この涼しさが能登を思い起こさせた。2010年の今頃だった。眠れないので高速に乗り徹夜で駐車場に着いた。どこか分からないけど駐車場で爆睡。車内が暑い。お日様が高く昇っていた。着いたのは和倉温泉総湯だった。一風呂浴びると汗が噴き出してきた。そんなに熱くなかったはずなのに。海から湧くミネラルの多い泉質は体を芯から暖める。
和倉温泉から長い橋を渡った能登島に着いた。ガラス工房がある。ここで吹きガラスを作った。風鈴を作るつもりがビンなのか、グラスなのか。職人の言うとおりにしないので変な形の物ができた。これに何を入れようか。禄剛崎にはいつも風が吹いているという。
ボラ待ち櫓。おじいさんがボラが網に入るのを待っている。いつ網をあげるのか。何も動かない。ここは時間が止まっているのか。お爺さんは案山子だった。どうりで動かないわ。
のと鉄道の廃線駅。なぜか風情がある。何が人を惹きつけるのか。多くの人がやってくる。しかし、今日は誰もいない。
珠洲の軍艦島。恋が叶うという鐘があり、若い女の子達の甲高い声が風に聞こえる。大潮の干潮、島まで渡れそう。岸辺で珊瑚の化石を見つけた。巻き貝の殻もある。殻に耳をつけると潮騒が聞こえた。10月の珠洲の海浜は冷たい。夏、恋人達が残していった完結できない熱い想いは、秋風が無残にも愛の遺灰を吹き消してしまう。それはどこに行ったか誰も知らない。
禄剛崎灯台、能登半島の北東端にある。日本海の潮風が強い。噂通り岬に風は吹いていた。吹きガラスに風を入れると、ヒューヒューと音を立てた。こんな日はだれもこない。明治に御雇外国人のブラントンが作った石造りの灯台。日本最南端串本の樫野灯台の形とそっくり。
珠洲の塩作り。今でも海水を塩田にまき、竈で焚いて塩を作る。ミネラル豊富の結晶は甘い塩になる。「なぜ甘い塩になるのですか」と尋ねると、「塩は辛いものだ」と怒られた。
白米の千枚田。蒼い日本海と碧い秋の空、この季節水平線はくっきりと見える。ここの秋の空は今まで見たどこの空よりも高く見えた。霞が掛かるとどこから海なのか空なのか分からなくなる。低気圧が通ると日本海の荒波が棚田よりも高く見えることがある。冬は雪景色でまっ白になる。日没を見たことがあった。海も棚田も人もすべての物を赤く染めて西ノ海に夕陽が融けていった。いつ訪れても棚田には新しい発見がある。
輪島の朝市、喧噪は好きじゃない。おばさんのかけ声は、「兄ちゃん、見てきな!」から「旦那さん、見てて!」に変わった。いつも足早に通り過ぎて、いつの間にか市場の裏道を通っている。でも、朝市には必ず立ち寄る。アンビバレントな葛藤がいつも生まれる。
琴ヶ浜は全国いくつもあるらしい。共通するのは波が荒くてガラス質の細かい砂が浜に打ち寄せる。乾けば細かい粒が音を立てる。晴れた日が続いた砂浜を歩けば、キュッキュッと音を立てる。能登の琴ヶ浜にはおさよの悲話がある。
おさよと重蔵は許嫁になった。重蔵はおさよに「これが最後の航海になる。これが終わったら夫婦になろう。」重蔵は冬の日本海の荒波躍る船に乗った。しかし、いつになっても帰ってこない。おさよは毎日浜に出かけた。ある日、おさよがいつもいた岩には姿がなかった。そこから琴ヶ浜の砂が鳴くようになったという。能登島で作った吹きガラスに泣き砂を入れてみた。ガラスを逆さにすると空しくも砂は風の中に溶け込んでいった。
琴ヶ浜という地名は30カ所ほどある。そこには歩くと音を立てる泣き砂がある。しかし、最近は音を立てなくなったという。能登の琴ヶ浜にはハングル語文字の空き缶やビンが流れ着いている。美しい浜辺を求めて来たのに砂も浜辺も・・・。
能登半島の西岸にはなぎさドライブウェイがある。地平線が見えそうな程遠くまで固い浜辺が南北に通っている。ここに来ると渚よりも海の方が高く見える。じっと見ていると上下感覚がなくなってしまう。
能登半島の海岸線を忠実にたどる海道旅。旅の終着点はやはり小京都金沢。兼六園の琴柱灯籠、琴本体の竜と弦を結ぶ琴柱、竜だけでも弦だけでもお琴は音を鳴らせない。竜も弦もそれだけでは結ばれることはない。琴柱をそれを見事に一体化する。それが美しい。人は誰も聖地のような物を持っているのだろう。自分はそれがここなのだと思った。
金沢市から出発して七尾の和倉温泉までとことん海岸線の道を遡行したことがあった。そこは海が見える細い道。途中に道は途切れ少し入った国道を行ったこともある。この涼しさが、この気温が鮮やかに能登を想い出させた。また行ってみたいけど。地震もあるし、なぜか自分にとっては遠くなってしまった。そこに行くと開放感がある。それはなぜなのか、分からない。能登は不思議な所だ。海風に吹かれて温泉に浸ってもう一度それを感じたい。秋は郷愁を誘う季節なのか?