Commentarii de AKB Ameba版 -24ページ目

Commentarii de AKB Ameba版

AKBとかその周辺とか

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 えええ、まだ書くの?
 すいません。まだ書くんです。
 だってステージのこと全然書けてないんだもの。書かないではいられないほど、「MARIA」カッコいいんだもん。

 K3のDVD、何度も書いてるけど、千秋楽の収録だったんですよね。だからメンバーもお客も、ちょっとテンション(「緊張」という意味じゃないですよ、「気分の高さ」くらいの意味です)がちょっとフツウじゃなかったんだろうな。

 前曲が大島(優)の名演でしょ。客席はあったまってたでしょ。

 暗くなった舞台、月光のような青いライトが血のような赤に変わって、歌声が響く。

MARIA MARIA MARIA/あなたの名を呼ばせて下さい

 増田有華、梅田彩佳、河西智美の3人の顔とマイクを捧げ持つ手が浮かび上がる。マリア像のようで神々しくもある。
 
 衣装はいわゆるゴシック調。どれも黒のドレスであるがデザインはそれぞれ異なっている。

 センター増田。

 トップはブラックサテンのハイカラー。肩がふくらんだいわゆるパフスリーブの長袖。前身ごろの左右、肩から縦にシルバーのモールが入っている。袖にはジュエリーのビーズが散りばめられ、胸には銀のクロス。
 ボトムはレース地(?)のペチコートと、それを覆うドレープの入ったブラックサテンのスカートなのだが、左の丈が短いAKBお得意のアシンメトリーなカット。だから増田が左半身になってステップを踏むと、ペチコートの下から左足が見え隠れする。全体はすごく上品なスタイルなのに、端なくも見えるこの白い足とのコントラストがすっごく艶やかである。増田中学生だよなこの頃。
 ショートヘアーにシルバーの縁取りがほどこされた黒い薔薇の髪飾りを右につけ、右手の中指にやはり黒い薔薇のリング。
 増田はこの衣装を着て第1回じゃんけん大会に臨んだ。いわば「勝負服」ってわけだが、同時に彼女の「MARIA」に対する思い入れの深さがうかがわれる。

 向かって左には梅田。

 背中で編み上げたブラックサテンのキャミソール風トップスに、カラー、肩、大きく開いた袖を薔薇柄の黒いレースを縫い付けたドレス。胸元や首、腕がレース越しに見えてぐっとフェミニンな印象が強い。長めのスカートは足を隠しているが、二重三重に重なりあう裾には銀色の縁取りが施されており、豪華な花のようである。
 頭の右につけた黒薔薇の髪飾りからはリボンが垂れ、左の薬指に黒薔薇のリング。髪はショートだったりロングだったり(後述)。 
 
 向かって右は河西。

 増田と似たトップスだが銀のモールは無く、パフスリーブだが半袖。その代わり黒のグローブをしている。スカートは他の2人よりも短めで膝ぎりぎりの丈で、黒のストッキングが見える。背中には大きなダークシルバーのリボンが、蝶々結びをした和服の帯のように垂れ下がっている。

 3人3様の衣装だが、共通するコンセプトをひとことで言えば「華やかな喪服」。

 A3「涙売りの少女」の衣装も同じコンセプトのデザインだったけれど、「MARIA」の方がずっと豪華でイマジネーションを刺激しますね。

 たとえばこんな風。
 高貴な血筋を突然襲った悲劇。増田は当主を亡くした若い未亡人。梅田が亡き先代当主の若い後妻。河西が未亡人の妹。
 新当主となった増田の息子はまだ年若く、後見人と目される叔父と梅田は秘かに通じあっている。増田を支える河西は、実は亡くなった当主と関係があってその子を孕んでいる、くらいの設定で三島風の芝居が書けそう。

 ダンスも華やかだよね。
 何といってもマイクスタンドからベースをはずしてしまったようなポール付きマイクを使った殺陣のようなコリオグラフィが圧巻。
 舞台にポールをぶつけて「どん」というノイズが起きてしまうこともあったって言うから、ムズカシいダンスだったろう。リハではきっとポールでぶっちゃったこともあったろう。

 一番の見せ場は3人がそろってポールを斜めに掲げるところ。仮に「ポールリフト」とでも呼ぼうか。K2の「Blue rose」で「マイクスタンドキック」に相当するケレン

 第1スタンザでは

後悔の涙/流すより早く
祈り捧げ

 のところね。
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 うーん、カッコいい!
 欲を言えば、この時マイクポールの角度が3人揃っていればさらにカッコよかったんだけど、K3のDVDで見られる1回目のポールリフトの角度はちょっとバラバラ。

 センターの増田。水平に対するマイクポールの角度は約53°。かなり高くポールを掲げている。
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 向かって左の梅田。ポールは約26°とずいぶん低い。
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 向かって右の河西は2人の中間で、約45°。
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 どれくらいの角度がカッコいいのかは好みの問題だろうけれど、僕的にはどうせならケレン味たっぷりに高くポールを掲げて欲しいなあ。

 ということで、K3のDVD以外についても見てみましょう。
 え? これってひょっとして泥沼?
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 やっと大場復帰公演を見ましたよ。オオバ、よかったな。

 走れ!オオバ/全速力で

 でもなあ、10月からずっと見てた川栄がいない。こうなることは前々から判ってたんだけど、オオバの復帰はめでたいことなんだけど。

 りっちゃんがいなくなって、ステージあたりが静かになって。
 昨日と違う今日を、寂しく思うぞ。

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 イエス様的なのは「助けてくれる人」。そしてマリア様的なのは「再生」。でもマリア様的なものはそれだけじゃなくって、まだ他にも属性があるかもってお話し。

