映画ハック! -50ページ目

「椿三十郎」と「天国と地獄」

先週末から織田・三十郎・裕二の「椿三十郎」が始まって、劇場は土日混んだらしい。最新作をまだ見ていないけれど、この週末は黒澤明の「椿三十郎」と「天国と地獄」を続けてDVDで再見した。


どちらもモノクロの映画であるが、黒澤明のこだわりは赤い椿を黒く塗って、モノクロ画面で赤を強調したり、「天国と地獄」では煙突からでる煙がピンクに着色されてでる印象的なシーン等、もともと絵を描く黒澤明ならではの色彩感覚が抽象化されて、モノクロームの画面に反映されている。


どちらも東宝から独立して黒澤プロダクションとして製作してる。しかも二年連続して作られ、どちらも当時大ヒットした。


ある意味で、興行的に黒澤映画のピークを達成した両作品には、黒澤明の創作者としての本音がのぞく台詞がある。


映画を当てなくてはならない。


興行的にヒットさせなくてはならない重圧はいかばかりであったろう?


スタンリー・キューブリックもまた終生、ヒットし続けなくてはならない宿命を負っていた。あの天才の寿命を縮めたものがあるとすれば、この重圧ではなかったか?と今もボクは考える。


映画を芸術として捉えている映画監督は、おそらく芸術分野で最も過酷な宿命を負うことになる。


そんな視点で、この二作をみれば、椿三十郎も黒澤の分身であるし、「天国と地獄」の権藤もまた黒澤の分身である。


権藤はすべての財産を失ってしまう。事件の解決によって営利誘拐の犯人からお金を取り戻すけれど、理不尽な中で全財産を注ぎ込むという決断を権藤が苦渋の中で下したことが、黒澤にとって意味のあることだったに違いない。


少なくとも、黒澤はこの二回の博打に勝った。


しかしこれを最後として、二度と博打に大勝利することは、なかった。


天才をも蝕んだものを、われわれは考えなくてはならない。日本で映像を追求する宿命がある。今現在でもこの課題を克服しつつ監督は生きなくてはならないという宿命を負っている。

映画の考古学ー『初恋』(1971)

渋谷HMVのDVDコーナーを通りかかったら、映画「初恋」のDVDがでていることに気がついた。


1971年に、この映画を確かに名画座でみた。こころに残る映画だった。


TSUTAYA DISCAS で検索したらあったので、早速注文。DVDで再会することができた。


今から三十数年前の心に響いたものが、さらに深く受け止められた。


なぜならば、主人公のアレキサンダー(16歳)と同じ息子を持つ父親として、初監督の西独名優・マクシミリアン・ミル演じる父親の立場で、この映画をみることができたから。彼も髭をたくわえており、自分もまたそうであるということ以上に、この映画はただ少年の「初恋」を描いただけではなく、人生の春から人生の終わりまでを、生と死と官能を描いたものであったと再確認する。


撮影がベルイマンの名作をものにしたスヴェン・ニクヴィストSven Nykvist。netで検索してる内に、アカデミー外国映画賞を受賞したらしいことがわかってくる。しかし検索エンジンにかからないほど、この映画は時間の堆積の中で埋もれていることを知った。


きっとドミニク・サンダもジョン・モルダー・ブラウンも知らない人々が、ほとんどのはず。それは当然のことかもしれない。せめてこの記事を読んだ人が、いつの日か「初恋」をみて、そして輝かしい映画の果実に気がついてくれたら幸せだという思いで、この記事を書くばかりだ。


恋。


それはどうして始まるか?


答え:それは、見つめるところから始まる。


この映画のキャメラ・ワークは、ある意味で奔放だ。


映像主義とでも呼べるようなコンテキストで綴られている。その中心をなす女神が、ドミニク・サンダである。


彼女の美しさを、どのように表現できるだろうか?アメリカには絶対にいないビューティーである。ヨーロッパの文化的伝統から生まれでた美貌といえるかもしれない。ベルナルド・ベルトルッチはその『暗殺の森』と『1900年』で彼女を起用した。その後の『ラストタンゴ イン パリ』にも起用しようとしたという。しかし確かドミニク・サンダが妊娠したために、マリア・シュナイダーがキャスティングされたと記憶してる。もしもドミニク・サンダが出演する『ラストタンゴ・・・』ができたとしたら、官能の濃厚なまったく別の『ラストタンゴ・・・』になったに違いない。


そしてそれは実現しないことが、歴史の必然であったといえるだろう。なぜならば、出来上がった『ラストタンゴ・・・』は官能よりも生命力に支えられた死のドラマで、歴史を塗り替えるヨーロッパ映画の傑作となったから。


ドミニク・サンダがただ一人見つめる相手。


それは、主人公の少年アレキサンダーの父親だ。そうとわかるのは、映画の後半部。それも極めて限られたショットによって描かれる。しかしそこでみれる目と目の無言のドラマは、おそらく恋する中年男性の魅力を現したいい場面である。少年には決してできない人生を知る男に彼女は恋をしたのだ。あるいは「初恋」」は21歳の女性(ジナイーダ)が初めて恋に落ちる様を描いたのかもしれない。


故・荻昌弘氏(映画評論家)が激賞していたのを、懐かしく思い出す。この映画の音楽はリパッティが奏でるショパンのピアノ曲である。(映画の最後にはリパッティに捧ぐという献辞がでる。)


映画という記録装置に記憶された情念ーそれは自然の生命の営みに視線がおぼれるように分け入る中で、ドミニク・サンダがフレームインすることから始まる恋の官能であろう。

TV特番「点と線」 

TV朝日の開局50周年記念番組、ドラマ「点と線」は見ごたえがあった。


ビートたけしの面魂(つらだましい)がいい。他の役者陣もまた火花散る演技をみせた。


久しぶりに骨太のTVドラマをみた。


大量動員し、成功してるファースト・フードのような映画や映画のようでいて映画じゃない映画が最近増えてきた。


それとおそらく対極にある。ドラマがある。


4億円の製作費、とも聞いた。でも肝心なのはつぎ込んだお金の額より、注ぎ込んだ情熱。


TVマンの情熱と役者魂・・・それがつぎ込まれた。


時代遅れの情熱だけど。


観れて良かった。