(こちらは、「亡くなる3日前」のインタビュー映像だということです...)

(高級紙「ル・モンド」による「セレクション」です!!)

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10097399965.html(これまでの記事)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000165-dal-ent(「YAHOO!」に掲載された記事)

https://ameblo.jp/utrillo-714/entry-12408978549.html(ユトリロさんの記事)

(本日は、予定を変更いたしまして、シャルル・アズナヴールさんの、突然の「訃報」について書いてみたいと思います)

 

「まさか。デマでしょ!!」

本当にそう思いました。

 

「夜勤」が明けた2日の朝、新聞を読んでいると、「国際面」に、突然、「見覚えのある顔」が...。

しかも、「はっきり」、「シャルル・アズナヴールさん」とあるではないですか!!

 

こんな「地方紙」(「福井新聞」)に載るだけでも「スゴイ」ことですが、その「突然」の、「まさかの訃報」に、私は「凍り付いて」しまったのです!!

 

思えば、今年は、「1月7日」の「フランス・ギャル逝去」の際も、まさに、「同じ状況」でした。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12342809251.html?frm=theme(参考:「フランス・ギャル逝去」の記事)

 

シャルル・アズナヴールと言えば、つい先日、「奇跡の来日公演」(9月17日東京、19日大阪)を果たしたばかりなのです!!

 

本来、「生誕94周年」を記念して、「5月」に行なわれるはずのライヴでしたが、直前になって、ご本人が「腕を骨折」という「アクシデント」に見舞われたため、このように、「9月」に「延期」となっていたものでした。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12378572156.html?frm=theme(この件に関連の記事)

 

前回の記事「emmenez-moi "世界の果てに"」にも書いているように(この記事は、その記事の「リブログ」です)、私は、元々、5月23日の「東京公演」に「参戦」する予定でいたのですが、この9月の「振替公演」では、日程の都合が付きませんでした。つまり、「行けなかった」のです...。

 

シャルル・アズナヴール(1924-2018)の主な「経歴」については、前回の記事をぜひご覧ください。ここでは、「ほんの一部」ではありますが、その「名曲」を、振り返ってみることにいたしましょう。

 

1965年発表の名曲「la boheme "ラ・ボエーム"」です。この年の暮れから、シャトレ劇場で上演されたオペレッタ、「ムッシュ・カルナヴァル」からのナンバーで、主演のジョルジュ・ゲッタリー(1915-97)が歌って「大ヒット」しましたが、「作曲者」であるアズナヴール自身もレコーディングして、以降、彼の「代表作」の1つとなりました。この曲の「主人公」は、「貧しかった画学生時代」の「思い出」を歌っているのですが、その「リアルさ」に胸を打たれます。タイトルの「ラ・ボエーム」とは、「自由きままな(芸術家)生活」のことで、「ボヘミアン(放浪生活者)」と「同じ」言葉です。

 

「hier encore "帰り来ぬ青春"」は、1964年発表の名作で、詞・曲ともにシャルル・アズナヴール自身が手掛けました。原題は「昨日はまだ」という意味で、「私は、昨日はまだ20歳だった...」という歌い出しですが、そうして「ムダ」に生きて来たことを「後悔」する内容で、「しみじみ」と歌われています。この曲は、2年後に付けられた「英語詞」により、先にアメリカでヒットしたと言えますが、現在では、「シャンソンのスタンダード・ナンバー」としても知られています。

 

「日本でも知られている曲」と言えば、この曲も挙げておくべきでしょう。こちらも1964(65)年の作品で、「Isabelle "イザベル"」です。「恋人の名」を繰り返し呼ぶのがとても「印象的」で、日本でも大いに「話題」となりました。なお、「Jesebel "ジェザベル"」(1963)という、よく似たタイトルの曲(ちょっと「紛らわしい」...)もあります。

 

「日本で話題」と言えば、このことにも触れておかなくてはいけませんね。名作アニメ「機動戦士ガンダム」(1979)の、「敵将校」、「(「赤い彗星」)シャア・アズナブル」(CV:池田秀一)の名は、紛れもなく、このシャルル・アズナヴールが「由来(の1つ)」となっています(「ガンダムシリーズ」の「総監督」、冨野由悠季氏が、当時「大ファン」であったことから)。

 

こちらは、1966年の作品、「et moi dans mon coin "そして僕は片隅で(街角の瞳)"です。

 

 

この作品は、1997年の映画、「on connait la chanson "恋するシャンソン"」(アラン・レネ監督)でも使用されました(「驚異の口パク映画」です!!)。ピエール・アルディティ(1944-)演じるクロードと、サビーヌ・アゼマ(1949-)演じるオディールは、「倦怠期」を迎えた夫婦。そこへ、オディールの「元恋人」、二コラ(ジャン=ピエール・バクリ, 1951-)が現われたことで、クロードの胸中は穏やかではありません。その場面に、まさに「ピッタリ」なのがこの曲です。