 というか、マリア様におすがりする理由は普通はこっちだよな。

いくつもの罪を/青い空が/許してくれる
人は誰でも/愚かな過去を
償える/明日があるよ

 つまり「再生」の前提としての「赦罪」。
 再生する前には、罪の「許し」が必要になるわけです。

 人間誰しも愚かならざる者はいないわけで、何かしらやらかしてしまうわけですよ。
 でも一度や二度の過ちで道が閉ざされてしまうべきではない。だから何らかのカタチで「許し」が必要になる。
 「MARIA」の歌詞は「青い空が許してくれる」って言うんだけどさ、まあここは「青い空のようにあまねく世の中を覆っているモノが許してくれる」と拡大解釈しておきましょう。で、その「許してくれる主体」こそがマリア様的なものではなかろうか、と。 
 再び主の祈りに曰く、

わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。

 もっともこの場合の「赦罪」は、「ゆるしてもらうこと」と「ゆるすこと」がイッテコイの関係にあるのね。つまり「許しますから許してね」と。

MARIA MARIA MARIA
後悔の涙流すより先に/祈り捧げ
MARIA MARIA MARIA
あなたの名を呼ばせて下さい/もう一度

 後悔するよりも先に御名を呼ばわることによって許される、というのはちょっとキリスト教的じゃない感じで、どっちかというと悪人正機説みたいな匂いがします。
 
 そもそも非キリスト教的な文化土壌で「罪」といわれても今ひとつピンとこないよね。秋元やすす(←流行り)が想定している「罪」もちょっと想像しにくい。

 まあごく卑近で具体的なとこでは「やらかしちゃったメンバーがカンベンしてもらってるところ」を思い出すことはできますね。

  世間的に、「解雇」ってのは組織で最も重い処分ですよね。AKBではこれまでに「自覚に欠けた軽率な行動を取ったこと」を理由に2人が解雇処分を受けています。でもそのうちの1人は後に復活して、かつ「解雇されたけど地獄の底からカムバックした」ことをセールスポイントにしちゃってる。

 どんだけゆるい「解雇」なんだよ。でも僕はこのゆるゆるの感じは好きです。
 「解雇」よりもむしろ「辞退」とか「セレ落ち卒業」の方が重苦しい感じでヤダな。
 何よ「辞退」って。これからもらうのではなく、すでに占めているポジションを「辞退」するって日本語あんのかな。

 「メンバーがやらかして大目玉を食らって、でも許して貰ってそこから立ち直るプロセスも楽しみのうち」みたいなところがAKBにはあるでしょ。てかイレギュラーもデフォルトでスペクタキュラーに組み込んでるみたいな。今度の大場やナンバの件もちょっとそんな感じ。

 そもそもが「自覚に欠けた行動」ってのは「アイドルのくせにバレるような付き合い方をして、しかも後始末でヘタを打った」って意味でしょ。「恋愛禁止」ってルールにしたって、だいたいからしてやすす曰く

いけないとわかっても/もしあきらめられるなら
本当の恋じゃない

 と煽ってるとしか思えないもの。
 
 アイドルというのは、ヲタの神殿に仕える神聖な巫女さまのようなもの。だから「汚れなき姿」をしててもらわないといけません。でもその「清浄さ」はフィクションなんです。フィクションをみんなで信じてるフリしていれば、それでいいんですってば。

 キリスト教の神様は「聖霊を汚す」以外の罪は、7の70倍回までは許してくれるって話ですし、前にも言ったように一度や二度の過ちで道が閉ざされてしまうべきではないと思います。
 でも実際のとこ、リアルワールドじゃ過ちとも言えないようなふるまいが断罪されて、チャンスが摘み取られてしまうってことはたくさんあります。

彼女の道は、まだまた、前途多難です。
この先、どうなるか、僕たちにもわかりません。
ただ、そんな状況をわかっていながら、もう一度
AKBのドアを叩いた彼女の意思と勇気に、せめて
ドアだけは開けてあげたいと思いました。
オーディションの時、マイクを持つ手が震えていた
15歳のせいいっぱいの決心をむげにすることができなかった
僕たちを許してください。

 戸賀崎劇場支配人の言葉を読む時、僕はちょっとだけ目頭が熱くなります。

 せめてAKBは寛容であり続けて欲しいなあ。
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 「MARIA」は「Maria」と違ってマリア様そのものではなくて、「マリア様的」なものを意味してるんじゃないかって話。

 じゃあさ「GIVE ME FIVE!」はどうなのさって、そんなのまだ聞かないでよ。「ギミーファイブ」そのものじゃなくて「ギミーファイブ的」なものなんじゃないのやっぱり。
 何だよギミーファイブ的なものって。わっかんないよ。だってまだ聞いてないもん。
 でもわざわざ「大文字書き」にするってのは、やっぱ何かあんじゃないの?

