恐らく、「都内」で、これまで、最も多く足を運んでいると言えるのが、この、「(神田)神保町(じんぼうちょう)」...。

 

 

最近でこそ、東京駅構内の、「東京キャラクターストリート」へ立ち寄る機会も増えていますが、1985年7月23日、初めて、「ひとりで上京」したとき以来、東京の街なかへ出た際に、どうしても「やむを得ない場合」を除いて、ほぼ必ず(「ダントツ」で)立ち寄っているのが、やはり、この「神保町」です。

 

 

ここでは、「学生時代」をこの街で過ごしたという、ななすけさんのナビでどうぞ。

 

 

こちらも、「神保町」の様子がよく分かる動画です。

 

 

 

 

こんな「夜遅く」までいたことはありませんが、「新宿駅南口」から、「新宿高島屋タイムズスクエア」、「紀伊國屋書店新宿南店」(1996-2016/現「ニトリ」)(6Fは、「洋書専門店」として、現在も「営業中」)に立ち寄り、「ドコモタワー」(2000年9月竣工)の前を通って、「代々木駅東口」まで歩くことも度々ありました。

 

 

そのうち、新宿までは、なかなか、足を延ばすこともなくなっていったのですが、2016年8月26日公開の映画、「君の名は。」(新海誠監督作品)にて、私もよく使っていた、この代々木駅「中央・総武線各駅停車ホーム(秋葉原・千葉方面)」が登場したことから、その後、「聖地巡り」(「君の名は。」ごっこ...笑)で、再び、訪れることにもなりました...。

 

 

 

 

「めざましテレビ」のおかげで、「フジテレビっ子」だった2000年代には、旅行の最後を、「お台場の夜景」で締めくくることが「ほとんど」でもありました(「銀座」→「新橋」→「台場」)。

 

 

実際に、「球体展望室(はちたま)」から、それはもう、大変見事な「夜景」を楽しんだこともありましたが、そこへ向かう、この「ゆりかもめ」の車内でも、「良い席」(特に「かぶりつき」)にあり付ければ、それだけでも、テンションは「爆上がり」です。

 

 

昨年10月、本当に久しぶりに、「ゆりかもめ」で「台場」まで行きましたが、「大混雑」のため、その点、「イマイチ」でした...。

 

 

私自身、「台場」を訪れる際は、ほとんどが「夜」(18時以降)のことでもあったため、こちらの動画は、まさに、私が見ていた「お台場」とも、言えると思います。

 

 

このように、「日中」に、お薦めを挙げてくださっている方もいらっしゃいますが...。

 

 

 

(*記事中のすべての動画は、説明のため、お借りしているものです)

 

 

 

 

 

さて...

 

 

 

「7月」は、なんやかんやで、(私にとっての)「記念日」が「多い」月でもあります。

 

 

 

そのうち、2004年7月18日の「福井豪雨」はまさに、「生命にかかわる忌まわしい記憶」でもあるため、ここからは「除外」したいと思いますが、その「前日」である7月17日(1990年)は、私が「正式」に、そのキャリアを「スタート」させた、「初バイト記念の日」でもあり、今年はもう、そのときから何と、「まる35年」ということにもなるのです。

 

 

 

そしてその「7月17日」は、「東京の日」でもあるということですが(1868年のこの日、「明治天皇」により、この地が、「江戸」から「東京」に「改称」したことによる。ただし、当時は「旧暦」のため、「新暦」では「9月3日」)、私自身、初めて、「ひとりで上京」したのが、1985年7月23日のことであり、それから今年で、ちょうど「40周年」にもなることから、その「記念の日」に、今回の、「この記事」を、上げることにしようと考えたのでした...。

 

 

 

 

 

その、1985年7月23日...。

 

 

 

「早朝」に出発することから、福井駅近くの、当時の知人のところにひと晩、「お世話」にもなったのですが、何しろ、「5時17分発」ですからね...。

 

 

 

大変、「ご迷惑」をおかけしたと思います...。

 

 

 

 

東京で、時間を充分取りたいため、この、「朝イチ」の「快速」を選んだのですが、当時、この列車は、6時45分には「米原駅」に到着し、「15分」で、7時ちょうど発「ひかり390号」に「接続」するため、「東京駅」にも、9時34分には到着出来るという、大変、「利用価値の高い」列車でもありました。

 

 

(「現在のダイヤ」では、福井駅を「5時49分」に出発する、ハピラインふくいの「快速」から、「敦賀」、「米原」乗り換えで、やはり、「9時42分」には、「東京駅」に到着することが出来ます。

 

北陸新幹線の始発、「かがやき502号」よりも、はるかに「安く」行ける上、到着時刻もさほど変わらないので、かなりの利用があるようです...)

