ハム太郎のつぶやき -484ページ目

チップ Gratuity

何か月ぶりだろうか、レストランに食事に出かけた。出前やお持ち帰りでは食べられない、麺料理が食べたくなったから。

 

20-25年前ほど、レストランでウエイトレスをして生活費を稼いでいた時がある。その時の時給は2ドル13セント。おそらくそれは今も変わっていないと思う。初めてのウエイトレスの仕事は中華料理店。レストランが開く1時間前に出勤して、レモンを切ったりレストランを開ける準備。レストランが閉まった後も1時間ほど掃除などさせられていた。チップがもらえない間の時間も同じ2ドル13セントの時給しかもらえなかったから、腑に落ちない気持ちだった。チップがもらえると言っても、ランチの時間帯であれば、一人7-8ドルのランチなので、一人からもらえるのは1ドル程度。時々キッチンに苦情があるからという理由でチップを貰えない時もあった。私は何もしていないのにと不備に思っていた。

 

そういう経験があるから、レストランで食事する時はチップをなるべく多めに払うようにしている。今は州によっては、最低賃金をレストラン側が保証していて、差額分を支払うことになっているらしい。でも最低賃金で生活するのは大変である。学生の頃は一袋10セントのインスタントラーメンやポップコーンにお世話になったものだ。

 

チップと言えば、キリマンジャロ登頂後チップセレモニーがある。そこで一定の金額を一緒に登山してくれたポーターさんたちに渡すのだが、そのチップの金額で少し揉めたと言う記事を何回か見た。初アフリカという事で英語と日本語のサイトで色々情報収集をした。キリマンジャロ登頂のツアーはアメリカに事務所を置く会社から申請した。サービスがアメリカ人向けかと思ったからで、実際に食事の内容からしておそらくそうだったのだろうと思う。そのサイトには初めからチップの金額が記載してあり、一定の金額をあらかじめきれいなドル札で用意してくるよう注意書きがあったので、銀行に行ってある程度きれいなお札を封筒に入れて持って行った。

 

ちなみに、金額は

ポーターに1日6ドル

シェフに1日12ドル

アシスタントガイドに1日12ドル

ガイドに1日20ドル

私が参加したツアーは8日間で、参加者が16人だったので、一人当たりの金額が250ドル程度だった。

これらのチップはツアー経営者に渡すのではなく、直接ガイドさんたちに渡されるので、確実に彼らの給料の一部となる。あらかじめチップの金額を指定してきたのは、おそらくそれらも最初から彼らの賃金として計算されているのだろうと思う。そうなのであれば、ツアー代金に最初から含めてもらえばとも思えるが、そうすると確実にポーターさんたちに渡らなかったという歴史があるから、こういうチップ制度になったのかもしれない。

 

本来のチップの意味はよかったサービスに対して追加の支払いという概念があるので、規定された金額以外に本当にお世話になったアシスタントガイドの方とポーターの方数名に別途いくらか渡した。現金のほかに、ジャケット、靴、ポール、水ボトルなど渡せるものはすべて特にお世話になった特定の方々に渡してきた。他の参加者もそれぞれ同様にしていたようだ。彼らの仕事だと言えばそうなのかもしれないが、あんなに思い荷物を持って標高高い所を歩くのは至難。その至難の中でも笑顔でずっとサポートしてくれたガイドやポーターさん。あの時迷わずにきちんとお礼ができて良かったと思う。

 

チップ制度には良い点と改善できる点があり、どちらにしろ完璧ではない。確実に実際に働いているサーバーやガイドに渡されるので安心できるが、元々給料が低く設定されている事を知らずにチップをあまり渡さない人もいるので、働いている人にとっては困る。経営主がきちんと見合った給料を払っていればいいのだが、そういうことができていない所もあるので、やはりこのチップ制度を続けていくしかないのだろう。

 

 

 

 

 

 

何年前の今日。 X years ago today

一眼レフをいつも持ってでかけると必然的に写真の量も多くなる。以前は2テラの外付けHDDポータブルハードディスクに保存していたが、とある時期からクラウドにも保存するようになった。

 

クラウドはいくつか使っていて、何年前の今日といった以前撮った写真の一部がハイライトされてわかるようになっている。最近はそれらの写真を確認することを毎朝の日課にしており、その当時感じた気持ちを再度味わっている。

 