 マリア様的なものの話。
 その前にイエス様的なものの話をしましょう。

 曲は「JESUS」。A2の9曲目。「背中…」「リオ…」と続く3連コンボのフィニッシュ。
 一人の女の子が、彼を追いかけて夜の街に辿り着いた。都会のの喧噪に呑み込まれ、気がついたら「狼」たちに取り囲まれてしまった。うわあ、助けて! って歌。

 もちろん「狼」ったってCanis lupusがいるわけない。これは彼女に迫ってくる男たちのこと。「尋ね人はいないんだろお嬢さん? だったら俺らと楽しもうぜ」。力尽くじゃないけど、かなり強引に迫ってくる。「ジリジリ近づく誘惑」に、私負けそう。「助けて! イエス様的な人!」。そんな情景。
 
 ここで「イエス様的」な人というのは、彼女を外側と内側の危機から「助けてくれる人」。
 外側の危機ってのは「狼」たちね。そういう「狼」に対して「おい俺の女に手を出すんじゃねえ」ってね。
 内側の危機ってのは、彼女の心の奥にちょこっとだけある「あたし誘惑に乗っちゃおうかしら」って気持ちね。そんな心の迷いを見透かして「よそを見るんじゃない、俺だけ見てろ」ってね。自分でコントロール出来ない心の動きってのは、えてして外側の敵よかやっかいだったりする。

 こういう内外の敵から「助けてくれる人」が「イエス様的」な人。何たって「救助者」をThe Saviorと、定冠詞付き固有名詞扱いで書けばそれはイエス・キリストのことなんだから。
 ね、主の祈りに曰く

わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください

 なわけだ。

 じゃあイエス様のお母様、マリア様的なものって何だろう?

 「MARIA」は、AKBでもトップクラスの歌唱力を誇る増田による、マリア様的なものへの呼びかけから始まる。

MARIA MARIA MARIA/あなたの名を呼ばせて下さい

 どうしてその名を呼ぶ?
 そうすることによってのみ始まることがあるからなんだね。

 呼びかけに続く第1スタンザ

遙か地平線に/長い夜が明ける時
悪い夢から覚め/世界は生まれ変われるよ

 夜明けに世界は生まれ変わる。

 これまで聞いてきたステージソングに、「MARIA」と同じようなテーマを歌った曲はなかった。でも今後僕たちは秋元から時折似たようなメッセージを受け取ることになる。

 たとえば(実はもうすでにこのブログで取り上げたことがあるのだけれど)「明日は明日の君が生まれる」。

明日は明日の君が生まれるよ/長い夜を越え/陽が昇るように
夢の続き/全て捨てて/両手を広げよう

 「今日の君」とは違う「明日の君」とは、なるほど「生まれ変わった君」「再生した君」に違いない。
 
 またたとえば「夕陽を見ているか?」。そう言えばこの曲もフライングで取り上げたっけ。

夕陽が沈む空を見ているか?/時間が過ぎる/その背中は美しいだろう?
Yes! それなりの今日が終わり/全てをリセットする夜が来るよ

 これは「夜明け」や「明日」ではなく、「今日」の終わりを歌った曲だが、沈む夕陽は「リセット=再生」の約束でもある。今日は終わった。今日のことも終わった。

  さらにたとえば「なんて素敵な世界に生まれたのだろう」。

どんなしあわせも/どんなふしあわせも
24時間で/リセットされるよ

 どうやら秋元康には、一日周期の「死と再生」の世界観があるみたい。
 どんな嫌な事があっても、夜が来て、眠って、朝が来て、目覚めれば、新しい自分。
 毎日が新しい人生の第1日め。
 あんた古代マヤ人か。

 余談だけど、秋元康が多くの才能に恵まれているのは、誰もが認めるところでしょう。
 その才能の最大のもののひとつが「失敗をなかったことにする能力」ではなかろうかということは、伊集院光をはじめ多くの識者が指摘してるところです。失敗? そんなのしたっけ俺?
 別に揶揄しているわけではないですよ。何かをホントに変える人、動かす人、作る人は得てしてそういうものです。健全な忘却力。でないと再生なんかできっこないもの。
 Steveが亡くなった時、誰が Coplandを覚えてた?

 まあそれらはともかく、マリア様的もののひとつは、「再生」ってことでいいんじゃあるまいか。

どんな荒れた土地も/一つの種を蒔けばいい
やがて 芽を出したら/希望の実をつけるだろう
悲しみの雨も/天の恵み
見捨てはしない

 
 どんなに荒れた土地でも、どんなに荒んだ人でも「種」さえ蒔けば、芽が生え実がなる時が来る。その時、今流している涙は収穫のための天水であったことに気がつくだろう。

 「MARIA」で見られる「再生の景色」は、この曲から5年後、まさに再生のための歌である「風が吹いている」に繋がっていく。
 そこは「荒れた土地」ならぬ「大地の空白」。

さあ たったひとつ
レンガを積むことからはじめようか?

 一粒の種、ひとつのレンガ。そこからしか再生は始まらないんだ。

 現在メンバーたちは定期的にその場所を訪ね、そこに急拵えされたステージに立っている。
 彼女たちはそれぞれが一粒の種であり、ひとつのレンガである。
 彼女たちはそこで再生の手助けをし、再生の現場を目撃し、自らにも今後幾たびとなく訪れるであろう危機からの再生のための力を蓄えていくだろう。
 誰に何と言われようとそこに彼女たちを立たせ続けている秋元は圧倒的に正しい。
 
 ん、ちょっと話がそれちゃったね。
 おさらい。
 イエス様的というのは「助けてくれる人」。
 マリア様的というのは「再生」。
 
 そう言えばイエス様が亡くなられて3日後に甦り、天に昇っていくのを見届けたのも聖母マリア様でありましたっけ。

 と、ここまで書いておいて何なんですが、「再生」だけじゃ語りきれないものもマリア様にはあるみたいなんですよ。
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 少々おそまきながらあけましておめでとうございます。
 リアルワールドは2012年となりましが、僕の脳内カレンダーはやっとこ2007年。K3の真っ最中です。K3も、前年の12月にはじまって、年をまたいだ2007年の6月に千秋楽を迎えるのでした。このブログのK3も、さすがに6月までには見終わると思うんですけどね。たぶん。おそらく。Probably に近い、もっと確かなもの、かなあ。

