「発表当時」(1964年)の映像と思われます。

 

こちらの映像で、「80歳」の頃のものと思われます(「パレ・デ・コングレ2004」?)。

これでも「驚き」です。

 

続いては、2015年11月11日、母方の「祖国」である、アルメニア共和国の首都エレヴァンで歌った時の映像です。

 

「91歳」でした。

 

この翌年、6月の「来日公演」に行きましたが、私にとっては、「最初で最後」の「生アズナヴール」となってしまいました...。

 

こちらは、1964年の「オリジナル録音」です。

https://ameblo.jp/daniel-b/theme-10097399965.html(これまでの記事)

 

「10月1日」は、昨年、「突然の訃報」に驚いた、フランス・シャンソン界の「伝説的大歌手」、シャルル・アズナヴール(1924-2018)の「命日」です。

https://ameblo.jp/daniel-b/entry-12409439967.html?frm=theme(アズナヴール逝去の記事)

 

「10月」と言えば、まずジャック・ブレル(1929-78)が「9日」、エディット・ピアフ(1915-63)が「10日(11日)」、ジョルジュ・ブラッサンス(1921-81)が「29日」と、「シャンソン史」に名を残す、「伝説的大歌手」たちの「命日」が「続く」月でもあります。

 

そしてその中に、昨年、「シャルル・アズナヴール」の名前までもが入ってしまいました...。

 

シャルル・アズナヴールは、今やもう数少ない、「1920年代の生まれ」でしたが、そうとはとても思えないほどの「精力的」な活動を続け、この先、「100歳」でも「リサイタル」を開いてくれるのではないかというくらいの「勢い」すら感じていました。

 

先述の、ブレルやピアフ、ブラッサンスなどと「同じ時代」を生き、まさに「生き証人」とも言えたアズナヴール...。

 

「ライバル」であったり、または「恩人」であったりと、そう言えば、彼らもまた、「密接なつながり」があったことに、今さらながらに「驚かされ」ます。

 

今回は、そんなアズナヴールの「代表作」の1つで、世界的な「スタンダード・ナンバー」の1つともなっている、「hier encore "帰り来ぬ青春"」(1964)について、少し書いてみることにしましょう...。

 

「1964年」は、ブレルにとってはまさに「豊作の年」という話をよく書いていますが、この前年、1963年3月30日の、「カーネギー・ホール」(アメリカ、ニューヨーク)での「大成功」を機に、アズナヴールも、国際的な名声を「確立」していました。

 

1960年、アズナヴールは、フランソワ・トリュフォー監督(1932-84)の映画、「ピアニストを撃て」にて、主役、「エドゥアール・サローヤン/シャルリ・コレール」(「同一人物」)を演じました。

 

「原作」は、アメリカの「小説」で、デイヴィッド・グーディス(1917-67)が1956年に書いた作品ですが、そのこともあって、アズナヴールは、アメリカでもその名が知られるようになっていたのでした。

 

今回の曲、「hier encore "帰り来ぬ青春"」は、まさに、そうした「上昇気流」に乗っている最中に発表された作品です。

 

とは言うものの、発表当時は、それほど話題にならなかったとも言われています。

 

ところが、その2年後、アメリカで、ハーバート・クレッツマーによる英語詞が付けられ、「yesterday when I was young」というタイトルの歌となり、1969年、ロイ・クラーク(1933-2018)が歌ったことで評判となりました。

 

それ以降は、英米の一流歌手がこぞって採り上げたことから、いつしか「世界的大ヒット」となり、「日本語訳詞」も登場して、日本でも広く歌われるようになったのです。

 

その、ロイ・クラークの録音がこちらです。

「日本盤」のタイトルは、「思い出のかなたに」となっているようです...。

もちろん、アズナヴール自身による歌唱もあります。

 

「hier encore "帰り来ぬ青春"」の原題は、「昨日はまだ」という意味で、「私は、昨日はまだ20歳だった...」という歌い出しですが、そうして「ムダ」に生きて来たことを「後悔」する内容で、「しみじみ」と歌われています。

 

詞・曲ともにアズナヴール自身の手によりますが、シャンソンの翻訳を数多く手掛ける朝倉ノニーさんが、「興味深い」コメントを書いていらっしゃいます。

 

それによると、アズナヴールは、1968年1月から3月までのオランピア劇場公演の際、1956年に発表された名作、「sa jeunesse...entre ses mains "青春という宝"」が、実は、「25年前」、つまり、「1942年頃」に書かれた作品であるとコメントしたということです。また、

 

「25年の間に、同じインスピレーションで2つの曲を書くことは"あり得る"ことだ。私は今夜、2つをつなぎたいと思う。"14年の開き"があるこの2つを」

 

