非常勤講師の部屋 -3ページ目

本年度も大詰め

更新が滞っておりまして、すみません。



さて、本年度もいよいよ大詰め、今日で考査前の授業がすべて終了した。

明日は卒業式、明後日から3学期末考査開始。


考査後にもいくつか授業は残っているが、ここで一旦区切りという事になると思う。


自身のこの1年を振り返ってみたい。


約8年ぶりに教壇に立った。

言いたい言葉がスラスラ繰り出して来ずに、生徒40人を前に青くなった4月5月だった。

慣れてきてからも、長年の不勉強による間違いの数々で生徒に迷惑をかけた。


独身時代の私も未熟だったが、これほどまでに脳みその回転しない人間ではなく、それなりに教員としての信頼を生徒から勝ち得ていた。


専業主婦をさげすむものでは全くないし、彼女たちの手厚い地域貢献なくしては、実は社会が円滑に回っていかない事も知っている。


しかし。


専業主婦、つまり無職の状態に長い事いると、脳みその働きが確実に鈍るものだと、この身をもって痛感した一年だった。正直なところ、かなりの恐怖を感じた。

勿論加齢によるところも大きいと思うのだが、やはりそれだけではないように思う。


まだ小さい子どもがいるので、フルタイムで働く事は不可能だが、これからも出来れば非常勤の職を得て、ささやかながら頭を活性化させながら暮らして行きたいと思う。


国語科という教科はかなり面白いと思う。

生徒に古文漢文を教える事で、自分もますます古典に明るくなり、プライベートでも古典に触れるのが楽しくなる。旅行に行って誰それの句碑を読んでその意味が即座に解ったり、百人一首をもう一度紐解いて、深い意味まで理解できたりすると、じんわりした喜びに包まれることがある。

これらの体験はきっと豊かな生活を送る一歩につながると思う。


仕事しながら自分も勉強できる教員という仕事はなんと素晴らしいのだろうかと思う。


かつては、これからは違う仕事を、と考えていた時期もあったが、今は、この仕事を究めて、生徒たちの役に立つ、信頼される教員を目指そうという考えに変わってきている。


『城の崎にて』

言わずと知れた、志賀直哉の小説である。

小説というよりは、自分の体験に基づく随筆と言ってしまった方が良いのではないだろうかと、個人的には思う。


私が高校に入学した時、入学前の課題として、この作品を読んで読書感想文を書いてくるようにというのが課せられた。


私は読書自体は全く苦ではないが、感想文の類を求められる事が嫌いだったので、この課題がひどく苦痛だったのを思い出す。


まあとにかく読んで何か書かなくては、と思い、読み進めてみた。

平易な文章でわかり易い事はさすがだし、筆者の心境もよく伝わってくる。

さすが、作家の文章だと感心しもした。


しかし、どうにも感情移入できずに苦しかったのを覚えている。

何故だろうか。


恐らく、「生と死は両極ではなく、あまり差が無いものだ」という志賀の死生観を、自分の物としてすんなり受け入れる事がどうしても出来なかったからだ。

視野の狭さも手伝って、そんな考え方をする人が実在する事を実感出来なかった。


当時、通学途中に自動車にはねられたり、高いところから転落して打撲したりと、振り返れば色々怖いことがあったはずなのに、あの頃自分が死ぬかもしれないなどという可能性を、万が一つにも想像できなかった。何故だか、自分は死なないという変な確信があった。

だから生死はあまり差が無いとか言われても、その意味が理解できなかったのだ。




あれから20年近く経ち、私は生徒から教員へ立場を変えてまたこの作品に接する事になった。

高校生の時は、いもりが死んでしまう描写ばかりに目が行ったものだが、今回は余裕をもって全文を見渡す事が出来る。

あれから、個人的な旅行で城崎へ足を運んだ事も、この作品を身近に感じる一助になっている。


あの頃の私と同年代の生徒達が、この作品にどの程度リアリティを感じることが出来るのか不安だが、自分の経験も踏まえて、色々な角度からアプローチしてみようと思う。

刎頚之交

刎とは、はねること、

頚とは首、


すなわち刎頚とは首を刎(は)ねる事だ。


つまり「刎頚之交(ふんけいのまじわり)」とは、この人になら首を刎ねられてもなんら恨むところはない、と思える程深い友情をさす言葉だ。


過激な言葉だが、殺すか殺されるかが日常で身近だった中国戦国時代のニュアンスを良く表していると思う。

友情一つ語るのにも生き死にが関わってくるのだ。




卓抜した外交手腕を趙王に認められて大出世した藺相如という男の、その後の振る舞いが面白い。

出世を廉頗という重臣に妬まれるのだが、彼を徹底的に避けるという方法を取る。


「直接対決をすれば「倶(とも)には生きざらん」(両方が生き残るのは無理だ)、

どちらか片方でも倒れれば秦が攻めてくるだろう。


だから私は直接対決を避けているのだ。」


というのが、相如の理屈だ。


というか、避けている事が散々表沙汰になって、家来からも愛想を尽かされかけた頃になって、「所以(理由)」を話し出すのが、少し鼻に付く。


最初から、廉頗に面と向かって、「私はかくかくしかじかの理由からあなたと争いたくありません」と言っていても良かったのではないか。

そうしたら、廉頗も、茨の鞭を背負ったりしなくとも、相如と「刎頚の交わり」の仲になれたと思うのだが。


うーん、それともやはり雨降って地固まる効果は必要か。

「ドラゴン桜」

年末の午後にまとめて再放送されていたのを、すべて録画し、遅ればせながら今初めて視ている。


単なるヒューマニズムドラマなどではなく、時には理不尽と思わせられるような、先の読めない筋立てに感心する。勿論ドラマならではのタイミングの良さや少々の矛盾点はあるが、それ以上に見る側の心の大事な所を確実に奮い立たせるものがあると思う。


