おだんご日和 -13ページ目

おだんご日和

Dango茶屋・いちのせの徒然記

 

「なんで本公演って、面白くないのだろう?」

 

 演劇の話です。

 

 当時、佐賀市では、フロンティアというライブハウスで「金曜ショー劇場(以下、「金ショー」と表記します)」という短編演劇の公演が開催されていました。年によって違いますが、夏から秋にかけて、毎週だったり、毎月だったりしながら、足かけ18年に渡って、2016年まで続いた活動です。

 私自身も金ショーで、おそらく何十という団体・個人による、何十本という短編演劇を見ました。面白いものもたくさんあり、特に終了間際の数年間は、まさにハズレなしの状態だったそうです。

(残念ながら、私自身は、最後の数年間は自分自身の脚本と格闘していた時期と重なり、見ていない公演が多くなってしまいました)

 金ショーで面白い劇団や役者を見つけると、追いかけるように別の公演を見に行ったりもしました。

 

 当時、佐賀の役者さんの活動は、大きく2種類に分けられていたと思います。劇団の枠を超えてシャッフルされたユニットによる短編演劇「金ショー公演」と、劇団主催で大きな会場を借りての長編演劇「本公演」です。そして、「金ショー公演」であんなに面白かった劇団・役者が、「本公演」では、イマイチぱっとしないという事が何度もあり、私は「なんで本公演って、面白くないのだろう?」と不思議に感じていたのです。

しかし、あまり深く考えることはなく、「舞台との距離感の問題だろうか?」などと、なんとなく自分を納得させていました。

 

 ここでまた、脚本の話に戻ります。

 

 脚本の勉強のつもりで、関係のありそうな本を読み漁っていました。

 そのうちの一冊「ピクサー流 創造するちから」という本を読んでいて、次のような一節が心に残りました。(ピクサーとは、「トイストーリー」「モンスターズインク」「アナと雪の女王」「ズートピア」などのCGアニメーション映画を作っている会社です。・・・説明するまでもないか?)

『ピクサーは短編映画からはじまった会社で、長編が主な収入源になった現在も短編映画を作り続けている。その理由はいろいろあるけれど、最初は「短編映画を作っているうちに、長編映画を作れる人材が育つのではないか」という意図があった。しかし、実際に作り続けてみると、短編映画と長編映画を作る才能はまったく別物だとわかった。短編映画を作ることで、技術的なノウハウは蓄積されたが、短編映画の名手が長編映画の名監督となることはなかった』

 詳細は違いますが、大体こんな内容でした。

 この一節は、私の心の奥底にずっと残り続け、事あるごとに浮かび上がってきたのですが、うまく捉えることができず、すぐにまた奥底に沈んで行きました。言葉の意味は理解しているのだけれど、それを実感できていない、言葉の概念を捉えきれていないような感覚です。

 

 脚本が書けないので何かきっかけをつかもうと、テーマを決めて、特撮やらアニメやらも見ていました。

 

 合成や特撮の基本を確認するために、初代ウルトラマンを見直したり(合成ラインの選び方とか、カメラ移動と爆発のタイミングとか、今見てもすごいです)、物語の始め方を学ぶために、プリキュアシリーズや戦隊シリーズの第1話だけを大量に見てみたりしました。(初代プリキュアの第1話の完成度がすごくて衝撃を受けました。トッキュウジャーの第1話もどこかノスタルジックで良かったです)

 

 また、時系列的には前後しますが、大量の自主制作映画を見る機会にも恵まれました。

 2010年に、佐賀県主催で「日韓ムービーアワード」というコンペティションが開催されたのですが、当時の私の職場は、大量に送られてくる作品の画質チェック(当時はテープが主流だったので審査員に見せる前にチェックして、テープに傷があると応募者に再送を依頼していました)をすることになり、数か月間、とにかく自主製作映画を見続けました。

 玉石混交でしたが、どれも興味深く、勉強になりました。しかし、アニメや自主制作映画を見たからといって、それで脚本が書けるなんてことはありませんでした。

 

 いろいろもがきつつ、何かをつかんだと思って脚本を書き始めては、捨てるを繰り返しました。

 

 何年間も前に進むことができず、にっちもさっちも行かない沈んだ気持ちで、ふたたび信頼している人にこれまでの経緯と、自分の思いを話しました。話を聞いたその人は「死ぬまでにあと1作、仕上げればいいじゃないか」と言いました。