ともコメントし、今回の「hier encore "帰り来ぬ青春"」は、実際には、「1956年頃」に書かれたことを「示唆」し、歌ったということです。

 

朝倉ノニーさんは、アズナヴール自身が、この2曲を、「一対のもの」として意識していることが「確認出来た」とコメントしています。

 

なかなか「興味深い」話ですよね。

 

「sa jeunesse...entre ses mains "青春という宝"」を、2015年の「パレ・デ・スポール(ドーム・ド・パリ)公演」からの映像でどうぞ。

 

思えば昨年、5月の公演直前に、「骨折」のため、急きょ来日が「キャンセル」となったシャルル・アズナヴール...。

 

私は、「東京公演」のチケットをあらかじめ入手していたにもかかわらず、「9月」となった「振替公演」では、日程の都合がつけられず、やむなく、「払い戻し」となってしまいました。

 

「94歳」という「高齢」での来日は、やはり、見えないところで、彼の身体に「ダメージ」を与えていたのでしょう。

 

私は「行けなかった」のです...。

 

その「最後の勇姿」を見ることが「出来なかった」のが、今でも悔やまれます。

「心残り」です...。

 

 

「今年」はと言えば、9月26日、「知日派」でも知られた、ジャック・シラク元大統領(1932-2019)が逝去されました。

 

「EU(欧州連合)」の発展のために「多大な尽力」をされた方だと思います。

 

2005年の来日の際は、「愛知万博」にも立ち寄られましたし、「日本人」が「敵役」となった、2000年の映画「TAXi2」では、何と、最後に画面に「登場」もしていましたね。

 

この場をお借りして、ご冥福をお祈りしたいと思います...。

 

 

以下に、「hier encore "帰り来ぬ青春"」の歌詞を載せておくことにいたしましょう。

 

今回の訳詞は、2016年に、「来日記念盤」として発売された「日本盤」(「アズナヴール・ベスト40」)に掲載の、梅原英正さんのものを、そのままお借りしています。

 

それではまた...。

 

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hier encore  帰り来ぬ青春

 

hier encore j'avais vingt ans

je caressais le temps

et jouais de la vie

comme on joue de l'amour

et je vivais la nuit

sans compter sur mes jours

qui fuyaient dans le temps

j'ai fait tant de projets qui sont restes en l'air

j'ai fonde tant d'espoirs qui se sont envoles

que je reste perdu ne sachant ou aller

les yeux cherchant le ciel

mais le coeur mis en terre

 

つい昨日まで僕は二十歳だった

美しい時を過ごし

人生をもてあそんでいた

人が恋と戯れるように

夜の生活を送っていた

どうせ過ぎ去る日々のことなど

おかまいなしに

多くの計画は宙に浮き

抱いていた希望も飛び去り

行く当てもなく僕は途方に暮れる

眼は天を求めていても

心は地に埋もれている

 

hier encore j'avais vingt ans

je gaspillais le temps

en croyant l'arreter

et pour le retenir meme le devancer

je n'ai fait que courir

et me suis essouffle

ignorant le passe conjuguant au futur

je precedais de moi, toutes conversations

et donnais mon avis que je voulais le bon

pour critiquer le monde avec desinvolture

 

つい昨日まで僕は二十歳だった

時を無駄にしていた

それを止められるものと信じ

(時を)捕まえようと、さらに追い越そうと

ただ走り続けて

息を切らせた

過去を無視して未来を語り

あらゆる会話に夢中になり

自分の考えを押しつけ

生意気に世界を批判していた

 

hier encore j'avais vingt ans

mais j'ai perdu mon temps

a faire des folies

qui ne me laissent au fond

rien de vraiment precis

que quelques rides au front

et la peur de l'ennui

car mes amours sont mortes avant que d'exister

mes amis sont partis et ne reviendront pas

par ma faute j'ai fait le vide autour de moi

et j'ai gache ma vie et mes jeunes annees

du meillleur et du pire

en jetant le meilleur

j'ai fige mes sourires

et j'ai glace mes pleurs

 

qui sont-ils a present

a present mes vingt ans?

 

つい昨日まで僕は二十歳だった

しかし自分の時間を

馬鹿げた振る舞いや

結局は何にもならない

無駄なことをして失い

残ったものは、額のしわと

倦怠への怖れだけだった

いくつかの恋は生まれる前に死んだから

友人たちは去ったきり戻らないだろう

これも自ら招いた孤独

人生も青春も棒に振り

あらゆることから

見放され

笑うこともできず

涙さえ出ない

 

どこに行ってしまったのか

僕の二十歳の頃は今どこに?

 

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(daniel-b=フランス専門)