 

 

 

また、あらかじめお断りしておきたいと思いますが、「当時」は、「東京グリーンきっぷ」(後の「東京往復割引きっぷ(グリーン車用)」*現在では「廃止」)という、「超破格値」で、往復「グリーン車」に乗れるきっぷがありましたので、まことに恐れながら、私も、このきっぷを利用させていただきました(「若造」のくせに...)。

 

 

 

そのため、当時の「0系オリジナルグリーン車(16形0番台)」(「京都鉄道博物館」で、「実車」を展示)も、私自身、何度も、「乗車経験」があります。

 

 

 

ちなみに当時、「福井-東京(都区内)」は、往復「普通車指定席」利用で「25300円」。

 

 

 

この「東京グリーンきっぷ」は、往復「グリーン車指定席(または「B寝台車」)」利用で何と、「26500円」でした(通常料金「37200円」)。

 

 

 

 

そんなことはさておき、「0系」で運行だったこの当時、東海道新幹線もまだ、最高時速が「210km」(翌1986年11月からは「220km」)という時代で、「名古屋-東京間」が「ノンストップ」で「2時間01分」(「品川駅」など、まだ「ない」時代です)、「新大阪-東京間」は、「3時間08分」かかっていたころでした(それでも、「京都駅」、「名古屋駅」での「停車時間見直し」により、「2分短縮」された「結果」です)。

 

 

「当時」は、それでも「速い」と感じたものですが、その後の、300系「のぞみ」登場(1992年3月)により、最高時速「270km」に慣れてしまうと、明らかに「遅い」と、感じるようにもなってしまいました。

 

 

 

現在の、「285km/h」(N700S/N700A 「山陽区間」では「300km/h」)というスピードはもはや、「異次元の速さ」にすら、感じられます...。

 

 

 

 

 

「当時」の様子がよく分かる映像もアップされています。

 

 

 

こちらは、1985年3月(*まだ「国鉄」の時代です)、「京都駅」から乗車された方の「記録映像」です。

(元祖2階建て新幹線「100系」の登場は、この年の、10月」からのことでした)

 

 

 

 

 

こちらは、1990年代、私も、「帰り」によく利用していた、東京駅20時07分発の、「ひかり127号」姫路行き。

 

 

北陸線、「福井」「金沢」方面への「最終列車」ともなります。

 

 

また、「8分ごろ」から、「(在来線)品川駅」も見えますが、当時は「高架」で、駅の脇を「通過」していました。

 

 

途中の停車駅が、「名古屋」と、「米原」からの各駅(のみ)というのも、「時代」を感じさせます...。

(「食堂車」は、「新大阪」までの営業でした...)

 

 

 

 

 

「マニア的」には、いろいろと、「ツッコミ」たいところもありますが(映画「君の名は。」に出て来る、三葉の「上京シ-ン」もやはり...)、2021年3月20日公開のこちらの映画、「ヒーリングっど プリキュア ゆめのまちでキュン! っとGoGo! 大変身!!」でも、「東海道新幹線」、「東京駅」が「登場」します。

 

 

中でも、この冒頭シーンに描かれている「19番ホーム」は、それこそまさに、私が、1985年7月23日の「帰り」の列車となった、17時12分発「ひかり321号」新大阪行きに「乗車」したホーム、「そのもの」でもあるのです。

 

 

だからこそ、大変「懐かしく」も感じられたのです...。

 

 

 

 

私自身、「まったくひとり」で新幹線に乗るのは、そのときが本当に「初めて」で、しかも、行き先が「首都・東京」でしたから、まさに、「大冒険」でした。

 

 

「新横浜駅」を通過してから(現在では、「全列車が停車」)、「緊張」もさらに高まっていきましたが、「多摩川」を渡ると、屋根が重なるほど、住宅が「密集」している様子にまた驚き、「まもなく終点東京」の「車内放送」を聴きながら、「山手線」「京浜東北線」の各駅、「都心の巨大ビル群」が目に入るようになってくると、本当に、「東京」という「プレッシャー」に、正直「負けそう」にもなりました。

 

 

 

そして、東京駅に着いたときには、その「乗車時間」よりもむしろ、「福井から約550km」という、その「距離」に、「ビビった」ところも正直ありました...。

 

 

 

 

この、1985年7月23日、どのような順番(ルート)で都内を回ったかは、詳しくはもう、「思い出せない」ところも正直あります。

 

 

 

