲かない花があることを知っている。でも種は蒔き続け無ければいけない。
 叶わない夢があることも知っている。でも旗は振り続けなければならない。
 それが先を行く者の務めだから。

 でも、それにしても

Don't stop!/止まっちゃいけない
Don't stop!/息が上がろうと
Don't stop!/歯を食いしばるんだ

 言葉を飾る余裕のない、なんて不器用な激励だったのだろう。

 秋元先生はさあ、永遠の高校生だから、大人の女の人をどうしてあげたらいいのか、わからなくなってしまったのかもしれないね。
 2012年、SDNはなくなってしまうことになった。

 そんなこんなわけで、どうやら僕はとうとうSDNと縁を結ぶことなく終わってしまうようだ。
 だから僕にとってのSDNは、(頭の中の)なつかしい人たちの現住所。
 めーたん、ノンティ、花ちゃん、ひぃちゃん。そうそう、僕をマジすか学園に案内してくれたなちゅもいたっけ。
 小原さんとはまだゆっくり知り合う前だった。

 そしてCinDy。

 CinDyCinDyCinDy。
 「キスだめ」のCinDy。この時は誰だかわからなかった。
 A2になって、ますますわからなくなったCinDy。
 でもB1じゃ大変身。「Blue rose」のCinDy。ちょっと着慣れない革ジャンがカッコよかったぞ。
 B2のCinDy。「涙の湘南」のCinDy。「未来の扉」でなっちゃんと抱き合うCinDy
 
  AX2009の奇跡
 
 総選挙のCinDy
 「言い訳Maybe」のCinDy。ずいぶん探したぞ。

YES!/私に悔いはない/このまま死んでも…
誰もやるだけやったら/勝者になるよ

 本当に?
 秋元先生、本当にそう思ってる? 
 本気でそう言ってる?
 
 よろしい。これはあなたのPARTYだ。何度でも信じよう。
 ならば AX2012(もうAXじゃないんだけどね)で、「めちゃいけ」に投じるはずだった僕の票の全て(ちょっとだけどね)を、視界から走り去って行こうとする、「孤独なランナー」たちに捧げよう。
 業深いこの両目でもう一度奇跡の目撃者になるために。
 
 詳細はアルさんのとこ
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Tags:Single、N1、Desire

 前回あれだけ制服について書いたのに、よく見ると公演でこの曲を歌ってる皆様は制服を着てないって話。もークリビッテンギョーだよね。制服着てなきゃ邪魔のしようがないじゃんねえ。

 一応白のブラウス&タイにタータンチェックのスカートなんだけど、これをして制服のインナーだって言えばそう見えなくもない。でもそれにしたって、世の中で言う「制服」からは遠い所にあるよねえ。
 たとえば、「制服」というのならシューズはブーツじゃいかんでしょ。

 AKBで「制服」と言えばシューズは選択肢無しでハルタのペニーローファーでしょ(いや別にハルタである必要はないんだけどさ。学園メタファーでローファーっつったらハルタが定番だったからさ)。
 
 たとえば「スカひら」。
 公演でこそみんなスニーカーを履いていたが、学園を舞台に撮影されたPVでは、全員おそろでペニーローファーを履いている。
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 「会いたかった」のPVでもメンバーみんなで履いて踊ってた。洲崎灯台の草っぱらでステップを踏むには不向きだったと思うけど。

 「ごめんね、SUMMER」で、下々を睥睨する高柳が履いていた靴。

 「AKBがいっぱい」の集合写真でも多くのメンバーが履いてる靴。

 ナンバの最新作「オーマイガー」のみなさんもやっぱりペニーローファー。

 公演でいえば青春ガールズ」の頭3曲は、それほど制服っぽい歌ではないのだが、みなさんペニーローファー。だからこの靴が楽屋に置いてない訳ではないんだわね。実際A4ではペニーローファーで歌う曲もあるんだし(はい。ご想像の通り「軽蔑…」です)。

 ちなみに「制服…」のPVでも「渋谷」のシーンに限って言えば、みーんなローファーを履いてます(ペニーローファーかヴァンプか識別できないのもあったけど)。
 頭に何か大きなものを載せた高橋(しかもルーズソックス!)も、ガード下でオジサンを待ってる前田も、スクランブル交差点をモーゼのように渡る小嶋も、カフェで男の子2人と合流する河西(河西もルーズソックスとは!! 高橋ならまだしも!!!)、橋の上から立ち去る大島(優)も。

 なのにどうして畑トンネルで撮られたダンスシーン&公演では、みんなブーツを履いているんだろ。

たかが女子高生よ

 と明示しているにも関わらず。

 さらに制服っぽくないのが、あのブラウスのデザイン。

 一応タイまたはリボンでアリバイ的に制服らしさを出そうとしているのだが、あのブラウス、アシンメトリーにもほどがあるよね(←誉めてるんすよ)。
 
 公演では、右半身の前身頃だけが長くて、一見タックインしているブラウスの、半身だけ外に出しているように見える。
 襟首から離れたタイまたはリボンのノットとあいまって、すごくしだらない感じがする(←これも誉めてるんすよ)。