 

「映画」で思い出されるのがもう1つ。この作品「le temps "時"」(1964)です。

 

 

この作品は、1995年に公開された(日本では、翌年公開)、映画「アパートメント」(ジル・ミモーニ監督)の「挿入歌」として、劇中で「重要」な場面に使われています。下の動画は、「回想シーン」で、この映画出演後に「夫婦」となった(後に「離婚」)、マックス役のヴァンサン・カッセル(1966-)と、リザ役のモニカ・ベルッチ(1964-)による「ダンス・シーン」です。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12169340612.html?frm=theme(この曲と映画「アパートメント」についての記事)

 

「映画」と言えば、この曲もそうです。1999年のイギリス映画、「ノッティングヒルの恋人」(ロジャー・ミッシェル監督)の「主題歌」として有名な曲で(映画では、エルヴィス・コステロが歌いました)、「she "シー(忘れじの面影)"」です。元は、1974年に、イギリスのドラマ主題歌として書かれたものですが、当時は、フランス語のタイトルで、「tous les visages de l'amour "愛のすべての顔"」でした。現在ではむしろ、こちらの英語版、「she」の方が「有名」です。日本でも、大変「人気」のある曲です。

 

こちらが、その「原曲」です。

 

 

この曲も、日本で大変人気のある名曲です。「la mamma "ラ・マンマ"」(1963)。母親の「死」の知らせを受けて集まった家族の姿が歌われています。曲はアズナヴール自身、詞は、ロべール・ギャル(1918-90)が書いています。

 

この「la mamma "ラ・マンマ"」の詞を書いた「ロべール・ギャル」とは、驚くなかれ、あの「フランス・ギャル」(1947-2018)の、「お父様」なのです!! こちらの動画は、1997年に行なわれた、フランス・ギャルの「私的」なライヴからですが、何と、アズナヴールが「ゲスト」として登場し、この曲を「デュエット」もしたのです!!

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12342809251.html?frm=theme(再掲:「フランス・ギャル逝去」の記事)

 

こちらは、昨年末に亡くなった、ジョニー・アリディ(1943-2017)との共演です。曲は「sur ma vie "生命をかけて"」(1963)です。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12334755479.html?frm=theme(「ジョニー・アリディ逝去」の記事)

 

1960年代における「最大のライバル」が、ジャック・ブレル(1929-78)でした。この動画では、ブレルについて語っています。

 

アズナヴールの、ブレルに関するコメントとして、「ブレルの歌は、ブレル自身以外の何ものでもなかった」(NHKテレビ「フランス語講座」、1982年9月のテキストより)というのがまずありましたが、一方で、ブレルがステージを「引退」し、映画「先生」(1967, アンドレ・カイヤット監督)に出演することを聴いた時には、「君が歌を留守にしている間だけは、僕も"フランス一の歌手"の座に座れそうだ」という、「ユーモラス」な祝電も送ったということです(映画「先生」 日本公開時のパンフレットから)。

 

その「ライバル」、ブレルは、「南の島」で眠ることを「決意」しました。「アルメニア系の移民」であるアズナヴールもまた、「南国」に対する「憧れ」があったようです。最後にもう一度、この曲を聴いて、「お別れ」しましょう...。

 

 

アズナヴールは、ブリュッセルとパリでも公演予定だったようですが、図らずも、この日本公演が、「世界で最後」、「生涯最後」となってしまいました。やはり、「94歳」という「高齢」に、日本までの「長旅」は、想像以上に「ハード」だったのでしょう...。

 

ブレルも、「肺切除」の後に、「ラスト・アルバム」(「les Marquises」1977年)のレコーディングをした結果、寿命を「縮める」ことになってしまいました。ちょっと、そのことを思い出しました。

 

「生涯最後」となった「日本公演」に行くことが出来なかった私は、現在、とても大きな「喪失感」と「後悔」に襲われています。しかし、その、「最後の雄姿」、「最後の命の輝き」を、「日本」で見せてくれたことに「感謝」を申し上げたいと思います。そして、本当に、「お疲れ様でした」。

 

本当に「突然」の訃報でしたが、あらためまして、この「偉大」な芸術家、シャルル・アズナヴールのご冥福をお祈りしたいと思います。

 

合掌...。

 

シャルル・アズナヴール(1924.5.22-2018.10.01)

 

(最新の「全集」は、図らずも「追悼盤」ということに...)

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(daniel-b=フランス専門)