 AKB史的には2007年2月末にはA4が、7月1日にはH1が始まっています。できれば同じくらいのペースで季節を追いかけて書いて行ければいいなあ。

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 さて、2012年最初の曲は「MARIA」。

MARIA MARIA MARIA/あなたの名を呼ばせて下さい

 マリア様といえばイエス様のお母様。歌う3人娘はみんな十字架を胸に登場します。
 そういやA2には「JESUS」って曲がありましたっけ。聖母マリア様と救世主イエス様。母子そろってめでたくAKBの歌に登場ってわけです。
 
 でもこの曲ってこれ「マリア」でも「Maria」でもなく「MARIA」なのね。
 なんで全部大文字の「MARIA」なんだろ。そいういや「JESUS」も「Jesus」じゃない。

 「MARIA」と「Maria」はどう違うんだろ? 
 「JESUS」と「Jesus」ってやっぱ違うんだよね? 

 タイトルなんてどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、どうでもいいことにぐだぐだこだわるのがヲタなんじゃないのってうわ、自分をヲタ規定しちゃったよこの人。

 AKBの歌で、英文や英文混じりのタイトルを持つ曲は結構たくさんあります。
 何たってA1しょっぱなの曲が「PARTYが始まるよ」だもんね。
 でも、見てわかるように「Party」じゃなくて「PARTY」。
 A1はこれだけなのだが、A2になると「渚のCHERRY」、「ガラスのI LOVE YOU」、「恋のPLAN」、さっき出た「JESUS」と全部大文字。
 
 なるほどね、秋元センセイもこの世に小文字はいりませんなのね、英文タイトルは言わば「大文字書き(そんな用語はありませんけど)」に統一なんだ。と思いきや、おいおい待てよ、A1の2曲目「Dear my teacher」忘れてますよ。
 あれって「DMT」じゃなかったっけって違う違う「DMT」なんて言ってるのヲタだけ。カタギの人はちゃんと「Dear my teacher」って言ってるって。
 こういう風に文頭だけ大文字で後小文字の、いわば「フツー書き(もちろんそんな用語はないですよ)」のタイトルも最初っからある。

 A3になると「Warning」、「Bird」とフツー書き。大文字書きのタイトルはいっこもない。

 結論:秋元センセイはテキトーに書いている。

 しーっ。                          
 それが正解っぽくてちょっとやなんだけどさあ、もうちょっと理屈こねさせてよ。

 英語タイトルの大文字書きとフツー書きはどこが違うか。
 
 通常の英文で大文字書きをすると、それは強調を意味することが多いですよね。英語のWikipediaで大文字書きすると「叫ぶなうるさい」みたいに怒られちゃいます。

 わかるよね。
 You understand? わかった?
 You UNDERSTAND?  ホントにわかった? わかったフリ?
 YOU understand?  お前わかってんの? どっち向いてんのお前だよお前。

 でも「PARTYが始まるよ」とか「渚のCHERRY」とかには強調って当たらない気がします。だって「パーティだよパーティ。始まるのはパーティ。会議でも始まると思った?」という歌じゃないもんね。
 そうするとどういうことだろう。

 いろいろ考えてみました。
 で、思いついたのは「大文字書きをする時は、抽象度がちょっと上がってる時」が多いんじゃないか、ということ。それに対して「フツー書きは、そのものズバリを名指してる時」が多いのでは。

 たとえば「PARTY」。
 パーティ! って叫ぶけどさ、実際には始まるのは「公演」でしょ。パーティじゃないもんね。もっと言うと、この歌が嚆矢で「秋元康が主催する、何か楽しげなプロジェクト」が「始まるよ」なわけ。それをひっくるめてそのものズバリの「Party」じゃあないけど、パーティ的なものが始まる、と。
 
 たとえば「CHERRY」。
 だれも渚に「チェリー=サクランボ」がある、とは思わないよね。渚にいるのは、あれは波ばかり「童貞の少年少女」なわけでしょ。童貞の少年少女をそれぞれホントにチェリーボーイ、チェリーガールと呼ぶかどうか別として、「渚で恋するウブな二人」、チェリー的なものを歌っているわけ。

 一方フツー書きの「Dear my teacher」は、というと、そのものズバリの特定の「先生」。英語で言ったら定冠詞がつくような「その先生」が女の子の前で腕組みしちゃってる状況。
 「やっべ、俺誘惑されてんじゃん? 喰っちゃう? でも後が怖い怖い」って思案中。それを見透かして女の子が「絶対ナイショ」「すぐに忘れるから」「よくあることよくあること」と畳みかけてる。

 ね、大文字書きはちょっと抽象的。フツー書きはそのものズバリ。
 そう言われるとそれっぽいでしょ。
 もちろん全ての曲が厳密にそう書き分けちゃいないんだろうけど、ここまでのところ僕はそんな印象を受けました。

 「JESUS」もそう。これはそのものズバリのイエス様を歌った曲じゃない。ベツレヘムにお生まれになって、人類の罪を背負って十字架におつきになり、亡くなって3日めに甦って昇天されたお方の歌じゃないでしょ。そうじゃなくて、「イエス様的」な何かを歌った曲。

 その伝で行けば、「MARIA」もそのものズバリの聖母マリア様を歌った曲じゃない。「マリア様的」な何かを歌ったもの、と考えられるんじゃないかな。

 じゃあマリア様的って何だろう。
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 何か正月早々変な小路に入っちゃった予感?
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Tags:お別れ、冬