 その時、私の心はさぁーっと凍りつきました。

「ああ、この人は私の作品が完成することを期待していないんだ」

「私の作品を待ち望んでいるわけではないんだ」

 その人が、私を何とか元気づけようとしてくれたのだろうというのは、わかりました。「あまり気に病まず、もっと大らかに作品づくりをしてはどうか」という意味だったのかもしれません。

 しかし、その時の私はそういう捉え方をできない状態で、その人とは、2カ月くらいまともに口をきけませんでした。その人がしゃべっているのを見ると「この人は私の作品を待っていない人なんだな」としか思えなかったからです。

 

 8年間、新作を作らないというのは、その間ずーっと期待を裏切り続けているのと同じなのだとも思いました。8年間、裏切られ続ければ、そりゃあ期待するのをやめても仕方ありません。

 

 ほとほと困り果てていた時、塩田明彦さんという映画監督の『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』という本に気になる一節がありました。大体、次のような意味合いです。

 

『長編と短編はまったく違うノウハウで作られている。短編は思想がなくても作れるが、長編は思想がなければ作れず、思想とは中身のことである』

 

 

(つづく)

 

 さて、はじまりは9年前になります。

 

 私は、「高橋宗太郎と雨の殺人事件(以下、「雨」と表記します)」を公開してから、不安と無力感に苛まれていました。シアターシエマでの公開こそ、たくさんの方に来場していただいたものの、その後に出品したコンペでは軒並み落選していたからです。

 

 前作にあたる「高橋宗太郎と地獄の古本屋(以下、「古本屋」と表記)」は、メジャーコンぺでこそ白星はありませんでしたが、地方主催のビデオコンテストや小規模なアニメーションのコンぺでは最低でも入選、入賞や優勝もありました。その数倍のクオリティで制作し、自信を持って公開した「雨」が黒星の連続で、私は自分の制作ノウハウを根本から見つめ直す必要に迫られていたのです。

 

 何度か編集を繰り返し、切ったり貼ったりしたけれど、少々クオリティが上がったくらいで、作品が良くなったという感じはしませんでした。非常につらいことだけれど、「雨」は根本的に間違っていて、それは編集や手直しでどうにかなるものではないと認めざるを得ませんでした。

 では、根本的な間違いとは何だったのか?

 最初に思いついたのは「脚本」でした。いくつかの「脚本作りのテキスト」を読み漁り、「雨」の脚本を場面ごとに分解して検討しましたが、その時は正直に言って、そんなに悪い脚本だとは思えませんでした。

 悩んでいる中で、何人かの信頼できる人に相談すると、いつも「そんなに悩まずに、思うままに、のびのび作ればいいじゃない」という答えでした。思うままに、のびのび作った作品がダメかもしれないと悩んで、相談しているのに・・・。

 

 まぁ、たしかに悩んでいても仕方ないし、脚本作りのテキストも読んで、それなりに新しいノウハウも得たつもりでした。

『よくわかんないけど、とにかく「雨」は脚本が悪かったんだ。気晴らしに短編演劇でもやってみよう!』

 私は、数本の短編演劇を作・演出し、自信を取り戻しつつ、次回アニメーションの構想を練り始めました。思いつくままに複数のプロットを書き上げ、見込みのありそうなプロットは数ページのマンガに書き起こしてみました。

 そうやって、アイディアが取捨選択され、良いものだけが残って、組み合わさり、それなりのプロットと場面のイメージが固まって行きました。ますます自信を深めつつ、脚本に仕上げようとした時、困ったことが起こりました。

 

「あれ?ぜんぜん面白くならないぞ」

 

プロットの時点で良かったはずのものが、脚本にしようとすると、途端に輝きを失ってしまいます。

 仕方がないので、一旦プロットに戻って、登場人物を整理し、シーンを組み直して、ふたたび脚本にしようとするのですが、やはり面白くなりません。これを数年間、幾度となく繰り返しました。

 

 その間も、短編演劇を作ったり、短編アニメーションを作ったりはしていました。特に、短編アニメーションは1年に1作のペースで作り続け、作品ごとにノウハウを蓄積していたつもりです。

 しかし、ある程度の長さがあり、物語性のあるアニメーションを作りたい、という思いは募って行きます。思いは募るのだけれど、脚本になりません。

 

 そんな日々を過ごしつつ、それとはまったく別の疑問が私にはありました。

 