当時は、「現在」に至るまでの、その「街歩きの基本」も、当然のことながら、まだまだ「模索中」の段階でしたから、もちろん「失敗」も、多くやらかしたものと思います(「東京フリーきっぷ」は、「JR化後」の発売開始で、当時はまだありませんでした)。

 

 

 

たぶん、「東京駅」では下車せず、そのまま乗り換えて、「中央線快速」で「御茶ノ水駅」までは、その後と同じように「行った」のかと思いますが、そこで「各停」に乗り換えて「水道橋駅」というのは、当時はまだ、「出来なかった」か、出来ても、「東口」と「西口」を間違えて出た可能性があります(「この時」ではなくとも、かなり、「余分」に歩いた「記憶」があります...)。

 

 

 

「新宿は怖い」と、当時、東京の叔父から聞いてもいたので、このときにはたしか、行ってはいませんが、「銀座」と「渋谷」には行っていますね。

 

 

「銀座」では、やはり、「山野楽器銀座本店」さん(昨年7月末で、「CD/DVD」販売終了)に行ったと思いますが、「期待通り」ではなく、少し、「がっかり」した覚えがあります。

 

 

その「銀四交差点」へ向かう途中だったか(「有楽町駅」から?)、「街頭アンケート(インタビュー)」に出くわし、「(銀座の)次は、どこに行かれますか」ときかれ、「渋谷へ行きます」と答えたので、たぶん、そのあと、「渋谷」に向かったのだと思いますが、当時、そのまま、「営団地下鉄(現「東京メトロ」)銀座線」に乗ったとはちょっと考えにくく、もしかすると、「有楽町駅」から「山手線(外回り)」だったのかも知れません。

 

 

 

「渋谷」は実は、その「2年前」、1983年12月1日に、家族と一緒に、「用事」で来てもいたので「初めて」ではなく、そのとき、「西武渋谷店」の「ディスクポート(「WAVE」?)」(「現存」せず)で、バルバラ(1930-97)など、「有名歌手」の「オリジナルアルバム(輸入盤)」を多数見かけたこともあり、今回も、「期待」して出かけたのですが、やはり、「期待」に添うようなものではありませんでした...。

 

 

(翌年、「池袋本店」に行ったときは、ブレルの「貴重」な「初期アルバム」を何枚かゲットしましたが、「1983年12月の件」に関しては、「何かのフェアだったのかも...」という回答しか得られませんでした...)

 

 

 

結局、このとき手に入れることが出来たのは、神保町にある「トニイ(TONY)レコード」というお店で、ジャック・ブレル(1929-78)の「アメリカ盤オリジナルアルバム」の「中古品(セコハン)」が「1枚」のみでした...。

 

 

 

帰りは、「渋谷」から「山手線(内回り)」で東京駅に戻ったと思うのですが、本当に「現在」では、あらゆる旅行の「記憶」が「ごっちゃ」になっている可能性があるので、「はっきり」としたことは(「正確」なことは)「言えない」とだけは、書いておこうと思います...。

 

 

 

ただ、東京駅で、少し時間が「余った」ので、駅ナカの「喫茶店」に入り、「インベーダーゲーム」(または、「ブロックくずし」)をしながら、「ブルーハワイ(ソフトドリンク)」を飲んだのは、「たしかな記憶」です(「ちょいワル」?)。

 

 

(この日は結局、それ以外はほぼ、何も口にしていなかった...)

 

 

 

 

 

「当時」の、「銀座」、「渋谷」などの様子です。

 

 

 

 

この日は、17時12分発という、「早い時間」の列車で帰ったのですが、東京駅を、「7~8分」くらい「遅れ」て出発したにもかかわらず、「この遅れは、間もなく回復いたします」(=「運転時分」に、それだけ「余裕」がある)との案内通り、名古屋駅到着時点で、その遅れが「なくなっていた」ことに、またまたビックリ!!

 

 

 

「いつもより、 "速い" 列車に乗ることが出来た!!」

 

 

 

と、「ちょっと得した気分」にもなりました...。

 

 

 

 

 

やはり現在では大変「貴重」な、「名古屋駅」での、「0系」発着の様子をどうぞ...。

 

 

 

 

一昨年10月、本当に惜しまれつつ、「終了」した、東海道新幹線の「車内ワゴン販売」...。

 

 

(いま、北陸新幹線「かがやき」車内で、「ワゴン販売」を目にすると、ちょっと「ビックリ」するくらい...)