 昨日はよかったよかったねえ。

 この10日間、「泣きながら微笑んで」たっくさん聞きました。厚生年金会館の悪名高い「ずんだだずんだ」ってドラムマシーン入りも聞きました。
 「かがやくきもち」も買いました。中学時代の大島優子より今の大島優子の方が、ずっとずっと無垢でbaby faceな笑顔なのでクリビッテンギョー。

 それでもお前ポット出どころか昨日今日AKB出入り始めたド新参がナニいい気になって見てきたように「優子さん」語ってんだよって言われたら、まことに仰せの通りです。
 もっともっと聞いたり見たり読んだりするものはいっぱいあったんですけどね、ちょっと忸怩たるものがあります。ホントホント。
 「大島優子業界」関係者各位におかれましてはレコ大に免じて御海容賜りますよう心からお願い申し上げる次第でございます。

 あとちょっとだけだからほんとカンベンして下さい。
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 「泣きながら微笑んで」は、夢を実現するために別れていく二人の歌だ(というのが僕の妄想)。
 そして大島優子は、女優・大島優子としてこの歌を演じきった。

 アルさんという、ご夫婦で大島優子を応援している優子業界の有名人がいらっしゃる。大島優子の「芸能界のお父さん」が秋元康なら、「ヲタ界のお父さん」のような方である。
 この方のブログには、「大島優子に魅せられて、大島優子の背中を押したくなった、ただそれだけ・・・会えない女優になるその日まで」と、不思議なことが書いてある。
 
 「会えない女優になるその日まで」とはどういうことだろう。
 
 「会いに行けるアイドル」というのがAKBの中心コンセプトの一つだ。
 黎明期のAKBは、ホントに、会社帰りにちょっと寄って会いに行くことが出来た。
 「私たちに会いに来て」と言われれば「応」と言って会いに行けた。いわゆる古参の人が書いた当時の記録には、ホントに会いに行ける幸せが充ち満ちている。

 現在、公演で彼女たちに会うのは至難の業となってしまった。でもそれ相応の努力をすれば、会って話をする機会を作ることは出来る。いわゆる握手会がそれだ。
 これだけファンが増え、コストも莫大になっているだろうに、運営のみなさまは意地になっているかのように握手会を開き続ける。

 公演という「会える」チャンネルが極細になってしまった今、残ったチャンネルである握手会を開き続けることが、ヲタとの「神聖なる契約」とでも思っているかのようでもある。
 
 そのAKBのメンバーである大島優子と「会えなくなる日」。
 それはすなわち、彼女がAKBを卒業する日、ということなのだろう。AKBを去り、一人の女優として名を成す日。
 彼女の夢が実現するためには、彼女はいつまでもAKBにいてはいけないのだ。
 アルさんは、「会えなくなる日」が来るために大島優子を応援している。
 「泣きながら微笑んで」そのものじゃあないか。

 アルさんも「業界」の人たちも(小なりとはいえ)僕も、AKBの大島優子が大好きだ。
 彼女の歌が、踊りが、おしゃべりが、何もかも大好きだ。

 でも彼女はAKBを去らなくてはいけない。AKBと仲間たちとヲタどもは、彼女にとって単なるエピソードにならなければならない。

 「大島優子って、そう言えば昔AKBにいたことがあったんだよね」。

 それが「日本を代表する女優」になる、ということだからだ。

泣きながら微笑んで/あなたを見送りましょう
何度も立ち止まって/心配そうに 振り返るけれど…
泣きながら微笑んで/一人に慣れるまでは

 彼女の夢が実現する日。「AKBの大島優子」が、「日本の大島優子」になるその日、僕らは去っていく彼女を泣きながら微笑んで送り出さなきゃいけない。彼女もまた、大粒の涙に縁取られた無垢な笑顔を見せてくれるだろう。

 彼女のいないAKBに慣れるまでにはずいぶん時間がかかるだろうけど。
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 K3から数年後、大島優子は声帯の手術を受けることになる。
 それまでノドのトラブルが多く、ややかすれた声の上に高音が苦しかった彼女であったが、手術後はずっと澄んだ声を伸びやかに出せるようになった。

 でも僕はK3千秋楽の優子さんの、少し無理をして、少しかすれた歌声が大好きだ。
 あの日歌うことの出来なかった最後のひとことを含めて。

 みなさまよいお年を。
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勇み足でも/一番乗りで
僕が君にゾッコンゾッコンなのは無双

 たかみな~、康~、よかったなあ~。尺エグに持ってかれたけどなあ。

 ホントお前らにゾッコンだぜえええ。
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Tags:お別れ、冬

  よっしゃぁ~行くぞぉ~!in 西武ドーム DVD大杉。 
 まだ「見逃し」だって全部見きってないのに。

 まあ正月のお楽しみにしましょう。
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 さて。昔々のおはなし。

 5年前。「大島優子」が「泣きながら微笑んで」を歌っている時に「寝てる客がいた」。
 うわー、もったいねえええ。今から考えればあり得ないよねえ。
 でも当時は「そんなもん」だったのだろう。AKBも「そんなもん」だし大島優子も「そんなもん」。

 もちろん熱狂的なヲタはいたけどさ、世界のほとんど全てがAKBなど知らなかった。

 大島優子は毎日悩んでいた。
 秋元センセイからもらったせっかくの「プレゼント」、どうしたらいいのかしら。 

 大島優子を絶賛していたペトリ堂御堂主でさえ、当初はこの歌について、

 この曲は(御堂主の御贔屓である井上チューンでありながら)珍しく私の琴線に触れない。

と否定的だった。

 おなじみのメトロポリス@尊師も軽やかにひとこと

ちょっと荷が重いかな?

