おだんご日和

おだんご日和

Dango茶屋・いちのせの徒然記

DANGO茶屋 (だんごぢゃや) http://www.dangodyaya.com

アニメーションクリエイター・一ノ瀬 輝とデザイナー・山高紀子のコンビによる映像製作集団です。
主に立体アニメーションの映画を製作しています。

他にグラフィックデザイン、実写ドラマ、演劇の脚本や演出などの活動も行っています。

活動拠点の佐賀では、自主制作の映像作家を集めた上映会なども企画・運営しています。

Amebaでブログを始めよう!

 

 

「映画ドライブベッド Web配信版」を鑑賞

 劇場で観た時は、がっかりした「映画ドライブヘッド」をGyaoの無料配信で鑑賞した。

 月に1回ずつ、4回に分けて配信されたものを少しずつ鑑賞したのだけれど、気のせいか、劇場版より絵が良くなっている気がした。

 私の勘違いだろうか? それとも、劇場で見るとハードルが上がってしまうのだろうか? 分割して見たせいで感覚が変わってしまったのだろうか?

 もし、作画を直したのだとしたら、良心的だと思う。(ちなみに、Web配信版には、シンカリオンの登場シーンはありません)

 もう少しドライブヘッドを見ていたくなりました。

 それにしても、新キャラの「テラ」は魅力がない。

 TV版の最終回から考えれば、テラは子どもたちの純真さや正義の心に触れて、改心するという展開になるべきではないだろうか?

 ・・・と、思っていたけれど、どうやらそうはできない事情があったのかもしれない・・・。(で、シンカリオンへ続く)

 

 

「新幹線変形ロボ シンカリオン」を鑑賞

 すでに、世間で言われているように、シンカリオンの醍醐味は、エヴァンゲリオンのパロディ、初音ミクの出演、数々の鉄道ネタなど、そのマニアックさです。

 シンカリオンの運転手たちは、カワイイ「萌え」系の絵でごまかしているけれど、全員なかなかのオタクぶりで、特に主人公のハヤトくんは、正直に言って、イタイ系の鉄道オタクです。しかし、そんなハヤトくんが戦いの中で「戦いは言葉のないコミュニケーションだ」と気付き、敵と心を通わせて行く姿は、男子児童向け作品特有の「燃え」があります。

 在野アニメ評論家 エフヤマダ氏の言うところの、『「萌え」を超える「燃え」』がこれなのかなと思います。

 しかし、この「敵と心を通わせる主人公」という展開は、私が「映画ドライブヘッド」に期待していたものでもあります。

 「シンカリオン」と「ドライブヘッド」は、どちらもタカラトミーのおもちゃをアニメ化したもので、放送時間も同じ、いわば兄弟作品です。(「ドライブヘッド」の後番組が「シンカリオン」)

 もしかすると映画ドライブヘッドは、同時期に放送中のシンカリオンに遠慮して、「敵と心を通わせる主人公」という展開を、あえて封印したのではないか?・・・と、ドライブヘッドびいきの私は思ってしまうのです。

 

 

 

 

 

 今更ながら、「半分、青い」を振り返りたくなりました。

 ネット上には、アンチの方もいたようですが、我が家は十二分に楽しみました。(特に妻は)

 ストーリーが暗いという意見もあったようですが、「純と愛」に比べたら、断然明るいです。(ちなみに妻は「純と愛」も好き)

 

 ただ、ところどころ引っかかるところがあって、何なのかなぁと思いつつ、よくわからないでいました。

 

 先日、気付いたのだけれど、「半分、青い」は、そのストーリーや登場人物たちの根本原理に「金(生活のたし)にならないことは、やったらイカン!」という強固な意志がある。

 明確に言葉(セリフ)としては表現されていないけれど、だからこそ自明の原理として、登場人物たちの行動を縛っているのではないか。

 

 主人公が漫画家を辞めるか、悩んでいる時に、誰ひとりとして「プロの漫画家じゃなくても、漫画は描けるよ」とは言わない。

(同じ朝ドラの「ちりとてちん」の時は、落語家を目指す主人公に「落語家にならなくても落語をやることはできるんやで」と言ってくれる先輩落語家がいた)