「なんで本公演って、面白くないのだろう?」

 

 演劇の話です。

 

 

(つづく) 

 

 私は演劇が好きで、時々、佐賀市内の地方劇団の公演を見に行きます。

 ここ数年は、自分のアニメーションの脚本を書くのに精神力を使ってしまい、なかなか演劇を見たいと思えなかったのですが、最近ちょこちょこ見に行くようになりました。

 できれば短編を見たいのですが、金曜ショー劇場が終わってからは、長編、いわゆる本公演しか見られないので、残念に思っています。

 本公演が面白かったという経験が私には、ほとんどありません。20~30代の頃は、そのつまらなさを肴に酒を飲んだり、ブログを書いたり、自分がアニメーションを作る時の勉強になったり、いつか面白い作品に出会えるかもしれないという期待もあったり、それなりの楽しみを見い出していたのですが、最近は齢のせいか「観劇疲れ」の方が先に来てしまうので、観劇自体を避け気味です。

 アンケートも正直に書く方なので、申し訳ないな、傷付けてしまうだろうな、と思いつつ「あまり面白くなかった」とか書いてしまって、風のウワサで、やっぱり傷ついたらしいと聞いたり、だったら見なけりゃ良かったと、こっちも後悔したりするわけです。

 好きなだけに、愛憎があって、文章にすると辛辣になってしまうのです。

 

 しかし、ウソをついて「面白かった」とも書けないので、なぜ面白くなかったのかをきっちり書きたいと思うと、私がどのような基準で劇を見ているのか、それはナゼなのか、どういう経緯でそのような基準を持つに至ったのか、あれやこれやを事前に説明しなければ、意図が伝わらず、「あんまり好みじゃなかったんだね」で終わってしまう気がする。

 また、自分自身の表現手法であるアニメーションや映像、脚本についても触れざるを得なくなる。

 そうなると、「誰がこんなもん読むんだ?」という長文になってしまいます。

 

 私の評価基準を明確にするため、そして私自身の考えを整理し、記録する意味を込めて、長い長い説明文を書いてみたいと思います。つまり、読まれることを期待するのではなく、私の備忘録というコトです。

 また、演劇に限らず、映画、本、アニメ、特撮、現実での出来事、私が目を通したあらゆる事柄をネタバレ・批判・思い込みしまくりながら引用して説明することになるので、そういったことが苦手な方は読まない方が良いだろうと思います。

 更に、すべてが「私の視点」で「私中心主義」に書かれる「私語り」になると思われますので、私の活動とか、作品とかに興味がない方には意味不明で不快な文章になると思います。ご注意ください。

 

 それでも読んでみようという方がいらっしゃれば、私としてはそれだけでうれしいことです。

 まぁ、最近はブログをほとんどアップしておらず、読んでいる人もいないと思うので、苦情が来ることはないだろうと安心してはおりますが・・・。

(苦情が来たら、むしろ嬉しいかも)

 

 さて、はじまりは9年前になります。

 

 私は、「高橋宗太郎と雨の殺人事件(以下、「雨」と表記します)」を公開してから、不安と無力感に苛まれていました。シアターシエマでの公開こそ、たくさんの方に来場していただいたものの、その後に出品したコンペでは軒並み落選していたからです。

 

 前作にあたる「高橋宗太郎と地獄の古本屋(以下、「古本屋」と表記)」は、メジャーコンぺでこそ白星はありませんでしたが、地方主催のビデオコンテストや小規模なアニメーションのコンぺでは最低でも入選、入賞や優勝もありました。その数倍のクオリティで制作し、自信を持って公開した「雨」が黒星の連続で、私は自分の制作ノウハウを根本から見つめ直す必要に迫られていたのです。

 

 

(つづく)

安倍内閣の支持率が下がっていて、新聞、テレビ、ネットでもいろいろと分析がされているけれど、あんまり的を得ていないのではないかと思っています。

 

安倍さんは信用をなくしてしまったのだけれど、その原因は森友とか加計とかにあるのではなく、今までの政策で「ああ、この人は目的のためなら、法律ギリギリの手段でも躊躇なくやる人なんだな」ということが浸透してしまったからではないかと・・・。

例えば、「異次元の金融緩和」というのは一瞬、名案のように感じるけれど、3分間考えると「実体経済が盛り上がっていないのに、そんなことして大丈夫なのかな」と不安になるようなギリギリ感のある手段です。