 そんな中、思い余って相談に来た大島優子に秋元康が言ったのが、
 巷間伝え聞く「Youは女優なんだから演じたらいいじゃない」という(趣旨の)アドヴァイスだったとな。

 まあこれも雑駁な助言なんだけどね。
 でもこれを聞いて大島優子は吹っ切れて自分なりの「泣きながら微笑んで」を仕上げていったという、深くて( ;∀;)イイハナシダナー。
 
 でもねえ優子ちゃん。秋元センセイに聞くまでもなく、ヲタはやっぱりよーく見てたんだよ。
 メモリストのさむ氏。K3の開幕日の「メモ」。「コリスのソロについて」

 歌が上手くなるに越したことはないが、極めるほど上手くなる必要はないと思う。

(中略:ってことはやっぱ初見の歌はやっぱうまくはなかったんですね)
 
 歌うというよりも、セリフだと思って挑んだほうがいいんじゃないかと思う。 女優になったつもりで、役柄になりきったつもりで演じてみれば、いいのではないだろうか。

 これ開幕初日だよ初日。「ヲタのゴタクと茄子の花は」ってホントだよね。

 もっとも内容として同じアドヴァイスだったとしても、それを受けるタイミングってのが重要で、悩み苦しむ時間というのも必要だったのだろう。頓悟系のエピソードってたいていそうだよね。苦悩の日々というのは準備期間なわけだ。それがしっかりしていれば、師が落とした靴を拾っただけで奥義を会得することもできる。

 そんなこんなわけで、その後大島優子は「泣きながら微笑んで」を自分のものにしていく。

 ふたたびペトリ堂御堂主。

 イントロに乗って上手から大島が出てくるだけで空気が変わる。雪の上を歩くイメージなのだろうか、一歩々々を確かめるように歩きながら歌う大島の表情から、降り積もる粉雪を感じる。初日はどうなるかと思ったが、一と月で出来の良い一幕物に仕上げて来た。これは凄い。

 
 AKBに入る前から大島優子を見続けていたJoanUBARA氏。

 サードが始まった頃は時に眉間に皺を寄せ、ファルセットでは身をよじらせて歌っていた。この曲をものにしてやろう、とギラギラしたところがあった。今はもう身構えることなく、無心に曲と寄り添っている。サードでこの曲を与えられた幸運をしっかりと糧にして、表現力を掘り下げることができている。

 
 そしてK3最後の日。

 大島優子には評価が厳しかったカギ氏も、この日のパフォーマンスについて

 この日最もすばらしかったのは、何と言っても大島優子さんだったと思う。

 と賞賛を惜しまなかった。
 
 僕が見ることの出来る唯一のK3公演が、この千秋楽だったのはとても幸せなことだ。
 このステージで大島優子は、曲の最後の最後で涙を一筋流す。
 そして微笑む。
 これが秋元康の「プレゼント」に対する、女優・大島優子が返した最後の答えだった。

 曲の最後、「♪近くにいたい」のところだけ、涙で声が出なかったが、この部分についての私の解釈は「女優だなあ」というものだった。嘘泣きをしたという意味ではなく、(中略)最少限で、しかし最も効果的なところで泣く、というのが、おそらくはほとんど無意識に分かっていて、そうしているのだろうなあ、と感じた。

 この、「ほとんど無意識に分かって」いるその心の動きこそ、「聞き分けのいい」理性が囁くところなのだろう。
 いや、これまで「理性」と表現して来たが、それでは文字通り「理」に勝ちすぎている。かと言って直感とか第6感と言うと感覚的過ぎる。これまで僕が何度か使った表現で言うならば「ゴーストの囁き」。
 「女優」を真の「女優」たらしめる欠くべからざる「女優」のイデア。
 「泣き」ながら「微笑む」という相反する二つの感情を統べる「何ものか」。

 それを「歌う」のではなく、「演じ」きった大島優子。

 こう書くとなんだか秋元康の二重三重の手練手管に乗っかってしまったようで悔しいのだが、やっぱりこの歌詞を歌うのは彼女でなければならなかったのだなあ、とつくづく思う。
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Tags:お別れ、冬

 「女優」大島優子が、「日本を代表する女優」になるために必要なものは何だろう。

 AKBに入る以前、子役としてある程度の仕事をしていた彼女は、年齢が進むに従い壁に直面するようになったという。オーディションで最終選考に残っても「雰囲気が違う」という、まことに反省会の議題になりにくい理由で不合格になることが繰り返されていた。 

 「自分には何が足りないのだろう」。
 それがわかれば努力のしようもあったろうに。それが見えない五里霧中のまま、高校2年の大島優子は「最後のチャンス」のつもりでAKBのオーディションを受ける。
 芝居のオーディションは何回も受けた。でも「歌と踊り」の審査は、初体験だった。
 審査員が自分の書類に丸をつけるのが見えた。

 どうして大島優子はAKBに受かったのか。
 初期のAKBを知る人ならば容易に想像がつくだろう。すなわち表現力はあるくせに「歌と踊りが下手っくそだったから」に違いない。「踊りが上手い子は採らない」とは、当時の夏先生のスタンスであった。

 で、AKBに受かった大島優子がその後順風満帆だったかというと、決してそんなわけではなくて、あんなことがあったりこんなことあったりだったらしい。

 ホントの内情などもちろんわからないのだが、ただかつて「自分の長所は、知らない子と、すぐにお友達になれることです」と語っていた少女が、AKBに入ってからぽろっと「私、みんなの事を信用していないから…」と漏らさざるを得ない心境に追い込まれていたのは確かだ。

