日本で最も多い神社といいますと八幡社でありますが、それに続くのが天神(天満宮)であります。
太宰府天満宮
3位に伊勢社(※ 伊勢神宮系列)があり、4位が稲荷社となっておりますが、八幡社、天神、そして稲荷社といえば、我々日本人にとって最も身近で、よく知られた神社でしょう。そしてこの3社で祀られている神は、基本的には『古事記』、『日本書紀』といった記紀神話には登場してこない神様であります。
また、祭神は歴史上の人間、菅原道真であります。
日本の神と言いますとその多くは自然神、もしくはそれをシンボリックに表す、それこそ記紀神話の神々であることが多いのですが、天神は人物神の嚆矢(こうし)、つまり始まりの方とも言えます。後には、天皇以下いろんな方々が神として祀られるようになりますが、その多くはずっと後になってからのものです。
また、「天神」とは、本来は宇宙を創造した至高の存在者にして、記紀神話で言えば最初に登場する天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が該当しますが、一般的には雷神と結びついた菅原道真を指すことが多いようです。
さて、天神社の境内には横たわった牛の像があったりもします。
狛犬や、狐なら話は分かりますが、なぜ牛なのか?
なんだ、お前?
こと、太宰府天満宮の牛は神の使いとされております。
道真が丑の日生まれで、亡くなったのも丑の日であった、とされることもさることながら、亡くなった時、その遺骸を墓に持ってゆこうと牛が引く車に乗せますが、この牛が途中で動かなくなってしまったのだとか。
冗談じゃねーよ。人間の遺骸なんか運べるか。縁起でもねえ
それでも運べ、っていうんだったら特別手当出してくれよな
なーんて言ったかどうかは知りませんが、頑として動かないので、仕方がなく、その近くにあった安楽寺という寺院に葬ったのだとされます。この安楽寺が、後に太宰府天満宮となったのであります。まあ、史実か否かはよくわからないようですが。
いっそ伝説でしょう。
して、この他にも「飛梅伝説」なるものがあります。
東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
とは、道真が都で住んでいた、その名も紅梅殿と呼ばれた邸宅に植えてあった梅の木に別れを惜しんで詠んだ歌ですねえ。
と、この梅が道真と別れたくなくて一夜にして空を飛んで九州の地まで行ったのだとか。
忠犬ハチ公ならぬ、忠梅の木ですねえ。
なお、他にも桜と松についての伝説があります。桜は、道真との別れを悲しんで枯れてしまったのだとか。
松の木は、梅と同じく空を飛んで行くも、力尽きて摂津の国(※兵庫県)に落ちてしまったのだとか。
いずれにしても、人間と樹木の心温まる話であります。
それに引き換え・・・。
おい、ねずみ男が転勤だってなー
ありゃ、おまい、左遷だよ、左遷
ざまーみやがれって、もんだぜ
人間は冷たいです。
かつて、あっしが転勤(左遷?)する時には、送別会もしてもらえませんでした。
えっ、日頃の行いの悪さのせいで自業自得だったんじゃないのか、って・・・・。
えー、この梅がですねえ、天神社(天満宮)の社紋となっているのだそうです。
ついでに言えば皇室の紋は、言うまでもなく菊ですが。靖国神社ともなりなすと、菊の中央に桜となっておます。
さて、人が神として祀られるのは偉人のように功績を讃えての他に、この道真のようにその怨霊を鎮めるという場合があります。平将門などもそうですねえ。こちらは東京は神田明神に祀られております。
道真にしろ、将門にしろ、当初は祟りを起こす怨霊であったわけです。
日本の民間信仰には、死者の霊はまず荒魂という、祟りを為すものながら、時とともに次第に浄化されてゆき、最終的には和魂という、言うなれば守護神のようなものになるとする考え方がありますが、これに沿っているのかもしれません。
道真の太宰府への左遷があった後、その陰謀の張本人とも目されていた藤原時平がまず亡くなり、続いてこの頃、都には疫病が蔓延したとあります。これによって皇族の中にも死者が出たのだとか。
さらに、今度は宮中に落雷があり何人もの公家が亡くなっておりまして、「これはもしや、道真の祟りではないのか」なんて噂が流れるようになります。
この辺りは、まずもって疑心暗鬼の世界でしょう。「幽霊の正体見たり、枯れすすき」ではないですが、勝手に自分達で、そういう怨霊の祟りなるものを作り出してしまったように思います。
まあ、つまるところ「叩けばホコリの出る身体」じゃありませんが、心の中に疚しいことがあればこそ、それが自分を苦しめることになってゆくのでしょう。自業自得といえないこともないと思います。
この道真の霊を慰撫するために作られたというのが、京都は北野天満宮ですが、元々ここには雷神としての天神が祀られていたとされます。そのような雷神を操ったのが道真だったのではないか、ということで、この雷神が道真と習合し、後には両者を祀る神社となったようです。
なお、一般的には、元々在った神社を総本社とし、そこから勧請して幾つもの神社が作られるのですが、この北野天満宮と、道真を葬った場所に作られた太宰府天満宮は、最初から別の神社であったのであります。
さてさて、道真は学者の家系に生まれておりまして、ゆえに後には学問の神様として崇敬されております。(※ 農業の神や書道の神ともされます)。江戸時代の七夕にあってあっては、寺子屋で学ぶ子供たちがその上達を願って短冊に願い事をしたされますが、もちろんその願いは天神である道真に対してでしょう。
現代でも、道真は受験生の間で人気で、参拝するだけではなく、そこで祈願を受けた文具(鉛筆)なども人気があるようです。
して、以前、この太宰府天満宮のホームページを見ていたら、「勝手に太宰府天満宮の名を冠した合格祈願鉛筆が販売されているようだが、当神社とは一切関係のないもの」なんてお知らせがありました。
これは、と思って調べてみると、確かにそういうものがありまして、その販売元の言い分によれば、ちゃんと太宰府天満宮に鉛筆を持って行き、祈願したものなのだそうです。まあ、べつに、そこで正式な祈祷を受けなくたって、勝手に鉛筆を持参し、勝手に(?)自分達で祈願すれば、そういうことになるんでしょうか。
なお、太宰府天満宮自体でも、合格祈願鉛筆を販売しておりまして、これは通販形式で購入できるようです。
ついでながら、「代行祈願」なるものがあることを知りました。
遠方で、なかなか墓参りに行けない方のために墓参り代行サービスなるものがあることはしっておりましたが、例えば合格祈願の代行サービスなんてものまであるんですねえ。
いろんなことを考える方がいるものです。
最後に、「とおりゃんせ」の童謡ですが、これ、なんとなく怖い歌詞ですよねえ。
なぜ、行きはよくて、帰りは怖い、のか?
例えばの話、JRの緑に窓口なんかで、「東京から博多まで。往復切符を」なんて言ったら、窓口の駅員が、
お客さん。本当に往復切符買うんですか?
いいんですか。行きはいいけれど、帰りは・・・
なーんて言われたら、意味が分からずビビリますよねえ。
生きて帰ってこれるのか?
あるいは、繁華街の裏通りで、ねずみ男みて―なしょぼくれた客引きのおっさんが、
お客さん、今なら飲んで女の子と仲良くして、五千円ぽっきり!
だいじょうぶ、ぜったいに、うそ言いませんから
あっしの、この摩周湖の水のように透き通った目を見てくださいよ
なーんて言うから、その気になって入店するも、帰る時には、
当店自慢の明朗お会計に、何かご不満でも?
えっ、じ、じゅうまんえん!?
世の中、旨い話には気を付けろ、ってことです。