慌ただしい毎日に埋もれていると周りが見えなくなりがちだが、このように数分でも息をつく時間を作ることは心を落ち着けることができる。特に今年は2月の中頃からずっと家にいるので、昔にとった写真を見返す時間は楽しい。とある航空会社からミリオンマイラーの認証を受けているので、少なくとも1ミリオン以上はその航空会社で飛行したことになる。他の航空会社にも乗ったからおそらく2ミリオンマイルぐらい飛行したのではと思うが、それだけ今までよく外に出ていたんだなと、写真を見るたびに思う。

 

月の半分家にいない時もあった中、子供たちが小さい時十分な時間を過ごせたかどうか考える時もあるが、こういう写真を見ていると、いろいろな事をしてきたなと思い出すことができる。人がこの世からいなくなる時、何かをしたことに後悔はせず、しなかったことに後悔すると聞いたことがある。昔の写真を見ていると本当にたくさんのことに挑戦してきたのだと思い出し、人生折り返し地点に立っている今、辛いこともたくさんあったけど、本当に楽しかったなと思う。

 

5か月以上ずっと家にいるが、辛いと思ったことはない。おそらく今まで出歩いていたから、家で今までできなかったことを楽しんでいる。20年ほどテレビをほぼ見ない生活だったが、時々テレビを見るようになった。日本の昔の歴史関係の番組。日本の歴史から学ぶことは多い。できる時にできることをやっておいてよかったと思う。どういう時でもその一瞬一瞬を楽しむことは重要なのだなと、続くく思う今日この頃であった。

 

 

 

 

 

 

親切をつないでいく Pay It Forward

ここ2か月程の間に、仕事関係で知り合いになった方3人に子供が産まれた。

 

ネットでお祝いを購入して送ったのだが、その時に使った言葉がPay it forward。

ずーと前のことになるが、私が出産した時、世界中の知り合いからお祝いが届いた。その時は若くて経済的にも今よりきつくて、彼らから頂いたお祝いは本当に助かった。日本には内祝い(お祝いお返し)という素敵な文化があるにも関わらず、当時そのような余裕がなかったので、写真付きのお礼手紙を送った。その当時は、きちんと内祝いもしない非常識の人と思われたのだろうかと心配もしていた。

 

今回送った3名から写真つきのメールが送られてきて、あかちゃんの可愛い顔を見てなんと癒されたことだろう。私自身親になったことが、世界で一番嬉しかったことなので、彼らも同じように親になって、そして子育ての喜びを経験していくのかと創造するだけで、うれしくてしょうがなかった。写真を送ってもらっただけで、幸せを少しわけてもたっら気分になり、贈り物を送って本当によかったと思えた。私に昔贈り物を贈ってくれた方々は同じ気持ちだったのだろうか?

 

贈り物を送った方々からお礼はどうしようと言われたので、Pay It Forwardと回答した。将来貴方達が私の年代になって、経済的に少し余裕があったらその時に一生懸命になっている周りの若い人に今日もらった温かい心を繋いでいってほしいと言った。赤ちゃんの写真を送ってくれて、こんなにもうれしい気持ちにさせてくれた彼らに感謝。

 

このほかにもタンザニアで一生懸命に働いている若者を支援している。限られたリソース資源を最大に使って日々邁進している所を見るとつい応援したくなる。といっても私ができるのは、彼らの読みたい役に立つ本を送る程度。それでも1か月分の給料ほどの金額の本はなかなか自分では購入できないので、嬉しいそうだ。将来の夢に向かってコツコツと努力している彼ら。きっと次世代に続く何かを作っていくのであろう。

 

私のそのような活動をしっているとあるタンザニア人から、コロナで観光客がこなくて生活に困っているからお金を送ってほしいと連絡がきた。正直私は彼に少し騙されたと思っている。金額的には少しだが、彼のビジネスのやり方は思わしくないと思っていて、またタンザニアに行くことがあっても彼とは関わらないでおこうと思っていた人。観光客をだます人は世界中どこにでもいる。彼らは生活の為にと言っているが、それでもやはり気分が良いものではない。たしかどこかで聞いたことがあるが、とある有名な戦場カメラマンも若いころタンザニアで両替した時に間に新聞紙を挟まれて騙されたことがあったそうだ。コツコツと努力している人がいる中で、人を騙して生活している人もいる。残念なことだがそれが現実。

 

結局その人からの依頼には返事しなかった。決して悪い人ではないのであろうが、やはり助けてと言ってきた彼に答えることができなかった。こういう私は偽善者なのだろうか。人を騙してきた人たちにもおそらくそれらにの言い分があると思う。その言い分も聞こうとしないで、ただ依頼を無視した私は人間としてまだまだなんだろう。いつかはそういう人たちと向かい合って話し合える、そういう人間になりたいと思う。