(2015年11月、「母方の祖国」、アルメニアの首都、エレヴァンでの熱唱です。プログラム最後の曲となります。アズナヴールは当時91歳で、この翌年の「来日公演(東京)」には私も行きましたが、「そのまま」の「迫力」でした。「貫禄」でした)

(もう少し「若い頃」の映像...と言っても、「2004年」ということですから、何と「80歳」の時ということになります。それでこの「充実」したパフォーマンスは、やはり「驚き」です)

(こちらも素晴らしいパフォーマンスなので載せてみましたが、「いつの映像」かまでは記載がありませんでした。上の映像と、「似た時期」にも思えますが...)

(こちらは、「1968年」とありますが、その通りであれば、シングルとして「発表」された当時の映像ということです。「貴重」なモノクロ映像ですので、「若い時代」を代表して、この映像を載せてみました)

(こちらは、「カーネギー・ホール」でのライヴからということで、「英語版」です。「別ウィンドウ」が開きます)

(こちらが「オリジナル録音」です)

今回は、この方の「代表作の1つ」と言える、「超名曲」を、あらためて紹介いたしましょう。

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10097399965.html(これまでの記事)

 

この方、シャルル・アズナヴール(1924-)は、「シャンソン・ファン」にとっては、もはや説明するまでもない、「偉大過ぎる」存在ですが、単なる「伝説の歌手」ではありません。今年5月に「94歳」の誕生日を迎えて、まだなお「現役」で活躍し続ける、「神様」にも等しい、「ウルトラ・スーパースター」なのです!!

 

さすがに「高齢」のため、「(本当に)これが最後」とも言われた2016年の来日公演には、ユトリロさんとともに私も「NHKホール」(東京・渋谷)へと足を運び、本当に「得難い」経験をさせていただきました(アズナヴールの「ライヴ」に参戦したのは、この時が「初めて」でした)。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12171676653.html?frm=theme(その時の記事)

 

ところが、現在もまだなお「精力的」に活動を続けるアズナヴールは、今年も再び、「来日公演を行なう」とアナウンスしたのです!!

 

この公演は、当初、「5月22日」の「誕生日」に合わせての「来日」となるはずで、私も、翌23日(水)の「東京公演」に「参戦」するはずでした。ところが、直前になって、ご本人が「腕を骨折」というアクシデントに見舞われ、この「9月」に「延期する」との発表があったのです。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12378572156.html?frm=theme(この件に関連の記事)

 

その「振替公演」は、つい先日の「17日」(何と、「敬老の日」!!)に「無事」に行なわれたようで(「大阪」の振替公演は19日)、その、「歌に生きる力」の「凄まじさ」をも感じますが、残念ながら私は、この「振替」では日程の都合がつかず、参戦は叶いませんでした...。

 

シャルル・アズナヴールは、本名を、「シャアヌール・アズナヴリアン」といい、両親は、トルコからの移民で、「アルメニア系」だということです。その両親が、アメリカへ渡るためのビザを取得するために立ち寄ったパリで、アズナヴールは生まれました。

 

元「オペレッタのバリトン歌手」だった父はパリに留まり、「料理人」であった祖父の経営する、小さなレストランで働いていましたが、やがて「独立」し、自分の店を出したということです。その店は、お金のない学生に食事を「提供」したり、同じ移民の「友人たち」の「娯楽の場」ともなっていたようです。

 

アズナヴールに「転機」が訪れたのが、1941年、作曲家ピエール・ロッシュ(1919-2001)との出会いでした。

 

意気投合した2人は、作品を「共作」するようになり、アズナヴールは、この頃から「詞」を書くようになったということです。また、1944年のある日、イベントに出演した際に、2人の名前が「コンビ」のようにアナウンスされたことから、やむを得ず、「即興」でデュエットしたところ、「大喝采」を浴びることになりました。また、これがきっかけとなって出演したラジオ番組が、エディット・ピアフ(1915-63)の耳に留まることになり、道が大きく「開ける」ことにもなったのです。