 PVの衣装はさらにアシメが徹底していて、袖は右はレギュラー丈で手首まであるのに、左は肘くらいまでのハーフレングス。
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 スカートも微妙に右の方が丈長。わずかにのぞいている黒のペチコートの露出面積も右が大きい。
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 ここまでアシンメトリックだとだと、このコスチュームを「制服」だと言い張ることはかなり難しいでしょう。
 
 言ってみれば、このコスチュームは「制服であって制服でない」制服。
 うわあなんか泥沼にはまってきたような気がするぞ。
 気のせいかな。大丈夫かな。
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Tags:Single、N1、Desire

 「制服が邪魔をする」は、「制服」で象徴される制度に束縛されて(と同時に守られて)いる女の子の葛藤の歌でした。イメージはずいぶん違うが構造としては「セーラー服を脱がさないで」とそんなに変わらない。
 1985年の歌だぜ、これ。秋元っちゃん進歩無いぞ。

 ところがだ。
 こっから先はちょっと先取りになっちゃうんだけど、その後AKBにおける「制服」の意味はどんどん進歩というか進化というか変容というか、とにかく違ったものになって行く。

 たとえば「JK眠り姫」。2008年、A5の公演曲だから、「制服が邪魔をする」のA3から3年後。

 秋元先生JKって言いたかっただけちゃうん?

 ま、それはさておき、ここでは「制服」が自分を「守る」と同時に「縛る」という、初期のころにみられた葛藤は見られなくなっている。

まだまだ堅い殻の中/汚れていないその果肉
大事なものを守り続ける/キスで目覚めて
愛を知る日まで

 汚れない少女性/処女性を守る殻としての「制服」ではあるが、ここには自分を縛るものというネガティブなイメージは微塵もない。なにしろ

時がどれだけ過ぎても/似合っていたいの制服

 ってくらいだから。

 ちなみに「少女性/処女性」を守る殻とその破壊というテーマは「胡桃とダイアローグ」でも展開されている。これもイイ曲なんだけどねえ、話が散乱しすぎちゃうよねえ。

 さらに2009年2月、B4の「女子高生はやめられない」になると、

制服を着ていりゃ 勝ちゲーム/ハナノシタ男たち 一発ノックアウト

 と、「制服」は「守る」でも「縛る」でもない、男どもをノックアウトする「武器」になってしまっている。

 ところであれだね、この歌、いかにもTeam Bっぽくていいやね。

私たち 可愛いじゃん/それなりのルックス
スペシャルなんと言わないけど/平均以上じゃん

 なーんて、まさにAKBのことじゃん。ちょい可愛い。平均以上。でもスペシャルじゃない。
 で、AKBという「制服」を着てれば「勝ちゲーム」。
 こういう歌をいけしゃあしゃあとメンバーに歌わせる秋元康ってやっぱヘンタイ(イイ意味で)だよねえ。

 2010年3月、K6の「制服レジスタンス」ではもっと複雑な様相を呈する。

私は/制服を着たレジスタンス
大人に抵抗し続ける
孤独な/制服を着たレジスタンス


 大人対する抵抗(レジスタンス)という、歌のテーマ自体は昔っからあるおなじみのもの。でも昔だったらこういう時は、制服は脱ぎ捨ててたよね。
 「大人が押しつける制服(という制度)はゴメンだ!」と言って、「制服廃止運動」とか言い出して菅直人に投票しちゃってたわけ。

 でも「制服レジスタンス」は違う。制服を脱ぐどころか

私が/制服を脱いだら
抵抗するものがなくなる

 だって。

 ここでは「制服」が、抵抗の拠り所にすらなっている。
 おもしろいねえ。「制服は押しつけられたもの」「個性を抑圧するもの」という感覚が全くない。

 AKBの制服風のコスチュームって、いつのころからかメンバーごとにヴァリエーションがあるようになったよね。ベースは同じなんだけど、アクセサリーとか着丈とかインナーとか、ディテールが一人一人違うものを着るようになった。

 おそろのようでおそろではない。
 でも全体の統一感、「AKBらしさ」は保たれている。

 本来は対立するはずの「制服」と「個性」を融合させる工夫、と言えるかもしれない。
 
 レジスタンスの拠り所であった「制服」がただの「男を釣る」道具に発展(進化? 堕落? 相対化?)したのが「I'm crying」。2010年7月からはじまったA6の曲。

 このころになると、制服を着るとコスプレにしか見えないメンバーが増えてきた、ってのも「制服の持つ意味」の変化と関係してるのかもね。

 ところでこれだけ「制服」についてぐだぐだ書き連ねといて何だが、ステージをよく見るとこの曲、制服着てないんだよね。