では、「長編の骨格」とはどういうものなのか?
おそらく、長編と言っても、いろいろな書き方や、いろいろな骨格があり、何が正しいとは言い切れないと思います。
私は短編を書きつづる内に、いつしか長編を書きたいと思うようになった人間なので、短編との比較でしか「長編とは何なのか」「長編はどう書くべきなのか」を考えることができませんでした。
短編との比較で考えますので、繰り返しになりますが、まずは私の考える「短編の骨格」を再度確認します。
この「短編の骨格」を応用しつつ、発展させたのが、次のような「長編の骨格」です。
長編とは、短編の間に「エピソードA・B」を挟み込んだものというのが、私の解釈です。100分の長編ならば「エピソードC」を書き足し、120分ならば更に「エピソードD」を書き足すと考えます。
または、エピソードがあるのが「長編」であり、エピソードがなくても成立するのが「短編」である、と言い換えることもできるでしょう。つまり、前述の「短編の骨格そのままに書かれた長編」は、何時間あろうと「長い短編」であって、長編ではないのです。
そして、長編を書く上で確認しておかなければいけないのは、「短編と長編では、『起』と『結』それぞれが果たすべき役割も違っている」という点です。短編における「起承」は、長編の「起」に包含されており、短編における「転結」は、長編の「結」に含まれています。
(更に気を付けなければいけないのは、『短編の「起承」と、長編の「起」は、時間的な長さが、ほとんど変わらない』という点です。これは主要登場人物の人数や役割にも関わってくるので、後ほど詳しく考えます)
脚本の構成で考えると、長編における「エピソード」とは、起承転結の「承転」であり、先に説明した「中身 = 承転 = 思想」に追加するならば、
「中身 = 承転 = 思想 = エピソード」と、いうことになります。
しかし、「思想=エピソード」とは、どういう意味なのか?
そんなことがありうるのか?
(つづく)