 

こうして生まれた、「最初期」の作品の1つが「j'ai bu "酔いしれて"」(1946)で、この曲は、ジョルジュ・ユルメール(1919-89)が歌ってヒットしました。このことは、まだまだ「無名」だった2人に、思いがけない「朗報」となりました。

 

 

その後、ピアフを通じて、アズナヴールは、ジルベール・ベコー(1927-2001)とも出会い、彼とも「意気投合」しました。彼との共作で、特によく知られている作品が「me que me que "メケメケ"」(1954)で、シャンソンの「スタンダード・ナンバー」の1曲とも言うことが出来ます。この詞は、仏領マルティニークの原住民が、「mais, qu'est-ce que c'est?(メ、ケスクセ)」(「でも、それがどうした?」)を、なまって「メケメケ」と話すことに興味を覚えたことから書かれたものです。

 

こちらは、「作曲者」ベコーの「オリジナル盤」です。

 

「作詞」のアズナヴール盤は、もしかすると「珍しい」?

 

この人も歌って「大ヒット」しました。「les Champs-Elysees "オー・シャンゼリゼ"」(1968-69)でも有名な、ジョー・ダッサン(1938-80)です。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12302626562.html?frm=theme(参考:「オー・シャンゼリゼ」の記事)

 

さて、本題に戻りましょう。

 

今回ご紹介する曲、「emmenez-moi "世界の果てに"」は、1967年に発表されたアルバム、「entre deux reves "2つの夢の間に"」に収録された曲ですが、翌1968年に、「シングル」としても発売されました。

 

原題は、「私を連れて行ってくれ」ということですが、このタイトルは、「北国の空」しか知らない「僕」が、「南国の果実」を運んで来る船を見ているうちに、遠い「異国の地」に想いを馳せ、こらえきれずに、船に向かって「叫んでいる」ことから付いたものです。

 

見知らぬ土地への「憧れ」と同時に、「郷愁」をも感じさせるこのメロディは、何度聴いても「心引きずられる思い」がしますが、その「溢れる想い」が一気に表出されたその詞は、もはや、その曲に乗り切らないほどで、「歌う」ことは大変難しそうです。

 

「移民の子」として、こうした「思い」は、昔から少なからずあったのでしょう。また、「北国の灰色の世界」から抜け出して「南国へ」という点では、「ライバル」でもあった、ジャック・ブレル(1929-78)とも「共通」する思いではなかったかと感じます。

 

最近の公演では、この曲が「ラスト」となることが多いようです。

 

聴いているこちらとしても、「想い」がかき立てられるようなこの曲が「ラスト」ということで、さらに「その続き」が気になってしまうような、「その先が見たい」ような、そんな気にさせられるのです。アズナヴール自身にとっても、それは「同じ」ことでしょう。彼の曲で、「最も好き」と言えるのが、「この曲」なのかも知れません。

 

最後に、1983年8月のNHKテレビ「フランス語講座」、「シャンソン特集」の際に、「テキスト」に掲載されたアズナヴールのコメントを、ここにも載せておきましょう。その、「圧倒的なバイタリティの源」が、まさに感じられるひと言です。

 

「si je donne trois recitals au Carnegie Hall c'est parce que les autres n'en font que deux.

je suis un ambitieux et je n'aurai pas de declin」

 

(カーネギー・ホールでのコンサートを、他の人が2回するなら、私は3回する。私は野心家であり、衰えることを知らない)(訳:永瀧達治)

 

以下に、「emmenez-moi "世界の果てに"」の歌詞も載せておくことにいたしましょう。

 

それではまた...。

 

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emmenez-moi  世界の果てに

 

vers les docks

ou le poids et l'ennui

me courbent le dos

ils arrivent le ventre alourdi

de fruits les bateaux

ils viennent du bout du monde apportant avec eux

des idees vagabondes

reflets de ciel bleu

de mirages

trainant un parfum poivre de pays inconnus et

d'eternels ete

ou l'on vit presque nus

sur les plages

moi qui n'est connu toute ma vie que le ciel du nord

j'aimerais debarbouiller ce gris en virant de bord

 

