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D-DST

日記や、沢山の好きなことへの、
独り言。

近年は、四季ではノートルダムくらいしか来てくれなくなった京都劇場。

珍しく?『ジーザス〜(以下JCS)』が一ヶ月強の公演。
東京以外のJCSって、短いよね涙。

以前観劇したのが約20年ほど前、
キャストも随分入れ替わっているでしょうし、
久し振りだし、
辛うじて2階センターの最前列空いていたし、

いざ!

チケット取れた瞬間、

  ちゃっ ちゃっ ちゃ ちゃーら
  ちゃっ ちゃっ ちゃ ちゃーら
  っ ちゃちゃちゃ ちゃらららーら
  ちゃらっ ちゃらっ ちゃらっ ちゃら ちゃちゃ

脳内エンドレスリピートスーパースターパーリー開催中。
誰か私を止めてくれ(チケット取れた時は、いつでも嬉しい)。


近年、開演前に舞台撮影が出来ます。


正直、JCSは撮影出来たとてただの荒野で。
同じ荒野なら、どうせなら磔スーパースター付きが撮りたい。
アクスタ合成とかで撮ったら楽しそう(どこが)。
ソレ用アクスタ、販売したらいいのに(どあほう)。

余談ですが、JCSはグッズも硬派でしたな。
「ジーザスいばらのカチューシャ」なんて浮かれた商品はありませんでした。



しかしこの荒野の八百屋舞台で繰り広げられる約2時間は、

無限に広がる人の身体の可能性と表現力を余すことなく魅せてくれます。
初めて観劇した時から、この衝撃は変わりません。


移ろい易し集団心理、
宗教は争いの元にしかならない(個人の感想です)、というテーマも、

普遍的過ぎて、いつの時代に観ても感慨深く、
同時にいつの時代でも社会が抱える問題が変わっていないことに遠い目。


例えるならば千原兄弟のズゴックの話、
如何なる時、場でも、確たる己の信念を持っておかないかんなと、
簡単に扇動されてるうちは平和ボケ組だなと戒めつつ。


大昔からめんどk…もとい、複雑な地・エルサレムでの、
何やらうさんくs…もとい、繊細なスーパスターの、
最後の7日間、という、期間もピンポイントで難しそうなテーマの舞台なので、

もっと予習勉強しておくべきなのだろうが、


まあ、
いつものように、純粋に歌とダンス、楽曲を楽しみに来たのでありんす。



ジーザス。
なんだか聞き覚えのある声だなあと思ったら、
昨夏、名古屋の猫屋敷のマンカストラップ。

ユダ。
なんだか見覚えのある体型だなあと思ったら、
昨夏、名古屋の猫屋敷のタガー。

↓昨夏のCATS観劇時のキャストボード


ユダの佐久間さんは、
うーん、正直少々危うげな感想だったのですが。
調べたら、今回がデビュー戦という訳では無いようで、たまたま調子よくなかったのだろうか、
太くて艶もあってニヒルなユダ声なのに、勿体なかった(個人の感想です)。

JCSは、ユダに歌いまくって罵りまくって、
ツンデレの世界王者として苦悩していて頂きたいので(個人の感想です)。

しかし『スーパースター』ではノリノリ俺様ユダ様でした。
声もしっかり出ていた。
さすがタガー様(←違)。


この作品に於けるジーザスは、「通行人」という印象だったのですが(個人の感想です)、

や、加藤さん、や、ジーザス、
スーパースターでした。
スーパー歌唱力でした。
お声も綺麗です。当たり役ではないかと思います。
是非また聴きたい観たいジーザスでした。


ジーザス役は、身体づくりも大変そうだなと、今回初めて思いました。

線が細すぎても違うし、
頼り甲斐抜群ムキムキアニキでもイヤだし、

かといって、最後はパンイチにならないかんから、そこそこ身綺麗にしないかんし。

ユダの様な、骨太パワフルな歌い方も違うし。


改めて観ると、想像しているよりかなり大変なお役なのかもしれない。




ヘロデ王の劉昌明さんも、見事なバカ殿振りで。
ああいうシーン、大好きです、やっぱり。

バカ殿を囲んでひらひら楽しげな腰元たち(違)に紛れ込みたいです。


京都劇場。

あんな無駄に横長にだだっ広い駅ビル内の割に、
ホワイエも通路も狭いし、2階席へは階段しかないし。
エスカレーター周りも危険な謎構造で。
交通便の良さだけが取り柄ですが。