集団的自衛権については、憲法改正という手続きを踏まずに「憲法解釈の変更」という違法なのか脱法なのかよくわからないギリギリの手段を使いました。

共謀罪では委員会での採決をすっとばして「中間報告」という、違法じゃないんだろうけれど納得しにくいギリギリの手段を使って成立させてしまいました。

 

安倍さんの取った手段は、どれもこれも違法とは言い切れないし、日本のことを思ってやっているのかもしれないけれど、どうにもスッキリしない、ギリギリの連続でした。

それでも今まで支持率が下がってこなかったのは、「しかし、それもきっと日本のためを思って、苦渋の気持ちでやっているのだろう」と・・・支持者の方々は、安倍さんの心中を(あんまり言いたくないけれど)忖度してきたのだと思います。

 こうやって、5年をかけて、ゆっくり深く「ああ、この人は目的のためなら、法律ギリギリの手段でも躊躇なくやる人なんだな」という印象が浸透したところで、「もしかして、自分の取り巻きのためにも、法律ギリギリの手段を使っていたんじゃないか?」「もしかして、日本のためじゃなくて、身内のためにやってたんじゃないか?」という疑いをもたれてしまったのが、今の状況なのではないでしょうか。

 

 もしそうだとしたら、安倍さんが「モリにもカケにも、自分は違法なことをしていない」と証明できたとしても、支持を取り戻すことはできないような気がします。だって安倍さんが違法なことをしないのは、すでにみんな知っているからです。

 そして「違法なことはしないけれど、法律ギリギリのことはする」ということもみんな知っているワケですから、これは違法・適法を判断しているのではなくて、「身内のために法律ギリギリのことをする可能性のある人は、違法じゃないけど念のために排除しておいた方が良いだろう」という、よく基準のわかない、感覚的な判断ということになるのではないでしょうか。

 

 今、安倍さんを批判する人はモリ・カケ問題の違法性や不正義を糾弾するし、擁護する人は「一点の瑕疵もない」「マスコミと野党のキャンペーンだ」というけれど、どちらも根本を見誤っていて、つまるところ安倍さんは過去の政権運営を総合的に評価され、判断されようとしているところなのだと思います。

 過去を評価した上で現在を判断しているので、新しいニュースが出て来るたびに、支持者は「安倍さんの正しさを証明する新証拠だ!」と言い、批判者は「また新しい疑惑が出てきた!」と言います。それぞれがすでに下している評価に合わせて現在のニュースを判断しているので、こんなことになってしまうのでしょう。

 

 私の予想では、安倍さんは余程のことがない限り、排除されるでしょう。違法なことはしていないけれど、怪しい感じがするから排除する・・・つまり「国民は安倍さんを念のために排除する」と思います。

 排除の後、安倍さんのことを支持する方は、きっと「冤罪だった」「マスコミのキャンペーンだった」「アメリカの陰謀だった」と言うでしょうけれど、それは空しい叫びにしかならないと思います。排除の理由は、違法・適法とは別のところにあるからです。

 ところで、この『念のために排除する』というのは、実は怖ろしいことなのではないか・・・と思っています。

 

違法なことはしていないけれど、「念のために排除された政治家」は、安倍さんが初めてではありません。当時、民主党の党首だった小沢一郎さんもいわゆる陸山会事件で容疑がかけられ、当時、政権交代目前だった民主党の中枢から排除されてしまいました。その後、無罪が確定したけれど、総理の席に座ることはなく、政治の表舞台からは遠ざかったままです。

言い方を変えると、「国民は政治の表舞台から、小沢さんを念のために排除したままです」

 

私が戦慄するのは、「念のために排除する」という考え方が、「いわゆる共謀罪」の思想と通底しているからです。私のつたない推理が仮に当たっているとしたら、安倍さんは自分が通した法律の思想によって排除されるのだと言えます。また、「念のために排除する」という考え方は、どこかで「多様性・異論を認めない」という全体主義ともつながっているように私は感じます。

 

与野党の有力政治家を、国民が「念のために排除する」のだとしたら・・・と考えて、私は何か不安な、ぞっとするような気分になりました。

 

「もしかして私たちは、目的のためならば『念のために排除する』ことも躊躇なくやる人たちなんじゃないか?」

「共謀罪とは、私たちの中にある『念のために排除する』という思想を、法律によって実現しただけなのではないか?」

今、私はそのように疑っています。だとしたら、安倍さんという「法律の実現者」がいなくなることで、思想はむしろ剥き出しになって、私たちの中から吹き出してくるのではないかと不安を感じています。