 それでも「自分に何が足りないのか」わからない状態から、「自分たちには歌も踊りもしゃべりも、なにもかも足りない」ということがはっきりわかるようになったというのは、精神衛生上ははるかに健康的なことだっただろう。だってわかってれば一心不乱に「それ」をやればいいんだもん。
 他のメンバーはいざ知らず、「毎日立てる舞台がある」ことのありがたさを大島優子は知っていたはずである。

 その意識の高さゆえかどうか、Kチームがステージに立つようになってから日ならずして大島優子の評判は高まった。
 平素は山椒の利いた言の多いペトリ堂御堂主にして

 大島くんは伊達や酔狂で長いこと遣ってないんだという事を思い知らされた。「見せる」「見られる」と言うことに関する意識が他のメンバーとは異なる次元に有り、動きに隙が無いし、目立つ所にいても隅の方にいても常に何かを発していて、客の目を惹き付けている。客に確認を取るまでも無く、客の目は大島くんを見ている。

 と手放しの誉めようであった。

 それでも。
 それでもやっぱり「何かが足りない」は大島優子について回った。
 
 たとえばカギ氏は、初期の彼女を評して次のように語った。

 個人的に何が気に入らないのかというと、あり余る実力の 8 割程度でゆうゆうと「こなして」いる感じがしてしまう、ところだ。それでも表現レベルとしてそれなりの高さはあるから、文句のつけようはない、と言うよりむしろ、さすが、と思うことも多いのだが、それにも関わらず、少なくとも私の気持ちには響かない、のだ。

 うわあ、カギさんキビシイ。 
 
 大島優子が「できる子」なのは誰もが知っていた。でも「その上」に行くには、何かが足りない。それはカギさんだけではなく彼女自身がよく知っていたに違いない。でもどうしたらいい?
 
 ピンポーン。秋元センセイからお届け物でーす。
 「泣きながら微笑んで」。

 K3全体曲明けの最初のユニット曲にして、作曲は井上ヨシマサアニキ。そして何よりもAKB公演史上初のホントのソロ曲。それだけでこの曲にどれほどの気合いが入っているか、聞くまでもなくわかるだろう。

 キーも高いよ。一番上はhiE。
 大島優子はもともとハスキー系の声。もちろん地声じゃこの音は届かない。
 ちなみに「禁じられた2人」の最高音であるhiC#(転調後の「胸に秘めたまま」の後ろの「ま」)を、大島優子はあえて歌わずに囁いた。出せば出せない音ではないだろうが、無理をするよりも切なさを表現する方を選んだ、とも考えられる。
 でも「泣きながら微笑んで」ではそうはいかない。hiC#よりさらに高い最高音のhiE、「ここから まだ 動けなくて」の「て」は情感のクライマックス、アリアだったらフェルマータがかかって観客に息を呑ませるだろうって山場。だからファルセットでも何でもいいから、歌にしなきゃならない。これだけでもイジメだよなイジメ。

 それを「優子へのプレゼント」と、秋元康は軽く語ったが。

 歌を得意としない大島優子は、舞台袖で増田と音程の確認をしてから舞台に臨むのが常であったという。
 余談だがこの歌を歌い始めて四歳余ヲ閲シタAX2011、この時にも一人ステージに立つ大島優子を見守る増田の姿が袖にあった。
 ちなみに音程の不安について秋元センセイは何とおっしゃったか。
 「多少ピッチが不安定でも気にするな」だそうです。ありがたいアドバイスですね。

 当時を振り返って彼女は

 プレッシャーに押しつぶされそうで、この公演はずーっと毎日のように泣いてたんです。歌に自信がなかったし、私が「泣きながら微笑んで」を歌うときになると寝ているお客さんがいたんですよ。

 と語っている。優子さんホントに泣いてたんだ。

 全くたいした「プレゼント」だった。
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Tags:お別れ、冬

 そもそもAKB48は、「スペシャルなんて言わないけど、平均以上」くらいの女の子が、悪戦苦闘しながらそれぞれの夢を実現していく過程を「目撃」する、というのが当初のコンセプトであった。だから初期のメンバーのほとんどが芸能界のシロウトばかりだった(あ、ぱるさんの輝ける前歴を無視してるわけじゃないんですよ。ホントだってば)。

 その中で一人、大島優子だけがすでにして小なりと言えども女優としてキャリアを積んできていた。束ものアイドルグループの経験すらしていた。その経験が「シロウト集団」AKBの中でむしろ不利に作用したこともあった、というのはまた別の話。

 だから大島優子の夢は「女優」ではない。
 それはもう達成された。彼女の目標は「日本を代表する女優」。
 
 彼女にそれは可能だろうか?

 僕に女優の力量を見る目は無い。でも彼女の演技について感じたことは少なからずある。

 最初に大島優子の演技に接したのは、「言い訳Maybe」のPVだった(そりゃ間違いない。だってそれ以前、僕はAKBなんか興味なかったんだもん)。
 見ている者にはよく判らない理由で(それは脚本の罪である)、大島優子は前田に対し怒っていた。ま、当時はそれが大島優子だということは知らなかったんだけどね。しかもPV見始めのころ、怒ってたのは後半自転車でひっくり返るヤンキーくさい子(後に高橋みなみという名前だと知った)だと思っていた。
 後でヤンキーくさい子は前田をかばっていた方で、前田に噛みついていたのがポニーテールの女の子の方だと気づいた。丸顔で可愛いのにずいぶんキツイ芝居する子だなあ、と感じた。
  
 その後僕がAKBにはまる大きな契機となったのが「マジすか学園」。オンエアは見ていない。つべでPVを漁っているうちに巡り会って、遅まきながらDVDボックスを購入した。