子持ち(ロン毛の四つ足だが)には大阪まで出るのも少々難儀な時もあるので、

どうか四季さん、またロングランお願いします。




来春、菊さんが八代目 尾上 菊五郎を襲名なさる運びとなった。


同時に、御子息丑之助丈は、六代目 尾上 菊之助へ。



いよいよ、

ついに、

この時がやってきた。


待ち遠しかった訳ではないのだが、

いずれはこの時が来るのであろう、と、漠然と頭にあって、


菊さんを好きになったのが五代目 菊之助襲名時でしたから、

そんなにすぐのすぐではないことくらいしか予測はつかなかったけれど、


あれから30年近く経ち、いよいよその発表があって、



今、静かに噛み締めている。



そう、いよいよ、という感想。



八代目。


八。


名古屋人としてはココは非常に感慨深いトコロで(どあほう)。




父上の、「ずっとこの名を名乗ってきたから、今更…」


も、

僭越ながらとても伝わります。


私の歌舞伎観劇は五代菊之助丈の30年と共にあった(←)ようなものなので、

名前が変わってしまうのは少々寂しい気もする。



まあ、でも、

七代目菊五郎丈、八代目菊五郎丈、六代目菊之助丈と並ぶ中であろうとも、


何なら菊の字ない名前だったとしても相変わらず菊さん菊さん言い続けるんでしょどうせ。




この30年、たくさんの方々の襲名披露を観劇、見送りましたが、


やっぱり菊さんの襲名は、なんだか今までと違う気持ちだ。


やっぱり原点なのだと再確認せざるを得ない。




で。


その昔若かりし頃、


将来菊さんが襲名興行する際には全通する


と決めていたので、


取り急ぎ、

このニュースを知った瞬間、隣に居る旦那様に「という訳で来年5月は歌舞伎座行きます」報告は済ませた。


あ、6月もだ。


で、7月が松竹座だな。

博多座は9月だったか。

新しい御園座はまだ行ったことがなかったが、菊さん襲名まで取っておこ♪



菊の加賀友禅はこの時の為に誂えたと言っても過言ではない(真顔)。





ありがとう歌舞伎。


おめでとう音羽屋。


おめでとう菊さん。




ミシンさんありがとう記念。

LUNA SEA『BLACK BOX』より。




大層な制作物ではありませんが、
裾引風味にしたく、長めの裾よけを製作。
襦袢に重ねております。

着物類、帯類は全て私物、
着付けもセルフです。


撮影は平太さん。女性です。
付下げの八掛けのぼかしを気に入ってくださり、敢えて翻して撮ってくださいました。

@STUDIO FANCIFUL



BLACK BOX 繋がりで、もう一つ。




写真集後半のコスについては、
本家の様に着物で露出するのは下品になりがちなので、
そうならぬように、且つスレイヴさんなら「ソレ」とわかるように、がテーマでした。
ちなみにこちらはセルフタイマー撮影です。


コレに限らず、SUGIZO氏のお衣裳は露出高いものが多いですが、
「品良く」は、不動のテーマとして掲げております。


SUGIZO氏のお衣裳が好きで、
作ってみたい、着てみたくてコスプレなぞしておりますが
(逆に、氏が着ていても、私自身が作りたくない、着たくない衣裳のコスプレはやりません。)、

それでも、
私ならこう着こなしたい、こう見せたい、が根底にあるので。


所謂「モノマネ」だけするのは、違うんです。
SUGIZO氏になりたいわけではないし。

そもそも顔も骨も体型も性別も全く異なるので、同じことして同じになる訳が無い、当たり前だけど。

撮影時も、決して完コピもしませんし、目指しておりませんし。

モチーフは氏ですが、私の好きなように撮って頂いたものをSNS等にアップしているので、
時々ライヴ会場でお見かけする、
本家ではない、明らかにわたくしnaocoのポージングで写真撮影してるSUGIZOコスさんは、すぐわかります(笑)。