5話まで視た。


正直を言うと、「本当にこの子達は東大へ行けるのか」という懐疑心を捨て去る事が未だ出来ずに視ている。

経験上、いくらやっても面白いように記憶が右から左へ抜けていってしまう子、驚くほど理解力の無い子というのは実際に存在するが、ドラマの中の子達をその子たちに重ねてしまうからだ。


まあ半分はあくまで架空の出来事として、残り6回を楽しみたいと思う。


それにしても、このドラマ、私が高校生の頃に放映してほしかった。

目標を見失って、勉強する理由さえもはかりかね毎日道に迷っていたあの頃の私に見せてやりたい気がする。

始動準備

始業式は10日だが、もう学校はとっくの昔に始動している。

部活に補習、課題考査や授業の準備。


非常勤の私には出勤義務はないが、昨年末の最終日に出勤できなかった事で、やり残した事や未確認事項があったので、昨日少しだけ職員室に顔を出した。


予想通り、大勢の職員の方々が出勤している。

事務室に至ってはまったくの普段どおりだ。


職員室では間近に迫るセンター入試に向けた追い込みの為、何人かの受験生が職員をつかまえて質問する姿が見受けられ、張り詰めた雰囲気が漂う。


私はと言えば、預かってもらうところの無い二児(小学生と未就園児)を引き連れての出勤で、ひとつ間違えれば大迷惑になりそうな様相だった。


なので、必要最小限のことだけをパッパと尋ねて、雑談はほとんどせずに室内を出る。


子ども達がもっと大きくなって、留守番が出来る歳になる時期の到来を願うのはこんな時だ。

冬将軍

古文の形容詞

明日はいよいよ終業式だが、勤務校は明日も授業がある。


テスト明け&冬休み間近ということで、生徒の心はもはや違うところへ行っている様であるが、非情にも授業はしっかりあるのだ。


教科書の新しい単元に入るには中途半端な時間数なので、これまでの復習と、冬休み課題の手助けをしてやることに。


受け持ちの学年は、何故だか形容詞が弱い。

先だっての考査でも「なかれ」を基本形に直し活用形を答える問題が出たが、正解者は20%強という体たらくであったので、強い危機感を覚えた。


そこで。


今日は一緒に黒板に活用表を完成させ、皆で唱和して盛り上がった。


く く し き けれ なし

から かり なし かる なし かれ


この活用の覚え方として、


くーから くーかり し きーかる けれ かれ


と覚える方法もあるようだが、私は高校時代に前者で習った。

皆さんはどちらだろうか。



試験監督

考査の監督には、普段授業で会わないクラスへ行く事も多い。


勿論、普段から行っているクラスに当たれば、気心が知れていて、とてもやり良いので嬉しいのだが、初めてのクラスへ行くのも結構好きだ。


どんな風に声かけをしたらスムーズに着席してくれるだろうかとか、配るタイミングはどうしようかとか、いろいろ考えるのはなかなか面白い作業である。


最近は、教室に入ったらまず、黒板に「何時何分になったら荷物をしまい着席完了の事」と、わざわざチョークをカンカン言わせて書く事にしている。

室内は大抵大勢の私語でざわめいているので、声を出してもなかなか生徒の耳には届きにくいのだが、板書すると「なにごとか」と一瞬目を留めてくれる子が多いのだ。


時間になったら即座に着席完了するクラスもあれば、相変わらずガヤガヤしているところもある。教科にもよるかも知れない。社会科などの暗記物ならば、再三の注意にも怯まずにしつこく粘る子もいる。


あまり「粘り」を許していると、時間通りに始められなくなってしまうので、そういう時に私が良く使う言葉は

みんなが時間通りに始められるように協力してください」。


教員に迷惑掛けても、級友に迷惑掛けるのは嫌なのだろう、この言葉で大抵の事態は丸く収まる。


これで快適に試験が始められれば、後は「がんばれ」と見守るだけである。

期末考査終了

今日で考査終了。

生徒達の晴れ晴れとした顔がすがすがしい。


さて、採点を来週月曜までに仕上げなければならないのだが、これが大変だ。


以前も書いたが、私の場合、一旦帰宅してしまうと雑念と雑用が多くて、相当気合を入れないと仕事する時間を捻出するのは難しい。というか、わずかな時間を見つけてパッとやる気モードになる事が出来ないのだ。だめだなあこんな事では。


学校に宿題や予習をやってこない生徒の心持ちも、かくのごときかと想像したりする。


彼らに「ちゃんとやってきなさい」という立場である以上、私も頑張ろう。

古文助動詞の歌 ~接続編~