決して、そうなって欲しくないし、そうならないように私なりの努力や判断、行動をしていかなければならないかもしれないと思っていて、「それはしんどいなぁ」とも思っています。

 

安倍さんは近々、国会で説明し、内閣を改造するそうです。(※この文章は、いわゆる「閉会中審査」の前に書いたものです)

何とか支持を取り戻そうとして右往左往している安倍さんの姿は、まるで童話に出て来る「きまぐれな王様に必死の命乞いをする哀れな大臣」を見ているようで、「王様は誰なのだろう?」「罪状は何なのだろう?」「ずる賢い大臣がいなくなった後、きまぐれな王様はいったい何を始めるのだろう」と、何とも言えない気分になるのです。

 

まぁ、私の予測は外れることが多いので、何ともならず、何となく、大事にはならずに過ぎて行くのではないかと期待しています。

 

 

 

「ポケモンGOはスゴいなぁ」と、思います。

 

やったことない私が「スゲェな」と感じるくらいだから、ホントにスゴいのでしょう。

でも、ネットでの評価を見ていると、その「スゴさ」をうまく消化できずに、的外れな論評をしているものもあるんじゃないか・・・。

的外れな論評は、大きくまとめると4つくらいに分かれるでしょうか。(ワタシ調べ)

 

①「野外に出たら、ポケモンGOより楽しい遊びはたくさんあるだろう」

②「独自開発ではないので任天堂の利益は、ほとんどない」

③「野外で変なことするんじゃねぇよ」

④「ゲーム性が低い」

 

これらの論評に反論する形で、私なりの「ポケモンGOのすごさ」をまとめておこうと思います。

(やったことないので誤解してる部分もあるかもしれませんし、遊んでないヤツにそんな資格があるのかという根本的な問題もありますが・・・)

 

 

 

①「野外に出たら、ポケモンGOより楽しい遊びはたくさんあるだろう」

 

これに対して任天堂が何と答えるか・・・私が想像するに・・・ 「ホントですよね~」 と全面的に賛同するでしょう。たぶん。

 

そもそも任天堂は「テレビゲーム屋さん」ではなく、「おもちゃ屋さん」もしくは「玩具メーカー」なんですね。

昔は花札とか、トランプとかを作っていたそうですし、ラブテスター(カップルの愛情の深さを測るという触れ込みのおもちゃ)とか妙なものも作っていたらしいです。

(世代的に、現物を見たことはありません)

 

だから任天堂自身は、世間が思っているほど「テレビゲームという形」にこだわってない。

 

むしろ、「ガキは外で遊べ!」と思っている節もあります。

 

ファミコン全盛で、各社が据置型ゲーム機の性能向上にしのぎを削っていたころ、突然モノクロ液晶で性能も低い「ゲームボーイ」をぽーんと発売してヒットさせました。

(今思えば、「いつでも、どこでもゲームができる!」という子どものニーズを満たしつつ、「居間のテレビを、ファミコンとガキどもから取り戻す!」という大人のニーズにも合致していたから、大人はゲームボーイを買い与えたんじゃないかと思います)

ゲームボーイ以降、「公園やら公民館やらで子どもがゲームをしている」という風景が見られるようになりました。

ともかく、子どもを外に出すことには成功したわけです。

 

たまごっちが流行すると、万歩計の機能を付けた「ポケットピカチュウ」を発売して、「ガキども!外で歩け!走れ!」と無言の圧力をかけていました。

これはあんまりヒットしなかったけれど、ともかく歩かせようという努力はした。

 

「ポケットモンスター ルビー&サファイア」の説明書でも、「ゲームばっかりやってないで世の中を知れ!他人に目を向けろ!」というメッセージを送っています。

 

※「さすがは任天堂!13年前のポケモンの説明書きに込められた願い」の記事

http://buzzmag.jp/archives/51370

 

「外に出ろ!歩け!世間を知れ!」と説教したら子どもは逃げ出すけれど、ポケモンGOなら、外に出て、歩いて、世間を見て回るのです。嬉々として。

子どもだけじゃなくて、大人まで。

 

これは、絶対に「スゴいこと」だと思います。

 

 

 

・・・続きは、またそのうち。