完全なるオリジナルではないにしろ、
折角撮っていただく、残すなら、
受けたインスピレーションそのまま返しではなく、

己の意識感性要素は加えたいし、どうにも乗ってきてしまうので。


もうコスプレも熱が入らなくなってきたのでアレですが、
35周年ツアーは、ちょっと案があるので、
また自己満足遊ぼうかと思案中です。



今更ですが、

昨夏の帰省観劇の旅。


約4年振りの名古屋。


2023年に入ってから猛烈なるミュージカル禁断症状に襲われ。


ナゴヤへも随分帰っていないし。

もう、CATS帰省決行しよう!と。


ダイアナさんのことがあるので、旦那様がお休みの日という事で諸々調整して頂き(感謝)、

盟友Mさんとご一緒に、Mさんがチケットも手配くださり(感謝)。


昨年春に観劇した、前記しましたオペラ座も、実はその反動の一貫でした。



CATS自体は2016年大阪公演振り。


今回のお席は2列目という、我のCATS史上最前列です。

Mさんいつもありがとうございます(愛)。


新しい名古屋の四季劇場も初です。以前より小型になった気がする。

ので、より近く感じるステージ。

近い、というより、迫ってくる。




↑懐かしいマナカ。
「スキンブルシャンクス 様」の定期(笑)。
常滑から通っていらしたらしい。




開演前の撮影タイム、近すぎて何が何やら、嬉しい悲鳴。

眼の前のトンネル


からは、確かカーバゲッティが登場したのですが、

暫く四脚のまま真横にいたので、思わず反射的に背中をなでなでしそうになりました。

↑犬飼いの性。



少しずつ、演出も変わっていた感想。


序盤の、猫に名前をつけるのはとても難しい云々の長台詞。

以前は客席に散っていた記憶、この日はステージから降りず、集合したままでした。

マンゴジェリー、ずっと汗が垂れていた。



以前の、客席に散った状態で、あの長々台詞をぴったりユニゾン。


あれはあれで直前までとはうって変わり、

まさに猫たちが地を這い、なんだか尋問されている様な恐怖迫力があって、また舞台らしくて好きだった。

誰かセリフ間違えないかな、とか(こら)。



幕間。


私「雑な犬が出てくるシーン、私初めて観ました 、新しいシーンかな?」


Mさん「ワンキャン?」


「そうそう、ワンキャン。」


↑言い方。



ランパスキャットのシーンです。

2018年東京公演から、復活したシーンだそうです。


ランパスキャットがスーパーマンのコスプレしてはります。

一瞬、マキャビティの色違いにも見えます。

なんとなく、フリーザ様の最終形態にも見えます、太腿が。



他にも、マンゴジェリー&ランペルティーザも曲の雰囲気が変わっていたり、


また新作を観ている様な。



それから、幕開けから気になって仕方がなかったのが、


たてがみ。


リーダーとかタガーとか。


こんなにカカロット並みの横幅だったであろうか。

或いは役者さんが小顔なのか。


ミストフェリーズも、耳、こんなにシャチホコって(←ナゴヤ人的比喩。伝わるか)いただろうか。



帰宅し過去のパンフレット確認したら、

やっぱりカカロット化していた。

サリーちゃんのパパ化していた。








40年も演り続けていたら、伸びるわよね。



で、ミストフェリーズといえば、「子猫」設定ですが。


私が初めてCATSを観劇した時のミストフェリーズが、

いえ、もう、どう見ても「成人済み」にしか見えなくて。

恐らく、役者さんの骨格とか雰囲気であろうか。



歌詞を聴くと、「子猫」いうてますが。

どこが、という。


以降も、もう、子猫には見えないキャスティングばかりで観劇しておりまして。

毎度、いや、彼は子供だ子猫だ未成年だと必死の脳内変換。


二都物語の、

シドニー瀬奈じゅん氏、チャールズ彩吹真央さん。

シドニー井上芳雄、チャールズ浦井健治氏の脳内変換くらい必死でした。



この度、お顔立ちや体格など、

初めて「子猫感」あるミストフェリーズが観れました。




Mさんもしきりに仰っていたが、

タガーが、キャラクター以上に奔放俺様タガー様だったり。

身体もなんだかすごく大きかった。

猫ではなかった。猫科のサイみたいだった。


ヴィクトリアも、キャラクター以上にクールで神秘的だった。美しかった(惚)。


最後の客席降りでは、長老とグータッチが出来。

一気に運が拓けた(気がした)。

2023年下半期、ご利益ありそうな(気がした)。

今までモップとか言ってすみませんでした。



いよいよ名古屋公演も千穐楽。

今夏は、今度は大阪WICKED企画もあるので、本当楽しみです。


また周辺ホテルなどでコラボ企画開催、希望。






遂に、ミシンが御臨終あそばされました。


高校卒業後、服飾専攻へ進学するにあたり購入して貰ったお品で、

刺繍なぞも出来る多機能型でした。


ものすごくたくさんの縫い方が出来ますが、


結局使用していたのは「実用ぬい」のみでしたが。


これからたくさん使うであろうから、

と、結構高額だった記憶ですが、買い与えてくれました。



あれから……実に27年。


最初の2〜3ヶ月の頃に一度点検して頂きましたが、その時点で既に

「かなり使い込んでいますね(汗)」

と言わしめ、


それから27年の間、一度も不具合なく、メンテナンスしていただくこともなく、


常に順調でした。



こういうモノは車と同じで使い続けてこそだと思うので、

使い過ぎるくらい酷使(…ごめん)していたこともあるのかもしれない。


無論、使い終わったあとは、

都度、釜や天秤を必ず清掃していたし、

個人で出来る範囲の日々の微メンテナンスは欠かしませんでしたが。


この4〜5年ほどは殆ど使用しておらず、

昨年末くらいに久し振りに使用したら、プーリーが鬼の様に重くなり、動作も鈍くなり。


しばらくは試行錯誤の末、動いていたが、

先日、遂に全く動かなくなった。


約四半世紀振りに診て頂いたら、

もう、修理も出来ない状態である、と。




コスプレ衣裳、フラメンコ衣裳、ドール衣裳、日常服、

ご依頼を受け制作したあれこれ、その他諸々……。



長い間、膨大な量の数々を、

本当に本当にありがとうございました。


あなたがいないと生きてゆかれませんでした。