6月15日水曜日、東京・渋谷の「NHKホール」。その、「開始」の時は、刻一刻と迫っていました。

渋谷某所で、これまた「初対面」となる「ユトリロ」さんと落ち合い、お互い「限られた」時間ではあったものの、「シャンソン談義」に花を咲かせることもできました。

そのユトリロさんに連れられるようにして、ほぼ「20年ぶり」くらいの「渋谷」の街を歩いて、「NHKホール」にたどり着きました。

NHKホールは初めての場所。この日出演の「スーパースター」、シャルル・アズナヴール(1924-)も、その「ライヴ」に参加するのは、「初めて」の経験となります。

「本場」のシャンソン歌手のライヴは、1990年の「バルバラ」(大阪)、1996年の「ジュリエット・グレコ」(金沢)に次いで、「3回目」となりますが、その、前回のグレコからでも「20年」ですし、「レジェンド」とも言えるこの「大歌手」も、もう「92歳」の誕生日を迎えています。

普通ならば、とっくに体が弱り切っていても不思議ではなく、来日なんて「とんでもない」くらいの年齢のはずですが(単純に計算しても、1970年生まれの私の、ちょうど「2倍」に当たります。ほぼ、「祖父」の世代です)、ここに載せた「昨年」の映像を見ても、そんな様子は「微塵」も感じられません。

私だけなら、結局、「参加せず」に終わっていたかも知れません。10日付けでも書いたように、私は、彼については、ほぼ「素人」も同然なのです。「ユトリロ」さんの絶妙な「アシスト」のおかげで、「参戦」を決意しましたが、すると今度は、この「偉大な大歌手」の、本当に「最後」となるかもしれない「来日公演」に立ち会うのだという「緊張感」が体を走りました。
「中止」となった今回のジュリエット・グレコ(1927-)も、「代替公演」はまったくの「不明」ですが、年齢的にも、今回が「最後」だという話でした。

開演前ギリギリまでユトリロさんと話をしていたおかげで、「過度の緊張」は、とりあえずなくなりました。このことは本当に「良かった」と思います。

観客に「若い層」はほとんどいなかったようで、そこが少し寂しかったところですが、自分もまあ、「それなり」の年齢ですし(とは言っても、この場では「若造」もいいところです)...。
日本の「芸能界」からも、かなりの方がいらしていたようです(知っている「顔」を、何人かお見かけしました)。

そして、さあ、いよいよです。私たちも「場内」に入り、「パンフレット」を購入して、とりあえずここで別れました。同じ「S席」でも、ユトリロさんは「1階席」。完売目前に滑り込んだ私は、「2階席」でした。

「2階席」でも、けっこう「後ろ」の方だったように思います。これなら、張り出している「3階席前方」の方が良かったのでは? という気もしました。

「開演」は、遅れることもなく、本当に「スムーズ」でした。
第1曲目の「les emigrants "移民たち(みんな一緒に)"」から、本当に、「意志の力」に満ち満ちた、その若々しい、「張りのある声」に、心を震わされます。

アズナヴールさんは、日本語を話さない代わりに、すべての「MC」をフランス語と英語で話していました。これだけでも「スゴイ」です。まさに、長年、「世界のスーパースター」として君臨してきただけの「貫禄」を、ここでも感じました。「アンチ・エイジングの鑑」みたいな方ですね。

パンフレットにも歌詞が記載された「je voyage "私は旅する"」(2003)は、コーラスとしても参加している、娘のカティアさんとの共演ですが、その歌詞を改めて見ても、その感覚の「若々しさ」「自由さ」に驚かされます。まさに、何にも「束縛」されることのない「自由な魂」を感じます。こんな「ハイレベル」な会話ができる親子関係って、ちょっとうらやましいです。

「sa jeunesse "青春という宝"」では、エリック・ベルショさんの、素敵な音色のピアノにも心奪われました。

「日本」ということで、一部、「日本仕様」に差し替えられた曲もあるようでした。
2001年に発売された「グレイテスト・ヒッツ・フォー・ジャパン」にも収録されていたように、「la mamma "ラ・マンマ"」や、「she "忘れじのおもかげ"」などは、やはり、日本で人気が高い曲のようですね。

歌詞が飛んでしまって歌い直した曲もありました(ユトリロさんのブログで確認したところ、「mon ami, mon Judas」という曲だということです)。
ここは「外国」なのに、ごまかさず、「mistake, mistake」と、演奏を切って、最初からやり直すところはさすがです(20年前のグレコの「金沢公演」でも、そういうことがありました)。

「mes emmerdes "想い出をみつめて"」は、私が個人的に好きな曲なのですが、自然と「手拍子」が出てきますね。周りの人たちも「ノリ」の良い人たちばかりでしたので、私も安心して「ノる」ことができました。これは、アズナヴールさんだからなのでしょうか。それとも、これが「最後」だからなのでしょうか。昔の日本の観客は、「不気味なくらい静かだった」とグレコさんも言っていましたが、「熱狂的な本国」、とまではいかなくても、これなら、「白ける」こともなく、気持ちが入っていけます。

やや「控えめ」の語り口で聴かせる「il faut savoir "それがわかれば"」や、「hier encore "帰り来ぬ青春"」。パントマイムも交えての「la boheme "ラ・ボエーム"」など、やはり、「実演」の良さは、「スタジオ盤」だけでは伝わりません。本当に、ここに来て「良かった」と思いました。

年齢を感じさせない、ピンと伸びた「背筋」。歌の終わりに、「バッ」と、両腕を広げる、その「格好の良さ」、ステージを、所狭しと歩くその「健脚」ぶり。これが、本当の「エンターテイナー」なのだと思いました。
1990年のバルバラでも、同じことを思いました。そのときは、本当に舞台に近い席だったので、印象も強烈だったのですが、「還暦」を迎えたというのに、まるで、「フランス人形」のような「美しさ」だったのです。

最後の曲、「emmenez-moi "世界の果てに"」も、やはり「大好き」な曲です。
この曲を最後に持ってくるということは、やはり、「開かれた」終わり方だということです。
「アンコール」に別の曲はいらない。「これで充分だ」と思わせる曲です。「ノスタルジック」でもありますが、それぞれに、この歌詞の「先」を思い描くこともできるのではないでしょうか。

今回、昨年のパリ公演の映像を見ながらの振り返りだったのは、「細部」の確認のためなので「ご容赦」いただきたいと思いますが、この記念すべき公演に「参加」できたことは、何事にも代え難い、「得難い」体験だったと思います。

この場をお借りしまして、改めて、「ユトリロ」さんに感謝を申し上げたいと思います。
本当に、このたびは、どうもありがとうございました。

(daniel-b=フランス専門)