 このドラマの中で、主人公が何かを始める時は、いつも生きるか死ぬかの賭けとして描かれ、主人公はいつも賭けに負けて、落ちぶれて行く。

 人生を賭けるのではなく、もっと気楽に、のんびりやって行く方法もあるんじゃないかと、私なんかは心のどこかで思っていたのだろう。

 稼げないことを一生懸命やって楽しんでいる人をたくさん知っているので、「稼げないことをやっちゃいけないって道理はないだろう」と。

 

 ・・・と言いつつ、稼げないことを一生懸命にやって、疲れ果てて、やせ細って行く人もたくさん見てきたので、「半分、青い」の言い分もわかるけれど。

 脚本家の人生観が出ているのだろうか。

 

 

 

 

 うちの妻が気付いたことなのだだけれど・・・。

 

近所のゴミ捨て場に、カラスがエサを漁りに来る。

金網の隙間にクチバシを突っ込んで、ビニール袋を引っ張り出し、散らかすのだ。

しかし、それは冬場だけで夏にはいないと妻が言う。

カラスも夏場に生ゴミを食うと腹を壊すのかと私が言ったら、そうではないと妻が反論した。

「ゴミを漁るかわりに、セミやらザリガニやらを食べているみたい。時々セミの断末魔が聞こえてきたり、道路にザリガニのツメが落ちていたりするよ」

 

言われてみると、夏場は川の近くにザリガニの赤い爪のかけらが良く落ちている。カラスがセミを食っているのはよく見かける。

どうやら、カラスだって、好き好んでゴミを食ってるわけじゃないようだ。

できることならセミやらザリガニやらを食って暮らして行きたいのだ。

 

なんか知らんけどせつない気分になった。

 

 

 

 

 話題になっていたので、最初の1話をネットの追いかけ配信で見た。

 なんじゃこりゃ、という感じで面白かったので、それから毎週、見逃し配信を楽しみにしていた。

 

 毎週きっちり見たアニメ作品は何年ぶりだろうか?

 とても面白かったけれど、放送終了後の数カ月で世間から忘れられてしまったのにも驚いた。

 多分これが、現代のテレビアニメの消費ペースなのだろうけれど、リアルに体験したのは初めてだったので衝撃を受けた。

 

 この消費スピードの中からごく少数の作品が「劇場版」やら「第2シーズン」やらにコマを進めつつ、数年間の命脈を保つのだな。

 作品(今風に言うとコンテンツ?)の売り方として、こういう多死多産が本当に良いのか・・・しかし、多死多産の環境だったからこそ、ポプテピピックが誕生する余地があったのも事実なのか・・・。

 押井守監督もインタビューで、娯楽作品の多死多産の必要性を説いていたし・・・いや、ホントのところは知らんけど。

(多死多産だと、とりあえずスタッフは仕事がつながるので、産業として残って行くというところは絶対あると思うけれど)

 

 

 

「シュガーラッシュ」を鑑賞

 子どもと一緒に、お風呂に入りながら2日に分けて鑑賞した。

 とても面白かった。

 最初の30秒で何をモチーフにしたアニメーションなのかがわかり、

その3分後には主人公の抱える問題がわかり、

10分後にはストーリーが転がり始めて、あとはエピソードのつるべ打ちになっている。

 伏線が張られ、サイドストーリーもあり、どんでん返しで悪者が明確になって、主役の自己実現と悪者退治でスッキリして終わる。

 まったく隙がない。スピード感が違う。

 こんなものを見ながら育って行く子どもたちは幸せだ。

 

 
「ビッグアイズ」を鑑賞

 これもシュガーラッシュと一緒で、物語の立ち上がりが早かった。

 このスピード感が、最近の映画のスタンダードなのだろうか?

 前半は、夫婦の意識のすれ違い、女性の社会的自立、芸術家と商業主義の関係、芸術性やオリジナリティなど複雑なテーマの映画だと思っていたのだけれど、後半は夫側を悪者にすることで「すっきりエンターテインメント」になっていた。

 実録物らしいので、実際このとおりだったのかもしれないけれど、前半で立ち上げたテーマのいくつかが後半は放り投げられた感じになっている。私は気になるほどではないと思ったけれど、ネット上のレビューを読んでみると、気にしている人も多いようだった。

 それでも、そつなく面白いのは、さずかティム・バートン監督という感じ。