ドックへと向かう

僕の背を

荷の重さと倦怠感がかがめさせる

その船は果物を満載して

やって来る

それらは世界の果てからやって来る

放浪者の想いを乗せて

青い空と

蜃気楼を映しながら

見知らぬ常夏の国の

胡椒の香りを引きずりながら

そこでは人々は裸同然で暮らしている

浜辺で

北国の空しか知らない僕は

何とかこの灰色の世界から抜け出したかった

 

emmenez-moi

au bout de la terre

emmenez-moi au pays des merveilles

il me semble que la misere

serait moins penible au soleil

 

連れて行ってくれ

世界の果てまで

連れて行ってくれ素晴らしい国へ

みじめな思いも 太陽のもとでは

ここより耐え難くはないだろう

 

dans les bars a la tombee du jour

avec les marins

quand on parle de filles et d'amour

un verre a la main

je perds la notion des choses et soudain ma pensee

m'enleve et me depose un merveilleux ete

sur la greve

ou je vois tendant les bras l'amour qui comme un fou

court au-devant de moi et je me pends au cou de mon reve

quand les bars ferment

que les marins rejoignent leurs bords

moi je reve encore jusqu'au matin debout sur le port

 

日暮れになればあちこちのバーで

船乗りたちと

グラスを片手に

娘たちや恋を語っては

物事の概念を失ってしまう そして突然に僕の思考は

僕を連れ去り

素晴らしい真夏の砂浜へと導いていく

そこで僕は 両腕を差し伸べながら目にする

恋が 狂ったように 僕の前を走り去るのを そして僕は夢にしがみつく

バーが閉まると

船乗りたちは船に戻る

僕はまた港に突っ立って 朝まで夢を見続ける

 

emmenez-moi

au bout de la terre

emmenez-moi au pays des merveilles

il me semble que la misere

serait moins penible au soleil

 

連れて行ってくれ

世界の果てまで

連れて行ってくれ素晴らしい国へ

みじめな思いも 太陽のもとでは

ここより耐え難くはないだろう

 

un beau jour sur un rafiot craquant

de la coque au pont

pour partir je travaillerais dans

la soute a charbon

prenant la route qui mene a mes reves d'enfants

sur des iles lointaines ou rien n'est important

que de vivre

ou les filles alanguies vous ravissent le coeur

en tressant m'a-t-on dit de ces colliers de fleurs

qui enivrent

je fuirais laissant la mon passe

sans aucun remords

sans bagages et le coeur libere

en chantant tres fort

 

いつの日か 船体から甲板までがきしむ

おんぼろ船に乗って出発するために

僕は働こう 石炭庫で

子どもの頃の夢へと誘う道をたどって

生きていることだけが重要な

はるか遠くの島々へ

そこでは 物憂げな娘たちが心を奪う

花の首飾りを編みながら

心を酔わせるのだという

僕は ここに過去を捨てて去ることにしよう

何の悔いもなく

荷物も持たず 解放された心で

声高々に歌いながら

 

emmenez-moi

au bout de la terre

emmenez-moi au pays des merveilles

il me semble que la misere

serait moins penible au soleil

 

連れて行ってくれ

世界の果てまで

連れて行ってくれ素晴らしい国へ

みじめな思いも 太陽のもとでは

ここより耐え難くはないだろう

 

emmenez-moi

au bout de la terre

emmenez-moi au pays des merveilles

il me semble que la misere

serait moins penible au soleil

 

lalalalalalalalala.....

 

連れて行ってくれ

世界の果てまで

連れて行ってくれ素晴らしい国へ

みじめな思いも 太陽のもとでは

ここより耐え難くはないだろう

 

ラララララララララ...

 

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(daniel-b=フランス専門)