 

 

 

こちらは、その「歴史」です。

 

 

 

吉高由里子さん(1988-)が出演した、昨年の、「東海道新幹線60周年」記念CM。

 

 

こちらは、そのCM制作の「裏側」です。

 

 

この動画も、「再掲」しておきましょう...。

 

 

 

 

(参考)昨年10月1日付け、「東海道新幹線開業60周年」の記事。

 

 

 

 

こちらは、「山陽新幹線」の動画ですが、「新大阪-博多」の「全区間」で、「0系」「車窓」、「車内放送」、「走行音」を楽しむことの出来る、大変「貴重」な資料でもあります。

(「完全引退」間近い、2008年5月7日の撮影です)

 

 

 

 

 

ここで、私にとって、「当時」、また、「東京」を思い出させる曲を並べてみましたのでぜひどうぞ...。

 

 

 

 

渡辺美里(1966-)「Teenage Walk」(1986年5月2日発売)。

(もとは、「ANA 夏の北海道」の「キャンペーンソング」で、小室哲哉さんの作曲です)

 

 

 

 

こちらは、その小室哲哉さん(1958-)のグループでもある、「TM NETWORK」の代表曲、「Get Wild」(1987年4月8日発売)「オリジナルMV」。

(アニメ「シティーハンター」のエンディング主題歌としても「有名」で、2023年9月8日の「最新作映画」公開の際にも、「話題」となりました)

 

 

 

 

CoCo「Newsな未来」(1991年4月10日発売)。

 

 

そしてそのカップリング曲、「幸せかもね」。

 

 

 

当時、東京の街なかを歩く際、この曲に限らず、なぜか、CoCoの曲が、「頭の中」に、絶えず流れていました。

 

 

そうしたことから、「CoCoと言えば東京」、「東京と言えばCoCo」という、ある種、「イメージ」のようなものが出来上がり、私にとってCoCoは、いつしか、「東京を象徴するアイドル」とも、なっていたのでした...。

 

 

 

 

 

そしてこちらも「懐かしい」...

 

 

 

「兄弟デュオ」、平川地一丁目の名曲で「メジャーデビュー曲」、「とうきょう」(2003年11月6日発売)...。

(ちょっと「記憶」から抜け落ちていましたが、思い出させてくれたおたまさん、どうもありがとう!!)

 

 

 

 

 

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中学生の時、「1週間」、伯母の家にお世話になった「名古屋」とは違い、本当に、「観光よりは、むしろ、ショッピングのためだけ」とも言える、私にとっての「東京」ですが、やはり時には、「観光もしてみたい」というのが、「本当のところ」でもあります。
 
 
 
もちろん、昨年10月25日公開、「日向坂46(4期生)」の映画、「ゼンブ・オブ・トーキョー」の影響もありますが...(笑)。
 
 
 
(「伯母」は、母の「実姉」ですが、「国鉄職員」だった「伯父」の仕事の関係から、名古屋の前は、実は「東京」に住んでいました。
 
私も、「幼少時」に、一度訪れてもいるのですが、さすがに「細かい」ところまでは、もう、思い出すことが出来ません...)
 
 
 
 
また、「余談」ですが、今回の記事を書くにあたり、昔の「DVDレコーダー」の、「おバカな漢字変換」(笑)を思い出してしまいました。
 
 
(いま、この記事を書いているパソコンも、時には、「おかしな」変換をすることがありますが...)
 
 
 
何しろ、「東京」、「京都」が「一発変換」出来ずに、「当今日」、「凶(狂)徒」などとなったりする...(「ロクでもねえ」...笑)。
 
 
 
まあ、「私の頭」も、先日の「さんいんせん」を、「参院選」ではなく、「山陰線」(笑)に「変換」してしまうのですから、これはもう、「ビョーキ」としか、言いようがないでしょう!!
 
 
 
そんなことを思ってしまったので、「笑い話」として、ここに書き残しておくことにいたします。
 
 
 
 
 
ありがとうございました。
 
 
 
それではまた...。
 
 
 
 
*去る7月9日、「女優」で「冒険家」の、和泉雅子さんが亡くなられました。
 
 
1986年7月31日~8月3日、ひとりで「首都圏3泊4日」という「大冒険」をした際、その「初日」に、「宇都宮」から「上野」(当時)に戻る東北新幹線「やまびこ」の車内で、和泉雅子さんの席が、私の「すぐ後ろ」だったことが思い出されます。
 
 
私の「旅行好き」、「冒険好き」には、もしかすると、和泉雅子さんの「影響」も、少しはあるのかも知れません。
 
 
少なくとも「当時」、彼女が「和泉さん」であると「認識」もしていたわけですから、われながら、「子どもらしくなかった」と思うことしきりです。
 
 
この場をお借りしまして、謹んで、和泉雅子さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
 
 
 
 
合掌...。
 
 
 
 
和泉雅子(1947.7.31-2025.7.09)
 
 
 
(daniel-b=フランス専門)