 冒頭、秋元康が「このドラマは、学芸会の延長であり、登場人物の一部に、お見苦しい(?)演技がございますが、温かく見守ってご覧いただければ幸いです」と言い訳Maybeをかます。でも意外とドラマとしての骨格はしっかりしており、僕は引き込まれて見てしまった。

 前田敦子が演じる主人公の「前田敦子」はあくまでもカッコよかった。
 普段は真面目で地味な生徒だけど、きっかけがあると喧嘩無敵のスーパーウーマンに変身して敵をなぎ倒す。典型的なメタモルフォーゼ型ヒロイン。

 でも回が進むにつれ、次第に吹奏楽部部長、最強軍団ラッパッパーの頭、大島優子扮する「大島優子」がドラマを支配するようになっていく。

 たとえばこんなシーン。

 大島優子を倒すために「最強武闘集団ラッパッパー」の本拠である部室に乗り込んだチョウコクこと秋元(オ)。しかしチョウコクは大島優子と戦う前にその手下に敗れ、階下に突き落とされれる。

 血みどろのチョウコク。
 踊り場から見下ろすサドこと篠田ら。
 「これで済んだと思うなよ」と捨て台詞を吐くチョウコク。
 「てっぺん取りたかったら順番ってものを考えな」とサド。
 「優子さんとタイマン張ろうなんて、100年早ええんだよ」とアブラナ科全開なのはシブヤこと板野。

 型どおりのセリフのやり取り。篠田といい板野といい、安定したホントの学芸会。模造刀どころか新聞紙を丸めた棒でのドツキあいを見て、あははあははと薄ら笑いを浮かべながら油断して見ていた。

 その時。

 パン、パン、パンとゆっくりとした拍手の音とともに、階段の踊り場に微笑みながら大島優子が登場。微笑みはやがて満面の笑みとなり、階下のチョウコクに拍手を送る。
 それは戦い破れたチョウコクへの嘲笑のようであり、敗れてなお戦意を失わない執念への賞賛のようでもある。赤子のような柔和な笑顔。しかし目は間違いなく猛禽類のそれだ。リスに似てるからコリス? 冗談じゃない。あれは捕食するがわの目だ。
 笑顔のまま横を向き再び視界から消える大島。傲然と首を反らしその瞬間笑顔が失せる(残念ながら、天地がトリミングされているらしく、その瞬間の表情の変化をつべで見ることはできない)。
 
 この間時間にすればほんの十秒余。一言もなく。

 突然背中に感じたヒンヤリした氷の感触。それは模造刀ではない抜き身の白刃。もちろんすぐに鞘に収めたんだけどさ。

 んもーまじカンベンして下さいよ優子さん。こっちはビビリなんすから。

 束ものアイドルがやっつけで撮ったドラマなんか学芸会に決まってるじゃないですか、こっちは最初っからそのつもりで見てるんだから、いちいち言い訳Maybeしなくてもいいっすよ秋元さん、と思っていた。学芸会と思って学芸会を見てれば腹も立たないもん。

 でも秋元康は、この「マジすか学園」が「学芸会ではない何ものか」を孕んでおり、やがてそれが育っていくであろうことをあらかじめ知っていた。そしてそれに気づいた視聴者が、「学芸会」であることを忘れてしまってその「学芸会っぽさ」に腹を立てることを予想していた。

 だから秋元は不要と思われる言い訳Maybeを冒頭に掲げたのだと、僕は妄想する。

 「この中にはみなさんの心を振るわせる何かがあります。でもそれを生かし切るほどの力量は、今の僕らにはありません。宝の持ち腐れと怒る人も出てくるでしょう。だから先に謝っときますね。ゴメン」。

 思えばなんたる傲慢な予言。
 
 そしてその「学芸会ではない何ものか」の過半は、大島優子によるものだった(あと松井Rと渡辺な)。
 
 あー「桜からの手紙」という「ドラマのようなもの」についても何か言わなきゃだめっすか?

 「マジすか」のような破天荒で嘘くっさい設定ならまだしも、こういうマジでリアルにしようという意図の「ドラマ」に、大島優子を他のメンバー諸君と一緒に出すのはやめて~。彼女のキャリアに傷がつくだけだからやめて~。
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Tags:冬 恋

 あらら、またやっちゃった。
 A3の時も、書き始めが夏半ばで、順番に書いてって、夏の終わり頃にちょうど「夏が行っちゃった」が来るようにしたらいいじゃん俺カッコイイじゃんなんて思ってたのに、なんだかんだで9月に入ったところでまだ「Bird」だよ「Bird」。
 しかも高橋とナンバの山本の足の上げ方がどうだとか、誰も気にしねえよそんなことで間に合わなかったんだよね。

 で、K3だ。ね、さくさくって書いて、クリスマスに「クリスマスがいっぱい」が来るようにしたらいいじゃん俺さらにカッコイイじゃんなんて思ってませんよ。もう。
 案の定間に合わない。まだ「泣きながら微笑んで」だもん。
 しょうがねえなあ、もう。このまま遅れてって、「あともう半年でクリスマスだね」なんてボケたこと言うのかしら。

 でもせっかくのクリスマスなんで、ちょこっとフラゲしてご挨拶。

Merry Merry Christmas!/Holy night!
告白がいっぱい

抱きしめていっぱい

クリスマスがいっぱい

 クリスマスソングをいっぱい聴いて過ごしましょう。

「あなたとクリスマスイブ」
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video あゆxちる
video ねえさんxぴっぴ

「予約したクリスマス」
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「ノエルの夜」
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Merry Christmas!