演劇と脚本に関する私論の試論(第3回) | おだんご日和

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Dango茶屋・いちのせの徒然記

 

「なんで本公演って、面白くないのだろう?」

 

 演劇の話です。

 

 当時、佐賀市では、フロンティアというライブハウスで「金曜ショー劇場(以下、「金ショー」と表記します)」という短編演劇の公演が開催されていました。年によって違いますが、夏から秋にかけて、毎週だったり、毎月だったりしながら、足かけ18年に渡って、2016年まで続いた活動です。

 私自身も金ショーで、おそらく何十という団体・個人による、何十本という短編演劇を見ました。面白いものもたくさんあり、特に終了間際の数年間は、まさにハズレなしの状態だったそうです。

(残念ながら、私自身は、最後の数年間は自分自身の脚本と格闘していた時期と重なり、見ていない公演が多くなってしまいました)

 金ショーで面白い劇団や役者を見つけると、追いかけるように別の公演を見に行ったりもしました。

 

 当時、佐賀の役者さんの活動は、大きく2種類に分けられていたと思います。劇団の枠を超えてシャッフルされたユニットによる短編演劇「金ショー公演」と、劇団主催で大きな会場を借りての長編演劇「本公演」です。そして、「金ショー公演」であんなに面白かった劇団・役者が、「本公演」では、イマイチぱっとしないという事が何度もあり、私は「なんで本公演って、面白くないのだろう?」と不思議に感じていたのです。

しかし、あまり深く考えることはなく、「舞台との距離感の問題だろうか?」などと、なんとなく自分を納得させていました。

 

 ここでまた、脚本の話に戻ります。

 

 脚本の勉強のつもりで、関係のありそうな本を読み漁っていました。

 そのうちの一冊「ピクサー流 創造するちから」という本を読んでいて、次のような一節が心に残りました。(ピクサーとは、「トイストーリー」「モンスターズインク」「アナと雪の女王」「ズートピア」などのCGアニメーション映画を作っている会社です。・・・説明するまでもないか?)

『ピクサーは短編映画からはじまった会社で、長編が主な収入源になった現在も短編映画を作り続けている。その理由はいろいろあるけれど、最初は「短編映画を作っているうちに、長編映画を作れる人材が育つのではないか」という意図があった。しかし、実際に作り続けてみると、短編映画と長編映画を作る才能はまったく別物だとわかった。短編映画を作ることで、技術的なノウハウは蓄積されたが、短編映画の名手が長編映画の名監督となることはなかった』

 詳細は違いますが、大体こんな内容でした。

 この一節は、私の心の奥底にずっと残り続け、事あるごとに浮かび上がってきたのですが、うまく捉えることができず、すぐにまた奥底に沈んで行きました。言葉の意味は理解しているのだけれど、それを実感できていない、言葉の概念を捉えきれていないような感覚です。

 

 脚本が書けないので何かきっかけをつかもうと、テーマを決めて、特撮やらアニメやらも見ていました。

 

 合成や特撮の基本を確認するために、初代ウルトラマンを見直したり(合成ラインの選び方とか、カメラ移動と爆発のタイミングとか、今見てもすごいです)、物語の始め方を学ぶために、プリキュアシリーズや戦隊シリーズの第1話だけを大量に見てみたりしました。(初代プリキュアの第1話の完成度がすごくて衝撃を受けました。トッキュウジャーの第1話もどこかノスタルジックで良かったです)

 

 また、時系列的には前後しますが、大量の自主制作映画を見る機会にも恵まれました。

 2010年に、佐賀県主催で「日韓ムービーアワード」というコンペティションが開催されたのですが、当時の私の職場は、大量に送られてくる作品の画質チェック(当時はテープが主流だったので審査員に見せる前にチェックして、テープに傷があると応募者に再送を依頼していました)をすることになり、数か月間、とにかく自主製作映画を見続けました。

 玉石混交でしたが、どれも興味深く、勉強になりました。しかし、アニメや自主制作映画を見たからといって、それで脚本が書けるなんてことはありませんでした。

 

 いろいろもがきつつ、何かをつかんだと思って脚本を書き始めては、捨てるを繰り返しました。

 

 何年間も前に進むことができず、にっちもさっちも行かない沈んだ気持ちで、ふたたび信頼している人にこれまでの経緯と、自分の思いを話しました。話を聞いたその人は「死ぬまでにあと1作、仕上げればいいじゃないか」と言いました。

 その時、私の心はさぁーっと凍りつきました。

「ああ、この人は私の作品が完成することを期待していないんだ」

「私の作品を待ち望んでいるわけではないんだ」

 その人が、私を何とか元気づけようとしてくれたのだろうというのは、わかりました。「あまり気に病まず、もっと大らかに作品づくりをしてはどうか」という意味だったのかもしれません。

 しかし、その時の私はそういう捉え方をできない状態で、その人とは、2カ月くらいまともに口をきけませんでした。その人がしゃべっているのを見ると「この人は私の作品を待っていない人なんだな」としか思えなかったからです。

 

 8年間、新作を作らないというのは、その間ずーっと期待を裏切り続けているのと同じなのだとも思いました。8年間、裏切られ続ければ、そりゃあ期待するのをやめても仕方ありません。

 

 ほとほと困り果てていた時、塩田明彦さんという映画監督の『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』という本に気になる一節がありました。大体、次のような意味合いです。

 

『長編と短編はまったく違うノウハウで作られている。短編は思想がなくても作れるが、長編は思想がなければ作れず、思想とは中身のことである』

 

 

(つづく)